表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キョンシー  作者: 諸橋カムイ
【序章】
5/60

5

───安倍満月(あべのみちつき)は十五歳で遣唐(けんとう)留学生になった。


 俊才の誉れたかい阿部仲麻呂(あべのなかまろ)(とう)に渡ったのが十九歳のときであるから、彼がどれほど日本の朝廷に期待されたかがわかる。


 満月少年の唐への渡海は、壮絶の極みだった。


 難波(なにわ)を出港した遣唐使船は、大陸との中継地である阿古奈波(おきなわ)にいたるまでに、大きな嵐に遭遇する。


 帆が裂け、柱が砕け、舵を失い、多くの留学生が暗い海にひきずり込まれた。


 なんとか阿古奈波島にたどり着き、そこで船を修復した一行は東シナ海に出港───そして、また彼らは不幸に見舞われる。


 日本と敵対していた新羅(しらぎ)の、半ば海賊化した軍船に拿捕(だほ)された。


 命までは奪われなかったが、朝献品(ちょうけんひん)と水と食料を根こそぎ持っていかれてしまう。


 遣唐使船は、さながら難民船のようになって明州(みんしゅう)望海鎮(ぼうかいちん)に流れついた。阿部仲麻呂や吉備真備(きびのまきび)らの乗った第七回遣唐使船が難破し、漂着した地である。


 多くの不幸にあいながらも、唐土(とうど)を踏んだ満月たちは、京師(みやこ)長安(ちょうあん)を目指す。


───だか、そこで彼らを待っていたのは、いままで以上の不幸であった。


 大規模な武力反乱が起こり、長安は賊軍の有するものとなる。蹂躙(じゅうりん)され、凌辱(りょうじょく)され、瓦解され焦土(しょうど)と化していた。皇帝玄宗(げんそう)も遠く南の成都(せいと)遁走(とんそう)する始末。


 ほどなく京師は名将郭子儀(かくしぎ)によって奪還されたものの、満月は復興した都の大学(たいがく)で留学生として学ぶことも、科挙(かきょ)を受けて唐朝に仕官することもしなかった。


 彼は、学徒になることも文官になることも拒んだ。


 そのようなものは戦乱の中にあっては無力でしかないことを、目のあたりにしたからである。


───満月は長安を飛び出した。「平和」の上にあぐらをかいて生きるのはまっぴらごめんだ、そう悲嘆にくれて……と、いうわけではなかった。


 実のところ、彼は大陸の武術にぞっこんほれ込んでしまっていたのである。


 武芸を磨くために、五年の歳月をかけ、大陸を放浪した。剣、刀、矛、槍、棒、(まさかり)(げき)、弓、弩、盾などなど、いわゆる「武芸十八般」を会得して京師に戻った満月は、表向きは骨董商、そして裏では金を積まれれば、誰でも手にかける暗殺稼業をおこなっていた。


 彼の手でその命を絶たれた者は庶民、朝廷の要人問わず数え切れない。


 生来(せいらい)感性のつよい彼が、人生においてもっとも多情多感なときに、血反吐(ちへど)を吐くような数多(あまた)艱難辛苦(かんなんしんく)を味わった。ゆえに仏教、道教、儒教、(キリスト)教、(イスラム)教───どの宗教も彼は信じない。


 信仰心などくそ食らえ。加護も天罰もしょせんは人心の作り出すもの。ありがたがったり、恐れ(おのの)いたりするほうが馬鹿げている、とつねづね吐いている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