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月が綺麗と、影は呟いた  作者: 漆木 歩
1章:影と魔法使い
3/3

得たものの重さ


『さようなら。クロエ』


 ティナが背を向けて去っていく。

 その後姿が夢の残像であることを、クロエは理解していた。

 影は闇であり、闇は影である。そして闇は心の不安や恐怖までも引き立てる。その本質は、影であるクロエ自身が一番理解していた。

 だからこそ、これが夢なのだと断言できる。ティナに別れを告げられる恐怖を、いつか必要とされなくなる不安を、闇が駆り立てる。

 心の奥底を見透かされるのは性に合わない。だからこそこの夢は不愉快だった。

 ティナの魔力と自身の力をかけ合わせて得た肉体は時に便利で、時に不便だ。特にこうして人として夢を見る時が落ち着かないし、気に食わない。


(……夢は、嫌いだ)


 見たくないものには蓋をする。昔から人間の行動はよく出来ている。なんてことを思いながらクロエは目を覚まし、夢に背を向けた……。



 いつの間に眠ってしまったのか。そんなことは分からない。

 ティナをベッドに横たえた記憶はあるが、それ以降の記憶はあやふやだ。気が付けば天窓に幕のように忍ばせた自身の影は物陰に身を潜め、開放的になった天窓からは朝日が差し込む。星の小瓶は効果をなくし、部屋にはなにもなくなっていた。あるのは空となった半透明の黄色い小瓶だけだった。


「……ティナ?」


 クロエはふと気が付く。ティナがいない事実に。

 ベッドにはシーツの波が打たれているものの、そこに人の姿はなく、彼女の体に巻かれていた毛布も綺麗にたたまれ、ベッドの隅に丁寧に置かれていた。


「ティナ……?」


 もう一度名前を呼ぶも、返事はない。

 頭では分かっている。彼女は居住としているこの古びた小屋の中にいることを。目覚めて下の階に降りてしまっただけなのだと。

 そう、頭では分かっていた。


『さようなら。クロエ』


 しかし、クロエの脳裏を過ぎるのはあの言葉。夢の中の言葉で、それはただの不安の表れだという事は確かに理解している。ティナが離れるはずはない。それは何度も彼女に確かめたのだから、間違いない。

しかし……。


(……だから人の体は、苦手なんだ)


 ティナに会いたい。

 その思いが自身を突き動かした時、クロエは自分の影に身を潜ませ、暗闇の底に飛び込んだ。

 影の精としての姿で暗闇の中を彷徨い、必死に会いたい彼女を探す。影の中では闇が蠢き、呻き声を漏らしているも、そんなものに気を止めている時間はない。

 自身が切迫しているのは分かっている。何を焦るのかと嘲笑う自分も確かに存在する。

 それでも早く会いたかった。影の闇を漂い、微かに見える光を頼りに、ティナの影を探す。そこに彼女がいると信じて。

 そして、


「――ティナ!」


 光の先――ティナの影から姿を浮かび上がらせたクロエは、ようやく会えた少女の体を抱きしめた。

 たった数秒のことだったかもしれない。それでも、彼にとってはとても長い時間のように感じた。クロエはようやく触れることの出来たティナの肉体の温もりを確かめ、噛みしめようとした。……が。


「……ん? 冷たい?」


 抱きしめたティナの体は冷たい――というよりは湿っていた。

 影から受肉した人の体に戻ったクロエの衣服は濡れ、触れるティナの肉体もどこか肌触りがよい。障害のない、滑らかさがある。


「……クロエ……?」


 ティナが名前を呼ぶ。

 しかしその声にはどこか怒気が含まれており、身体もわなわなと震えている。しかし原因が分からない。

 クロエはもう一度ティナを強く抱きしめ、その肌に触れながら姿を見下ろした。

 濡れた赤毛に、手触りの良い柔肌は手に吸い付くように馴染む。滑りを良くしているのは、湿り気の原因でもある水のせいだろうか。クロエは状況がいまいち掴めず右手でティナの赤毛を撫で、左手で腰のラインをなぞり上げ……、


