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沙蘭国の王女たち  作者: 立川みどり
道中編
7/11

道中編3

       3


 一行は七日間、鴻山砦に留まった。ここから先は岩砂漠になり、さらに進めば草原地帯となるので、砂鳥はあまり適さない。そこで砂鳥は残していくことにして、都の役人や護衛の武将たちのためには馬が、女たちのためには輿と馬車が用意された。

「こんなものに乗っていくの?」

 自分のために用意された輿を前にして、セウネイエー姫が思わずつぶやいた。

「馬のほうがいいのだけど」

 洛帝国の勢力下の砦に着いているとはいえ、旅はまだ序の口だ。鴻山砦は洛帝国の西域支配の拠点だが、あくまで軍事基地にすぎず、民の定住する帝国最西端の町である西龍まではさらに十日以上の距離がある。そこから華陽の都までは、サラライナからラマラナン砂漠西端の国々にいくよりもまだ遠いと聞く。

 そんな長旅のあいだ狭い輿の中に閉じこもって運ばれることを思うと、セウネイエー姫は気が滅入った。彼女は徒歩や砂鳥にまたがっての長旅なら平気でも、輿に乗ったことはほとんどなかったのである。

 王女のひとりごとを玄焔が聞きとがめた。

「馬にも乗れたのですか」

 セウネイエー姫は心外そうに眉をひそめた。

「サラライナの家畜は砂鳥と羊だけではない。数は少ないが、牛も馬もある。馬ぐらい乗れずにどうする」

「では、侍女たちも乗れるのですね」

「むろんだ」

 副使と王女のサラライナ語でのやり取りに、言葉のわからぬ正使がいらいらと口をはさんだ。

「董どの。王女は何を言っているのだ?」

「星寧姫も侍女たちも馬に乗れるそうです。輿より馬のほうがよいとご希望です。馬を用意したほうがよいのではないでしょうか」

「本気か?」

「本気です。洛でも、馬で旅する女性はいくらでもいます」

「それは下々の女だろうが!」

 洪金栄がいらだたしげに足を踏み鳴らす。

「この蛮族の女どもは、これからわが洛帝国皇帝陛下の後宮に出入りすることになるのだぞ。いつまでも蛮族の娘のようでいてもらっては困る」

 洪は、セウネイエー姫には言葉がわからぬものと、いまだに思いこんでいる。さすがに玄焔は王女のほうをちらりと見たが、王女は蔑むような視線を洪に向けただけで、少なくとも表面的には気を悪くしたようには見えない。玄焔も、この点に関しては口を挟まないことにして、正使をふり返った。

「正使どの、まだ西龍までは、いつ賊に襲われるかもしれない危険な地帯が続きます。女性たちが馬に乗れるというなら、そのほうがいざというとき安全では?」

 玄焔が口にしたのは、べつに王女の希望をかなえるための方便ではない。いかに鴻山砦が洛帝国の西域支配の拠点とはいえ、ここから内地までの交通路が完全に帝国の支配下に入っているとは言いがたい。なんといっても西龍の町までは、とちゅう数ヵ所に設けられた烽火台と砦以外、まったく無人の岩砂漠と草原のうえ、すぐ北方は、洛の言葉で佼虞コウグ、現地名キオグハンと呼ばれる強大な騎馬民族の帝国に接しているのだ。佼虞の賊に襲われたとき、輿や車に乗っている者が多いと、身動きがとりにくい。

「これだけの兵数で、賊ごときに遅れをとると思うか」

 そう言ってみたものの、洪金栄とて、危険をまったく考えないほど愚かではない。サラライナの世継ぎの王女が洛に輿入れするという情報ぐらい、佼虞の王に伝わっていないはずはない。洛帝国に敵愾心を燃やしつづけている佼虞が麗蓮姫を奪おうとする恐れは充分にある。

 横で聞いていた護衛の武将たちも玄焔に賛成し、洪はしぶしぶうなずいた。

「よろしい。星寧姫と侍女たちのために馬を用意せよ。だが、西龍の町までだ。それに、麗蓮姫さまは皇妃になられるお方。馬で西龍の町に入るなどとんでもない。輿に乗っていただくように」

