side魔法少女① 憂鬱の始まり
「全く予想していなかった事態だ」
悪の組織ラグナロクに対抗する組織、魔法少女たちで構成された『ミズガルズ』。その中心人物の一人である圷 麻衣羽は机に資料を叩きつけた。バラバラとほどけ落ちていく資料を拾い集める気すら起こらず、椅子にもたれるようにして座った。パンツスーツのためはしたなく股を開いて座っているその膝を、横からつつく者がいた。
「麻衣羽ちゃん、そんなにカリカリしないの。女子としての格が落ちちゃうわよ」
「知るか、そんなこと。今はそれよりも、マスコミ、世間の目のほうが重大だ」
そう彼女をたしなめるのは、可愛らしい花柄のワンピースを上品に着こなす女性、久里 三和である。三和はふわふわと笑うと、表情を少しだけ引き締める。
「麻衣羽ちゃんが怒っているのも無理ないわね。今朝のニュース……あれをみた瞬間に、やられたと思ったわ」
ニュースの内容は繰り返し報じられていた。その内容は流石に今までの事態を国が軽視できなくなるような記者会見であるーーつまり、ワルターランド側の結論として直ったワンダーワルターを取り壊す、というものだった。
麻衣羽は手を伸ばすと、ポケットからスマホを取り出して動画を再生し始める。
『ーー今回の騒動に関して、通常の警備は十分に行われていました。手荷物チェック、警備の者の巡回、また各係員の目配りはきちんと行われていました。本件に対してより警備を十全にすべきという声が上がりましたが、この対策はあくまでも普通の人間に対して行われる者であり、決して怪人に対しての警備ではないということをご承知おきいただければ幸いです』
ここまではいい、と麻衣羽は唸る。これでラグナロクに対しての抑止力として、魔法少女が必要なことがわかるからだ。しかし、そこからが問題なのだ。
『今回我々は実に幸運なことに負傷者の一人も出すことはありませんでしたが、代わりにワンダーワルターは崩壊し、そして魔法少女の方々の働きでまた立て直されました。しかしながら……ワンダーワルターは重役会議及び株主総会の総意により、取り壊しが決定いたしました。ワンダーワルターを予約の上でご利用いただいている方々には一部返金を対応させていただきます』
これだ。
ギリギリという歯軋りが口の中から漏れ聞こえる。三和が心配そうにこちらをみているものの、それに反応できるほど今は余裕がない。麻衣羽にとっては魔法少女を否定する一撃でしかないのだ。
『魔法少女による再建について、安全性を疑問視する声が上がりました。現に我々が検査したところでは特に問題点が見受けられませんでしたが、ここで重要なのは、超常的な力で戻ったものがどれほど精密なのか、また魔法の効力がなくなった場合に再び壊れたときーーその時に稼働していたならば、もしその時に……人を載せていたのならば、甚大な被害をもたらすことが予想されます』
気づけば大きな音が会議室に鳴り響いていたーーいや、麻衣羽が自らの拳をテーブルに叩きつけていたのだ。彼女は端正な顔立ちを赤い綺麗な口紅をひび割れさせるほどに歪め、それから大きく深呼吸をする。
「クソがーーこんな事態、桜木様になんとお伝えしたらよろしいのか」
「桜木様であれば泰然自若とした姿勢で対処なさるでしょうし、気にしないで。あの子をあそこへ派遣させたのも、桜木様でいらっしゃるんだし……今回はその目が悪い方へ向いただけよ」
「それをどうにかするのは私たちだろうが!現場での判断で、ワンダーワルター本体を直させるのじゃなく、危険物を移動させるだけにしておけばよかったんだ!」
「……それは……そうだけど」
三和は困った顔をしながら俯いてしまった。それに構わず麻衣羽はぐう、と唸り声を上げて自分の考えに没頭し始める。しかしそこへ、落ち着きのある玲瓏とした声が響き渡った。
「おやめなさい、二人とも」
その声が聞こえた瞬間、二人ははっと顔を上げた。目の前にいるのは果たして、自分を世界から拾い上げてくれた上司である桜木その人だった。車椅子に乗った穏やかな微笑みをたたえる老女、彼女の車椅子を押している女性は顔にヴェールをかけていて、その表情は窺い知れない。
