12話 最後のおはぎ
◇ ◇ ◇
その巨大な駅ビルで生きることができたのは、そこで働いていた二十歳そこそこの青年4人だけであった。
一つ目獣の襲撃時、彼らは職員着替え用の最上階6階にいたのが幸いし、いち早く防火扉を閉めて、獣の襲撃をいなすことができたのだ。
だが、その下5階までのフロアには獣が浸透し、完全に閉じ込められた状態になってしまった。
その突然のモンスターハザードに対し、沙田間市の地方自治体は行動を開始した。警察機動隊による一斉攻撃と消防隊による救助活動が行われたのだ。
だが三日間の攻防の末に機動隊らは敗退。街より撤退してしまった。
彼らは駅ビルの屋上でそれら一部始終を見て、そして絶望した。
そして寝起きしている更衣室に集まり、これからのことを話し合った。
「警察、負けちまったな。やっぱバケモンだよ。不死身だってネットにあったし」
「『遅刻が逆にラッキー』って思ったんだがな。このまま飢え死にするんなら、あの時モンスターに喰われていた方が良かったかもな」
現在、彼らは目まいがするほど空腹だ。この従業員フロアには食べ物はほとんどなかったのだ。
従業員用の食堂は下の階にあるし、あとはおやつに持ち込んだおはぎと給湯室のコーヒー、お茶程度。当然それらはすでに食べ尽くしてしまった。
「政府とかが、あのバケモノをどうやって何とかするのかは分からねぇがよ。ただ俺達が助からないことだけは、はっきりしたな。どんな対策をしようとも、俺達が飢え死にする前に何とかできるとは思えねぇ」
「せめて下の5階まで間に合っていれば、まだ希望はあったんですがねぇ。そこのレストランの食材とかがあれば、だいぶ楽でした」
「客のいた所は無理ってもんだろ。下に逃げようとすんのと、上に逃げようとすんのがぶつかって、とんでもないことになっていたじゃん。俺らがここに留まったのも、パニックがあまりに酷ぇからじゃねぇか」
「…………だな。それに『どうすりゃ良かった』なんてのは所詮は過去。今さら答えが見つかったって、どうしようもねぇよ。それより、これからどうするか、だな」
「ははっ、この下に落ちりゃ楽になれるぜ。屋上行くか?」
最後のジョークに皆黙り込んだ。
結局、決めるのは自決するか飢え死にするか、なのだ。
その中で特にひどくバテているリュージという男が、トランプを手に沈黙を破った。
「なぁ。最後のまともな食事で、おはぎ配られていたろ? じつは俺、あれ食ってないんだ。それを賭けて最後のゲームといかないか?」
「ええ!? 正気かよ! 今まであれ食わなかったのか!?」
「なんとなく、こうなる気はしていたんでな。あれで最後にみんなで楽しもうと思って、とっておいたんだ」
「勝って、食って…………それでどうなるってんだ?」
「最後にまともな食事ができる。角砂糖とお茶っ葉とコーヒー豆食い尽くした後は、水しか口に入れてないんだ。さぞかし美味いだろうよ」
なるほど。全滅の運命は変わらなくても、最後の晩餐ができるのは、それだけで特権かもしれない。
「いいな。で、何で勝負だ?」
「もうみんな長時間勝負やれる気力も体力もないだろ? 俺も限界だしな。ブラックジャック一回勝負といこう」
「よし、やろう!」「絶対勝つぞ!」「最後のおはぎは俺のものだ!」
勝負の決着がついた後、みんなでおはぎの隠してある給湯室へ向かった。
「結局、リュージの勝ちか。無欲の勝利ってやつかね?」
勝負はリュージ以外の全員がバーストしてしまい、たった4で勝負をしたリュ-ジが、まさかの勝者となった。
「勝つ気なんてまるでなかったのにな。自分の勝負運に驚いているよ。それじゃ最後の晩餐を美味しくいただくよ」
「あんこ一粒でもお願い! あんこの味をぉぉぉ!」
「俺も一粒くれ! 『甘い』って何なのかを教えてくれぇ!」
「ははっ。わかったよ。みんな一口ずつやるよ。最後の晩餐はみんなで楽しまなきゃな」
従業員達はおはぎの隠してある給湯室へと入った。
だが、そこには…………
「え? 人? ここって人がいたんですか?」
なぜかそこには奇妙な恰好をした、見知らぬ女の子がいた。
髪は金髪ポニーテールの北欧系外国人少女。
全身派手なフリルのついたブラウスに大きなフレアスカート。
胸元にはやたら大きくて光るペンダント。
まるで女の子アニメの魔法少女のような恰好だ。
だが何より彼らの目を引いたのは、手に持っているブツだった。
それはおはぎのカケラ! そして口には何か入れている!
まさかそれは………ッ!
