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沙蘭国の王女たち  作者: 立川みどり
サラライナ編
2/11

サラライナ編2

        2


 神々に愛でられし大王の中の大王、偉大なる人アムゴーカ。

 仰々しい呼称に似ず、サラライナ国王アムゴーカは、温和で気弱そうな初老の小柄な男だった。洛帝国の使者にねぎらいの言葉をかけながらも緊張と不安を隠しきれず、使節たちの上に視線をさまよわせている。

 使節たちはといえば、国王よりもむしろ、玉座の一段下に座す王女たちのほうに気を取られがちだった。

 姉姫のレアウレナエーと妹姫のセウネイエー。洛の言葉では、麗蓮姫と星寧姫と訳されている。

 外国使節の謁見に王女が列席するというのは、玄焔以外の使節たちにはきわめて奇異に映った。

 洛帝国の慣習では、高貴な姫は人前に姿を現すものではないとされている。皇女が公式行事に参列することはまずなく、まして、外国使節を謁見することなどありえない。

 サラライナの慣習をよく知る玄焔だけは、少なくとも姉姫が使節を謁見するのは当然のことだと承知している。

 洛と違って、サラライナでは王女にも王位継承権がある。王に息子がいない以上、レアウレナエー姫は世継ぎなのだ。このさき夫を迎えても、仮に王家の血を引く傍系の男子がいたとしても、次の国王となるのは彼女なのである。洛帝国でいえば皇太子にあたる立場なのだから、外国使節の謁見に同席するのは当然だった。

 セウネイエー姫は世継ぎではないが、王位継承権は第二位。レアウレナエー姫に万一のことがあれば世継ぎとなる立場だから、列席しても不自然ではない。

 だが、玄焔以外の使節たちはサラライナの慣習に疎いので、謁見の場にいる王女たちに対して、慎みがないという印象を抱いていた。

 王女が列席することの奇異さに加えて、一行の注意を引きつけているのは、輝くばかりの姉姫の美しさだった。

 つややかな長い黒髪に白い肌。翠玉のような深い青緑の瞳。もしも天女というものが存在するならば、この人のようであろうかと思わせるほどの神々しいまでの気品。噂にたがわぬ絶世の美姫だ。

 使節たちが姉姫に注目するなか、玄焔だけが妹姫に視線を走らせている。

 亜麻色の長い髪に菫色の瞳。なかなか美しい少女なのだが、姉姫のあでやかな美貌の前には霞んで見える。にもかかわらず玄焔の注意を惹きつけたのは、使節たちを睨みつける菫色の瞳と青い宝石の額飾り、それに口許を引き結んだ勝ち気そうな顔だちだった。

 髪の色は違うが、セウネイエー姫は、砂漠で戦ったふしぎな力を持つ少女騎士とあまりにもよく似ている。同一人物と思って間違いあるまい。

 それに、妹姫に関して、玄焔はもう一つの疑問を抱いている。この姫は使節たちの用向きを知っているのではないか。そうとでも考えなければ、いくら洛帝国が小国のサラライナに何かと圧力をかける恐ろしい存在だとしても、妹姫の視線にこもる激しい敵意と憎悪は解せない。

「至尊なる天帝の御子、天より遣わされし帝王の中の帝王、偉大なるわが洛帝国皇帝陛下よりの仰せです。栄えある後宮の皇妃として麗蓮姫さまをお迎えしたいとのこと。よろしくお受けくださいますように」

 正使の洪金栄の口上に、サラライナ人の通訳ははっと息をのんだ。皆のいぶかしげな視線に促され、通訳がおそるおそるサラライナ語に訳したとたん、国王は蒼ざめて玉座から腰を浮かせ、広間じゅうが騒然となった。

 玄焔は王女たちのほうに視線を向けた。姉姫は、手を口許にあて翠玉の瞳を見開いて、驚きと恐怖のためにか、かすかに身震いしている。妹姫は拳を握り締め、使節たちをにらみつけている。