「さ、桜木様!今回は申し訳ありません!私たちの判断が誤りであったと……」
「わ、私からも申し訳ございませんでした!麻衣羽だけでなく私にも責任が……」
「いいのよ。今回、魔法少女にワンダーワルターを直させるつもりでいたの。まさか、直ったワンダーワルターを新しく別のものへと変えてしまうなんて誰も予想していなかったでしょうし、私もそうは思っていなかった。だからこの件は誰の責任でもない。これ以上、誰かを責めることなんてしやしないわ。それより、あの子ーー記録者ちゃんが何か酷い目に遭ったりしないか、そちらの方を気にかけてやってちょうだいな。私たちミズガルズは決して誰かを責めるために作られた団体ではないのですから」
にこやかにそう言った桜木に、二人は恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。お互いを責め合っている状況が、いかにも浅ましくて、恥ずかしくなってしまったのだ。
「は、すぐに確認いたします」
「ええ、よろしくね。それから三和、あなたには魔法の仕組みに関していくつかのレクチャー動画を発表してほしいの。できるかしら?できるだけ、科学的に、論理的なものをね」
「わ、わかりました。できるだけ科学的に、ですね?」
「ええ、そうよ。私たちは科学の力で生きてきたーーそこに魔法をいきなり入れようとしても、きっと拒否反応が出るでしょうから。彼らに説明するためには科学という論理をもって対抗しなければ、何も聞き入れてくれないでしょうから」
桜木の優しさ、そして説得力に溢れた言葉に二人は頷き、そしてやり遂げることを心に誓った。頼みましたよ、という言葉を残して彼女はそのまま立ち去っていく。
「私たち、年を取ったらあんな素敵な女性になれるのかしら」
「……言うな」
三和のしみじみした言葉に対して麻衣羽は額を抑えて机に突っ伏した。どうやってもあんな素敵な年の撮り方は自分には難しそうだーーそう思いながら、二人は同時にため息を吐いた。
記録者ーーそう呼ばれている魔法少女クロノス、本名三枝 智恵子は実際のところ、ニュース自体をあまり見なかった。実際彼女については友人とやりとりが行われるSNSがほとんどの情報源で、今回のニュースを大きく取り上げることはなかった。そのため、麻衣羽から詳しいことを聞かされるまでは全くそのニュースにピンとこなかった。
「あの……それで、大変な事態って、結局なんなんでしょうか?」
麻衣羽は魔法少女のくせに想像力が欠如しているのね、と内心愚痴りながら表面上は笑みを絶やさない。いつも使う言葉遣いを少し柔らかくして、麻衣羽は語り始める。
「今回のワンダーワルターを再建した件がいかにまずいか、きちんと説明するからよく聞いてちょうだいね。あなたが再建したワンダーワルターだけど、完全に立て直されたにも関わらず取り壊しが決まった。これによってある見方が生まれてしまったの」
一度言葉を切って、麻衣羽はコーヒーを口に含んだ後言葉をつづける。
「魔法少女の使う魔法は、将来的な信頼度に欠ける。つまりーー魔法が解けてしまうと言うことを危ぶむ見方がね」
「なるほど……え、それってもしかして、色んな治療魔法とか、そう言うものに関しても?」
「ええ、及びかねない。だから問題なのよ……私たちが最も問題視しているのは、魔法への誤解が生まれてしまうこと。魔法は決して悪いものではないのに、人々が拒絶すればそれはいずれ魔法少女の排斥につながるでしょう」
ただ、この件に関しては政府も認識を始めたばかりであり、即時何か行動が起こされることはないだろう。魔法のあれこれについてもまだ弁解すらしていないし、対抗意見を出す時間はあるはずだ。
「だから、あなたと観測者には一つお願いしたいことがあるの。もしできるなら、魔法を理論的に説明するために手を貸してほしいのよ。動画化して拡散すれば、間違いなく誤解を持たない人間も多く生まれるはず。だから、お願いします」