 それから、腹立ちまぎれにつけ加えた。

「侍女たちは賊に備えて馬に乗るのだ。もしも万一、賊に襲われることがあっても、侍女どもを守る必要はない。麗蓮姫さまおひとりをお守りせよ」

 洪の命令を聞いて、明羽が思わずこっそりつぶやく。

「ふうん、麗蓮姫さまひとりを守るのなら、正使どのは守らなくてもいいんだな」

 明羽のひとり言は、幸いだれの耳にも入らなかったので、それ以上のもめごともなく、セウネイエー姫と侍女たちのために馬が用意された。


 佼虞の賊に対する危倶は、出発して二日目、早くも現実となった。おそらく佼虞であろうと思われる馬賊数十騎が一行に襲いかかったのである。

 一行は、洛人とサラライナ人と合わせて二百数十名。そのうち半数以上は洛の兵士たちであり、人数のうえでは馬賊の三倍近い兵力だ。このような重要な役目に選ばれただけあって、屈強の者たちでもある。

 だが、馬賊たちはさらに強かった。馬賊と一口に言っても、たんなるならず者の集団とはかぎらない。略奪が重要な生計の手段である佼虞にあっては、ならず者の集団よりはむしろ、国軍に等しい一団のほうが多かった。一行に襲いかかったのもその後者である。

 彼らは、人数の上では三倍近い洛の兵士たちにも引けをとらぬ精鋭ぞろいだった。その気になれば、一行を全滅させることも可能だっただろう。

 だが、賊の目的は殺戮ではなかった。麗蓮姫ことレアウレナエー王女である。

「きょうの獲物はサラライナの世継ぎの王女だ」

 賊の頭が襲撃に際して宣言していた。

 精悍な顔つきに太い眉。肩幅が広く、体格がよいが、余分な贅肉はついていない。見た目にも態度にも上に立つ者の威厳を漂わせた男だが、よく見ればまだ若い。じつはキオグハンの王子たちのひとりである。名はタスマンという。

 タスマンの祖母はサラライナ人だった。都に住んでいたが、砂鳥で二日の旅程にある村に嫁いだ姉を訪ねる途中、同行の隊商がキオグハンの馬賊に襲われ、そのとき連行されてキオグハンの王に献上されたという。

 王は彼女を将軍のひとりに与え、ふたりのあいだに生まれた娘は王子の妻となった。それがタスマンの母である。

 タスマンも母もキオグハン人として生まれ育ったが、祖母はサラライナに心を残していた。夫や子供たちや孫たちを愛し、それなりに幸せに暮らしていたが、サラライナ人としての心を忘れてはいなかった。

 そうとわかったのは九年前。サラライナを征服しようとしたキオグハンの精鋭軍があっけなく敗れ去った戦いのときだった。母国と戦うと聞かされたときには嘆きながらも堪えていた祖母だが、キオグハン軍を破ったサラライナの指揮官はまだ少年のようだったとか、敗北の大きな要因となったのは突然の砂嵐だったと聞くと、半狂乱になって怯え、目に見えぬ何者かに許しを乞うた。タスマンが子供のころ何度か祖母に聞かされたことのあるサラライナの伝説の聖騎士に。

 サラライナが危機に陥ったとき、神の力を授けられた子供が聖騎士となって母国を救うのだという。

 むろん、タスマンはそんな異国の伝説など信じてはいない。

 だが、キオグハンの大軍が小国のサラライナに敗れたのは事実。それに、いかに偶然起こった砂嵐に助けられたとはいえ、キオグハン軍を破った少年の指揮官がいたのも事実だ。

 その少年指揮官は、いまではさぞかし優れた勇士に成長していることだろう。王女一行の護衛についているやも知れぬ。

 ぜひ対戦してみたいものだと、タスマンは思っていた。

 むろん、今回の襲撃の目的はそのような私事ではない。サラライナの王女がラク帝国に嫁いで皇帝の子を産むのも、ラクの人質となっていたサラライナの王弟が王女と引き換えに帰国するのも困る。そのような事態になれば、交易路の要衝サラライナが宿敵ラク帝国の支配下に入ってしまうだろう。

