妹たち③
日置と別れた後、俺は家への帰路を辿っていた。日置と会ったのもなかなか人の少ない場所であるように車で待ち合わせするような場所だったため、市街地に近い自宅からはちょっと離れている。電車で一時間ほどだろうか。ついでにいくつかお土産でも買って帰ろうと、目についたケーキを四つほど購入した。自分と美玲、それからサイガとシオン。
もう暑いから、と保冷剤をもらったが正解だ。じわじわと背中を焼くような熱気が来て、思わず襟元を緩める。最寄駅に到着して、自宅のマンション前まで来た所で何か上品な香水の香り、そして嫌な予感がした。
その後ろ姿は、確かに写真で見たばかりのその少女ーー伊集院 光瑠だった。ポニーテールに結い上げた、ゆるくウェーブした髪を揺らしながら彼女が振り返る。
彼女が振り向いた瞬間、わかってしまった。
わからされてしまった。
どれほど立場が違おうと、俺はこいつと血が繋がっているーーそう思ってしまうほど、そっくりだった。
俺に似たやや強い意志の宿るつり気味の瞳、中学生にしてはややガタイのいい体、笑みを浮かべると悪戯っぽく、ややもすれば悪辣な印象さえ与える、そんな表情を。
写真の中でしとやかに笑っているだけの部分では全く気づくことのなかった血のつながりを。
ポケットの中の携帯が震えていることに気づき、画面を見て電話に出る。
「もしもし?どうした日置、そんなに慌ててーー」
『そちらに、伊集院光瑠が向かっているかもしれません。気をつけてください』
向かってるも何も目の前にいるんだけどどうしたらいいんだ俺は。額を抑えて天を仰ぎ見る。カツン、カツン、というヒールの音が響き、目の前に光瑠が立っている。
「いやーどちら様で?こんなオンボロマンションにーー」
「兄を探しに来た。いえ、来ていた……と言ったほうがよろしいか?」
『もしもし!?もしもし、ハジメさん!?』
「ああ、もしもし日置?ーー手遅れだ」
バレている。ならば、隠す必要はない。とりあえず日置には後で連絡をする、と簡単に言って、それから目の前の少女に向き合った。
「何をしに、ここへ?」
「ああーー我が社の情報網に『ようやく』遺伝子検査を行なったという情報が入ってきてな。しかしその依頼の名前などに不可解な点があって、実は少し興味を持ったんだ。全く関係のない名前で提出された、それが母親と父親のDNAデータと一致したのを見た時には衝撃を受けたよ。そしてーーなぜそんな迂遠なことをしたのか、気になってな」
「……なるほど、俺のミスだ。実は、偽名を使った。万が一その書類が家に届いたりその後に美玲がそれを見た時に傷ついたりしないように、な」
じ、と黒々とした瞳が俺のことを射抜いてくる。唇には笑みを浮かべたままだが、なんとなく居心地の悪い気がして嫌な感じがある。こういう威圧の仕方は流石に血を感じざるを得ないな、と思いながら彼女のことを見返していると、彼女はふ、と唇を緩ませた。
「ーー言い訳がましくも聞こえるが、今はそれで納得しておこう。それで君の両親、いや私の両親ではあるが……そのことについては知っているのか?」
「いいや、知らない。両親は妹が赤ん坊の時に死にかけたことを気に病んでいた、と聞いている。ゆえに大事に扱ってきたが、血のつながらない別の子供を育てていたと知れば間違いなく妹は傷つくだろう。だから、俺はそれを、少なくとも美玲が高校を卒業するまでは口にするつもりはない」
光瑠はなるほど、ともう一度頷いた。
「では、私が今ここにいることは迷惑のようだな。少々困ったことに、数ヶ月後にはこちらに越してくることはもう決定しているのだが……」
「んなぁ!?」
「そう驚かずともいいだろう?東京の学校に通うのは箔がつく。それに一人暮らしをある程度できぬようであれば困る、と家のものにも言われている。流石にお手伝いさんに対して強く当たるような人間はふさわしくない、とでもいうべきらしい。さてーー引っ越した先はお前の家の二つ隣だ。妹にいつまで隠し通せるかな?」
ほう、と俺はちょっとだけ目を見張った。
「つまりーー俺との関係を隠すつもりがないということか?近くで見れば見るほど血のつながりを感じざるを得ない容姿に態度……だと俺は思うが?」
