人間、正直であれ。
ここで大人しく待てと言われてからかなりの時間が経った気がする。
機能しない時計では時間は計れない。おまけに閉め切った屋内では太陽も見えない。閉め切った窓の隙間から差し込む光が来た当初よりも随分と弱々しくなっているのを見るともう夕方みたいだ。
食べ物に困っていると言ったから水と果物が数種類テーブルに置かれている。ここのエルフは優しいな。おかげで、喉の渇きにも空腹にも困らない。
しかし、長い。
滅多に人間を受け入れないエルフの里に突如人間がやって来たらそりゃ困るわな。おまけに怪しい名前に謎の出身地。更に聖域に土足で踏む込んだとなれば、そりゃ処遇に困るな。
私はここで時間を潰しながら良い結果が来る事を願うしかない。しかし、ここに入る前に持ち物で危険物があるといけないからと言って全部持っていかれたんだよね……
仕方なしに素数を数えながら待つ。
「…………………491………えっと次は…」
そこまで数えて、ドアをノックする音がした。
「は、はい!」
どうやら話し合いは終わったみたいだ。鬼が出るか蛇が出るか。
「お前を族長に会わせる」
どうやら良い方に転がったっぽいな。
「ありがとうございます!」
外はやはり夕方になっていた。濃いオレンジ色の空がとても綺麗だ。
ナジュムについて行き、この里で一番豪華な家へと着いた。
「入れ」
言われるがままにした。人間素直が一番。
「失礼します」
中ではナジュムと良く似た精悍な顔立ちのエルフと優しげなエルフが二人いた。
「そなたがカゲヤマリンさんか。私はこのアルクス族を取りまとめる長のルイだ。こちらは妻のメリスだ」
メリスさんは少し微笑みながらぺこりと会釈した。
「影山凛です。お世話になっております」
「うむ。ああ、どうぞ掛けてください」
勧められて素直に座る。
これで彼らと面と向かって話す事となった。後ろにはナジュムが控えている。おそらく私が変な気を起こさないように見張っているのだろう。
「ナジュムから聞いた話はにわかに信じ難い。まず、ニホンなどという国はこの数百年では存在していない。そなたの話は真なのか?」
そりゃそうだろうな。なんせここは異世界だからな。日本なんて国あるわけが無い。
ここは隠していても私に利益は無い。正直に全て話すのが得策だろう。
「実はですね…………」
———
「うむ。そうは言ってもやはり信じ難い話ですな。ここ数百年は彼の神殿からこのような事態が起こった事は無いもので……おそらく太古の昔に刻まれた魔法陣が何かの弾みで発動してしまったのであろう」
二人とも悩ましげな顔だ。無理もないな。
私が元いた世界に戻るのはルイさんの話から推測するに無理みたいだ。そんな大昔の魔法陣なんてどうせ今では失われし魔法とかだろう。たとえ古代魔法を扱える人がいたとしても異世界への転移魔法なんて上級すぎて厳しいだろうな。
「もし本当に古代魔法による転移でしたら、本当に申し訳ない。なんとお詫びすれば良いのか」
「いえ、そんなもう来ちゃったものは仕方がないので、受け入れます。もう家族に会えないのは辛いですが、どうしようもないので」
自分でも驚く程乾いた笑いが出た。
頭を下げるルイさん自身に責任は無いが、長として一族の不始末に責任を感じているのだろう。
「リンさんは強いですな。その寛大な心に一族を代表して礼を言う」
族長に頭下げられるとか変にそわそわする。
「そんな、大丈夫です」
「そうか……ところで、リンさんにいくつか尋ねたい事があるが良いか?」
「はい。なんなりと」
「リンさんの荷物を確認させて貰ったが見たこともないような物ばかりで……まずこれはなんなのだ?」
そう言って取り出してたのは傘だ。