 それを避けるためには、ラクに嫁ぐ途中のサラライナの王女を拉致する必要があった。

 レアウレナエー姫を王の妻とし、生まれた子を適当な時期にサラライナの王の世継ぎとして送りこむ。ラク帝国の得意技をキオグハンも実行するつもりだ。

 その父王の命令をタスマン自身も名案だと思う。そのついでにサラライナの聖騎士と相まみえることができれば一石二鳥だ。

 そんな期待を胸に、タスマンは先頭に立って輿入れの一行に突撃した。

 馬を駆っての戦いとなれば、キオグハンはラクの兵士たちより数段上だ。なにしろ幼児のころから馬に乗って育ったのだ。

 レアウレナエー王女の居場所はすぐにわかった。

 一行のなかで輿はただひとつ。しかも、ラク帝国の身分高い女性が用いる華美な女物の輿だ。そこに乗っているのがレアウレナエー王女だというのは明白だった。

 ラク帝国やサラライナの兵士たちとの戦いは部下たちにまかせ、タスマンは輿に突進した。

 輿まであと数歩というところで、ラクの武将が立ち塞がる。武具や装束から一般の兵士ではなかろうと見当がついたが、さすがに文官やも知れぬという可能性は思いも浮かばぬ。腕利きぞろいのタスマンの部下を倒した剣の技量や馬の手綱捌きから、さぞかし名のある武将であろうと判断した。もしもそれが副使という身分の者と知ったら、驚いたに違いない。

 タスマンと董玄焔は、互いに相手の身分を知らぬまま剣を交わした。互いに、相手が自分と同等の腕前をもつことに驚いていた。

 どのくらい戦ったろうか。

 タスマンの部下のひとりがふたりに駆け寄り、タスマンと交替した。その隙にタスマンは輿に突進し、レアウレナエー姫の腰を抱えると、自分の前に座らせた。

 その一瞬、タスマンは違和感を覚えた。

 ラクの砦やオアシス諸都市で上流階級の女をさらったことは何度かあるが、抱き上げたときの感触が、そういった女たちとレアウレナエー姫とでは違う。レアウレナエー姫は、まるでキオグハンの女たちのように筋肉が鍛えられている。

 タスマンは違和感を覚えたが、それほど気にとめなかった。

 なにしろキオグハンでは、女たちも馬術や武術の鍛練を積むのが当たり前。サラライナにも女の戦士たちがいる。女にしとやかさを異常なほど求めたがるラク帝国にさえ、無頼の徒のなかには女の武人もいると聞いたことがあるぐらいだから、サラライナの王女が武芸を嗜んでいたとしても不思議ではない。

 そう納得したタスマンは、つかのま覚えた違和感をすぐに頭の片隅に追い払った。


 全速力で駆けるタスマンを追うのはふたり。セウネイエーと玄焔である。

 玄焔の前を駆けながら、セウネイエーはつかのま後ろを振り向いてどなった。

「わたしひとりで充分だ! 戻られよ!」

「そんなわけにはいかない!」

 玄焔がどなり返した。

 セウネイエーは無言で速度を増した。再度「帰れ」と言っても、玄焔が聞き入れないのはわかっている。彼を引き離さなければならない。でなければ、いっそ、あの賊と玄焔が一騎打ちをするように仕向けられないものか。

 ふたりのやり取りは、タスマンの耳に届いた。そのひとりは先ほど自分と互角に戦った武将で、いまひとりはまだ声変わりしていない少年か、でなくば女のような声だと気づき、タスマンは興味を覚えて馬の足を止め、向きを変えて相手を待った。