「まあな。しかし私自身はそうバレるようなものではないと思っている。普段は猫をかぶっているからな」
「どうだか……少なくとも、俺の幼馴染に関しては隠し通せるとは思わない方がいいと思うがな」
「うん?まあ、参考にしておこう」
鼻がまず違うのだから、バレないわけがない。そして何よりあいつは俺の幼馴染だ。これ以上ないほど違和感を感じるに決まっている。いや……もしかするとわからないかもしれないな。なにしろ俺と美玲が血がつながっていないということに驚いたのだから。
彼女はかん、かん、と階段を上がっていく。3階にあるそこには数日前まで老夫婦が住んでいたはずだが、と思ったが留守にしている時間が俺もサイガも長いせいで全く気づかなかった。もうそうなってしまったのであれば、諦めるしかないと思いながら俺の背後にピッタリついてくる。
「ふぇああああ……んあ?ハジメ、後ろに連れてるのは誰だ?」
タイミングの悪い、と思いながら目の前にいるサイガを見つめる。手で大袈裟にするな、と簡単にハンドサインを出すと、彼はちょっとだけ目を細めてそれからゆるく頷いた。
「ああ、ここ数日で斉藤さんとこがいなくなっただろ?その、それで越してきたのがこの人だそうだ」
「初めまして。お初にお目にかかります、伊集院 光瑠と申します。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
「……一人暮らし?この、ガキがァ?」
その言葉にひくん、と光瑠の頬が動いた、ような気はするがそれでも耐えたのか彼女はよろしくお願いしますね、と軽く笑った。馬鹿にされることには慣れていないのか、それともこんな暴言を吐かれるような生活環境にいなかったからなのか、とにかくサイガに対しては良い印象ではなさそうだ。俺は少し頭が痛くなるような気持ちになる。
「ああ、まぁな。でもお互いそんなよそよそしくすることねーんじゃね?」
「……!!」
しまったな、と額を抑えたが、なんとかそこでサイガの口を抑えることに成功する。中でもがもが言っているが、俺はにっこりと笑ってその肩をもう一方の手で掴んだ。
「ーーいいから。俺の妹は、『美玲』だ」
「……ぷはァッ、わーったよ。大袈裟に、しなきゃいいんだろ」
「その通り。わかってくれたなら嬉しいぜ」
軽くサイガの頭を撫でる。今よだれついたから拭いたろ、と軽く愚痴を言うが、ついたのはもう一方の手なので問題ない。すると、後でいく、と軽く呟かれた。
「それでは、おやすみなさい。良い夢を」
「……ああ、良い夢を」
さて、と俺は息を吐いた。ポケットから電話を取り出すと、サイガにあらためて電話をかける。
「もしもしサイガ?やっぱり今日はお前の家集合でいいか?」
『んあ?構わねーけど……なんでよ』
「美玲はまだ帰ってきていない。万が一にもそうなった場合に、話を聞かれるとまずい」
『ん、じゃあ準備しとく』
美玲の携帯内部に仕込んであるGPSを見るに残り十分程度で帰ってくるはずだ。俺は机の上に「散歩に行ってくる」という書き置きを残して、家を開けた。
「待ってたわ」
「おう」
俺は軽く手をあげ、それからサイガの家に入る。結構久しぶりだな、と思いながら上がると、家の中はかなり整えられていた。俺は勝手知ったるとまではいかないものの、「来たぞ」と一声かけていつも通りサイガの部屋の中に入っていった。
「ん、鍵閉めてきたか?」
「ああ。誰にも覗かれていないな?」
「ああ、誰にも覗かれてねえ。電気的にはどうか知らねえけど、耳をつけてるような様子もねえ、安心しな」
「そうか。ではーー初めに、伊集院光瑠についてだ。彼女はまあ、まず間違いなく俺の血縁上の妹だな。しかし、俺としては彼女に対してなんらかのアプローチをする必要はないと思っている。正直妹が増えたとして、結構嬉しい。ベタベタに甘やかしてダメな人間にしたい」
「ダメ人間だ……」
いや、流石に血が繋がっていないから可愛いのかと思ったのだが、血がつながっていても可愛いものは可愛いものなのだと学んだ。そしてやっぱりベタベタに甘やかしたい。
「んん〜、お前のしたいようにすれば良いじゃねえの。なんでお前そんな遠慮してんだ?」
