ヴェローナ④
ピンポンパンポーン、という音声の後、呼び出しを食らって行った生徒指導室では九条先生がにこやかに手を振って待っていた。表情は明らかに柔らかく、そして笑顔は内側から輝くようにさえ思えた。これで結婚を嫌がっていないなんて考えるのだから、人の思い込みとはなんという恐ろしいことか。
「ハァイ、久しぶりね」
「昨日ぶりじゃ?」
「細かいことを気にする男はモテないわよ。それでね、一晩考えたのだけど……私、あのね……あなたたちの組織に入れてくれないかしら?」
俺は少し目をすがめる。目の前のご機嫌な女性がただの思いつきでそう口にしているなら、止めるべきだーーと判断したのだが、どうにも雰囲気は少しばかりおかしい。
「組織に入れてほしい、と言うのは組織の情報を広める上での手伝いをしたい、と言うことか?それならばこちらとしてもありがたーー」
「いいえ。戦闘員になりたいのだけど、改造ってできるかしら?枠があればそうしたいのだけどーー」
「……」
俺はカップを持ち上げかけた状態で、彼女をジト目で見つめるが一向に気にする様子もなく、自分のカップを傾けている。俺はちょっと呆れた心持ちになりながら、いいか、と話を始めた。
「改造後確実に妊娠できるかなどの不安が残るし、被検体の数も十分じゃない。生命の危機についても補償する手術ではないし、なおかつ改造の深度が上がると人としての形を保つことが難しくなったりする場合がある。加えて普通の教職員として働く場合には戦闘が常に休日に、休息の時間へと割り込んでくる。何より……お前はまだ私の目的を知らない」
だから、入れるわけにはいかない、と。
「目的?んなもんどうでもいいじゃないの。私にとってこれはあくまで娯楽、楽しいことするためのただのサークル活動みたいなものよ。もちろん守秘義務だのいろんなややこしいことだって出てくるでしょうけど、世界を征服するとか、そんなご大層な目的があるわけじゃないんでしょう?」
それはーーその通りだ。ただ俺の目的と言えば人が人としてあれるようにすること、それだけだ。俺は少しだけ目の前の女性を見直す。九条シエラの目は曇ってはいないようだ。
「なるほど。その目的には興味がない、ただ楽しいことをしたいーーそんな気持ちか」
「ええ、そうよ。あのビルが吹き飛んだ瞬間、私はとんでもない爽快感を覚えたし、今まで生きてきた中で最高に楽しいと思ったわ。それに……あなたの下にいれば、『好き勝手』生きられそうだと思って」
にこやかに語られたそれに、俺は額を抑えて深々とソファーの背もたれに体を沈めた。俺の知る限り最も雑でどうでも良い志望動機。だが、それがとんでもなく俺の心を躍らせる。
「ーー良かろう。じゃ、改造自体は夏休みに行うものとする。ただし、表での教員という仕事は続けてもらう、その方が俺たちと接触していた場合に言い訳がつきやすいこと、加えてお前自身の正体露見を防ぐことができるからだ。そして昇進自体はできないものだと思っておいていい。給料に関してはあんたは一応今回の婚約騒動で非常勤という扱いになってるからバイト自体は問題ないはずだから、申請だけはしておけ。国を相手取ってわーわー言うと、また俺たちの立場がややこしくなるからな」
「はーい!ん?じゃあどういう感じになるの?会社ってこと?」
「ああ、基本的にはいくつかのペーパーカンパニーに分散させて節税する感じになるが……部門ごとで別決算という形になりそうだな」
「なるほど……面倒そうね!わかんないしその辺は適当によろしくね!」
コーヒーを飲みきり、そこで笑顔で立ちあがろうとしたシエラの足に影を絡み付かせ、立てないようにする。
「おっとーー話はまだ終わっていないぞ?俺たちの中でも大人なあんたの手を色々借りたいと思っていたんだ。楽しみだけしゃぶって面倒を避けて通ろうだなんて……正義が許しても悪の俺が許さないからな?」
「ぴ、ぴぇえ」
「……あ」
「あら、起きたのね。途中から頭がぐらぐらしてたのよ?総帥ったら」
「ああ……」
ここ数日は忙しすぎてほとんど睡眠時間もなかった。美玲が眠ってからの数時間が最も良いお仕事タイムだったため深夜にパソコンをいじり回していたのだが無理が出てきているらしい。
「……流石に支障が出るな、これは。この生活を続けるのも……」