 ほどなくタスマンとセウネイエーは対峙する形となり、すぐに玄焔も追いついて、セウネイエーのすぐ横に馬を並べた。

「姉を返してもらおう」

 セウネイエーの呼びかけに、タスマンは笑みを浮かべた。レアウレナエー姫を姉と呼ぶのはただひとりだ。

「セウネイエー姫か。これは勇ましい。会えてうれしいぞ」

 不敵に笑う男がキオグハンのなかでも高位の者であるだろうとは、セウネイエーにも玄焔にも見当がついた。

「きさま、何者だ?」

 セウネイエーの問いに、タスマンはあっさり答えた。

「キオグハンの第十八王子タスマン」

「王子だと?」

 問い返しながらも、セウネイエーはさして驚かなかった。それは玄焔も同様である。

 キオグハンの王は多くの妻を侍らせ、多数の王子と王女がいる。王子たちは戦士でもあり、兵を率いて戦や襲撃の先頭に立つ。

 それは周辺諸国に知れ渡っている事実である。

「これは残念だ。ラクに行く途中でなければ捕えて人質にしたものを」

 王女の言葉に、タスマンは口元だけで笑った。人質になどされない自信も豪胆さもあるので腹は立たない。気の強い王女をおもしろいと思った。だが、油断ならないと感じていたので、目は真剣である。

 油断していないのはセウネイエーも玄焔も同じ。このキオグハンの王子は、セウネイエーの挑発に激高するような小人物ではないし、女とラクの文官とみて侮るほど愚かでもない。

 それは当然ともいえる。実力主義のキオグハンでは、王子という身分だけでは部隊を率いることはできない。

「こちらも残念だ。せっかく俺の好みの女を見つけたのにな。第一王女を拉致する途中でなければ、花嫁として連れ帰れるものを」

「笑止」

 タスマンの戯れ言をセウネイエー姫は受け流して、剣を構えた。

 タスマンとセウネイエー姫が剣を交えるのを、玄焔はしばらく冷静に観察した。

 剣の技量はほぼ互角。いや、セウネイエー姫のほうが上かもしれない。敏捷さもセウネイエー姫のほうが上だろう。が、屈強でならした男の膂力に太刀打ちするには、多少の剣技や敏捷性の差では補いきれまい。

「助太刀する」

 玄焔が割って入る。よけいなことをするなと言われるかと思ったが、セウネイエー姫の言葉は意表を突くものだった。

「ではよろしく頼む」

 驚いて振り向くと、いつのまにかセウネイエー姫のそばにいるのは、馬にまたがったレアウレナエー姫。玄焔もタスマンも驚いて目を見張る。

 男二人があっけにとられているなか、王女たちはみるみる遠ざかっていく。

 タスマンの愉快そうな笑い声があたりに響いた。とはいえ、タスマンは笑っているばかりではなかった。つかのま愉快そうに笑ったのち、王女たちを追いかけようとする。

 同時に玄焔も動いた。タスマンの前に立ちはだかり、追跡を阻もうとする。

「馬鹿な男よ」

 タスマンが嘲った。

「貴様もあの女たちに誑かされたのであろうが」

 図星だったが、だからといって、タスマンに王女たちを捕らえさせるわけにはいかない。洛帝国の官吏として、祖国の宿敵に皇帝の賓客たちを奪われるわけにはいかない。

 タスマンの振るう剣を玄焔が受け止め、玄焔の振るう剣をタスマンが受け止める。何合か剣を打ち合わせたとき、はるか彼方で馬のいななきと蹄の音が聞こえた。タスマンの部下たちに相違なかった。

 さすがに多勢に無勢では勝ち目が薄い。玄焔は身をひるがえし、タスマンはそれ以上追跡しようとはしなかった。

 あの王女たちを捕らえて父王に献上するなどつまらぬ。そればかりか、父王に危険をもたらすかも知れぬ。父王に愛情などないが、祖国によけいな火種を持ち込みたいとは思わぬ。

 それよりも、彼女たちがラク帝国でどう振る舞うつもりなのか。人質同然の妃や留学生の地位に甘んじるとは思えぬ。彼女たちがラク帝国に動乱を引き起こしてくれるやも知れぬ。それを見てみたいと、タスマンは思ったのだった。


「道中編」は今回で最後です。

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