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「休みが取れたんだけど、明日って空いてる?」
「当然白紙です!!女神さま以上に優先されるものなどございません!!!!」
「あ、うん…そっか」
分かってはいた。分かってはいたけど、これは聞いてみた自分が悪いのかもしれない。
そんな頭の中で反省をしながら、気を取り直してリタは男に言った。
「前に言ってた野外舞台、見に行こうよ」
「はい!」
嬉しそうに返事をした男にリタも呆れつつひっそりと笑った。
思い出くらい作りたい。
心の中で誰かにそう言い訳して。
***
舞台の行われる野外広場は人並みでいっぱいだった。演劇だけでなく、屋台もたくさん出ていたため、そのお客さんでごった返していた。
「やっぱりすごく混むなあ」
早めに来てよかった、とリタが呟く。男の反応が気になりそっと伺い見ると、彼はじっと屋台やそれに集まる人たちを見ていた。
「えっと、まあまだ時間あるし、屋台とか覗いてみる??」
声をかけると男がリタの方を向く。
いつもと違って一瞬はっとした男に、リタだけに集中してなかったなと気付けたのは、リタもこの男に慣れてしまったからだろう。
「…………女神さまのお望みのままに」
男は前回買い物に行った時と同じくそう答えたが、彼が屋台に気を取られていることは明らかで。
「じゃあ、屋台で何か食べ物買ってそれを食べながら見よう。何か嫌いなものはある?」
「はい。いえ、特にございませんが……」
不思議そうな顔をした男にリタは閃いた。
「もちろん、あなたと私の分だからね」
そう言うと男は驚いたあと、そんな、と謙遜し始める。
いつだったかもこんなやり取りをしたなぁと思いながら、リタは男に強めの口調で言った。
「私があげたものを食べたくないならいいけど」
「そんな!!!申し訳ありません!!!!女神さまから頂けるものであれば、例え泥水でも聖水と同等です!!!!!」
「私の人間性が疑われるような例えを出さないで!!」
さすがに泥水なんてあげない。ほら、今の人絶対このやり取り聞こえてた。すごい顔で2度見された。
声を張り上げた男に吊られてリタも大声になる。心無しかリタと男の所だけ人並みが割れた。
一瞬で冷静になったリタは恥ずかしさのあまり顔を伏せると、強引に男の手を掴み人並みに突っ込んた。
暫くそうして練り歩き、リタの羞恥が落ち着いた頃、ようやく男が何か言っていると気が付いたときには、男の顔は真っ赤になりフラフラとリタの手に引かれるまま歩く状態になっていた。
「あっ、ごめん………」
ぱっと手を離す。今回は服どころか男の素手を直接掴んでいたことを今更リタは知った。
男はふらふらと壁に片手を着き、もう片方の手で顔を覆った。
「だ、大丈夫?」
耳まで赤い。
そこまでのことをした自覚はないけれど、こんな状態になっているのを見ると罪悪感が湧いてきて、リタはぶつぶつ何かを呟いている男をそっと覗き込んだ。
「女神さまの御手と……?いやそんなはずが無いそんな事を考えている時点で不敬だとても暖かか、いや今何をそんな女神さまの存在を汚すに値する自分に手があるからいけないんだそうだいっそ」
「……」
大丈夫じゃ無さそうだ。
しばらく放っておこうかとリタが現実逃避しかけたとき、予期しない声がかけられた。
「だいじょうぶ??」
はっとしたリタが声をかけてきた相手を見る。まだ幼い少女だった。
「えっ、その、この人は大丈夫だから」
この見るからにやばい男と子供が関わるのは教育上よろしくない気がして、リタは慌てて少女に返事をした。
しかし少女はリタの言うことをほとんど聞いていないようで、赤面した男の顔を見て歓声をあげる。
「まえ見たえのひとみたい!!」
そう言って男のことをまじまじと見つめる。
男は見られていることに気づいていないらしい。ちょいちょいとリタが男をつつくと、飛び上がって驚いた。
「め、女神さま!?」
「あ、よかった」
こっちの世界に戻ってきてくれて。
「あれ、おとこのひと??」
男の叫んだ声を聞いて少女が目を丸くする。男の顔から女性だと思っていたようだ。