 一瞬、妹姫と玄焔の視線がぶつかった。と、妹姫がふいにサラライナ語で叫んだ。

「認めぬ。世継ぎの王女を所望するなど、無理難題にもほどがあろう。まして、洛帝国の皇帝といえば、後宮に山ほど女をはべらせた好色な老人と聞くぞ」

 妹姫の叫びは、怒りの発露というよりは、不審がられていることに気づいての演技のように、玄焔には思えた。

 通訳があわてて、妹姫の言葉を洛語に直す。

「星寧姫さまはこう仰せです。麗蓮姫さまは世継ぎの君ゆえ、遠い洛帝国の皇妃にと望まれるのは無理難題と思われます。それに、洛帝国皇帝陛下は麗蓮姫さまとお年も離れておられるうえ、後宮に……えー……お妃さま方も多く、姉君がご苦労なされるのではないかと案じておられます」

「それは国王陛下のお言葉でもあられますのかな」

 洪の口調には嘲るような響きがある。

「この国には、姉君の婚儀に妹姫が口出しをする慣習がございますのかな。われらは国王陛下に申し出ておるのですぞ」

 妹姫が怒りに顔を赤らめた。玄焔をはじめ、使節たちのなかで多少とも目端の利く者は妹姫の反応に注目した。この姫は洛の言葉がわかるのだろうか。それとも、洪の口調に嘲りの響きを感じとっただけか。

 通訳がしどろもどろで洪の言葉を訳すと、国王が口を開いた。

「セウネイエーは姉思いゆえ、姉の身を案じているまでのこと。失礼は大目に見られよ」

 通訳を介しながら、国王の言葉はつづく。

「姫の懸念は、わしにも気にかかること。レアウレナエーはだいじな世継ぎ。いずれはわが国の女王とならねばならぬ。それに関して洛帝国皇帝はどのようにご配慮されているのか。また、後宮でどのように遇されるおつもりなのか。お答えあれ」

 最初の衝撃を過ぎると落ち着きを取り戻したのか、一国の王らしい堂々とした口調だ。

 通訳をはさみながら、洪と国王の問答はつづいた。

「男子の世継ぎに恵まれず、王女が後を継ぐとは、蛮夷の慣習とはいえお気の毒なことと存じます」

 洪のいいぐさはかなり失礼なものだが、洛帝国以外の国はすべて蛮夷であり、蛮夷の慣習はすべて野蛮であるという価値観に疑問を感じたこともない洪は、異国の王を侮辱しているとは思ってもいない。

「ゆえに、先代国王の即位のおりに質子として預かりし弟君の麻毘殿をお返しいたしましょう。また、皇帝陛下の姪御にあたられる翠芳公主を王妃として差し上げましょうとの由。若い王妃をお迎えになれば、このさき王ご自身がお世継ぎの王子に恵まれるやもしれませぬぞ」

「つまり、マヒリを返すかわりに、レアウレナエーを人質にしろというのか」

「人質などと。麗蓮姫さまはあくまでも皇妃。皇妃というのは皇后に継ぐ誉れ高い地位ですぞ。後宮三千人の女性方のうち、皇妃は三人までしか認められておりません」

 洪は、洛皇帝からの申し出を沙蘭国側が栄誉と受け取るものと思いこんでいる。まずい言い方だと、玄焔は内心舌打ちした。

 麗蓮姫は、洛帝国の役人から見れば、いかに美しくとも蛮族の姫に過ぎないが、沙蘭国の人間から見れば最高の地位にある女性なのだ。ある意味では、公主の称号をもつ洛皇帝の娘たちより遥かに高い地位にいるとさえ言える。洛の公主たちは政略結婚の道具にすぎないが、麗蓮姫は世継ぎの君なのだから。

 しかも、重臣たちの反応から推しても、彼女が皆に愛され信頼されているのは間違いあるまい。大切な世継ぎの王女が異国の皇帝の妾妃にされるというのは、沙蘭国の人々にとって堪えがたい侮辱に違いない。

