遭遇事件②
俺たちはとあるファストフード店に入った。中はそこそこ混み合っていたが、目的の人物は俺の顔を見てすぐさまその横へと陣取った。すこしかっちりしたスーツの男だが、やけに線が細く見える。実際はよく食べ、よく鍛えているのに筋肉も脂肪もつかない体質だと言う。
「お待ちしていましたよ。それにしても、本当に素顔を出して……」
「すまないな、ミヤハラ。また痩せたか?いや、改造を受けた以上は痩せることも太ることもないか。それで、何か重大な事件でも?私が出向く必要はあるかね?」
「ああ、気になさらずともよろしいですよ。大した要件ではないんです……いやあ、しかし相当頑固ですよ、あの魔法少女リリム」
聞けば、ありとあらゆる心理的負荷に対しても、懐柔に対してもはっきりとした拒絶を示していると言う。また手術で取り除いたはずの寄生魔法生物、あれがまた小さいながら生えてきたりもしたという。つまり、除去が難しいタイプの魔法生物らしい。デメリットもまあまあありそうなもんだが、そこら辺はどうしているんだろうか。
「……致し方ない。改造を受けてもらう」
「改造を?いいので?」
「ああ、構わんさ。どうせ外れないのなら、背骨からその周辺一帯を取り除き、全身を調べあげて魔法生物を除去することになる。そうなれば、一般的な手術ではもう元には戻るまい」
「……彼女を内部に引き入れることに関しては、反対だと?」
「ああ。彼女については、魔法少女のなかでもまあまあ顔が広い。それに、いくら情報を与えてみたところでこちらの手術を信用できないほど侵食が起こっている以上は……まあ、私の説得に応じることもあるまい」
俺はそこで言葉を切り、コーヒーを口に運んだ。シオンは一方でLサイズのコーラを両手でもち、ストローでちうちうと吸っている。
「ですよね。まあ、予想はしていました。方針として伝えます」
さて、と俺は本題に入るべく背中越しに届く声に返事する。
「スパイだな?」
「はい。彼女はまだ自分が気づかれていることに気づいていませんが、その……動きがあまりに雑であり、どうしたものかと」
さすがにバレすぎているようで、他の構成員にも当たり障りのない情報を与えられてそれを報告しているようだ。そして何度か作戦を妨害しようとしたが、当然うまく行かずに失敗しているらしい。魔法少女を強固に擁護するような発言も目立ち、そして何より組織の人間に対しての当たりが強い。
「相手組織の厄介払いにしても、桜木の采配だとしたらすこし心配になるが……さすがに冗談だよな?」
「いえ、本当なんです……」
ちょっと参っているようで、頭を抱える彼に対して俺は気にするな、と伝えた。
「さすがにそいつを組織内部にとどめておくよう命令するのは無理があるから、桜木にはもっとましな人材を送り込むように伝えておく。加えて情報についても口止めをするのも面倒だ、記憶の一部処理を行う」
記憶の処理に関しては多少面倒だが、薬剤による処理になる。彼女が潜入して来たのもここ数週間の話、一定期間の記憶を失うようなものとなる。投与量によっては昏睡しかねないので、厳重な管理のもとの投与にはなるがこれで彼女に関しては記憶を持ち帰ることもなく追放が可能である、ということになる。
「了解しました、それでは即時首にして会社都合での退職とさせていただきます。退職金に関しては、規定通り支払われるようにしておきますので問題はありませんよね。一応口座も開設されてありますから、そこに振り込みます」
「ああ。しかしまあ……金では人の歓心は買えないな、そこそこの給料だし、たいていの人間なら目先のあれこれに囚われてきっと心惹かれていただろうが、流石、高い志をもつ者は違うというわけだ」
しかし、そっちの方がより心を折りやすいのも事実。自分の信じたくないものが真実であった場合、彼女がどう叫ぶのか非常に興味がそそられるが……これはまあ、別にいいか。
俺は残っていたコーヒーを飲み干して、そして立ち上がる。シオンもまた、同じタイミングでカップを置いた。残ってないのか?と目で問うと、空です、と小さな声が返ってきた。
「それでは、また」
「ああ」
背後にあった人の熱が、遠ざかっていく。少し肌寒い、と思いながら俺はゴミを捨てると、外へと歩き出した。しばらく歩き、駅に到着するとシオンはここまでで結構です、と口にした。