男は少女の存在に気付くとリタを見た。
リタの知り合いかと思われているようだが、あいにくとリタも初対面の少女である。
「えっと、あなたは…?」
「あ、わたし………」
リタが改めて声をかけると、少女は誰かを探すようにキョロキョロとしたあと、目に涙をためてリタの方を振り返った。
「おかあさん……」
「………もしかして」
「あのね、さっきまでお母さんがここにいたの!嘘じゃないの!!そこの、おにいさん?きれいだなって…そしたらお母さんいなくなっちゃった…!!!!」
「…」
どうやら男に見とれていて親とはぐれてしまったらしい。
男が悪いわけではないが思わずリタが彼の方を向くと、男は申し訳ありませんとしょげた。
「…一緒に探そうか」
***
少女はヘネシーと名乗った。
「私の名前はリタ。ヘネシー、あなたのお母さんはどんな人?服はどんなものを着てたか覚えてる?」
人混みではぐれてしまいそうだったので、リタは彼女と手をつないでいた。男はそんな二人を見守るように後ろから追ってくる。
ヘネシーは「おにいさんは?」と手を差し出たが、男は笑顔で首を振り断っていた。
間に人を挟んでもリタと手を繋ぐのはだめらしい。
「ま、お母さんはね、わたしと同じかみの毛の色で、ひとつにむすんでるの!おようふくはみどり!」
誰かと手をつないでいるのが嬉しいのか、ヘネシーはにこにことご機嫌だった。
リタもつられてつい笑顔になる。それを見ていた男が「うっ」と言いながら胸をおさえた。
「…リタ、あのひとどうしたの?」
「……………気にしないで。ああいうひとなの」
後ろを振り返って不思議そうな顔をしたヘネシーにリタは言った。
「へえ…へんなの」
「そう。変だから気にしないで」
「うん、わかった!」
元気の良い返事にリタもほっとする。大変いい子だ。
「えっと、それでヘネシーはお母さんと演劇を見に来たの?」
「うん。おかあさんのしごとがおやすみだからいっしょにきたの」
「そっか…」
ならこの広場から離れるということはないだろう。あと少しで舞台も始まるし、その頃には屋台の人通りも落ち着いていると思う。最悪、広場の出入り口に立っているひとに声をかけておけば見つかるはずだ。
そう考えたリタは、とりあえず複数ある広場の出入り口から今一番近いところを目指すことにした。
「あ、リタあれなに!?」
「えっと、ああ、あれは…」
「リタ、それは???」
「まってまって、ヘネシー!」
手がぐいぐいと引っ張られる。子供の好奇心をなめていた。
それともヘネシーが好奇心旺盛な子なのだろうか。リタは子供のころ、あまり同世代と話す機会がなかったから普通がわからなかった。
「ヘネシー」
後ろから慌てふためくリタを見守っていた男が、ふと彼女を呼んだ。
男に名前を呼ばれて驚いたのか、ヘネシーはぴたりと足を止める。
「…おにいさん???」
ようやく振り向いたヘネシーは、困っている顔をしているリタを見てばつが悪そうな顔をした。
「女神様が困っているので、あまり先に急がないでください」
静かにそう告げた男に対し、神妙にうなずいたあと少女は不思議そうに反芻した。
「………めがみさま?」
「ばっ…!!」
ばか!あれだけ女神様って呼ばないでって言ったのに!!!
と叫びそうになったリタは寸前でこらえた。こんな子供の前で教育によくない気がして。
口をわななかせるリタをおいたまま、ヘネシーと男の会話が進む。
「そうです」
「リタが?」
「はい。私の女神様です」
やめて!!!!!!!真剣な顔で何言ってるの!?
思わず見ていられず手で顔を覆う。羞恥心でリタは瀕死だった。
ヘネシーは男の言葉にこくりとうなずくと、真剣な表情のまま言った。
「わかった。リタとおにいさんはけっこんしてるのね」
「「えっ!!!!!!????」」
男とリタの声が重なる。唖然とする二人をおいてヘネシーは「わたししってるよ!」と胸を張った。
「あのね、わたしのおとうさんもママ、じゃなかったおかあさんのこと、たまにめがみさまってよぶの。とくべつなよびかたなんでしょう??わたしのこともたまに『ぼくのかわいいてんし』っていうし」
そうだけど。そうだけど…!!