頭を下げた麻衣羽に、智恵子はいいですよ、と軽く笑った。
「でも……あんまり役には立てないと思います。私たちも魔法については感覚的なものでしかないから……その、なんというか、カンに近くて……」
「いえ、記録者はともかく、観測者であればある程度魔法の論理については説明できると思っているわ」
そう、それができないわけがない。しかし、質問をしてみれば彼はぽやんとした表情でこう答えた。
「魔法は想像力をーー心の力がーーつまり個々人の魔法の資質によってーー」
「……予想外だぞ、これは……」
科学というものが存在しない世界を甘く見ていたといえば、甘く見ていた。何もかもが論理的に説明できない観測者は別に、頭が悪いわけではない。ただ単に観測者としては自分の常識で動いているだけなのだ。だから論理が壊滅的にわからないとしても、それは彼の中で筋の通った話であるのだ。故に、麻衣羽や智恵子にとっては彼の喋る内容が真には理解できない。
体を流れる血液のように魔力が体内を駆け巡っており、それを心の力が具象化することで魔法が発生するーーなんて、一部のラノベ大好き人間くらいしか喜ばないだろう。今世間に求められているのは全く違うものなのだ。
「こうなったら、原理を捏造するしかないな」
「捏造……いいんですか?それって」
「仕方がないだろう。これを仮に説明できなかったとしたら、我々の方がジリ貧になる」
果たして一週間も経たないうちにある程度の説明はできるよう、生放送での動画配信をセッティングした。残るは三和による説明がうまくいくかどうかーーしかし、それもまたすぐに絶望に変化した。
放送を正午から行おうとしていた、まさにその日の午前、政府からの公式発表が行われたのだ。
『市民の皆様はできるだけ魔法による再建をおこなった住居に住み続けることをやめ、速やかに退去してください。また、その費用に関しても魔法による倒壊度によって補助金が出されますので、再度建て直すなどの対策を取ってください。繰り返しになりますが、魔法による再建については安全性が不確実で、非常に確度が低いものでありーー』
やられた。
頭の中にはそれしか残っていなかった。ここから情報を修正するのはとても根気がいる。何より、今後魔法少女が街を壊した場合に再建をおこなったとして、破壊された建物に住んだり、営業を続けたりが難しくなってしまう。魔法少女の活動に対して反対する人が多くなってくるだろう。
「……まずいぞ、これは」
「ええ、もし今日この動画を発表したとして、理論的に説明されたこれを保証する実験結果もない。データのない理論なんて、机上の空論でしかない」
あまりの事態に二人とも顔を青くする。しかし、もう動画を上げることについては告知してしまっているのだ。説明役として登場した智恵子にしても、詳しいデータを求められてかなりおたおたしていたため、動画内での説明にしても中途半端という状況で終わってしまった。
本当にいやらしい一手を打たれた、と思いながらそれでも心の中には桜木ならなんとかできるかもしれない、という気持ちがあった。彼女ならきっとなんとかなる、という想像を心に抱きながら。
実際のところは裏切られていることも気づくことなく。
「首尾は上々の様ですね、ロキ総帥」
『ああ。ーーついては、零部隊に対して一つしようと思っていたことがあってな、今度の日曜日なんだが……本部に来られそうか?』
「総帥がお呼びとあらば、どこでも参りますわ。それで今回なさろうとしていること、お聞きしても良いのかしら?」
『ああ。……そろそろ、お前たちにならば顔を見せても良いと思ってな』
顔、といったか?と桜木は目を見開いた。総帥ロキの素顔を知っているのはただ最高幹部の五人のみーー彼らしか知らなかったことを知ることができるというのは、ひどく魅力的な言葉だった。それほどロキに信頼されている、そしてそれを明かしてもいいと思われるほど心を開かれていることに喜びを覚えた。桜木は久しぶりの高揚にぶるぶると震える手を握り締め、そして力強く返答する。
「必ず、行きますわ。たとえ何があろうとも」