「クロエッ!!」

「――いって?!」


 ティナに容赦なく頬を叩かれた。


「ってぇ……。ティナ、どうして――」

「どうしてはこっちの台詞!! なんでお風呂場にクロエが来るの!?」

「……風呂場?」


 と、そこでクロエはようやく辺りを見渡し、自分とティナが風呂場にいることを理解した。場所は湯船の中ではなく、シャワーの真下。どうやらお湯を浴びた後、身体を拭こうとしたところに自分が影から飛び出したようだ。見ればティナの手には乾いたタオルが握られており、朝の湯あみの最中だったとクロエはようやく状況を理解した。


「あ、なるほど」

「なるほど、じゃない! こういう時は!?」

「……ごめんなさい……」

「うん。よろしい」


 謝罪の言葉を述べ終えると、クロエはティナの体を開放し、その隙にティナは素早くタオルを自身の体に巻いた。

 羞恥心の表れだろうか。ティナの頬は真っ赤に染まり、触れれば熱を持っていた。ティナはすぐに頬をそむけた為熱はすぐに離れたが、耳まで真っ赤な姿を見る限り、申し訳ないことをしたとクロエは心の内で再度謝罪した。


「……何か、あったの?」

「え?」


 ふいにかけられた言葉に、クロエは一瞬言葉を詰まらせる。

 何かあったか。そう聞かれれば特に何もないが、何か思うことはあったのか、そう問い方を変えれば何かあったと答えてしまう。今の彼の心境は、そんな状態だった。

 そんなクロエの沈黙をティナは肯定と捉えたのだろうか。彼女は詰められた互いの距離を一層詰め、クロエの体を今度は彼女から抱きしめた。

 頭身が違うため、クロエのように頭からすっぽりと収めることは出来ないが、彼の胸板に頬を寄せることは出来る。ティナは互いの力で生まれたクロエの鼓動に耳を傾け、深く息を吐いた。


「クロエ」

「……なんだ?」


 胸板に頬を寄せていたティナが、顔を上げる。


「私は、クロエの側にいるよ。クロエが離れない限り、ここが私の居場所だから。だから、心配そうな顔しないで」


 そう告げると彼女はクロエの頬に手を添え、笑ってみせた。いつもクロエを安心させるその温かな笑みで、ティナは笑う。


(……分かっては、いるんだ)


 ティナの言葉を、頭では理解している。だが、心が受け入れても、受け入れても、何かが追い付いてはくれない。常に不安に掻き立てられ、何度も彼女の言葉を聞いて安心感を得たくなる。

 それは、自分が闇を引き寄せる存在だからなのだろうか。不安と恐怖が常に付きまとい、逃げられない運命だからなのだろうか。

 ――いや、違う。

 影の精として身を潜めて存在していたころは、そんなことは思わなかった。何も感じない。全てが無に思えた。

 しかしこうして人としての肉体を得た時、全てが変わってしまった。与えられる喜び。必要とされる嬉しさ。感じられる温もり。失いたくない存在。それらがまるで、良くも悪くも背負うべきものとなり、手放せなくなってしまっている。

 ――全ては、人としての心を得てしまったが故に。


(……だから人の体は、苦手なんだ)


 受肉し、生きてきてから何度も思う。人の体は苦手だと。影になりたいと思う時もある。

 しかし、肉体を得たからこそ、ティナに触れられる。同じように、物事を見て、考えることが出来る。こうして同じ存在のように振る舞える。

 クロエはその事実を複雑に思いながらも、触れ合っている温もりの温度に押し負け、肉体を得た喜びに身を任せることにした。

 ……見たくないものに、蓋をして。


「……湯冷めしたかもな。温かい飲み物でも用意してるから、ゆっくりあがってこい」

「うん。ありがとう、クロエ」


 離れていく身体。離れていく温もり。それを悲しいと感じるのは、肉体を得たからだろうか。


(本当に難しいな。……人の心は)


 そんなことを思いながら、クロエは再び影に身を沈ませ、その場を後にした。

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