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「朝が来た」

続きました。

 早朝、乾いた音が、中庭に広がる。

 中庭の芝生は朝霜に濡れて、小鳥たちは木の枝に止まっている。

 一つ一つの音が、ある一定のリズムによって響く。

 作業的なその音は、一人の少年が奏でていた。


 クリストフ・リセイオン・ラシーヌ。

 今年で11歳になる彼は、いつもと同じように木の棒を振り上げてはおろして、木の幹にぶつけていた。

 言うなればそれは素振りだ。単純化された鍛錬だが、彼の素振りは美しさを含んでいる。

 剣先であろう先端は綺麗な弧を描き、振り上げたフォームは左右対称であり横軸へのブレを感じさせない。

 空気を切り裂き、鋭い真空が音を奏でて、木の幹を切る。

 彼は11歳。それを繰り返して過ごしてきた。


 渡り廊下から、見張りであろう兵士二人が通りかかる。

 兵士たちは中庭にクリストフがいるのを見ると、声を掛けた。


 「いつもお疲れ様です。クリストフ殿。今日はいい天気ですな。」


 きっと100人中半数以上が言うであろう挨拶に、クリストフは少し可笑しさを覚えた。

 素振りをやめ、二人の方へと向いた。


 「いや何、確かに今日はいい天気さ。」

 

 風を感じながら、前に進み出た。


 「雲も切れ切れに、気持ちのいい陽光が射していてね。お天道様もご機嫌だろうさね。」

 

 クリストフは空を見ながらそう答えた。

 確かに雲はちぎれちぎれになっていて、その間を縫うかのように陽光が射している。


 「まるで詩人なようですな。クリストフ殿は。」


 「ですが、久方ぶりの晴れ模様ですね。私はこういう天気好きなんですよね。なんせ見張りにとって都合がいい。」


 二人は笑いながら応える。

 クリストフも一緒に笑った。

 ふと、久しぶりに空を見たなと、クリストフは思った。


 「それよりも、明日ですね。大学の連中が来るて言う日は。」


 兵士の一人がそう言った。

 その言葉に、もう一人の兵士が続ける。

 

 「やっと大学と教会側でも一致体制が取れる、その第一歩として当家が選ばれたのはなんとも嬉しい限りですね。」 

 

 クリストフは、

 

 「いや、そんな大したことではないよ。今回の件はあくまで大学と、セアモン家とのあくまで個人的な会合にすぎないさ。」


 「そんなことをおっしゃってもね、クリストフ殿。セアモン家は教会圏でも顔の聞く武官貴族。もはや教会の一つの顔と言っても過言ではありません。そのセアモン家が大学と公式な会合を開くとなると、もはや歴史の1ページに乗るほどですよ。」

 

 そんな過大なイメージだったのかい、とクリストフはうっすらと笑う。


 しかし、クリストフにとってその会合というのは大して興味のないものだった。

 いつもの会合と何が違うのだろうか。教会貴族、文官貴族、武官貴族があいも変わらずパーティに勤しむのが務めであるのなら、大学貴族なんてものがいてもおかしくはないだろう。

 クリストフにとって、いつものつまらない日であることには変わらない、そう思っていた。




 木の棒を所定の位置に戻すと、軽く水を浴びて汗を拭く。

 長いこと素振りをしたのか、左手の小指の付け根に大きな肉刺ができていた。

 皮は剥けて血が滲んでいる。


 その滲んだ血を見て、顔が暗くなる。赤色にはあまりいい思い出はない。

 いや、その思い出は思い出すことはできない。しかし魂に刻まれた恐怖が心を通じて思い出してしまう。


 包帯を取り出して手に巻く。ちくりと左手が痛むが問題はない。

 感染症にかかったりしたら大変だ。

 そう思いながらクリストフは長い廊下を歩いていく。


 ふと、廊下の左側に巨大な絵画が飾ってあった。何気ない、「偉大なる四人」の油絵だ。

 偉大なる四人、そのうちの一人が自分の先祖であるのだろうか。

 

 しかしクリストフはその実感を自覚することができない。どうして遠い先祖に思いをはせることができるのだろうか。自分の親の顔すら思い出せないのに。


 

 自分の中には、ナニカが足りない。



 


 朝の祈りのために、城に設備された礼拝堂へ向かう。

 礼拝堂はステンドグラスがきらびやかに光を屈折させていた。

 十字架は木製で、御子が今日も磔に打ち付けられている。

 肌色の壁が独自の空間を提供し、空気が静止しているかのようだ。

 

 クリストフを育てた主人、そしてその息子がすでに礼拝堂にいた。

 この領地の主人、その名をフランシス・ヘイ・セアモン。息子、その名をピエール・ヘイ・セアモン。

 ピエールはクリストフをちらりと見ると、さも嫌そうに顔を背けた。

 そんな様子を感じたフランシスは後ろを見、クリストフが来たことに気づいた。


 「おお、我がクリストフよ。おはよう。」

 

