081 ジジイは褐色
自宅の2階、俺の隣の空き部屋を、しばらくは父・誠が使うことになった。
「片付けておけって言っただろ。隅に積み上げただけじゃないか」
エアガンやサバゲの装備、弾けないギター、漫画雑誌やラノベが壁際に積み上げられている。
両親が結婚するまで、この部屋を使っていたのは父だった。
当時、俺の部屋を使っていたのは母である。
年季の入ったベッドの横に、俺は父の荷物を置いた。
埃を避けるためにつけていたベッドカバーを外しながら、親父は小言を続ける。
「お前のことだから、部屋の埃を多少取っていただけでも成長って言えるのかもな」
「どうせ、盆休みが終わったら、イギリスに帰るんだろ? 細かいことを言うなって」
母・澄子は、一階の祖母の部屋で、エルと3人で寝ることになった。
「なら俺も」と父は言ったが、母と祖母に追い出されている。
「澄子はエル君の心の中に何かを見たようだ。だが、俺には分からん。教えてもくれんだろう」
「母さんは、他人の心が読めるのか?」
「そんなわけないだろ。いや、まぁそう思えないこともない」
父は、ベッドに腰を下ろしている。
「澄子には、どんな壁も通じない。物理的な壁も、心の壁も、時空の壁だろうとな」
「え? もしかして、壁の向こうが見えるってこと?」
「ああ」
「ちょっ。それ、透視じゃん!」
「透視って、おい。壁、というか結界だな。隠そうとする意思を無効化する能力と言っていい。なんでもかんでも、透けて見えるわけじゃない」
隠そうとする意思?
生涼は、誰かの隠そうとする意思で亜空間に閉じ込められているのか?
『お前が、俺たちの存在を恥だと思ってるからじゃね』
あー、なるほど。
『そこ、認めないで欲しいんだけど!』
「若かった俺は、隣の部屋から、澄子にすべてを見られていたんだ。。。」
「え? ん? なっ?! なんだって!」
「もう、嫁にするしかない。そう思った」
母には隠し事は通じない。
やたらと察しの良い人だとは思っていたのだ。方向音痴のくせに。
だが、まさかそれほどとは。
「ま、まさか、港区に住んでた頃、俺の部屋も壁越しに見られていた?」
「ふふっ。理解のある母親だろ?」
父は、ニヤリと笑っている。
『「いーやー!!」』
生涼が、俺と同時に悲鳴をあげた。
「母さんの能力って、それだけなのか?」
俺は、新島で聞いた「巫女の里」の事件を思い出していた。
「翔一が、澄子の能力の大半を奪っている」
「え? どういうこと? それって?」
「天然能力者から力を奪うのが、あの人の任務だったらしい」
父は、無表情に語った。感情を隠すように。
「嘘だろ、そんなの。母さんは、それを知りながら爺ちゃんに付いて行ったのかよ」
「そうだ」
たとえ、津神翔一でも、母の前で隠し事などできないだろう。
「澄子が暮らしていた村の話は知っているのか?」
「『巫女の里』のことなら、少しだけ」
「そうか」
父は目を閉じる。
「澄子は、里の女が自分に毒を盛ったことも、最初から分かっていたんだそうだ」
一言発した後、俺の様子を伺う父。
話についてこれているかを確認しているようだった。
「里の呪縛から、人々を解放してあげたいと澄子は思っていた」
「それで、渡された毒入りの食事を」
「あぁ。そして、ジジイの任務を理解した上で、一緒に里を出た」
「爺ちゃんは、母さんにバレていることを知っていたのか?」
「それは、分からん」
再び、父は目を閉じていた。
「澄子が気づいていたかどうか、どっちでも良かったんだろう。罪滅ぼしのつもりで澄子を連れ出し、ついでに多くの里人を救った。だが、澄子たちが従わなかった場合、澄子の能力だけを奪って、里の危機を放置して去る。それくらいは、あのジジイなら、やっただろうな」
「そんな!」
「ジジイに能力を奪われた他の人を、俺は知っている」
父は俺を見ていた。
「明日、ある人に会う。お前も来るといい。冒険者ギルドの本性を、お前に教えてやる」
親父とこんなに話し込んだのは、いつ以来だっただろうか。記憶にない。
自室に戻ったのは、すでに深夜だった。
明かりを消し、布団をかぶる。寝付けるだろうか。
『涼くん、おそーい』
「うわっ!」
リオだった。和装の喪服姿で俺の腹の上に正座している。
「リオさん、黒のスケスケ和服なんて、どこで手に入れたんだよ?」
『ひ、み、つ』
「って、今夜は満月じゃないだろ?」
『あら、涼くんにサービスするために出て来たんじゃないのよ』
「え?」
『お父様に、ご挨拶をしなくちゃ!』
「だ、だ、だめだって! リオさんの挨拶ってどんなんだよ?」
『涼くん、お父様が少し苦手でしょ? 私が懐柔してあげるわ。うふふ』
「生涼、リオを止めろ! 絶対、母さんにバレる! 修羅場になるぞ!」
『無理』
荒縄で亀甲に縛られた生涼が、天井から吊り下げられていた。役立たずめ。
「リオさん、ダメなんだ。母さんには、俺と親父は隠し事が通用しない」
『あら、それじゃ、先にお母様にご挨拶が必要なの?』
「いやいや、そういうことでもなくて!」
ダメだ。リオに、通用する話じゃない気がする。
俺は、手を伸ばし、スマホを手繰り寄せた。
チャリーン!
