学生生活
学生の本分は勉強である、というのが大人の言い分。
「まあ、おおよそそうだよな」
この春から二年生、という段階になって、俺の通う都立紅桜高等学校は、進学コースとそれ以外に分かれている。進学コースは別の漢字で紅皇なんて一般のコースからは呼ばれるほどに、全く別のカリキュラムになる。これは一年の時の成績や、進学の希望先などを聞いて決めるそうだ。故にうちの学校は偏差値は高くないが、有名どころへの進学率もそれなりを誇っている。
ちなみに昨日は入学式であり、在校生は休日となっていたため今日が始業式、高校二年生初めての時となる。
「クラス、一緒だったぞハジメ」
軍服を脱いで、普通のTシャツとパーカー、あったかズボンを履いているナルヴィーー斎賀 照之が俺にコップを手渡してきた。朝食の食パンをかじりながらもうクラス割を見てきたのか、と目で尋ねたところ、彼はちょっと肩をすくめながら俺と同じようにトーストした食パンを手に取った。
「おととい学校に侵入してクラス分け見てきたんだってーの。正直離れるかと思って焦ったんだよな」
「ヴェローナ……シエラがあのあたり言及してるから、俺たちがクラス離れるとかはないと思うぞ」
「そうなん?うっわ、めんどーなことしちまった。最悪」
不機嫌になっているのを眺めながら、俺とクラスが別になるのが嫌なのか、と少しほっこりした。こういうツンデレなところがあるのだが本人はそう言うふうに眺められるのは嫌らしい。前に口に出した瞬間、腹部を怪人化した状態でぶち抜かれた。
ツンデレだなあもう。
にやにやを押し隠しつつ、二人で他愛もない話をしながらもそもそと飯を食って、ようやく重い腰を上げて制服に着替えるか、というところでチャイムが鳴った。今の時間帯、押しかけてくるなんて人間はそういない。
「俺が出るわ」
「あー、じゃあ皿片付けとく」
「サンキュ」
玄関の扉を開くと、俺よりも長身の女性がぬん、と立ち塞がっていた。違う、シギュンーーシオンだ。
「どうした?」
いつもの軍服と同じく、その肌は一切の露出を許さない。顔の右半分以外を全く露出しないタートルネックにロングスカートという姿で、彼女はこれ、と静かに綺麗にラッピングされた包みをふたつ差し出してきた。
「高校二年生になったとのことだったので、お祝いです」
「ああ、ありがとう。朝早くからすまないな」
「ハジメ様はもう出発のお時間でいらっしゃいますでしょうから、家のことは私に任せていただければと思いまして」
忙しいんじゃないのか、と問い返すと、彼女は緩く首を横に振った。
「問題ありません。本日のスケジュール的にも、外で戦闘活動をしているグループはありませんので」
「じゃあ休日だろうに。遊びに行きたい場所とか、したいことは?」
む、という難しい顔をして押し黙ってしまったので、まだ早かったか、と思いながらその手を引いて家の中に入れる。
「まあ、入れよ。俺はもう出ちまうけど、プレゼントの方はお前からサイガに渡してやんな」
「はい、了解致しました」
ちなみにプレゼントの中身はハンカチと柑橘系の香りのハンドクリームだった。男子高校生が持っていないもの第一位である。
シオンはいつも鍵を入れている場所は知っているので、ひとまず俺の家に置いてきた。学校への道のりをぐだぐだとサイガと歩いていると、背後から「どーん!」という声とともに誰かが突っ込んできた。いや、こんな態度を俺に取ってくるのは一人しかいない。
「シエラ先生、やめてくださいよ。女教師が淫行条例で罰せられるところなんて、俺見たくないです」
「何よぉ、固いこと言わないの」
ヴェローナーー正しくは九条シエラ。金髪でいつもミニ丈の軍服に包まれているナイスバディは、格好いい印象を与えるパンツスーツに身を包んでいる。こう見えて国語教師の一人である彼女は、男女ともにスキンシップが激しいことで有名である。高校生にもなって頭を撫でられる学生の身にもなってほしい、とため息をついたところ「幸せが逃げるわよ〜」と後ろから声がかかって、さらに暗澹たる気分になった。
「シエラ先生、おはよー!」
「はーいおはよう。いい朝ね!」
国語教師の一人、ということで本人は週に数度、古文を教えにくる程度である。その見た目で古文を教えられると脳みそがバグを起こしそうだ、と学生の間では評判だ。まあ、人気も高いのは確かなのだが。
「じゃ、今日も張り切っていくわよー!」
ニコニコしながらじゃあね、と軽く手を振り、去っていく。普段険悪なナルヴィとヴェローナーー正確にはサイガとシエラだが、表向きはそこそこ仲良くしている。というより、本来二人の相性的には悪くはない。