「送っていただきありがとうございました」
「待て待て、恋人だろうが。もっと別れを惜しまねえと、もし妹の同級生がいたら怪しまれるだろうが」
手を取って、それからその背中に手を回す。びくり、と体が跳ねたが、俺が手をぴたりと動かさないため、徐々に身体の緊張はほぐれていった。
「大丈夫か?」
「はい……あの、おかしなことなのですが……少し、安心いたします」
「今日は少し寒いからな。いつも一人でいるときは、食事は食べられているのか?」
「一人の時は、その……食べることはあまり、できていません。できるだけ食べられるようにはしているのですが」
シオンが以前虐待を受けていたときには、食事が与えられるのは基本的に性行為の後だったという。そのため、食事と性行為が結びついてしまうらしい。俺やサイガといるときはそこそこ落ち着いて物を口にできているので、やはり頻繁に会わなくてはならないだろう。
「時間が許す限り、俺がお前のところにいくことを妹も許してくれるはずだ。その時間を使って本拠地に向かうことにするが、お前がきちんと食事を取れるように時間は取るつもりだ」
二度、軽く背中を叩いて体を離す。すると、彼女はなぜかショックを受けたような顔をして、それから茫然としたままよろめいて、そして俺の肩を掴む。長い黒髪が俺と彼女の顔を覆い隠していく。
「ありがとうございます……その、なぜそうす……ハジメ様は私にこんなに優しくしてくださるのですか?私の取り柄は何もありませんし……改造も、ハジメ様がいなければ施すことさえできませんでした」
初めて、シオンの声が震えた。今まで機械のようにしゃべっていた、彼女が初めて揺らいだ。抱きしめたことは、ただのきっかけだった。顔を歪めて、初めて人間らしく泣きそうな顔をしている。
「ーー私は、総帥のお考えがわかりません」
「初めてだな」
あまりにも身勝手な言葉が口から飛び出てしまって、俺はちょっと口を抑えた。彼女は不思議そうな顔をしていたが、やがて元の無表情が少し眉を寄せたような表情に戻ってしまった。
「俺は全人類を愛してやまないと公言しているが、近しい人に思い入れがないわけじゃない。シオンのことを見つけてから、年月を積み重ねてもずっとシオンは表情も、口調も、ほとんど変わらなかった。俺の前でこんなにもはっきりと自分の思っていることを口にしたのは、初めてなんじゃないかと思ってな」
「確かにそうかもしれませんが……そのようなことは些細なことで……」
「俺からしたら、大きなことなんだよ。今、俺はめちゃくちゃ嬉しいんだからさ」
そう言った瞬間に、彼女が大きくのけぞって、それから足早に3歩離れる。そして、目を見開いたままわずかに赤みの差した顔を手で覆うと、勢いよく走って駅の改札に飛び込んでいった。ICカード、と思った瞬間、改札のところでバコ、とぶつかってしまい、それからカードをポケットから出して慌ててタッチして走っていく。
ーー何というか、締まらないな、と思いながら俺はその後ろ姿を見送った。
「遅かったね……ひもじい……」
「お、語彙力があるな。夕飯はチャチャっと適当に作るが……ん?」
玄関までで迎えてくれた妹。しかし、なんとなく、そう、なんとなくだが家に違和感がある。誰か見知らぬものが上がり込んだような、そんな違和感。ふと、強烈に何か嫌なものを感じて、俺は靴箱をガン、と蹴った。
『ッピィ!?て、敵襲!!』
「あ゛?」
思わず出た死ぬ程低い声とあり得ない形相に妹がビクッとしているのにも気づかないくらいに、俺は勢いよく靴箱を開いた。中にいたのは、ウルウルとした目をした巨大な鳥。誤解のないように言うが、鳥型の魔法生物だ。明らかに火もないのに燃えている羽がその証左。ふわふわしたオレンジ色の丸みのある鳥型のぬいぐるみ、という表現が最も適切だろう。
もしかして、と俺はすぐさまピンときて、美玲の顔を見たあと、そのオレンジ色の鳥を睨みつける。
「まさか美玲を魔法少女にしに来たのか?あいにくだがダメだ、立ち去れ」
「ち、違うのだ!でもこのおうちにおいてほしいのだ……ダメ、か?」
ウルウルと目を潤ませて気持ちの悪い顔をしてくる鳥を頭から爪先まで検分した。羽はよく見れば薄汚れていて、毛艶も悪い。ああ、人間の世界に降りてきてからすごく苦労してきたんだなーーとか思うわけないだろうが、ふざけるな。
