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「とりあえず、寝床はここかな」
「そんな!!女神様と同じ屋根の下で……」
「はいはい」
もごもごと何かを呟く男を一瞥し、リタは男に服を押し付けた。
「これ、はい」
男は素直にそれを受け取ると、自分の目の前で広げた。
それはぺらぺらの貫頭衣だった。ベルーガの診療所で服がダメになった患者に着せるものである。
洗濯が間に合わなかったり、診療所で干す場所が足りなかったりしたときは、リタが自分の家に持って帰って干したり洗ったりしているので、何着か用意があった。
シャワー室に男を押し込んでいる間に寝床の準備を再開する。
家がないならここで寝泊まりしていいと告げたリタに対し、男は動揺して盛大に皿を割った。
そして動揺したまま皿を片付けようとして素手で破片を掴んで怪我をし、手当をしようと近づいたリタにも動揺して背中を壁に打ちつけた。見ているこちらが痛々しくなってリタはその場から動くなといい全部1人で片付けた。
診療所に勤めていてよかったなぁ、とリタは男の布団を敷きながら思う。
シーツも枕カバーも全て診療所のを使った。これこそ役得。
シャワーから上がってきた男はパンパンとシーツを伸ばすリタを見て土下座した。
「め、女神さまになんという事を…!!」
「……そういうのいいんで先に髪拭いてください」
ポタポタと男の髪から水滴が垂れる。
水の跡が床の染みになったらどうしようと思ったリタは、男の肩にかかっていたタオルを掴むとそのまま髪をわしわしと拭き始めた。
土下座してくれているので大変拭きやすい。
「うん、一先ずこれで」
暫くそうやって満足したリタが男の頭を離したが、男は一向に顔をあげない。
……あれ、どうしたんだろう。
急に静かだな。
「大丈夫ですか?ずっと下向いてたんで気分悪くなっちゃいました??」
申し訳ないなと罪悪感が募り男の肩に手をかけると。
「あっつ!!!え????もしかしてのぼせてたんですか??ごめんなさい!!!!」
まるで燃えるように熱かった。
さっき見た時はそう見えなかったけれど、もしかしてのぼせていたのかも。
急いでキッチンに向かいコップに水を入れて持ってきたときそれが勘違いだと気付いた。
「女神さまの御手が………」
男はそう言って湯上りよりも更に真っ赤な顔をして布団の上で震えていた。
「………………………」
自分で言っておいてあれだけど、この人と一緒に生活できるのだろうか。
リタは不安に思った。
***
「おはようございます」
「おす、お疲れー」
そう言って飲み物を片手に振り向いたベルーガはリタを見て目を丸くした。正確に言うと、リタの後ろに立つ女神の如く美しい男を見て。
「……………………………は?」
流石ベルーガさん。
伊達に私と長く仕事してない。反応が全く一緒だ。
リタはそんなどうでもいい事を思いつつ、落ち着こうと思ったのか、飲み物に口をつけたベルーガに一応説明しようと試みる。
「えーと、この人は………」
なんだろう。同居人でいいんだよね?正直全然知らない人だけど。あ、そう言えば名前も聞いてない。
一瞬考えたその隙に男が口を開いた。
「私は女神さまの下僕です!!!!!」
「ぶっ!!」
「っばか!!!!」
ベルーガは飲み物を吹き出し、リタは悲鳴のような声で罵倒した。
その罵りにすらありがとうございますと返されるので本当にやめてほしかった。
キラキラした目で見ないで。いや本当にやめて。
ベルーガの視線が痛い。
「違うんです本当に下僕とかじゃないです他人です私そんな趣味ないです本当です信じてください本当なんですこの人が勝手に言ってるだけです」
「はい!女神さまのお傍に侍る権利など自分にはありません。勝手にいさせて頂いてるだけですので、自分のことは道端の水溜まり以下の存在だと思っていただければと」
「やばっ…」
小さい声でベルーガがそう呻く。
そうですよねこの人やばい人ですよね、とリタも頷いた。ベルーガのような腕の立つ医者のお墨付きを貰えたことにそっと安心したのは秘密だ。
「えーと、とにかく、よく分からないんですけど、家が無いって言うんで…」
「外で寝ます!」
「このお綺麗な顔で!?」
そうなりますね。
男の顔をガン見してそう突っ込んだベルーガにリタはうんうんと心の中で頷く。
男性性を感じさせないほどの、まるで神話の神様のようなその美しさ。貴族ならまだしも、平民街では場違いすぎて大層目立つ。というか貴族なんじゃないのかと薄々ベルーガも思っていたようだ。
「無いらしいんです。だから住み込みで雇うことにしました」
リタがそう話すと、ベルーガは少しだけ目を見開いたあと、視線を男からリタに移した。
「………お前がそれでいいならいいんじゃないか」
「はい……一時的ですから」
あくまで一時的な処置だと返す。
それ以上この件についてベルーガが何かを言うことは無いだろう。
「で、何で連れてきたんだ?」
気を取り直したように聞かれたのでリタは答える。
「ベルーガさんにも話して置こうと思ったのと、家にいてもあれかなと思ったので手伝ってもらおうかなって」
何しろベルーガの診療所はとても忙しい。急患もばんばん来るし、日々の雑用もある。最近は特に忙しく、このままではリタの休日が無くなりそうだった。
「時計買いに行かないといけないので休みが無くなると困るんです…」
それが男を連れてきた理由だった。
***
しゃきんしゃきんと小気味よい音がリタの横から聞こえる。
リタは布切れを持ちながら男の方に見蕩れていた。顔ではなく、その手元に。
「………………手際よすぎない??」
男の周りには適度な長さに切られた布切れ、包帯代わりに使われるそれが丁寧に折りたたまれて纏められている。
男は1枚の布から包帯を切り出す役目、リタはそれを使いやすくなるようにくるくると纏める役目だった。
そろそろ包帯のストックが無くなってきたから作り足そうと思って男に手伝いを頼んだのが数分前。
リタが適当な長さに切って見せ、男にやってもらおうと鋏を渡してまだ少ししか経ってない。
「女神様の足元にも…」
「及んでるから。というか私より全然上手。
布を真っ直ぐ切るのって大変なのに……」
リタだって初めはガタガタで、でもまあ包帯には使えるしとガルーダに見逃されていたのだ。
男の切った布を再度見る。
定規で測ったかのようにぴしりと真っ直ぐ。ほつれもない。
手先器用すぎない?