魔法少女たちの声明文を読んでいたところで、あまりの文章の退屈さにあくびが出て、そこから先を覚えていないということはおそらく眠りに落ちてしまったのだろう。文章の内容自体をざっくりとまとめると、『悪は許しません!地球は我々が守ります!』だったのだからまあタチが悪い。加えて自称正義の味方である魔法少女たちは平行世界などから出てきたクソゴミ汚物……もとい魔法生物たちが平和で楽しく暮らしてる、とほざいている。実際そうなのかどうかもわからない、侵略生物でしかないのに。
「思考を汚染されているとしか言えない気味の悪い文章だ。どうせ指導が入っての文章添削もあるんだろう、吐き気がする」
「まあまあ、落ち着きなさいよ。とりあえずこれで相手の出方は徹底抗戦、わたしたちと戦うってわかったんだからいいじゃない」
「……徹底的に敵対すること自体は俺の指示だから、予想通りだよ」
「あ、あら、そうなのぉ。ま、いいじゃないどうでも!それより今の状況をずっと続けるわけにいかないんでしょ?どうするのよ」
「ああ……うーん……そうだな……何か習い事を勧めてみるか、それか塾へ通わせるのが最良か。ようは時間が稼げればいいんだし」
学校自体は違う場所に通っているため、学校から直接向かった方が良い場所に通わせればいいだろう。問題はあいつの成績だが……まあ、頭は悪くはないがいかんせん、魔法少女活動にのめり込んでいる以上成績は悪いことは悪いだろう。今までの成績はクラスからの排斥その他に責任転嫁するとしても、両親側からすればかばいきれないくらいだと思われる。そしてすっぽり抜けた基礎の部分を補うための塾通いが必要になるはずだ。
そうすると、一対一の塾を紹介するべきだろう。面食いだから顔のよく、人当たりのいい講師……まあ、そこは魔法少女の関係者をつけてもいいなと少し首をひねった。
何しろ魔法少女の活動自体を根本的にやめさせるのであれば、魔法少女としての実績を積ませておかねば最終選抜メンバーに入れることができなくなる。できれば魔法少女として活動を暗に続けさせた後、その全てをボロボロにしなければやめる気にすらならないだろう。
魔法少女を続けることはこの世界への寄生虫を増やすことに繋がる。そして俺の愛してやまないこの世界をじわじわと殺そうとしているのだ。直接的な排除ではなく、世論をそちら側へと傾けなければ。
俺は3度机を指先で叩くとテーブルの上にホログラムを呼び出した。ハイテクなテーブルだが文字を書いているとしょっちゅう誤作動を起こしてうっとうしいため、紙とペンでの実務をするときは電源を落とさないといけないちょっと不便なテーブルである。実際ホログラム部分はテーブルの一部分だけで呼び出せるようにしておくべきだったとユミールが反省を述べていた。
「魔法少女担当者にそちらをやらせることで塾通いにもかかわらず成績が上がらない、加えて魔法少女としての活動を細々だが続けられる。実際に計画を行う段階でそれは効いてくるだろうしな……ああ、面倒だ。なぜ世界をちょっぴり正直にするためだけの活動が、こうも大掛かりになってしまうんだろうか」
「今日はなんか弱音吐くわねえ。いつもと違って可愛いじゃない?随分と」
「俺も人間だ。ストレスだって溜まる、それにーー正直かなりイライラしているんだ。最近は思い通りにならないことの方が多くてな……」
「あら、総帥ったら傲慢ね。人間なんて思い通りにならないことの方が多いものよ?」
くすくすと笑う声に、俺がニヤッと笑って「悪の総帥はワガママなんだ」と返すとちょっと肩をすくめ、ヴェローナは出ていった。実際彼女がいなければ国の上層部との交渉はかなり難航していただろうことは否めないし、何より手駒としては最高に優秀だ。
「信用してはいるんだがなあ……いかんせん酒癖が悪い」
俺の下でなければたまに、本当にたまにだが、もっと上手く使ってやれたかもしれない。だがここまで生き生きとさせることはできなかっただろう。なんだかんだ言って楽しそうで、本当に良かったと俺は思いながら立ち上がる。
「よし」
まずは塾の手配をしよう。俺は桜木へと電話をかけ、それからーー。
ブブッ、と携帯が震える。もちろん通知自体は切っているが、それでも反応できるようにしたのはラグナロクのアプリだけだ.
