世界の理を知る者
その日は夕方が近くなった頃にナジュムさんが迎えに来た。族長の命だからってぶつくさ言ってたが前程のキツさを感じなかった。これがホンマのチョコレート効果や! 二人でわちゃわちゃしながらルイさん家に到着し、この様子を見ていたルイさんは穏やかな顔をしていた。そして、楽しい楽しい晩餐会は終了し、私も楽しく一日を終えれた。
それから数日はこの里の簡易地図の製作にあたった。そこまでめちゃくちゃに広いという訳ではないが、まだ来たばかりだ。当然道にはしょっちゅう迷う。毎回ルイさん家まで送って貰う訳にはいかないし、なによりこの里のエルフ達と一人一人顔を合わせるためにも地図を作る事にした。
図書館をセンターに置いて、そこからちまちまと描いた。交流も兼ねたから三日程かかってしまった。
そして、今日は図書館に行こうと思う!
前から行きたかったが優先すべき事項が多過ぎてどうしても後回しになってしまっていたが、今日やっと行ける! 凄く嬉しいです。聞いたところ莫大な数の本を置いているらしい。楽しみだ。
おっと、ここで一つ訂正。図書館だと言ったが、これは少し違う。建物ではないのだ。このエルフの里はバカデカイ樹を中心に広がっている。すなわち、このバカデカイ樹が図書館なのだ。いや、図書樹と言った方が良いのか? でも言い難いし、語呂悪いからやっぱり図書館で。
さて、入りますか。
大樹の根本に付いているシンプルなドアを静かに開けた。久しぶりに嗅いだ懐かしい匂いが鼻腔を通り抜ける。
見渡す限りの本。壁は言うまでもなく本が置かれており、奥にも上にも本はある。
まず、入ってすぐ右にカウンターがあり、そこに立ってエプロンをつけているのはおそらく司書さんだ。そして、そのカウンターの向かい、通路を挟んで丸いテーブルが三つ程、椅子と共に置いてある。おそらく読書スペースだろう。
そして、本棚は入り口からのびる通路を挟んだ両隣に置いてあり、それが奥まで続いている。読書スペースから上は吹き抜けになっていて、本棚から上は二階、三階、四階……と続いている。おそらくこの一階の本棚の奥に階段でもあるのだろう。
ざっとこんな感じだ。それにしても広い。外から見た感じではこんなに広いとは想像していなかった。魔法で拡張しているのだろうか。
司書さんは私には目もくれず、何やら書いている。出入りは自由みたいだ。どこの棚になんの本があるのか分からないから、とりあえず一番手前の棚にある本を適当に手に取った。まだ新しい本だ。
「やっぱりか……」
パラパラとめくったが、一つも読めない。書かれているのはおそらくこの世界の字だが、記号にしか見えない。
これは困ったぞ。死活問題とはならないが、字が読めないのはそこそこの大問題だ。死ぬまでここから出ないとは言ったが、何があるのか分からない。もしかしたらこの里を出る事になるという事態が生じるかもしれない。そんな時に字が読めないとなると悪徳業者のいいカモだ。騙されて最悪奴隷なんてパターンもありうる。この世界に奴隷制度があればの話だが、無くてもそれに近い扱いを受けるかもしれない。
さて、どうしたものか。あれこれ考えながら階段をのぼった。それにしてもここは何階まであるのだ? 延々と続く気がする。少し息が上がった階でのぼるのをやめた。
「古いな」
この階の本は本当に古い。そして、この階は少し埃っぽい気もする。下の階の本も古かったが、ここはそれよりも更に古い感じがする。上に行けば行くほど古くなるのだろうか。
全体的に分厚いのが多く、一冊手に取った物は革が擦り切れていた。四隅もぼろぼろだ。開いてみたが、やはり読めない。さっきのと同じ様な字がびっしり。挿絵はない。そして、これはおそらく手書きの本だ。さっき見た本の字は規則正しく同じ字体、大きさ、行間で並んでいるのに対し、こっちは丁寧ではあるがところどころ殴り書きみたいなのが見受けられる。この世界にも活版印刷くらいはあるのだろう。
それに厚さ四、五センチ程もある本だ。所々の殴り書きは大方嫌気でもさしたのだろう。それでも書ききっているのだ。本当に凄い。その根性と情熱に脱帽だ。
「あら、あなたこの世界の人じゃないわね」
鈴の鳴る様な可愛らしい声がした。
本棚ひょっこり顔を出して通路を見渡したが、人はいないし、気配もない。
「お馬鹿さんね。ここよ。ここ。あなたから見て左側の壁の方よ」
そう言われて、壁側に近付く。丸椅子が置かれていた。その丸椅子に手のひら大の可憐な女の子が体育座りをしていた。背中からは飴細工の様な羽が生えている。壁側は若干暗いが、彼女の周りはほのかに明るかった。発光しているのだ。
「わお……本当にわお」
妖精だ。エルフがいるからそりゃ妖精もいるか。
お人形さんみたいだ。小さい頃よく遊んでたな。髪の毛は生えてくると思って切ってたっけな……坊主となった彼女らは引っ越しを機に無くしてしまったが、おそらくお母さんが捨ててしまったのだろう。
「はあい、人間さん。あなたこの世界の人じゃないでしょ?」
さっき聞こえたのと同じ事を聞かれた。
「えっと、分かるんですか? 私がこの世界の人じゃないと」
「もちろんよ。私達は世界の理を知る者だから知らない事はないわ」
「世界の理を知る者……え? それじゃあ神は」
「神はそれを司る者よ」
なるほどね。それなら納得だ……納得?
