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翌日、リタと男は男の用意した朝食を2人で食べながら今日の予定を話しあっていた。主に話しているのはリタで、男は相槌を打つだけだが。


「今日は休みだから、買い物にいこうと思ってます」


「はい」


「買い物は時計と、あと椅子かなぁ…いま使ってる布団とか一式、本当は診療所のやつだから買わないとなんだけど」


そこまではいいだろう。あくまでも男は一時的な同居人なんだし。洗濯すればベルーガも見逃してくれるはず。


もぐもぐとサラダを口に運びながら考える。リタの手がどんどん進むのを見て、男は静かに微笑んだ。リタが見ていたら喉を詰まらせるに違いない慈愛に満ちた笑みだった。


ぱっとリタが男を見る。その時にはいつも通りの表情に戻っていた。


「あ、あと今日午後から友人と会う約束をしているの。ずっと私と一緒にいても肩が凝るだろうし、その間は別行動でお願いします。洋服とか買ってきたらいいんじゃないかな」


男の手持ちはリタが渡した貫頭衣と男が初日に着ていた服だけだ。

美しい人は何を着ても似合うので違和感はないが、それだけではあんまりだろう。


そう気を回してリタは言ったのだが、男はそれを否定した。


「そんな、女神さまのお傍にいさせて頂いているのは自分ですので、肩が凝るなんてそんなことは!!!」


「あーはい、そうですね。じゃあ私がたまには別行動したいので」


「申し訳ありません女神さま…!自分のような汚物に付き纏われてご迷惑ですよね………」


「何言ってもだめか……」


呆れた表情でしゅんと落ち込む男を眺める。


なんでこんなことになっちゃったんだろう。



***



買い物をしに市場に向かうリタの後を男が着いてくる。


「あの、いい加減隣に来て貰えません?」


「女神さまのお隣なんて」


「その女神さまって言うのもやめて!!」


いつもの調子で女神さまと呼ぶ男を止める。

周りに聞かれていたらどんな目で見られるのかと思うとリタは冷や汗が出た。

男はリタが焦っている理由を分かっていないようで、きょとんとリタを見返してくる。リタは男の服を掴むと道の端に寄った。


「女神さまはやめて。本気で。せめて名前で呼んで」


いい、わかった?と顔を見れば男は赤面して服を掴んでいるリタの手を見ていた。

慌ててぱっと離すと男もハッとする。


「は、はい」


動揺したせいかそう返事をしたのでリタはにんまりと笑った。


「じゃあ名前で呼んでね」


「えっ…!え、いや、女神さま??」


「はいって言ったでしょ」


咎めるようにそう言えば、男は目に見えておろおろと困り始める。


こんなに綺麗な顔をしている人を、平凡な自分が困らせているのかと思うと悪戯心が湧いてしょうがない。


リタはにまにまと笑いながら男の反応を見守った。


「でも…!その、私にとって貴女様は女神さまで……」


「その神様に嘘をつくんですか?」


「っ」



その時助けを求めるようにふっとリタに向けた視線があまりにも綺麗で、リタは見とれた。


ああ、どうしよう。顔がいいってずるいなぁ。


「って、土下座はやめて!!!!」


のは一瞬で。


そのあと流れるように男が這いつくばったのを見て慌てて静止させる。


「もう…」


男の膝に着いた土を払ってやると、男がそれを止めようとしたので無視して、観念したリタはそれ以上はこの場で言うのを止めた。



「まずは時計を買おう。で椅子を買って1回家に戻って、私は友人との待ち合わせ場所に行くから」


「はい。女神さまのお望みの通りに」



2人で雑貨屋を覗く。あまりリタはどれがいいというこだわりも無かったため目に付いた適当なものを買った。

椅子を探しに家具屋に行けば、思っていたよりも種類があってリタは迷った。


「どうしよう…」


正直どれでもいいが、椅子は長く持つ物だし時計とは違う。


「どれがいいと思う?」


傍らに控えていた男に聞くと、にこにこと笑ったまま「女神さまのお望みの通りに」としか言わない。

迷いつつもリタがどうにか椅子を購入すると、男がさりげなく持ってくれた。


「あ、ありがとう…」


「貴女様の下僕ですので」


下僕はやめてほしい。切実に。


その言葉は呑み込んで乾いた笑いを上げれば、男は役立てて嬉しいと笑った。

不覚にもドキリとしてしまったリタはなぜか話を逸らさないとと言う気持ちになり、慌てて壁に貼ってあったポスターを指さした。


「あ、えと、なんか今度野外舞台やるみたい」


「舞台、ですか?」


「そうそう。たまにこうして広場とかでやってるやつ。ええと、演目は…

不死の英雄と邪悪な龍、だって」


私見たことないやつだ、とリタが言ってポスターから男に視線を移すと、彼は不思議そうな顔をしていた。


「……………もしかして、野外舞台見たことない?」


ふと思い立ち、そう聞いてみれば男は「…はい」と控えめに頷く。


「そう……」


リタは少しだけ考えた。

ポスターの前で立ち尽くし目を伏せたリタに男はどうしたのかと椅子を持ったまま黙る。


「…………………じゃあ、今度行ってみる?私の仕事が休めたら、だけど」


そう言うと男は目に見えて狼狽えた。


「そんな、女神さまのお時間を割いていただくほどのことでは…」


「ううん。私も、これ見てみたいから」


「………女神さまがお望みなら」



野外舞台なんて久しぶりだ。しかも誰かと一緒に見るなんて。


リタはほんの少しだけ微笑んだ。



***



「で、どういうことなの?」


カフェで席に通されるなり、リタの友人アサヒはそう言った。


「えーと……」


アサヒには曖昧に流そうと思っていたが、無理そうだとリタは諦めた。


椅子を家に運んで友人との待ち合わせ場所に向かおうとしたリタに男も途中までと言って着いてきた。

市場への通り道だし、男にも服を買うように言っていたからそれは別によかった。

でもそれをアサヒに見られるとは思っていなかった。アサヒはだいたい遅刻することが多いから、まあ今日もそうだろうと油断していた。


予想と違い既に待ち合わせ場所にいたアサヒに男と連れ立ってやって来たところをばっちりと見られた。驚愕の表情を浮かべた彼女を見てまずいと思ったリタは男とその場で別れ、何か言いたげなアサヒを引っ張り、急いでいつもお茶をするカフェへと向かった。