「ほら、クラス張り出されてるぞ」
「見なくていいだろ。どうせ一緒だし」
「何組だったか覚えてるのかよ」
クラスが同じかどうかは確認しても、こいつの場合は大事なことを見落として帰ってくることが多い。案の定、何組かは見ていなかったようだ。クラス分けの張り出しは非常に混み合っていて、あの中に踏み込むのか、と躊躇するほどである。ふと知り合いの顔を見つけて俺は軽く声をかけた。
「中村!久しぶり、クラスどうだった?」
「お、水上じゃん!クラスな、俺写真撮ったから今去年のクラスのグループに送るわ。いやー、あそこに入るのってしんどいもんな。俺は一緒のクラスだったけど、反町とは離れちまったわ」
中村瑞樹、反町隆。
俺、と称しているが、その見た目は女子である。俺っ子女子という女性であり、反町という男らしい彼氏がいる。幼馴染だったのがめでたくくっついた経歴持ちではあるが、それはともかく。
「なんだ、反町とは離れたのか。やはり俺とサイガとの絆には敵わんな」
「キメェ、やめろ」
片腕でサイガの肩を抱き寄せてキメ顔をして見せると、サイガはいやそうな顔で俺のほっぺたをぐいー、と押しのけた。
「相変わらず仲良しだなー、あんたら。ま、クラス云々については気にしてないんだよ正直。毎日お互いの家を行き来する仲だし」
「お?惚気かね、中村?」
「ば、ばか!でも昼飯はどうするか、ちょっと検討中。彼女がクラス違うのに行って空気壊したくないし、あっちもあっちの付き合いがあんだろ?」
どうしようかな、と悩む彼女は口の悪さこそあれ、気遣いに満ち満ちていて、相手の迷惑になりたくないとか、あれこれと考えているのが丸わかりだ。とっても人間らしい姿に俺はニコニコしてしまった。
「馬鹿だな、彼氏ってのは多少のわがまま言われる方が嬉しいんだよ。昼飯だって、本当は一緒に食いたいんだろ?ただでさえ中村は素直じゃねえんだから、ちょっとくらい自分に正直に行動してみな」
「……い、いいのかな……」
「いいに決まってるさ。二人はそれくらいで壊れるようなやわな仲じゃないだろう?」
恋愛相談もどきを受けながら、俺は向こうから反町が来るのが見えて軽く手を振る。彼氏としては彼女が他の男と喋っているのが気になっていたことだろう。反町の顔はややこわばって見えたのもそのせいに違いない。
「瑞樹?」
「ひょわぁ!?た、たか……反町!いきなり後ろから声かけるんじゃねえ!ばか!」
「じゃあな、お二人さん。仲良くやんなよー」
行くぞ、とサイガの背中を軽く押す。何を見つめていたのか、彼はちょっとびくりとしてから少し目を伏せた。
「何が気にかかってるんだ?」
「……大したことじゃねーよ。ああいうの見てると、俺も……」
「恋人が欲しいって?」
「ま、まあ?俺より美形で?かわいいっていうか綺麗系がいいかなって?思ったりするけど!」
「高望みだなあ」
身近にいるっちゃいるがな、残念美人のヴェローナが。
教室の扉を開けると、全員がチラリとこっちを見てまだ騒げるか、と会話に戻っていった。どうやら先生がきたと思われたらしい。各々綺麗に分かれていて、やはり距離感を感じる雰囲気、一年生の頃にも味わったが、新しい人間関係の構築には少し時間がかかることだろう。
「席は……チッ、別かよ」
「思い通りにならないからってキレるなよ。現代の若者の見本かお前は」
ツッコミを入れながらそれぞれの場所へと着席すると、扉がガラリと開いた。もう流石に来てもいい時間だと思ってはいたが、予想通り先生だったようだ。茶髪っぽい髪を一括りにした男の先生で、数学担当の駒井 晴雄である。
「はい、着席ー。君たち今日から高校二年生ってことでね、まあ面倒ごとはやめてくれよ。俺が対処しなきゃいけない面倒ごとを起こされると先生の残業時間が増えますからね。それ以外は何事も、全力で取り組んでね」
ネクタイの柄をよくよく見てみれば、バナナのような柄である。ちょっと不真面目そうだが、生徒にはなかなか人気の高い先生だ。
「まあ進学コースとかじゃないから、君たちは日常を楽しみ、そしてしっかりと人間的に成長してほしいんだよね。進学コースって俺としては反対してる立場だからさあ」
モニョモニョ何か言っているが、彼は最後にニコッと笑って、それからそれじゃあ並んで、と外へ出るように促した。それから校長先生の話だの、学生の抱負だの、あれこれ決まりきったものを聞いた後にまた俺たちは教室へと戻ってくる。本日の業務これで終わり、というわけだ。
「寄り道せずに帰れよー。ああ、してもいいけど私服に着替えたりしてからにしてくれよな」
「先生テキトーすぎ」