そういえば、今日雨が降るとかで自転車にくくり付けてたな。一緒に転移したのか。
「それは傘です」
「ほう。カサか……して、これはどうやって使うのだ? 先が尖っているのを見るに突き刺す武器なのか?」
おいおい。物騒だな。
「いいえ。これは雨が降った時に使います。宜しければ実際に目の前で使って見せましょうか」
「雨か……うむ。頼もう」
ルイさんは後ろにちらと目配せをした。それを見届けてから私は動く。
辺りに少し緊張が走る。まだ私に対して警戒しているのだろう。
そんな中ルイさんから傘を受け取り、慣れた手つきで広げた。
「こうやって使って雨を凌ぎます。これなら雨の中でも濡れずに動けます」
メリスさんが目を輝かせている。初めて見るのだろう。
「ほう。どういう仕組みなのだ?」
「私はこれを作るのに携わっていないので分からないですね。なにせ大量生産品なので殆どが機械が作ります。手作りのもありますが、かなりの時間と労力を要する上、大変難しいです」
「キカイ……そなたの国は聞き慣れない言葉が多いな。次はこれだが、聞くにこれに乗って現れたらしいとか」
「それは自転車です。私がいた世界では一般的な乗り物です。ああ、本来屋内に入れないので外に置いておいて大丈夫です」
「ジテンシャ!! 先程のカサに比べて随分と複雑な作りだ。これはどう使うのだ?」
「これは……屋内ではちょっと見せ辛いですね。外でも大丈夫ですか?」
「ううむ……よかろう。ナジュム」
「はい。父上……お前、こっちこい」
外に出ると辺りは随分と暗くなっていた。そして、家の前ではこの珍しい人間を一目見ようと、この里のエルフが大勢集まっていた。
うわあ……好奇の眼が痛い……
エルフ達が囲う広場にポツンと置かれた私の愛車。
「あの……皆さんもうちょっと離れて下さい。危ないので」
近すぎて漕げないって意味で言ったが、多分違う風に受け取られたな。私がこの自転車に乗って凄い魔法でも放つと思っているのだろうな。残念。違うんだよな。
恐怖と期待が混じった眼差しを一身に受けて、愛車に乗り、ペダルに足をかけた。こんなに注目される事なんて今まで無かったから少々、いや、大分恥ずかしい。
右足に力を入れて漕ぎ出す。順調だ。そのままみんなが見れるようにぐるっと一周した。
エルフ達の驚く声がちらほらと聞こえる。
「とまあ、こんな感じです」
「いやはや、凄い。走るよりもずっと速いな」
「ははは……森の中ではポンコツですけどね」
みんな自転車に興味津々だ。私が自転車から離れるとすぐに囲われた。もう相棒が見えないや……
その後もいろいろ私と一緒にやってきた不思議な品々について聞かれたが、全て正直にその用途を伝えた。
「この通り危険はないです。厚かましいのを承知で、どうか食べ物を恵んで頂けませんか。一晩越したらすぐにここを出て行きますので」
精一杯困った顔をする。実際困っているのだがな。
「そうは言ってもそなたをここから出すわけにはいかないのだ。我らの聖域にはかなり強い結界が張ってある。それを物ともせずに通り抜けられたそなたをこのまま人里に戻せばいずれ悪用されかねない」
なんだと!? ちょっと雲行きが怪しくなってきた。
「だが、そなたが死ぬまでこの里から出ないと言うのであれば、我が一族はそなたを受け入れよう。どうだね」
これは驚いた。殺されるよりもずっとましな提案だ。受け入れない選択はない。
「はい! 是非! ありがとうございます!! これからお世話になります!」
よし、これで餓死の心配は無くなった。死ぬまでここから出られないが無理に出ようとして死ぬほうが嫌だ。それにエルフとの生活も新鮮で面白そうだ。
「歓迎しよう。リンさん」
これからの生活への期待を胸にルイさんから差し出された左手を力一杯握り返した。