総帥、顔出しをする
零部隊が集まることは基本的にない。普段よく組む人間に対しては仕事仲間という立ち位置をとるが、基本的にはその場でそれぞれ命令を下されることが多いため、零部隊はほとんどが知らない者同士であった。そしてそれが集められるというのも十分な異常事態である、ということも。そして零部隊の全容が高々百五十人程度の集団であるということもかなり全員に驚きを与えていた。今やラグナロクは巨大な組織であり、それを動かす目としての役割を果たしたり、裏で情報操作を行なったり、暗殺をしたりとさまざまな行動をしているのが零部隊である。
「今日は何をするんだ……?」
「わからないが、とにかく……その、何か重大な発表がなされるとか」
「ロキ総帥はこの忙しい時に、一体何をされるおつもりなんだ?」
桜木は事前に内容を聞かされていたから静かに車椅子の上で笑っていたが、その様子を見て桜木の知り合いである三尾 宗という男が声をかけてきた。中肉中背、ごくごく特徴のない一般的なサラリーマンのような見た目の彼はその特徴のなさゆえに人の印象に残りにくく、それが原因で社会からかなり省かれていたような人間だったため、それを苦にしてふっと死んで見ようかな、と思ったことがあったためにそこでロキに見付けられていたのだ。
「ねえ、桜木さん。あなた何かご存知でしょう」
半ば確信に満ちたその言葉に、桜木は軽く微笑んだ。察しのいい男だ、元旦那もこれくらい察しが良ければな、と思いながら「今回我々が集められたのは、総帥が私たちを信頼しているから、ですわ」と仄めかすような言い方をした。
「それはどういうーー」
『時間だな』
ぬるり、と闇が全てを覆い尽くした。ステージ状がやけに明るく照らし出されているのはおそらくわざとだろう。窓という窓を覆い尽くしているのは、何か機密情報を話すからだろうかーーそこまで三尾が考えたところで、マイクを持ったロキはニヤリ、と獰猛な笑みを唇に乗せた。
『今回皆に集まってもらったのは、他でもない。私は今までロキと名乗ってきたが……それはある種、悪の組織ラグナロクの総帥としてのポリシー、守るべき威厳のようなものだと考えていたからだ。しかし、最高幹部たちにも散々諭され、お前たちからも信頼を受け取って、そしてーー少し考えを変えた』
ステージの裏に立っている男はボタンをかちり、と押した。ステージ上に映し出されているのはロキの顔である。大きく映し出された姿に全員がよくわからない、というような顔をする。そしてロキはす、と自らの顔を覆っている白い仮面に手をかけた。
なにを、という叫び声が上がる。あちこちで上がったどよめきが場を埋め尽くす中、仮面は一気に引き剥がされた。
下から現れたのは、今まで噂されていたような容貌では全くなかったーー綺麗な顔をしているとか、逆に見せられないほど極悪な容貌をしているとか、そんなふうではまるでなかった。
やや目尻の下がり、長いまつ毛に縁取られた目元は優しさを感じさせるようなものだった。しかしキリリとした眉は意志の強さを感じさせるようで、なおかつ口元は今まで見えていた通り、ギザギザとした歯が覗く獰猛な口元。
何かチグハグだが不可解に心を許せるような、何か安心感を与えつつ不安を煽るような、そんな顔立ち。少し印象が変われば受ける印象が変わるようなーー皆不思議に思いながら、呆然としてその表情を見つめていた。
『私が君たちの情報を全て知っていて、君たちが私について、いやーー私たちについて何も知らないことは、関係として不公平だろう?』
だからと言って素顔を晒すのは、と思いながら皆が見守っていると、ロキはちょっとだけ柔らかく微笑んだ。
『本当は正体を明かすのにはやや躊躇していたんだ。なぜなら私は君たちの信頼を得るにはあまりにも若く、そして未熟だからだ。ーー私の本名は、水上 創ーー高校二年生という立場だから』
あまりにも衝撃的な告白が続いたところで会場のそこかしこから悲鳴が上がった。
しかしロキには動揺したような様子一つなく、会場はすぐにどよめきが収まっていった。いくらなんでも高校二年生というのは信じ難い、と皆が心の中で思う。桜木もあまりの事態に普段一切絶やさない微笑みをなくしていた。
(高校二年生ーーつまり、私を助けた時には中学生だったということ?あまりにも信じ難いことだわ)
それでも騒ぎが収まったのはおそらく、総帥が今までずっと総帥のままであり、そのことには変化がないとわかった故でもあった。