あの場で問い詰められるのは避けたかった。人目もあったので。


「リタ?」


にっこりと笑いつつ圧をかけてくるアサヒにリタは観念して全て打ち明けた。


数日前に家の前で倒れていたこと。介抱してやったら、恩返しに押しかけられたこと。家がないらしいこと。食事を作ってくれることと引き換えに同居していること。


話せば話すほどアサヒの眉間に皺がよる。それを見ながらでも嘘をつく気にはなれず、リタは正直に話した。


流石に自分が女神と呼ばれてかしずかれていることは恥ずかしくて言えなかったが。



「………私と一緒に住もうって誘った時には断ったくせに」


アサヒは開口一番にそう言った。


やっぱりそこだよね。


リタは苦笑いを浮かべた。


アサヒには仲良くなってから何度か一緒に住もうと誘われていた。女の一人暮らしは危ないし、リタとなら楽しそう、と言われたことは勿論嬉しかったから覚えている。

でもそれを毎回断っていた。


「ごめん。でもあの人とも一時的なものだし。ずっとじゃないから」


リタが謝れば、アサヒは怪訝そうな顔をする。

どうしてそんな顔をするのか分からず見返せば、「付き合ってるんじゃないの?」と尋ねられ。


「えっ!?はぁ!?!?」


思わず大声を上げてしまい、今更遅いのにリタは自分の口をぱっと覆った。

周りの視線が散るのを待ってから、涼しい顔で飲み物を飲むアサヒに抗議する。


「私の話、ちゃんと聞いてた??雇ったって言ったよね???」


「でもいつまでとは決まってないんでしょ」


「いやいやそんな…それは、そうだけど……でも別に何も無いし!多分すぐ出てくでしょ!!」


「…………明らかに向こうは凄い笑顔でリタのこと見てたけど」


「…………」


それは少しだけ分かる。

アサヒの言う通り、あの男が不意にリタに見せる笑顔はとても綺麗で、満ち足りた─まるで本当にリタが神様で彼はその殉教者のような、そんな顔をする。


なんであの人はあんな顔をするんだろう。

って今はそれじゃなくて。


リタはその疑問を振り払った。



「…………綺麗な顔してるからそう見えるんじゃない?」


「まあそれもそうかもね」


自分自身にも言い聞かせるようにそう言えば、あっさりとアサヒは頷いた。


「それにしても綺麗な顔してるよね。なんか絵の中の人みたい」


とりあえず事情には納得したらしく、アサヒはそれ以上何も言わなかった。代わりに男の容姿に話が移る。


「そうだね……」


その綺麗な人に女神って呼ばれてるの、凄くいたたまれない。


無意識のうちにリタは苦い顔をしてしまう。男と買い物に出ていたときの周りの視線を思い出した。リタ自身は平々凡々な容姿をしているため、あそこまで注目を集めることなんてあまり無くて、正直に言うとかなり疲れた。


ぐったりとしたリタにアサヒは不思議そうにしていた。


「しかも料理を作ってくれるなんて家政夫じゃん。普通に羨ましい」


「そう、だね……」


それだけならそうだね。女神さまって呼ばれて敬われなければね。


声にならない心の声を胸で呟く。

アサヒは飲み物を口にした後、ふと真剣な表情になりリタに言った。


「このまま付き合っちゃえば?」