「往ね、このクソ鳥」
ボールのような掴み方で鳥を掴み、そして勢いよくドアの外へと投げ捨てる。思う様力は込めたため、よく飛んで見えなくなるほどになった。どうせ鳥だから飛べるだろ。
「お、おに、お兄ちゃん、鳥さんを投げるなんてひどい!」
そこでようやく背後にいた美玲に思い至る。ああどうやって説明しようか、と思ったところですぐに言い訳ならば思いつく。正義感のある美玲ならば、好きそうな言葉が。
「美玲。魔法少女のように本来年端もいかない青少年が戦いの場に出なければいけないなんて危ない立場になるのはおかしいだろう?そもそも契約を結ぶならば、大人に対してそれを持ちかけるべきだ。美玲、まず疑うべきはマスコットだろう」
「そ、そうかもしれないけど!でも、あんな汚れてたし、かわいそうだよ!私、探してくる!」
さっきまで空腹でダウンしていたのが嘘のように、彼女は勢いよくサンダルをつっかけて玄関の外へと飛び出していった。俺はまさか、と思いながら口を掌で覆う。
「まさか、まさかまさかまさかまさかまさかまさかーー」
美玲が俺の正論を無視して探しに行った。もしかして、既に二人には何らかのつながりがあるのではないだろうか。基本的に正論に対しては当然の如く賛成する彼女がおかしな正義を振りかざすときは、決まって自分に近しい他人のため。その人が事件に巻き込まれたりするとその人を庇い立てしたり、一方的な見方で敵を決めつけたり、やりたい放題と言っても過言じゃない。
馬鹿が、と小さく吐き捨てる。もし家に持ち帰って来たとしたら……先に探すべきだ。できればラグナロクへと引き渡して……。
「待てよ」
サンプルとしてはちょうどいいのかもしれないが、ここで仮に何か情報を妹へ送る手立てがあった場合に、俺は詰みとなってしまう。世間にはまだ正体をバラすつもりはないのに、ここで何もかもが露呈してしまうようなヘマはまずい。
冷静になれ、と深呼吸をする。相変わらず頭の中はめちゃくちゃだが、落ちた靴を拾い上げる心の余裕くらいはできた。俺はつい先ほど妹の情報を得るように指示した零部隊の一人に電話をかけよう、と思いつく。長い長いコールののちにプチ、という小さな音がして、『もしもし』という低い声が流れ出した。
「日置か?邪魔をしてすまないな」
『いや、別に……いいよ。何か用?』
「ああ、そうだ。今なかなか衝撃的な事態に陥っていてな、一つ調べてもらいたいことができた」
『総帥のためならなんでもするけど……何が必要なの?』
「今お前に頼んでる妹の調査に加えて、もう一つ。妹が魔法少女になった疑いがある。できればその地域周辺で活躍していた魔法少女のことを多少調べておいてほしい。できるか?」
『できるよ。……そんな数はいないし、男もいるね。魔法少年って言えばいいのかなあ……彼らは一応地域内部では顔見知りで、メッセージのやり取りをしてるグループがあるっぽいね。でも最近一人急に姿を見せなくなった、とか急に引っ越した、って書いてある。SNSになんでも書き込むよね、最近のガキって』
毒づきながら日置がカタカタとキーボードを叩く音が流れ、そしてはぁ、という軽い満足したようなため息が流れる。
『いた。一人いるーー魔法少女、サラマンドラ。地域ではなかなか厄介者扱いされてたけど、重大な事件での介入率が高いから警察からは一目置かれてた。データはそっちに送るよーー妹ちゃんもそろそろ帰ってくるかもしれないし、バイバイ』
「あ、ああ、お前も気をつけろよ」
『俺は特に気をつけることはないし……総帥、この任務終わったら二人でデートしよ』
一方的な言葉が聞こえ、それから電話が切れた。デートくらいなら、怖がらなくったっていつでも受けてやったってのに……チキって逃げやがった。まあ今までの経験上、あいつはデートというより犬の散歩みたいなとこあるからなあ。人が多いとパニック症状を引き起こしてしまうし、人の少ない公園とか、そういうところにしか連れて行けない。
さて、これでどうしようか、と俺は頭を悩ませながら、とりあえず家を出て妹を探すことにした。
アホほど忙しいので更新滞ります。
テストなんか受けるもんじゃねえ。