携帯を開くと、そこに表示されていたのは驚きの事実だった。何度も震える手でその文章をなぞっては読み返す。あまりの事実に瞠目したまま椅子にほとんど倒れるようにして座り込んだ。
「…………ッ」
行動しようとしていた気持ちが全て、俺の中で弾けて飛んだ。今日はもう動くことすらできなさそうだ、とおでこに手のひらを当ててうめく。いやーー会って全ての内容を聞いたほうがいいだろう、と無理やり体を動かし、このデータを送りつけてきた張本人に電話をする。
『そ……総帥、珍しいね、そっちから電話なんて……』
珍しいも何もない、流石に疲労を感じていたところにあの情報だ。頭がおかしくなりそうだと言っても過言じゃないだろうーーという言葉を飲み込み、俺はとある提案を口に出した。
「日置、頼んでいたことももう少し聞きたい。デートをしようーーいつがいい?」
『ヒュわぶぇ!?』
奇声と共にガラガラ、ドシャ、というけたたましい音が携帯から流れ出てくる。俺は目をちょっと閉じたまま携帯を耳から引き剥がし、それから音がおさまった頃にもう一度携帯を耳に当てる。
『い、い、い、いいの!?で、デート……とか……特別扱いじゃない!?』
「名目上はデートになるが、本当はお前の健康チェックと今回のデータについて誤りがないかどうかを確認したい。それともーー私と出かけるのは、不満かね?」
『ホンヌァ!?超嬉しい……や、やばい……死んじゃう……』
がちゃん、パリーン!という音が再度聞こえてきてあっつう!という悲鳴が飛ぶ瞬間にはスマホを耳から離していた。前回自分でデートを仕掛けてきた時にはムカつくくらいしれっとしていたのに、こちらから仕掛けられるとなかなかいい反応をしてくれるからやめられない。
「じゃあ、来週の土曜にしよう。場所はーー」
『東京!東京でどうしても食べたいお店があって!そこに二人で行きたいな、と!』
店名を聞かされ、嫌な予感が走って調べた俺は少し頬がひきつったが、この引きこもりがそこまで主張するのであれば……とやむなく頷いたのであった。
ちなみにその後なんとか調子を取り戻せたのは、少し日置でふざけることができたからだろう。塾などについてもしっかり根回しを終え、両親にもそれとなく塾通いさせたほうが学校以外でも相談できる先が増えるから、と言い置いた。一応これで全ての作業を終えたため、俺は疲れた体を引きずって家へと帰宅した。
ほとんど変わらない時間で帰宅した妹はやけにハイテンションで、俺のことなどお構いなしにはしゃいでいた。ついでに家に入ってきたサイガはぐったりとした顔をしていたが、俺の表情が悪いのを見るなり駆け寄ってきた。
「おい、どうした?ハジメ、顔色あんま良くないけど……」
「ああ、気にしなくてもいいんだが……ちょっとな。サイガ、相談したいことができた」
「え?ああ、うんまあ……それって家でもいいワケ?」
「別に構わないさ。いずれ明らかになる事象でもあるからな」
パタン、と部屋の扉を後ろ手に閉める。俺はクソ鳥の気配がわずかにすることを感じながら、それを見逃すようにして顔色が悪いままに俯いて一言だけ、ポツリとつぶやいた。
「実はな、美玲なんだがーー」
「うん?」
「ーー俺の実の妹じゃなかったみたいだ」
確かに顔は似ていない。でも兄弟の間ではままあることだ。母親の浮気とか、隔世遺伝によるものだとか、いろんなことがあるが、そのどれでも無い。かわいい顔に浮かべた驚愕をさらに貶めるように、俺は吐き捨てた。
「美玲は、俺の母親とも、父親とも、もちろんーー俺とも血がつながっていないようなんだ」
さて。
この情報を聞かされた美玲は、俺の家に、そして両親の家に安穏としていられるだろうか。
いられないよな?
「どうしよう……サイガ」
「ど、……どうしようったって、お前……俺が聞きてぇよそんなの……」
大事な大事な大事な可愛くて愚かで愛しい、最高に『人間味のある』妹よ。
お兄ちゃんはーーお前にとってどんな『人間』なのか、兄妹の枠を引っぺがしてそのツラを拝んで見ようじゃあないか。両手を顔に当てたまま、俺はその下で笑いが止まらなかった。