『今日から私を含め、最高幹部は一切顔を隠すことなくアジト内部を歩き回ることとなる。君たちにいち早く、こうしてこっそりと伝えたのは私自身の情報をある程度コントロールするためだ。組織の人間も私について何かと探り出すだろうし、私たちの素性が世間に明らかになるだろうが、そんな予兆があったとしても動かないでもらいたいと考えている』
訳のわからない指令に全員が不可解だという顔をする。当然情報が流れるのは忌避すべきことであるし、総帥の素性なんてもっての他だ。しかしロキは泰然とした表情で頬を少し吊り上げただけだった。
『一つは私の信頼だ。ここへ来たものは皆、私のことをそうペラペラとよそで喋りまくるわけがないという、少々勝手な思い込み。もう一つは魔法少女に対してのとある楔に使おうと思っている』
少しだけ笑みが強くなり、目がやや細められる。爬虫類のような視線はどこを向いているのかわからない。
そして、緊張感のある集まりは唐突に幕切れとなった。
『では、零部隊、これからも頼むよ』
周囲を覆っていた黒い物質は瞬く間に消え去って、ステージ状にいたはずのロキはそれに目を奪われているその一瞬に消えてしまった。幻のような体験ーー頭がおかしくなったのではないか、という様な状況だったが、それでも強いスポットライトに照らされたあの顔だけが、頭にこびりついている。
「帰りましょうか、三奈木」
「かしこまりました、桜木様」
車椅子を押す女性は胸に手を当てて膝をやや曲げて礼を取ると、黒いワンピースの裾を翻して歩き始める。
「桜木君、待ってくれないかね」
「三尾さん。先ほどぶりですわね、どういたしました?」
「あの……君は事前に聞かされていたのか?」
「ええ、魔法少女の件について担当していますから。先に聞かされていたのは私だけでしょうし、漏らして良い情報かどうか迷っていたので喋らずにいてよかったですわ」
「……君は、高校生の言いなりになっていたことについて何も思わないのか?」
「あら!ふふふ、おほほ……」
上品な笑いがあたりに響き渡る。三尾は不可解そうな表情でいたが、周囲から向けられる視線が一瞬にして剣呑なものになったことに気づいていない。いや、皆が自分と同じ考えだと疑ってやまない彼だからこそそんな感想を抱いたのだろうーー三尾は言い募る。
「ロキ総帥としては確かに優秀な方だと思っていたが、その実情が高校生、私が助けられたのが彼が高校一年生の段階だとしたら、私は息子と同い年の青年に対して忠誠を誓っていたのかと思ってしまってね。貴方だって、長い長い年月を生きて、そしてーー」
「ねえ、三尾さん。あなた総帥が何かとか、そんなどうでもいいことにこだわっていらっしゃるのね?」
「どうでもいいなんてことはーー」
「どうでもいいのよ。どうしようもない私達を助けてくれたのは、総帥なの。それ以外の誰でもないのよ。もしも、この組織を立派な、年をとった人間が受け継いだとして……私たちがその人間についていくと思う?」
あくまで微笑みを崩さなかった桜木の表情は、そこで凍りつくような真顔になる。
「三尾。私、あなたみたいな恩知らず、今まで見たことがないわ」
「私は!そんなつもりじゃーー」
周りを見渡すと、全員が三尾を冷たい視線で睨みつけている。不心得者はこいつだけだったか、というような空気が満ちて、三尾は全身に嫌な汗をかきながらよろめき、足がもつれてへたり込んだ。
「違う、私はただーー」
軽い探りを入れたつもりだったのだ。三尾は今までのやり方で軽く皆に質問してみただけだったーー零部隊に配属されて三ヶ月、これまで全く問題はなかったはずだ。なのにどうして……。彼の頭の中はそれだけで占められていた。
「あなたがそんなつもりではないことは理解しているのよ。だけどあなたーーそれだけは、みんな許せないの」
薄く、だが確実に時代を重ねた手のひらが三尾の頬を撫でる。
「あなたは通常部隊上がりだったから、直接加入した私たちのことは何も知らない。そんな子が最近三人入ってきているけれど、やっぱり私たちとは少しだけ違うみたいね。他の二人は確か相当総帥に心酔している若い子だったから気がつかなかったのだけど……総帥に増員を願い出ておいて悪いけれど、やっぱり通常部隊からこちらに移籍させてもらうのはやめてもらおうかしらね」
ほとんど独り言のように桜木はつぶやいて、それから笑みを深めた。
「三尾。あなたが悪いわけではないのーーおかしいのは零部隊なのよ」
「相当荒れてるな、という印象を受けた」
「まあ、多少はざわつくだろうがな……零部隊についちゃ、最近増員した人間だけくらいじゃねえの?心配するのは。問題は一般構成員だろうが」