「しかし、本人の意向を無視するつもりはないのでな。どうも雰囲気的にはきっと伊集院グループを後継するつもりであるはずだし、俺はあまり干渉するつもりはないんだ。なぜここに越してきたかはちょっとばかり謎だが……それに関しては本人に尋ねてみるしかないだろう」
「なるほどね。んで、美玲ちゃんの方は良いワケ?あのうざってーのが最近消えたのは良いと思うけど」
「ああ、お前はベタベタされるのが嫌いだから……美玲だが、まず間違いなく光瑠の方が接触を開始するだろう。その時には俺が側にいない方が、都合がいいんだ。なぜならーー」
遠くでかすかにチャイムが鳴ったような音がした。
「……なるほどね。本音を探りたい、と?」
「正解だ。ちなみに玄関先には録音機器を仕込んである」
「よくそんな準備してるよなァお前。ちょっとキショい」
「そう褒めるな、これはあくまでも次善の策だ。本来はお前に聞いてもらおうと思ってたんだから」
「そうかよ。ーーあー、ん、まあ聞こえなくもないが……後で録音としっかり照らし合わせろよ」
まず美玲自身は、はっきりと光瑠の顔を認識していないようだった。それこそ今は心配事の多い時期であり、引っ越しの挨拶に現れた人間のことを気にしている場合ではないと思っていたからだろう。しかし、光瑠が投げかけたこの質問で空気が一変した。
「ところで、お兄さん優しそうですよね。いいですね、私もあんなお兄さんが欲しかったです」
「……何を知ってーー」
その瞬間、美玲は気づいたようだった。目の前にいる少女が、とても俺に似ているということに。
「なッ……あん、あんた……」
「どうかしましたか?水上 美玲さん」
「ーー何を、しに来たの?あなたは私の居場所を奪いに来たの?」
「いえ、そこに関してはいらぬ心配ですね。私はあくまで、とある目的でここの地域に来ただけです。あなたに会ったのは、ただのついでです。私があくまで、血のつながりに拠らずーーあなたが私より、圧倒的に優秀で、有能で、どうしようもなく立場が上だということを確認するために」
「は…………?」
「少しく不安ではあったのです。あなたがもし、仮に非常に優秀であったのならば私の立場は脅かされる。血のつながりがあり、そしてあなたが優秀であった場合には私という存在が必要でなくなるのですから」
しかし、とても安心しましたーー彼女はそう言って、それから美玲の声は「帰ってください……」という細い声に変わった。
「ええ、本日は帰ります。しかし、あなたを見定める時間はまだ必要そうですから」
「ーーッ!!帰って!!」
その様子を聞かされる中、俺はニコニコしながら機嫌よくその中継を聞いていた。すごく気持ち悪そうな顔をしているサイガのことをちょっと無視しながら、光瑠の気持ちに思いを馳せる。彼女はおそらく、内心では非常に不安だったのだろう。自らの血がつながっていないことを理由に別の親戚がグループを継ぐこと、また自分が今までやってきたことを否定されないために。
「ああーー二人ともめちゃくちゃ甘やかしたい……なんて可愛いんだ……」
「この胸糞悪い会話聞いてそう言うのはテメェだけだと思うが?しかし……あの嬢ちゃんも人の子だってことだなァ!嫉妬心丸出しで美玲ちゃんに突っかかってくるなんてよォ」
「俺は正直二人が争っているのを永久に見ていたい。一般的な人の感覚で言えば猫と猫が喧嘩しているのを見ている気持ちだ。可愛すぎる」
「……バカだ……しかし、まぁこんなやつについていくって考えた俺も俺だってな。おい、ロキ。流石に戻ってこい」
「ああ、すまないな。しかし、やはり方針を変えるつもりはない。俺たちに会うことは彼女の副目的ということだったワケだが……主目的にあたる部分、そこを知りたいな。俺たちからは聞けるようなことでもなさそうだ。日置に頼んで彼女のスマートフォンとPCの検索履歴にアクセスしてもらう」
さて、彼女の目的は一体何なのか。これに関しては圧倒的に謎が残るな、と俺はサイガと相談をし始めた。とはいえ答えがわかっている問いではない以上、あまり長く議論してもただただ杞憂が過ぎるだけ。俺は少しサイガと話をしたあと、また最高幹部での話し合いをすればいいか、と一旦その議論を保留とした。