自分と比べると情けなくなってしまう。
はあああと重いため息を吐いたリタにひょいと廊下から覗き込んだベルーガが声をかけた。
「おいリタ、ちょっと手伝ってくれ」
「はい、ってわぁ!!」
席を立った瞬間に布を踏みすっ転んだリタは戸棚に思い切り体をぶつける。その衝撃で戸棚に入っていた紙束の詰まった箱がリタに落ちそうになり。
「女神さま!!!」
男がそう叫んだ。
自分馬鹿すぎる。
リタは衝撃に耐えようと目をぎゅっとつぶった。
が。
「…………………?」
「あっぶな!!けが人増やすなよ!!!!」
いつまでも予想していた痛みがやって来なくて目を開くと、ベルーガに怒鳴られた。
「す、すみません………!!!」
そして真っ赤な顔をした男に飛び退かれた。彼はリタの上に覆い被さって守ろうとしてくれたようだ。
逆じゃない?とは流石に言えなかった。
「あ、ありがとう……」
代わりにそう言うと、男は真っ赤な顔をしたままリタを見る。
「女神さま、お怪我は……」
おずおずと心配そうにそう聞かれてリタは大丈夫、と答えた。
「無事なら早く退いてくれ」
「あ……」
ベルーガにそう言われて頭上を見ると、ふわふわと空中に止まっている木の箱。カコン、と音を立ててリタのすぐ側に置かれる。
それと同時にベルーガが上げていた片手を下ろした。
ベルーガさんの祝福か。
「ベルーガさん、ありがとうございます」
ようやく自体が掴めたリタはベルーガに向けてお礼を言った。
───祝福。
それはこの世界の住人が生まれたときに神様から一人に一つだけ与えられる特別な力のこと。
祝福は生まれたときから宿り、決して消えることも祝福を持たない人もいない。そして祝福はその人の運命に見合ったものが授けられると言われている。
どんなに使い道の無さそうな祝福でも、人生の中で一度は必ず使われる。そんなものだった。
と言っても祝福には所謂当たりと外れがある。
ベルーガの祝福は物を浮遊させること。
ただしそれは指揮を取るように手で位置を示し続けてなければいけない。つまり物を浮遊させている間は片手が塞がるし腕は疲れる。
まあそこまで役に立たないし使えないというのはベルーガ本人の言。
さっきのように手の届かない物を動かせるという時点でリタにとっては十分羨ましいが、それは他人の芝が青く見えるようなものなんだろう。
「あ、」
もしかして。ふと閃いたことがあった。
ベルーガの手伝いを終え、ぱたぱたと雑用部屋に戻ったリタは部屋の様子を見て驚いた。
「えっ!早!!」
布を切り終わってしまったのか、男はくるくると包帯を纏めて箱に詰めている。
それはまるで買ってきたもののように美しく整っていて、リタはやはり自分の考えたことは正しいんじゃないかと確信した。
「…………言いたくなかったら言わなくていいんですけど」
「はい?女神さまに卑小な存在の自分がお伝えできないことがあるとは思いませんが……」
突っ込まないぞ。
「あなたの祝福って、とっても器用なことなの???」
祝福はデリケートな話題だ。
だから答えなくてもいいと前置いたが、男は真剣な表情でそう言ったリタにぽかんと口を開けた。
あれ、違う????
