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9:悲しみと私
悲しみが私だけのものだったなら
あの駅前も 陸橋も
朝暾でさえも
悲しみだと呼べるのでしょう
けれども老若男女
幼い子どもでさえも
悲しみを知っているから
現に言葉として存在している時点で
悲しみは初めから私の言葉ではなかった
皆んな 違った痛みを抱え
皆んな 違った悩みに埋もれ
それでもいっしょくたに
悲しみと呼べるのなら
必然的に
悲しいのは私一人ではなくて
必然的に
悩んでいるのは私一人ではなくて
悲しくない人なんて一人もいないから