「すみません、人がいるとは思わなくて。あ、ここにあった、おはぎ食べちゃいました。それもどうもすみま…………」
「あーーー!!!!ああああーーーー!!! おはぎが!最後の晩餐がぁぁぁぁぁ!!!」
「食うな! それをよこせぇぇぇ!!!」
彼らは一斉に彼女へ飛びかかり、そのおはぎのカケラを奪いとった。
誰がそれを食べたかは分からない。
だが、それがなくなると、みな一斉に少女に剣呑な目を向けた。
「………お嬢ちゃん。食い物の恨みは恐ろしいって知っているか?」
「君の罪は万死に値するッ! ジワジワ苦しめて殺してやろう!」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ。どうしてくれよう? 猫を殺すサイコ野郎の気持ちが分かった気がするぜぇ!」
「え? え? 頃す? 嘘でしょ? みなさん、そんなにおはぎが好物だったの? でもだからって殺すなんて…………」
「甘いな。貴様の奪った、おはぎのように甘くて美味い! 俺達はおはぎのため人倫も常識も捨て去った地獄の、おはぎマニア! 貴様が奪ったモノのその意味! とくと教えてくれよう!」
「ヒィィィッ! 許してぇぇぇ!」
正気を失った彼らの手が金髪少女にのびようとした、その時だ。
「よせ、みんな!」
突然にそれを止める声が響き渡った。
それはリュージ。おはぎの元々の所有者だ。
彼は力なくへたりこみながらも、声だけはしっかりと宣言した。
「あのおはぎは、元々俺が勝ち取ったものだ。だから、それは彼女にあげたことにする」
「り、リュージ。でもよ…………」
「いいのかよ? あれをこんなふうに奪われて!」
「最後の一個だぞ! 納得できるのかよ!」
「いいんだ。勝利の味を逃したのは痛いが、こういう結末もアリだろう。その子を許してやってくれ」
リュージの言葉で、その場を覆っていた狂気は霧散した。
あとには、みんな空腹で力なくその場にへたり込むだけだった。
その中でただ一人元気な金髪少女は、倒れているリュージのもとに礼儀正しく座り、お礼を言った。
「あの、あなたに助けられたみたいですね。どうもありがとうございます。まさか、あれがそんなに大事なお菓子だなんて」
「ははっ。たしかにあれは大事だね。で、君は誰……」
「お詫びをさせてください! かわりのお菓子を持ってきますから!」
少女はリュージの質問を聞くことなく、疾風のように給湯室を飛び出して行ってしまった。
あとには不可解な謎だけが残った。
「………なぁ。あの子、初めて見るよな? どこにいたんだ? このフロアは隅々まで確認済みだってのに」
「そういや、そうだな。いきなり現れて、おはぎ盗んでったな」
「もしかして、どっかに抜けられる道でもあるんじゃないか? もう一度探索とかしてみるか?」
従業員たちはしばらく謎の少女について話し合った。
だが当然答えなど出るはずもなく、探しに行く気力も体力もない。
話す気力もなくなり、しばらくした後のことだ。
いきなり「バン!」と給湯室の戸が勢いよく開けられた。
そして戸口から元気な女の子の声が響いた。
「おはぎマニアのみなさん、先ほどは申し訳ありませんでした! お詫びに、代わりのおはぎを下からいっぱい持ってまいりました!」
そう言って金髪少女は、土産用に梱包されたおはぎの箱8個を「ドン!」と机に置いた。
「「「「おおぉーーーーー!!!!」」」」
その瞬間、従業員一同は彼女が誰かという疑問も吹き飛び、そのおはぎの土産箱に完全に心を奪われた。
彼らは一斉に箱に飛びつき、包装を荒々しく破ってその中身のおはぎにむしゃぶりつく。
「う、美味ぇーーー!!! こんな美味いモン食ったのは初めてだ!」
「前にも食ったことあるだろ! いやでも、それでも美味い! 食べるのが止まらない!」
「良い子だ! こんなに礼儀正しい子はどこにもいないぞ!」
そんな絶賛の言葉に、金髪少女は苦笑いをした。
「あははっ。手の平クルーリがすごいですね。本当にみなさん、おはぎが大好きなんですね。それじゃ私はもう行きますね」
金髪少女は可愛く「バイバイ」と挨拶して戸口に向かった。
「ああ! 本当にありがとう! 元気でな!」
「君は天使だ! もう一生忘れない!」
『彼女が誰か』というさっきまでの疑問も、彼らの頭からはすっかり吹き飛んでしまった。
彼女が出て行くことに誰も気にもとめず、ひたすらおはぎを貪り続けたのであった――――
――――彼らが幸福な食事を終えた後。
「なぁ! お前らそろって、あの子がどうやっておはぎを取りに行ったのか聞いた奴は一人もいないのかよ! このボンクラが!」
満腹のひとときの幸福感を得たあとは、疑問の嵐だった。
――――曰く、どうやって彼女は閉ざされたこの場所に入って来たのか?
――――曰く、彼女はどこに消えたのか?
――――曰く、モンスターがあふれる下の和菓子店から、どうやってこのおはぎを持ってきたのか?
「知らん! お前こそ食い意地全開で食いまくっていたろう。『元気でな!』とか言い腐ったのはお前じゃないのか?」
みんなが探索をあきらめても、まだ続けて探していたリュージが帰ってきた。
「おおい! 隅々まで探したが、やっぱりどこにもあの子はいないぞ! 外は相変わらず一つ目モンスターの群れだ。とても出られやしない!」
「糞っ! 脱出のチャンスだったのにぃ! おはぎに目がくらんでふいにしたぁぁぁ!」
「ああああーーーー!!! 千載一遇のチャンスを、食い意地はったバカどものためにィ!」
「それはお前もだろう! 鏡であんこだらけの顔を見てみろ!」
彼らの嘆きは、閉ざされた空間にいつまでも響き渡ったのであった。