 だが、洪をはじめ使節たちのほとんどが、沙蘭国の人々の屈辱感と怒りに気づいてはいない。それに、王弟よりも王女のほうが王位継承権の順位が上で、世継ぎの王女の代わりに王弟を返されたからといって、ありがたくも何ともないということも、女子の皇位継承権を認めぬ洛の人々には理解しがたいことだった。

 だが、内心どれほど腹が立っていたにしても、アムゴーカ王はその怒りを口には出さず、努めて穏やかに言った。

「皇妃がそのように高い地位だというならば、他のお妃がたやその一族の方々から憎まれるのではないか。後宮の方々にとってもお気の毒なことになろうに」

「ご心配には及びませぬ」と、洪が答える。

「異国に嫁がれる姫君を案じられる親心はごもっとも。されど、わが皇帝陛下には、麗蓮姫さまが心安らかに後宮で過ごされるよう配慮されておいでです。しばしの間、妹君の星寧姫さまを留学生兼客人として宮廷にお招きしたいとの由。妹君がごいっしょとなれば、麗蓮姫さまも心強うございましょう」

「セウネイエーまでも召し出せと申すのか?」

 どなりこそしなかったが、アムゴーカ王の手は憤りのためにぶるぶる震えている。

「召し出せなどと。姉君が後宮での生活に慣れられるまで、留学生としてお招きしようと申しているのです。姫君方だけでは心細かろうとお考えなら、王族のご子弟を幾人なりとも留学生としてお迎えいたしましょう。ことに星寧姫さまは、麗蓮姫さまの唯一の妹君に当たられるゆえ、特別の配慮をもって後宮への出入りを認めるとの由。むろん、妹君は後宮の妃でも女官でもありませぬゆえ、姉君が落ち着かれれば、いつなりと帰国なさってよろしいのです」

 洛帝国の人間であれば、洪の申し出の異常さに気づいたはずだ。洛では、身分高い姫君はほとんど人前に出ることもなく館の奥でひっそりと暮らす。出かけるといえば、せいぜいお忍びで陶冶場や景勝地に行くぐらいだ。嫁入り前の高貴な姫がむやみに人前に姿を現すのは、はしたないこととされている。

 そんな洛の風習に合わせて、他国から女子の留学生が訪れたことは記録で見るかぎり一度もない。

 玄焔は内心緊張しながら国王や重臣たちの反応をうかがっている。予想に反して、重臣たちは意外に平静だ。むろん、洪の申し出に承服しているわけではあるまいが、レアウレナエーを皇妃にと求められたときほど動揺してはいないように見える。

 見込み違いだったかと、玄焔はいぶかった。

 使節たちのなかで玄焔だけが、妹姫をも洛に伴なわなければならない理由を知っている。沙蘭国の慣習からすると、麗蓮姫が嫁いで王位を継げなくなれば、代わりに世継ぎとなるのは星寧姫なのだ。王弟が帰国しようが新たに王子が生まれようが、星寧姫のほうが王位継承権の順位は上となる。星寧姫が沙蘭国にいるかぎり、洛帝国の息のかかった王が即位することはありえない。

 このことに、沙蘭国の王や重臣たちは当然気がつくに違いない。そう思っていたのだが、それにしては重臣たちの反応は鈍すぎる。これほど才気に溢れる王女のこと、さぞかし臣下や民の信望も厚かろうに。

 重臣たちとは対照的に、国王はさすがに動転し、怒りに手がぶるぶる震えている。

 国王は不安げに王女たちのほうをふり返った。娘たちの身を案じているというよりも、娘たちに頼っているような印象を受けたのは気のせいかと、玄焔はいぶかった。それに、王女たちが父王に向かってかすかにうなずいたように見えたのも気のせいか。

