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山と積まれた金子の中には羅不破の生命を守る義務も含まれているし、出発の日には若旦那からくれぐれも父親の安全をはかるようにとさらにいくばくかの金も渡されている。
───齢六十。肥りすぎで体力のまったくない老人の危険な旅。その守り役の満月は、羅不破が無茶をするたびに心臓が止まるのではないかと気が気ではない。
毎日身をけずる思いであった。景気いい話に見えて実は大損をした。いや現在もなお「している」のではないかという気持ちはいなめない。
一行は足を止めた。峡谷に出たのだ。吊り橋が渡されている。
間断なく深い谷底から吹き上げてくる風に、桟道よりもさらに古い時代に架けられたであろうそれが柳の枝よろしく揺らいでいた。
「人足が何やら騒いでいるぞ!」
そのまま溶けてしまいそうなぐらい大汗をかいている羅不破が苛立たしげに何度も舌打ちする。
人足ふたりは登山開始直後から休むことなく囁き続けている。ときには陀羅尼まがいのようなものも唱えた。
満月と羅不破は入山前、麓の村で荷持ちの人足を雇おうとした。
だが里人は拒絶。それどころか、みな家に逃げ帰り、戸を閉ざす始末。
その尋常ならざるおののき方を見ればおおかた「祟り」か「呪い」のことだろうとすぐに察しがつく。
───間違いはなかった。仙人と見違う村の長が現れ、やたら暗い表情と重い口吻で告げる。
「悪いことは言わん。あの山に入ってはならん!」
かつて、蜀漢を討ち滅ぼそうと大軍で山を越えようとした魏の将軍鍾会もその「祟り」に遭遇して兵を引かなければならず、「呪い」によってやがて不幸な死を迎えたのだぞ、という。
歴史伝承を持ち出してこの不敬な旅の者たちに山の神々の眠りを妨げるような真似を、ひいては里人の安穏な生活をかき乱すことはさせまいとしたらしい。
厄災がふりかかるのを知っていて行かせる馬鹿がどこにいる。「ゆえに足を入れるべからず!」と唾を飛ばして力説し終えた長老の前に、羅不破は水晶や翡翠、瑪瑙などの光石を山と積んだ。食料と交換すればおそらくは村人全員が数年は食うに困らないであろう額を。
長老は軽く咳ばらいをひとつする───と村で一、二を争う豪の者を連れて行け、と告げた。
結局いつ降ってくるかも知れぬ天罰よりも、貧しさで飢えるほうがよほど怖いのだ。
いざ頂上に近づくと、その村が誇る益荒男たちは縮み上がっている。
それが「祟りあるところ、宝あり」という持論のもと、意気揚々、気炎を上げて入山した羅不破は腹立たしくてしかたがなかった。