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───それは微かな空気の流れであった。血のにじむような修行の末に体得した鋭敏な肌の感覚にしか触れないような、そんな風が木棺のある場所から吹いてきた。
満月は足を止めた。
どうすべきか迷う。
木棺の下にはおそらく、地下へとつながる入口がある。そこには諸葛亮の遺骸が納められた───羅不破が言うところの「本物の棺」があるに違いない、と想像を逞しくする。
もしそうだとして、羅不破ならそこも容赦なく物色するだろう。自分が気がつかないふりをすれば諸葛亮は眠りを妨げられずに済む。
どうせ「宝」など存在しないことだし……
満月が何ごともなかったよう、また歩き出そうとした。
───が、まるで彼の心を見透かしたように、羅不破は前進をやめ、くるり踝を回して堂内に戻ってきた。
満月の顔を凝視すると、ゆっくりと木棺のほうに視線を向ける。
満月は一瞬驚いてあごをひいてしまった。
(……もしかしてこの胡人は人の胸の内が読めるのだろうか)
彼ほどの人間が本気でそう思った。
羅不破は寝そべり、床下から吹いてくる微風を感じると、起き上がりざま鼻翼を広げ、会心の笑みを浮かべる。
───その時、満月の握った剣が、羅不破の背中に迫った。
「ひゃぁ!」
満月の発散する殺気に感応した羅不破は、普段からは想像できない身捌さばきで素早く横に転がる。
「なにしやがる!」
跳ね起きると、噛みつかんばかりの剣幕で満月の胸ぐらを掴みあげた。
満月は無言で羅不破の血走った目の前に剣をかざす。
その切尖には蠍が突き刺さり、苦痛に身をよじらせていた。
言葉のかたまりを喉奥につまらせて、にじりさがった羅不破は気まずさをごまかすように木棺を蹴飛ばし、腰の刀を抜いて床へと叩きつける。
しばらくもしないうちに、砕けた床板の中から豪奢な装飾の鉄扉が現れた。
羅不破はそこも力任せにぶち破る。空気の塊が飛び出し、彼の髪と服を大きく揺らした。
───地下へと続く階段がそこにはあった。
嬉々満面の羅不破は、あごで満月に松明を出すように指図する。
(……あっちゃった……か)
満月は手の平で目を押さえて天を仰いだ───胸のうちで。
生前は赤面夜叉と呼ばれ、新しくこの堂に納まることになった亡骸が持っていた荷袋から松明を取り出し、火をつけ手渡した。
羅不破はせり出した腹をさらに突き出すように胸をそらせ、ゆっくり階段を降りていった。
満月は荷袋を背負うと階段へと向かう。
階下から吹き出る、湿り気を帯びた空気が彼の頬を撫でてゆく。
黴臭とも腐臭とも言い難い悪臭にやられ、鼻腔が痺れた。胸に嘔吐感がこみあげてくる。
沓を返して、すぐさま立ち去りたい衝動にかられたが、どんどん羅不破の持つ松明の光が小さくなっていくのを見て満月もしぶしぶ地下に踏み入った。