俺の言葉にナルヴィが腕を組んだまま、そうかえしてきた。確かに多少なりとも初期から交流をもち、あれこれと世話を焼いている零部隊とは異なる一般構成員、魔法少女側の人間に忍び込まれているとも限らない。
「ああ、それに関しちゃ問題ないさ。ーー何しろ俺の顔はいくらでも変えられる」
最高幹部であるナルヴィも顔を晒しているが、魔法少女との直接戦闘の時は多少仮面をつけたり、改造姿で戦闘してもらうつもりであるため問題はない。
「写真を撮られたりした場合でも、俺の顔や姿が変化すれば問題なく対処できる。一応攻め込んでくると予想される魔法少女についても、その交友関係を調べたりして変身できるようにしているが……」
女性については俺も童貞のため、細かい部分までは再現できていない。まあ、服の盛り上がりなんかである程度違うことを示せれば問題はない、はず。
「時にひとつ聞くけど、女の体ってどんくらい再現できんの?ヤレる?」
「お前童貞を俺で捨てる気かよ……」
「ちっげぇよ!もしできるんなら……その……好きなAV女優とかさあ……」
「お前それ、中身が俺って知ってて興奮できるのやばいからな?」
「女なれするための行動なんですぅー!いいじゃねえか、ケチ」
そこへやってきたのは、酒瓶を傾けるヴェローナだった。彼女はやや据わった目でナルヴィを睨み、それから深い深いため息をついた。
「……避妊はしなさいよ」
「止めろよ!揃いも揃ってなんで頭がおかしいんだ!」
「頼むってえ!」
今気づいたのだが、ナルヴィの手にある缶に3%とか書かれていた。何がとは言わないが、察してほしい。……絶対もちこんだのはヴェローナだ。俺は勢いよく液体に変化すると、そのままシギュンの元へと向かう。運転手の手配を頼もうと思っての行動だ。しかし、シギュンは顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏していた。
「おま……う゛、酒くさ……」
「すいません……総帥……」
「いいよ、別に。飲ませたのはヴェローナか?」
「はい……」
やや乱れた髪の隙間から、右目がのぞく。彼女のそちら側は俺も久しぶりに見るーー綺麗な真っ黒い瞳だ。そしてその周りは、ひどい傷跡があったのであろうことをうかがわせるような、やや薄紫のかった、ピンクの光沢のある痕に覆われていた。普段髪でキツく覆っているその場所に思わず指を滑らせると、普段よりも緩慢な動きで手を払い落とされる。
「いつも……言っているではないですか……触らないように、と……やめてください……こんな傷跡、あなたが触れるには……ふさわしいものではありません……」
「いつも言ってるけどな、俺はお前がお前である限り世界で一番愛おしく尊い存在だと思ってるよ」
一番が何人もいるのもなかなか問題だけどな、と軽く笑いながらシギュンの体を優しくお姫様抱っこで抱き上げる。酔ってるとこんな言動もするのかと思うほど、彼女はふにゃふにゃしながら色々と小言を重ねてくる。
「総帥は……いつもそうです……私のことを大切だとか……愛おしいとか……私は愛を向けられるのにはもったいのない……つまらなくて……価値のない人間です……そんな軽々に褒めたりされると勘違いして……」
ぶちぶちと自分を卑下しつつ、俺がまるでタラシの様に扱ってくる。なかなかしんどい状況だが、俺はとりあえずユミールのところへと顔を出した。ユミールは唯一、ずっと顔出しをしている最高幹部でもある。そもそも彼女自身が幼女に擬態していることで正体を隠せているのでアドバイスは求めてないんだが。
「酔ったの?珍しいね、シギュンが。いずれ酔いは覚めるよ。心配なら家に連れてって看病すればいいじゃない、どうせ何着か服も置いてあるんだろ?」
「そりゃ、俺の体内にストックはあるが……」
「お気遣いなく……帰れますし……」
「さっき歩かせたらふにゃふにゃしながら壁に激突しておいてよく言うぜ。しゃーねえ、今日はひとまず俺ん家に泊まんな。んで、朝か昼ごろに帰れ。総帥命令だ」
「命令なら……仕方がありませんね……」
ぼやんとしたままこくこくと頷く。
「前、シギュンが飲んでるところ見たけど、特段酔っ払っていなかったよ。きっと知り合いに飲まされて、気が抜けてたんだね」
「……なぁるほど。そいつはいい情報だ」
シギュンが他人にそれほど心を開き始めているのは、とてもいい傾向だと思う。何しろ彼女は初めて会ったときは人間とはまるで呼ぶことのできないほどにボロボロだったからだ。
次の話はちょっと長くなるかもしれませんがシギュンの過去編です。