ふざけないでよ、と言おうとして思ったよりもアサヒが本気でそう言っていると気付き、一度口を噤む。


「顔はいいし、料理も出来るんでしょ?リタ、いつも忙しくてご飯疎かにしてそうだし、というか料理得意じゃないって言ってたし、悪い話ではないと思うけど」


「無いよ。それは無い」



リタはきっぱりと言い切った。

いつも一人のリタを気遣ってくれているのだと分かってはいた。だけど。


「ごめんね、アサヒ。別にアサヒが嫌で一緒に暮らすの断ったわけじゃないし、あの人だから許したって訳じゃないよ。本当に成り行き。

それに何度も言ってるけど、あの人は一時的な同居人だから、ずっとじゃない。

長くても1ヶ月。それ以上は考えてないし、もし居座るようなら悪いけど出て行ってもらうつもりだよ」


そう言うとアサヒは何とも言えない表情で、分かったと短く返事をした。




「ただいま」


「おかえりなさいませ女神さま!」


アサヒと別れて家に帰ると、男が当然のように出迎えた。部屋の中からは今日もいい匂いが漂ってくる。


「私も手伝うよ」


恐縮する男の隣に並びながらリタは静かに自分に言い聞かせる。


そう、これは一時的なものだ。

いつかはこの男とも離れるのだから。


男の作った煮込み料理を口にしながら、この美味しいご飯ともいつかお別れなのかと思うと少しだけ胸が痛んだ。



「………ねぇ、あなたはさ」


夜。

ご飯を食べ終わり、後片付けをしてそれぞれが寝床に入って暫く経ってからリタは男に声をかけた。


起きてないならそれでもよかった。


そう思っていたが、男からはいと答えが返ってきた。

リタは逡巡したあと、そっと声にする。



「あなたは何がしたいの?お返しなら、もう十分だよ」


暗い部屋でリタの声は嫌に大きく響いて聞こえた。男を傷つけるつもりは全くないが、彼はこんなことを言うリタをどう思うだろうかと心配になる。


「………私はもっと貴女様のために何かをしたいです」


男はそう言った。ふざけているのではなく、本気でそう思っているに違いない真摯な声だった。

だからリタは少しだけ苛立った。


「何かって何?どうしたらあなたは満足して、私から離れてくれるの?」


思わず強い口調でそう言ってから後悔する。


こんなふうに言うつもりは全く無かったのに。

でも一度放った言葉を取り返すことはできない。


リタは男が何て答えるのかじっと息を殺して待った。

暫くした後、男は言った。



「………女神さま、貴女が望むことなら私は何でもします。……そうですね、例えば同衾でも」



それ聞いている方がぞくりとするような艶めいた声だった。



「は…?」


リタの想像とは違う言葉が返ってきて思考が止まる。


いまこの人なんて言った?

どうきん??一緒に寝ること??????


「ばっ…!!!」


その言葉の意味をようやく咀嚼した時、思わず布団を跳ね除けてリタは大声で叫んでいた。


「ばっかじゃないの!?!?自分を安売りするな!!!!!!!!!」


両隣が空き部屋でよかったと心の底から感謝した。

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