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───漢中は定軍山。
その頂きはつねに白絹のような厚い雲に隠れ、ごつごつとした奇岩の連なりと手のかけることができないほどに切り立つ絶壁が、まるでしめしあわせたように交互にそびえ立つ峻嶮な巨峰。
───人影が四つ。
いつ作られたとも知れない桟道を進んでいた。
先頭には鈍色の単衣に皮の胴当てを着けて、とかせば腰までとどくであろう黒髪を無造作にひとつに束ねた男。
そのうしろに縦横の比率がほぼ同じという赤毛碧眼の大漢と、それよりもさらに大柄で岩を切り出したような体格の人足がふたり。
この集団を率いている男の名は、安倍満月。
日本人である。
彼はこのような危険極まりない場所にいるには不似合いなほどの繊弱そうな身体つきの青年だった。汗とほこりに汚れたその顔は端正であるが精悍さよりもやや幼さが先行している。
満月は自分の身を守るのと同時に続く異相の者の身も守らなくてはいけなかった。
胡服が胸に貼りつくほど大汗をかきまくっている男───羅不破を見て満月は嘆息する。
京師長安では五本の指には入るこの大商人「羅家の大旦那」の趣味に、いま彼はつき合わされていたのだった。
その趣味とは───骨董品の蒐集。
ただの年代物の璧や宝剣ではない。
そのようなものはありあまる羅不破の財をもってすればどんなものでも入手できよう。「金に飽かせる」、それは富商たる者の楽しみのひとつだ。
しかし彼が求めているのは他でもない。歴史に名を残した英雄豪傑が手にしたものばかりであった。
───周の宰相太公望が渭河で糸を垂らしたという釣竿。
───呉の将軍伍子胥が平王の屍を打ちすえたという鞭。
───漢の高祖劉邦が沛の芒蕩山で大蛇を斬ったという長剣。
───隋の煬帝が楊広が宇文兄弟にくびり殺されたときの綾絹……などなど、「はっきり言わなくても眉唾もの」の数々である。
羅不破は金に糸目をつけず次々それらを購入していった。
さらにその収集欲は飽くことを知らずついには商売そっちにのけ、自分の足で探すようになる。
それにつきあわされることになったのが羅家出入りの骨董商、安倍満月であった。
羅不破からこの旅に同行してほしいと持ちかけられたとき、即座に彼は断った。
何が悲しくてそんな馬鹿らしいことに付き合わなくていけないのだ、そう驚きと憐れみを内に秘め、丁寧に、慇懃にお断り申し上げた。天下の豪商が孫ほどの歳のたかが一骨董商に土下座をしてきても「わたくしめには過ぎた申し出ですよ」うんたらかんたら、のらりくらりとかわした。
───が、ついには満月の「もうひとつの生業」を金吾役人に告げるぞと脅され、さらには金子満杯の袋を目の前にどっかと積み上げられてしまってはもはや断れず、しぶしぶながら「歴史的宝」発掘の旅に同行することとなった。