クラスのあちこちからポロポロと笑い声が漏れる。いい空間だな、と思いながら、一人馴染めなさそうに肩を狭めている少年を見つけ、目を細める。ああ、いい生贄になりそうな雰囲気だな、と思いながら、彼の名前を思い出した。
確か、そう。
『荻 修平です。よ、よろしくお願いします』
趣味とか、そういうことを話していた中で、彼は一人それだけ言い放って座ってしまった。陰気な眼鏡の少年、だがその背後には何を背負っているのか……。
「悪い顔してるぞハジメ」
「あ?ああ、サイガか。すまないな、ちょっと楽しいことを見つけてしまってな」
「……やめろよ、いたいけな人間の心を弄ぶのはよぉ。お前は加減ってものを知らねえんだからさ」
まるで人のことを人間でないみたいな言い方だと憤慨しながら、コッソリ心のメモ帳に荻という名前を書きつけた。
「っつーわけで、次の作戦なんだけど……俺とそれから総帥で行くんだろ?戦闘班どうなってんの?」
「ああ、日曜の作戦か。作戦概要をきちんと読んでいないな?お前さては」
両腕を腰に当ててふんす、と胸を張っているナルヴィだが、俺は即座にそう言い当てる。
「よ、よよよ、読んだもん」
「嘘つけ。読んでたら俺たち以外に戦闘班がいないってことはすぐにわかったはずだぞ」
日曜日に行われる作戦No.1689は、人間の認識をいじる装置を用いて行う作戦である。魔法少女の認識阻害と似ているのは当然なのだが、その装置は人間の方向感覚、言語感覚、顔の認識など様々な知覚機能に働きかけてメチャクチャにする、という機能を持っている。当然ながら人的被害が出ないようエスカレーターなどを事前に一時停止させるなどを行うつもりである。つまり、一般人にとっては突然見知らぬ人間が聞き慣れぬ言語を喋り、なおかつ見知ったデパートがダンジョンと化す、と言った具合になる。
そんな中構成員が正常の意識を保っていられるのは、魔法少女の認識阻害への対抗策として生み出した認識阻害対策装置がこの装置に対しても有効である、という実験結果が得られたからである。ちょっとややこしいね。
「というわけで、この作戦においては本来、遠隔での装置起動、それから何人かのサポート要員を私服で紛れ込ませるだけで元々問題はなかったんだ。ところがこのデパート、魔法少女が確定で現れることがわかっただろう?」
「あー、ヒーローショーの一環で、連絡がSNSで取れる魔法少女を呼んだ……ってアレか?」
「そうだ。彼女を倒し、それから彼女の連れているマスコットを誘拐する。俺たちの脱出に関しては俺がいれば問題は無くなるだろう」
「なるほど。で、なんで俺たちの参加は軍服でってなってるん?マジでわかってないんだが」
「ああ。魔法少女が自らの魔法ーー認識阻害を無効化できている以上、認識阻害装置に対してもなんらかの対抗策が取れる可能性がある。つまり、俺たちの作戦が壊れてしまいかねないんだ」
魔法少女は自らの認識阻害の範囲外ーーそれがどういう機序によって行われているかによってとるべき手段が変わる。例えば魔法少女の認識阻害魔法の対象外としているのか、それとも魔法にかかった上であえてそれを弾く手段が魔法少女自身に存在しているのか。
「あ、そうそう、ユミールからの伝言で、魔法少女自身も1日だけ誘拐して欲しい、という希望があった。だから魔法少女一人に対してこんな豪華メンバーで臨んでいるのだよ、私たちは」
「確かに、オーバーキルよな……魔法少女だけなら俺だけでもなんとかなるけど、捕獲してってなるとやっぱ総帥がいねぇと話になんないからなァ」
俺を除けばナルヴィは肉弾戦最強と言っても過言ではないし、俺に至っては相手をするのがバカみたいな気分になるほど強い、とそのナルヴィに言わしめたほどである。つまり最強。
「そしてその目的とする魔法少女フィロソフィーだが、ほとんどが魔法による戦闘で、本人の戦闘能力はさほどない、と聞いたことがある。しかしその魔法が多彩ゆえ近付くことすら難しいという報告があった。今回俺たちは念には念を入れて、装置発動直後、油断を生んだ瞬間を狙うことにした」
ナルヴィはなるほどなあ、と言って頷いた。
「じゃあ俺は総帥と一緒に突入すんだ」
「ああ、そういうことになる。だから大してお前が把握するような事項はないよう丁寧に、軽めにまとめた作戦内容書を読んでおけと渡したんだが?」
「……うるせー!俺が字が細かくて小難しい文章は読めねえんだよ!眠たくなる!」
があっ、と吠えて彼は怒ったように地下室を飛び出していった。あーあ、あの様子だと零部隊に稽古と称して当たり散らしに行くんだろう。心の中で小さく合掌して、カバンから教科書を取り出した。
やっぱり自分のものにはちゃんと名前を書かないとな。