世界の理を知る者。知らない事はない。彼女にこの世界と私の身に起こった事を聞けば何か解決するかもしれない。
「自分の身に起こった事を知りたいでしょ?」
「は、はい」
何故分かったし……心が読めるのか?
「教えてあげてもいいわよ。ただし、タダでとは言わないわ」
うっ……ですよね。タダより高い物は無いし、何より情報は金なりってね。しかし、私はこの世界の通貨を持っていない。もしかして、内臓とか要求されたり……
そんな想像をして少し身震い。
「何を想像しているのか知らないけど、あれよ、あれ。あのナジュム坊を虜にしたあの甘い土。確かチョコレートとか言ったかしら。私もあれが食べたいわ」
そんな軽い要求で少しほっとしたが、それよりもナジュム坊……今度呼んでみようかな。
「でしたら今すぐ取ってきます」
待ってるわねーと言われてすぐに家まで戻りチョコを取ってきた。
「あら、随分と早いわね」
全力疾走だからね。そのおかげで今は息も絶え絶えだ。
彼女の小さな手ではチョコがとても大きく見えた。口周りをチョコ塗れにしながら彼女は喋った。
「まずは何から聞きたいのかしら」
「んーーまず私はどうしてここにいるのですか?」
この質問に彼女は少し考えた後、静かに語り出した。まるで語り部の様に……
「太古の昔、神は世界をいくつも創造したの。私達がいる世界。あなたが元いた世界……それはもうたくさん創ったわ。その世界を神々は行き来して遊んでいたの。そして、ある時、一人の神がこう思ったのよ。『異なる世界の生き物を出会わせたらどうなるのか。きっと面白いのだろう』とね。神は好奇心が強くてね。だけどね、神々は世界を自由に行き来出来るけど、その世界毎の住人はそうはいかなくてね。だから扉を創ったのよ。どの世界の住人にも神殿を造らせ、そして神々はそこに扉を創ったの。そして、その扉を通って世界と世界は結ばれたって訳よ。つまり、その扉をあなたは通って来たって事よ。確かこの里の南の方にアルクス族が聖域と呼ぶ場所にちょうど一個あったわね」
「ちょ、ちょっと待って。メモるから」
「あら、ご自由にどうぞ」
チョコを取りに行ったついでにノートと筆記用具も持ってきたが正解だった。
「続けるわね。だけどね、ある時、神々が持ち込んだ異世界人と現地人が戦争を始めちゃってね。これがまた凄い大戦になっちゃってね。神々も最初は楽しんでいたけど、巻き込まれた一柱の神がね、死んじゃったのよ。死なない神が死んだ。これは由々しき事態って訳。自分達に危険が及ぶと分かったから世界各地の扉を破壊する事になったのよ。もちろんここも例に漏れずね。だけど、この扉は実体が無いから壊しようがなくてね。使われてるのも古代魔法の土台となる呪術でね。だから神々は発動条件を隠したの。そうするしか方法がなかったのよ。さあ、これで一安心って訳。じゃあ、何故あなたがここにいるのかって? そりゃあ、偶然発動条件が満たされて運悪くあなたが居合わせちゃったから。ただそれだけよ。この場合あなたの世界の言葉でなんて声を掛けるんだっけ? えっと……どんまい? かな」
「そんな……たまたまだなんて……そんな適当な」
選ばれた訳では無い。考えてみればそうか。私があの場にいた時周りには誰もいなかったしね。それでもこうして言われるとショックが隠せないし、なんだかこの世界から見放された感が半端ない。
「あら? 何落ち込んでるのよ。まだ続きがあってね。この扉を通った異世界人には特別な力が備わるのよね。凄く力が強くなるとか、魔法に長けるとか、予知眼やら、なにやらね。だからあなたにも何かしら備わっている訳。これをあなたの世界でなんて言ったっけ? えっと……チートスキル? かな」
「うっそ、まじですか!?」
これは驚いた。見放されたとか言ったけど、あれは撤回な。
「それが何かって教えて貰えたりって……」
「何かは知ってるけど教えなーい。自分で見つけてね! これはチョコをいくら貢ごうたって教えないから」
悪戯に笑う妖精の姿に、本当に教える気が無いみたいだ。仕方がない。自力で見つけよう!
