前へ目次 次へ 9/21 9:悲しみと私 悲しみが私だけのものだったなら あの駅前も 陸橋も 朝暾(ちょうとん)でさえも 悲しみだと呼べるのでしょう けれども老若男女 幼い子どもでさえも 悲しみを知っているから 現に言葉として存在している時点で 悲しみは初めから私の言葉ではなかった 皆んな 違った痛みを抱え 皆んな 違った悩みに埋もれ それでもいっしょくたに 悲しみと呼べるのなら 必然的に 悲しいのは私一人ではなくて 必然的に 悩んでいるのは私一人ではなくて 悲しくない人なんて一人もいないから