「ち、違いました?あ、あの」
思いもしなかったその反応にリタが焦ると、男がふっと床に突っ伏した。
「えっ!!!!どうしたんですか!!!!??」
「女神さまが…………尊い…………」
いやふざけるな。
「ふざけないでくれる??」
あっ声に出ちゃった。
つい口に出してしまい、刺激するつもりではなかったリタは男の反応を伺う。
男はリタの声のトーンから怒っていると分かったのか、慌てて顔を上げた。
「女神さまに対してふざけるなど、」
「そういうのいいから。本気で」
「すみません…」
しゅんとした男にうっとリタは詰まった。
こんなにも美しい人が項垂れているだけでとてもよく絵になる。
「言いたくなかったら言わなくて良いんですけどね、祝福のこと以外にも」
そう告げると男は弱々しく微笑んだ。
思っていたよりも男がショックを受けているように見えて気まずくなり、困ったリタは部屋をそっと逃げるように立ち去った。
「……私の祝福は女神さまのお耳を汚してしまう、もっとおぞましくて気持ちの悪いものですよ」
囁くようなその声はリタの耳には届かなかった。
***
「お疲れ様でーす」
「おー」
ふらふらとベルーガが片手を上げる。負けず劣らずリタもヨロヨロと診療所を後にした。
今日もとても疲れた。
でも明日は休み。しかも今日はご飯が待っている。
そう思うとリタの気持ちも上がってくる。
男はリタの夕飯の支度のため午前中で帰宅させていた。きっと今ごろリタの帰りを待っているだろう。
誰かが自分の家で待っているなんて不思議だ。
リタがこの街に来て一人暮らしを初めてからもう3年ほど。親しい友人は片手に数えるほどもいないし、その貴重な友人でさえリタの家に入れたことはない。
だから誰かがいる家に帰るというのは本当に久しぶりで、とても不思議な感じがした。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、女神さま!」
扉を開けると暖かな声とともに夕食のいい匂いがリタを迎えた。
リタは自分でも気付かないうちに笑顔になり、それを見た男が一瞬で顔を赤くしたことには気づかなかった。
「はぁ…とってもいい匂い……」
「め、女神さまにそのようなお言葉を頂けて恐悦です……」
いそいそと男が夕飯の支度に取り掛かる。
「あ、私も手伝うから」
「いえ!そんな!」
「はいはい」
何か言いたげな男を無視してリタも皿を用意したり出来上がった料理を机に運んだ。
先手を取られないように今日はちゃんと自分がベッドに腰掛け、男のために席を空ける。
「あの、座ってください…」
が、やっぱり男は席に着かず、キッチンに立っていた。
リタが男を見ると困ったような表情で見返してくる。それと他にも言いたいことがあった。
机に用意された一人分の食事に。
「……あなたの分、用意されてないように見えるんですが」
「はい」
いやはいではなく。
「ご飯先に食べたんですか?」
「いえ…?」
「もう!!なんで不思議そうな顔するの!?ほら、まだ余ってると思うから準備して!!!」
「これは全て女神さまのものですから」
「っちがーう!!もう!!いい!!!そこ座って!!!!」
怒ったリタはおろおろする男を無理矢理一脚しかない椅子に座らせ、男の分をとりわけようと皿を探しにキッチンに向かった。
スープカップ無いなあ。あ、このサイズのお皿使えるかも。
一人暮らしなので当然ながら皿も1セットずつしかないが、幸いなことに違う種類のものなら複数ある。
マグカップにスープを、メインディッシュは小さな皿2枚に取り分けて男の前に置いた。
「ご飯はきちんと食べて!私と同じやつ!!食は全ての源!そうじゃないとベルーガさんにも怒られますよ!!!」
そう言って男を見ると目を白黒させていた彼はリタを見上げて、困った顔をする。
リタはなぜそんな表情をするのか分からず変な顔をしてしまった。
「……分かりました?」
とりあえず念を押してみればはあ、とよく分かっていなさそうな返事をした。
「女神さまのお食事…」
男が自分の前に盛られた料理を見て呟く。
わあこの人、何も分かってない。
リタはどうやったら分かってくれるのか頭が痛くなった。とにかく男が納得してくれるように考えながら話す。
「…………あのね、私一人だけだと私が申し訳ないの。それに」
その時話しているリタでさえ思っていなかった言葉がポロリとこぼれた。
「独りで食べるよりも誰かと一緒のほうがおいしいから」
え。
はっとしたリタは自分の言葉が信じられずに口を覆う。
今、自分は、なんて。
「そう、なんですね」
動揺するリタに男は気付いてはいないようで、男は自分の目の前の料理を見つめながらそう言った。
リタは表面上落ち着いて見えるように努力してそれに言葉を返す。
「そ、そうだよ。だからその、これからは二人分ちゃんと用意してね」
「…………はい」
「私と同じのをだからね」
「………………………………はい」
これだけ言えば大丈夫なはず。
本当に分かってるよねと念を込めて男をじっと見つめると、数秒ののち男は顔を赤くさせた。
「女神さま………」
困り果てたように震える声で言われ、それが面白くてリタは思わず笑ってしまう。
「っ、ごめん。じゃあご飯にしよ」
「はい」
真っ赤な顔でカトラリーに手を伸ばす男。
リタはベッドに腰掛けつつ自分もパンを千切りながら、それを見てさっき自分が言ってしまった言葉について考えていた。
独りで食べるよりも美味しい。確かにそう。
「………おいしいなぁ」