「あとは何か質問ある?」
「この世界は私が元いた世界とどれ程違ってきますか? 太陽の昇る方角とか、一日は何時間とか」
「そこら辺はほとんど変わらないわ。この世界もあなたが元いた世界も大した違いは無いけど、強いて言うなら、この世界はあなたが元いた世界よりも魔力が多く充満しているわ」
ほへー。そんな気はしてた。
「だからあなたも魔法を使える様になるわよ」
「そうなんですか!?」
「そうよ。生きとし生けるもの全てに魔力を蓄える器と魔力を使う力があるの。だけど、それは置かれた魔力の環境に左右されちゃうの。魔力が多い環境ではすんなり魔法が使えるけど、逆は厳しいね。もちろん、魔力の少ない環境でも使える様に訓練すればなんとかなるけど、難しいわ。それでね、この世界は魔力が豊富だけど、あなたが元いた世界は悲しい程無いのよ。だから、次第に魔法が現実的じゃなくなって他の分野が発展していった訳。分かったかしら」
「でもどうやって私も使える様になるのですか?」
「どうって、そりゃあ、鍛練あるのみよ。あなたの内にある魔力貯蔵庫がそこそこ満たされたらもう魔法が使えるわよ」
なるほどね。とはならない。そんなファンタジーな話……ここはファンタジーな世界だけど。
「その溜まったのってどうやって分かるんですか?」
「んーー感覚かな? 体のどこかしらに変化が現れるからすぐに分かるはずよ。今までにない感覚だからね。あとはー?」
感覚か……それが一番難しい。これが魔力とのファーストコンタクトだからその感覚を掴めったってな……どうすりゃいいんだよ。ナジュムさんにでも聞いてみるか。
「字の読み方を教えて貰えませんか」
「えーー面倒くさーい」
「そこをなんとかお願いしますよ!」
「そうねぇ……丁度最近退屈してたからいいわ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
良かった。えーーと言われた時点で断られるかと思った。これであとは私が一生懸命勉強するだけだ。話せるから字の習得も早いだろう。
「じゃあ、私は疲れたからまた今度ね」
「えっと、今度っていつ頃でしょうか」
「んーー明日?」
「分かりました! よろしくお願いします」
「はいはーーい」
彼女はその透明な羽を小さく羽ばたかせながら、ふらふらとどこかへと消えていった。彼女が通った道には微かな光が残っていた。
そういえば、今日は図書館に籠るからと昼食を断ったが、メリスさんからお弁当にと小さな木籠を持たされていた。それを持って一旦図書館の外に出た。木陰を探そうかと思ったが、図書館自体が樹だ。周りがもう木陰だ。
適当な場所を見繕って座り、メリスさんお手製お弁当を食べる。
サンドイッチである。野菜と卵を挟んだサンドイッチだ。
「いただきます」
噛む度に心地良い音が耳に入る。パンは硬めだが、旨味が半端ない。
ぺろりと平らげてしまった。
さて、午後も引き続き籠もりますか。これだけ本があるのだ。もしかしたら読めるのが一冊か二冊は出てくるのかもしれない。それにこの世界だって座学はあるはずだ。幼い子供に字を教えるのに使う本とかあるかもしれないしね。まあ、あればだがね。
腹が満たされて少し眠たい目を擦り、籠を手にまた樹の中へと吸い込まれていった。