 フランシスは大きく会釈した。

 

 赤い服に、白い襟。がっしりとした体に鷹のような鋭い目。

 茶色いヒゲを蓄えて、しかし伸ばしすぎず上品にまとめられている。 クリストフは跪いて頭を下げる。地面には赤いカーペットが敷かれていた。


 「おはようございます。セアモン公様。今朝もお日柄がよく、素晴らしい日になりそうです。」


 なるほど、朝はいい天気だったか。セアモン公は自分のヒゲを触りながら応えた。


 「天気がいいなら、素晴らしい。この天気が明日にも続いて欲しいと願うばかりだ。さて、まだ朝の礼拝には時間がある。私は司教と話をしてくるから二人はここで待っておれ。」


 セアモン公は二人を置いて、礼拝堂の控え室に向かってしまった。

 

 取り残された二人の少年。一人は不機嫌そうに、一人はバツが悪そうに、距離を離れて座っている。

 クリストフは、その気まずい空気が苦手だ。いや、ピエールが苦手だ。

 何か言っても無視され、嫌な顔をするのだ。

 

 二人の仲が悪いのは無理もないこと。

 とクリストフは思っているものの、仕方がないからといって自分のことが嫌いな人間をどうやって苦手にならないで済むのだろうか。



 クリストフは10年前にこの家にやってきた。

 10年前、ラシーヌ公襲撃事件にて領地は火の海へと沈んだ。

 残された民たちは分裂して、今では別の領主の民になった。

 

 ラシーヌ家唯一の生き残りであるクリストフは、セアモン領入り口で一人の青年の腕に抱えられて泣いていたのだ。その青年の右腕は荒々しくちぎられていた。

 通りがかった行商人がクリストフを保護し、そして手紙を見つけた。

 それには、セアモン公に当てられた手紙だった。

 

 セアモン公とラシーヌ公、両者ともよき戦友であり兄弟のような関係だった。

 お互いに子供が生まれると、自分の息子のようにその生誕を喜んだ。


 ラシーヌ公は、自分の死を覚悟した時に息子をセアモン公に預けることを決意した。

 そして手紙を書き、家臣の中で信頼でき、そして俊足のモーリスに子供を託す。

 貴族の、それも4傑のラシーヌ公の血を引いているクリストフはセアモン公の食客として迎え入れられたのだ。



 年が変わらないクリストフとピエールは兄弟のように扱われた。ピエールの方が年上だったのでクリストフを弟のように扱い、当時は仲良くしていた。本当の兄弟のようだった。

 しかし、いつからだろう。ピエールがクリストフと遊ばなくなり、無視するようになる。


 クリストフは仕方のないことと考えた。

 考えてもみよう、一人の息子として家族からの愛情を分散させてしまったのだ。もちろん自分は後継には絶対になれないが、邪魔者であることに変わりはない。

 

 

 無言の時間が続いたが、それも長くはかからない。

 屋敷に仕える給仕や召使い、メイドなどがやってくる。

 流石に兵士たちは別の場所で簡易的なものを行うが、大体の者たちがこの礼拝堂に集まった。

 彼らは皆ピエールの周りへ集まる。

 皆、ピエールに気に入られたいからなのだろう。

 クリストフは静かに隅にいた。


 セアモン公とともに司教が出てきた。

 同時に、厳粛なパイプオルガンが響き渡る。

 一つ一つの音が共鳴して、礼拝堂を振動させた。

 悲しいようで、孤独を感じさせる。

 その音楽には感情があり、岩肌に吹く風のようだった。

 反響音一つとっても意味をなして、連鎖する。

 賛美せよ、複数のメロディが合唱のようにこだました。

 「祝福せよ!」まるでそう説教されているかのように。


 音楽はフェードアウトし、説教台に立ったセアモン公が大きく高らかに宣言した。


 「父と子と精霊のみ名によって」


 一同は、「そうあれかし」と叫ぶ。


 「主よ、私の言葉に耳を傾け」  


 「つぶやきを聞き分けてください」

 

 「わたしの王、わたしの神よ」  


 「助けを求めて呼ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります」


 「主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください」


 「朝ごとに、わたしはみ前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます。」



 司式はセアモン公、説教は司教によって執り行われた。

 今日も幸いがありますように。

 明日もまた、幸いがありますように。

 

 礼拝は、今日も厳粛に行われた。


 クリストフは、どこか別の世界にいったかのような錯覚に陥った。

 きっと、礼拝がもつ不思議な力なのかもしれない。

 ドクンドクンと、小さな体が確かに生きているのを実感した。

 


 


 

続けるかもしれませんね。

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