エピローグ
光だ。
300年の昔古代遺跡から発掘された極東の至宝と歌われるその石像は、素材も製法も今の科学をもってして解明できない。大理石のようでいて一片の欠けない強度は研究者のメスをも受け付けず完璧な姿を保っており、発見当時の書記がなければ300年を経た物ということすら認められなかっただろう。
只はっきりとしているのはその像の指すもの。
古代の大戦を導いた英雄、クゥプラウス。魔物が蔓延り龍が支配した古代、天候と精霊を操り人間の世界を築いた神世の人物。
「綺麗」
小さな呟きに隣を見れば、末の妹のリースが溢れそうな瞳で石像を見つめている。
「リースは初めてだったね」
その頭をそっと撫でれば、紫の双眼が此方を捉える。
「ルスラン兄様、王都の神殿クゥプラウス様はお髭があるのに、この方はないわ?」
「そうだね、クゥプラウス様の若い頃なんじゃないかな?」
「神様なのにお年を召しますの?」
「う〜ん、どうだろう」
ふうん、とまた小さく呟き、リースの視線は像へと戻る。釣られてルスランも視線を戻す。
身に付けているのは甲冑。左手に精霊を宿す聖杯、右手に剣を掲げ、魔龍ゴルリスとの戦いに挑む神話で語られる有名な場面だ。身の丈1.7メートルと像にしてはとても小さかったため、威厳を求める王都の神殿としては極東から莫大な人件費と移送費をかけてまで運ぶより、神殿建設の際に新たに注文することを選んだとも言われている。そこを計れば目の前の女神とも見紛う美貌の若き英雄よりも、豊かな髭を蓄え筋骨隆々とした像が完成したのも頷ける。
しかしルスランは王都の栄誉を象徴するような荘厳な巨像よりも、目の前の神秘的な像にこそ心を奪われる。
天窓の日差しを受けて輝く、まるで今にも動き出しそうな精緻な像。滑らかで優美な肢体、虚空の龍を睨む眼差しは力強く、時折僅かに瞬く。
「は?」
「どうしたのルスラン兄様」
•••今あの像、瞬きをしなかったか?
一回りも離れた小さな妹にそんな巫山戯たことをことは言える筈はなく、只々像の瞳を見つめる。勿論動く筈もない。
「疲れてるのかな、リース、もういいかい?」
心配そうに見つめる瞳に微笑み、その手をとる。幼い頃から幾度も訪れた神殿の柔らかい光は前線から戻ったばかりの自分には優し過ぎたようだ。
「うん•••またクゥプラウス様へ会いに来てもいい?」
「勿論」
リースの買い物に少し付き合ってやったら帰り掛けに土産を買って今夜は家で家族とゆっくりと過ごそう。
「ふふ、みんなルスラン兄様のお帰りを待っているわ」
無事の帰りを感謝するため、騎士は帰郷したらまず神殿へ足を向ける。ルスランも例に漏れず、お守りに連れられ街まで出迎えに来たリースを除いては家族と会うの久方ぶりだ。
「魔物も少し落ち着いたし、この冬はゆっくりと過ごせそうだ」
「本当?!嬉しい!」
しかし、領地に戻ったルスランを待っていたのは休息ではなく半狂乱の父親と神官、駆け回る衛兵だった。
「まだ知らせはないのか」
「一体どうして」
「何て罰当たりな•••!」
尋常ならざる様子に幼い妹を胸に抱き門扉から声を上げる。
「ポゥルス家が次男ルスランが帰りました!この騒ぎは何事ですか!」
「ルスラン!!!!」
穏やかな父親がかつて聞いたことのない大きな声で応うが、続いたのは息子の安否を喜ぶ言葉ではなかった。
「神像が消えた!!!」
穏やかな極東の地に冬より早く訪れたのは、この300年かつてない大事であった。