 国王は、娘たちにかわるがわる視線を走らせると、使節たちのほうに向き直った。

「あまりにも突然のことゆえ、重臣たち、王女たちとも話し合いたい。それまで使節の方々には、ゆるりと滞在なされよ」

「では存分に話し合われますように。三日の後に返事をお伺いいたしましょう」

 そう言い置いて使節たちが退室すると、堰を切ったように重臣たちがいっせいに口を開いた。

「お世継ぎの王女殿下を取り上げようなど、とんでもない話にございます」

「ラク帝国の傀儡となる者をお世継ぎとして送りこみたいというのが見え見えではありませんか」

 だが、議論にはならない。議論する余地はない。口をついて出るのは、結局のところ憤りの言葉だけ。洛帝国の申し入れを受けるか、国を滅ぼされるか、選択は二つに一つしかない。滅亡するわけにはいかない以上、選択の余地は何も残されてはいないのだった。


 その夜おそく、自室に王女たちを呼び出すやいなや、アムゴーカ王は、姉姫に向かって吐き出すように口を開いた。

「セウネイエーの留学の件も、前もって知っておったのか」

 王は、謁見前に、使節たちの用向きの半分は知っていた。どのような手段でか王女たちが探り出し、王に話したのである。だから、レアウレナエーを妃にと望まれても驚きはしなかったが、セウネイエーの留学の話はまさに晴天の霹靂だった。

「予測していませんでした。申しわけありません。わたくしの落ち度です」

 冷静な口調で頭を下げる姉娘に、王は腹立たしげな視線を向ける。

「わたしにもわかりませんでした」

 セウネイエーが横から口をはさんだ。

「そもそも、わたしのことなどより、おねえさまのことのほうがよっぽど重大じゃないですか」

 彼女には、姉に対する父の冷淡ともとれる態度が理解できない。他国に嫁がせることになるというのに、なぜ、やさしい言葉のひとつもかけられないのか。

「だれも、レアウレナエーを責めてなどおらぬ」

 王が怒っているとも当惑しているともとれる口調で言った。

 王にしてみれば、レアウレナエーが使節の意向をすべて察知しえなかったことに対してではなく、それを自分の落ち度として謝罪したことに対して苛立ったのだ。

 他国の意向など、そうそうすべて察知しえるものではないのに、レアウレナエーは、他国の動きをいつも完璧といってよいほど正確に把握している。だからこそ、洛帝国の使節の用向きを半分しか予測しえなかったことを、自分の落ち度だとして詫びたのだということは、王にもわかる。

 世継ぎとしてはこれ以上望めぬほどの能力と責任感。不満などあるはずはないのに、アムゴーカ王は、娘が有能であればあるほど隔意を感じてしまうのだった。

 だが、そんな気持ちを、姉を尊敬しきっている妹娘に言うつもりはないし、いまはそんな場合ではない。

「責めているのでななく、驚いているのだ」

「セウネイエーには残ってもらいたかったのですが、しかたがありません。せめて叔父上がどのような人柄かわかればよいのですが」

 父王の冷淡さなど頓着していないようすで、世継ぎの姫が口を開いた。

「いつまでもラクにいるつもりはありません。セウネイエーだけでも、できるだけ早く帰れるようにするつもりです」

「策はあるのか? それまでマヒリを世継ぎに決めるなと言いたいのか?」

「そこまでは申しません。叔父上が世継ぎとして御意にかなえば、何も反対はいたしません。けれども、おそらく御意にはかないますまい」

「マヒリはラクで育った。もしもマヒリが王位につけば、さぞかしラク贔屓の王になろうな」

「そういうことです」

「では、待っていてよいのだな? 戻ってくるのだな?」

 姉姫は力強くうなずいた。

「だが、どうやって戻るのだ? セウネイエーは人質同然だし、おまえは後宮に入るのだぞ」

 王女たちがはっとするほど、王は気弱な表情を見せた。

「状況しだいで、打つ手はいくらでも見つけますとも。どうぞ、ご心配なさらないで」

 セウネイエーが驚いたことに、レアウレナエーは王に歩み寄り、ふわりと抱きしめた。

 妹姫より驚いたのは王だったろう。もう何年も、姉娘からこのような形の愛情表現を受けたことはない。茫然としたまま、王は、姉娘が身を離し、妹を伴って退室するのを見送った。


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