「あ、あのね、ヘネシー。
あなたのおとうさんとおかあさんは特別でとても素敵だと思うけど、私とこのおにいさんはそういうのじゃなくてね、そう、えっとあだなみたいな……あ、あだななの!だからふつうに違うの!!!」
焦ってそう詰め寄るリタにヘネシーはいまいち納得していない顔をしたままわかったと言った。
「むずかしいね…」
「そう…かもしれないね……」
リタはうつろな目で同意した。
ヘネシーは怪訝そうな視線を未だに赤い顔をしたまま硬直している男に向ける。
「おにいさん、だいじょうぶ?」
「大丈夫じゃないけど、気にしないで」
「へんなひとだから?」
「そう…」
ヘネシーは物分りがよすぎた。
気を取り直してヘネシーと再び手をつないで歩きだす。
後ろを振り返っても未だに男が呆然と突っ立っていたため、ため息を一つつくとリタはヘネシーに言った。
「ヘネシー、あの人と手をつないで引っ張ってきてくれる?」
「うん、いいよ」
物分りのよいヘネシーはリタの言ったとおりに男の手を引いて連れてくると、当然のようにリタにも手を差し出した。
リタはそれを取ると二人は三人になって歩き始めた。
「おとうさんたちいがいとこうするのはじめて!」
「…そっか」
急に照れくさくなったリタはそれしか言えなかった。
「すみません、うちの子がお世話になりました…!!」
「おかあさんみて!これ!!」
ヘネシーの母親は案外すぐに見つかった。
母親の足元にじゃれつく少女を窘めながら、母親が頭を下げる。
「もう!あんたもきちんとお礼しなさい!」
「リタ、おにいさんありがとうっ!」
「全く…色々買っていただいてすみません…お代をお支払いしますので……」
「いや、大丈夫です!私も一緒に食べたりしたので」
ヘネシーの両手にはふわふわの飴が入った袋や、果物を飴でコーティングしたもの、紙袋に入った甘いお菓子が握られている。
それを見た母親はリタに更にお礼を言い、お金の話をしてきたが、リタは別に気にしていなかった。
それでもと粘ろうとする母親に笑って断り、ヘネシーに一度抱きつかれてから二人と別れる。
男は隣でにこにこと笑いながら立っているだけで、特に何かを言うことは無かった。
「見つかってよかった」
「はい」
リタがそう言うと男は頷いて笑った。
「そろそろ演劇も始まるから見に行こう」
「はい、女神さま」
「……」
歩き出したリタの後ろに着いてくる。
……隣にきたらいいのに。
ひとりで歩いているみたいで何だか淋しい。
さっきまでヘネシーと3人で並んでいたのだ。今更後ろに行く必要もないはず。
リタはそんな事を思って振り返ると、男が驚いたような表情でリタを見ていた。
「え?」
「…」
目が合うと男の顔がぶわわと赤くなる。
「………もしかして、口に出してた?」
それを見たリタは嫌な予感がして、男に問うと彼は控えめにこくりと頷いた。
「っ!」
リタは自分の顔に熱が集まるのを感じた。
もう、こうなったら……!!!
「め、女神さま!?」
男の手を繋ぐと隣に引っ張った。慌てふためく男の声を聞きながら、握った手は自分よりも熱かった。
リタは男の方を見ずに歩き始める。
男もリタの歩調に合わせて一緒に歩いてくれた。
広場はかなり混みあっていた。
手を引いて2人で座ると今までにない距離感で、ようやく顔の熱が冷めてきたのに再び熱くなる。
男は少し間を空けて座ろうとしていたが、人がいっぱいのため諦めたらしい。おずおずとリタの隣に座っていた。
美しい男と平凡なリタの組み合わせに初めは怪訝そうな目付きを向けていた周りの者も、2人の反応ににやにやと目じりを下げた。
「…」
「…」
いつに無い沈黙にいたたまれなくなる。
リタが男の表情をそっと伺おうとしたとき、拍手と共に広場に団長らしい男が出てきて、劇の始まりを告げた。
「みなさま、本日はお集まり頂きありがとうございます!!
今宵我が劇団が演じますのは、ここから2つほど離れた国で本当にあったお話、不死身の英雄と呼ばれた男と邪悪な龍の戦いの物語!みなさまどうぞお楽しみに…」
***
「面白かった??」
劇が終わり、ばらばらと帰っていく人波に紛れてリタと男も広場から出口へ歩き出していた。
「はい。女神さまのお隣というのは恐れ多くもありましたが、お近くでそのお姿を拝見する幸運な機会だと思い眼に焼き付けました。とても有意義な時間でした」
「………劇の話をしてるんだけど」
だめだ。ちょっと本気で心の距離をとってしまった。聞くんじゃなかった。
若干青ざめたリタに男はにこやかな表情を浮かべたまま言う。
「あ、はい。
不死身の英雄、でしたか??そんな存在がいるなんて信じられませんが」
「……まあ、そうだよね。でも、」
本当だったらどうする?
男の方に顔を向けてそう聞こうとしたリタをどんと誰かの肩が押す。
「あっ」
バランスを崩したリタの体にに誰かの腕がまわされる。はっとするとやはり予想通りそれは男のもので。
──暖かい。
「お怪我は?」
赤面していない真剣な表情で問いかけられたリタは、男から視線を逸らしつつおずおずと答えた。
「っあ、うん…大丈夫、です……」
いつもは男のほうがリタから顔を逸らすのに。いつもと逆だ。
ふとそんな事を思って気を紛らわせようとしたが、リタに向けられた男の瞳が頭から離れなかった。
……顔がいいってずるい。
リタはため息を吐いた。
「…女神さま、何かございましたか?」
「……………別に。
それより、お腹は空いてない??」
「ご用意いたしますか?」
「そうじゃなくて…まあいいや。何か買って帰ろう?」
「はい。女神さまのお望みの通りに」