『涼くん、課金しちゃったの? もー、仕方ないなぁ。お父様へのご挨拶は、明日にするかぁ』
「いやいや。ご挨拶は、もういいから」
『ダメよ! でも、課金されちゃったら仕方ないわ。で、今夜はどういうのがお好み?』
「もう、どノーマルな感じで。いや、ものすごくソフトにお願いします」
『オッケー! 喪服未亡人プレイね。全部、言わないで。ちゃんと分かってるから』
絶対に分かっていない。
リオは、俺に抱きつくように覆いかぶさる。
そして、浸透するように俺の身体の中に入ろうとしてきた。
俺は、急激に睡魔に襲われる。
「リオさん、オムツを履くから、ちょっと待って。お願い」
『もー、注文多くな〜い』
「いやいや、未亡人プレイは望んでないから。てか、今、睡魔が襲ってきたんだけど、そんなこと、リオさん出来たっけ?」
『うふふ。レベルアップしたのは、生涼だけじゃないのよ』
超絶に厄介なレベルアップである。
『ん? なんか言った?』
リオのおかげで眠れたが、別の意味でグッタリしてしまった。
朝からシャワーを浴びる。
風呂場を出ると、祖母の部屋にある縁側で、パグのケルが床を懸命に舐めていた。
犬を飼っている人は経験があるのではないだろうか。ケルも、時々、床や壁を舐めるのである。
「ケル、また床を舐めてるのか。そこ、美味しいの?」
ケルが舐めるのをやめて俺を見上げる。首をクイッと横にかしげて見せた。
「ケル、ゴハン!」
エルの呼ぶ声に反応するケル。尻尾を振りながら走り去って行った。
「犬よのぉ」
エルと祖母の手で、床は綺麗に掃除されている。
犬が舐めたからって、特に害はないだろう。
朝食中、俺は母の様子が気になって仕方なかった。
昨夜の未亡人プレイは、見られていたのだろうか。
いつもと変わらない母の様子に、密かに恐怖する。
「疲れてるでしょ。いっぱい食べなさい。ミルクも」
「は、はーい」
ちなみに、朝食のメニューは、母の作ったカニサンドイッチと牛乳だった。
父の道案内に従って、俺は軽自動車を停めた。
カニ臭い車を二人で降りる。
笹塚駅から、それほど離れていない場所。
玉川上水に蓋をして造られた緑道へと、父は進んでいく。
「この時間は、この辺りにいるはずなんだ」
緑道のベンチに父は腰を下ろした。
「まぁ、タバコでも吸えよ。ガキの頃から、吸ってただろ?」
そう言いながら、父は白いサマージャケットの胸ポケットからタバコを出した。
「あれ、親父ってタバコ吸うんだっけ?」
「知らなかっただろ。まぁ、時々な。花村さんに会う時は、酒とタバコは必需品なんだ」
言いながら、父は携帯灰皿に灰を落とした。
「なんか飲み物を買って来るよ。親父はお茶でいいだろ」
「バカめ、久しぶりに日本の缶コーヒーを飲ませろ。ほらよ」
父はジーパンのポケットから500円玉を出して、俺に渡そうとする。
「いいよ。自販機の金くらいある」
俺は、ベンチに手土産の入ったクーラーボックスを置く。
緑道を覆う桜の巨木、緑の葉が8月の日差しを遮っていた。少し暗く感じるほどに。
俺は、緑道と交わる道路へと折れ、自販機の前に立った。
「……だから、俺は言ってるんだ。バカどもめ。常識のない奴らばっかりだ。水素水ってなんだよ。説明してみろ。胃に入った水素が体内の酸素と結合して水になる? それじゃ、水素が燃えてるってことだろうが。体の中で水素が燃えたら、危ないだろ。体温程度の熱で、水素が燃えるわけないだろ。毎年、真夏になったら、空気中の水素が燃えてしまうじゃねーか。酸素欠乏起こすっての。あたり一面水浸しになるわい。水素CARとか、水素を燃やしてエネルギーを作ってるんだぞ。水素に火を点けたら、酸素と結合して水になる。その時に発生する熱エネルギーを使って、車を動かすんだ。お前らの体の中で、今日も水素水は燃えているのか? なんて熱い奴らだ。この真夏に、なんて奴らだ。とても、近づきたくない……」
自販機に小銭を入れようとした俺の横を、老人が独り言を大声で続けながら、通り過ぎる。
一瞬、目があうが、老人は気にした風もなかった。
日に焼けた禿げ上がった頭頂の横に白髪が張り付いている。背は低いが体格はかなり良い。
老人は、緑道へと入り、父の座る方向へと歩いて行った。
確かに暑い。8月の夏真っ盛りである。暑すぎて、蝉の鳴き声も、遠慮がちに聞こえるほどだ。
この状態で、体内で水素が燃えたら、しんどいな確かに。
時折、街で目にする「独り言ジジイ」。あの人らは、普段どんな生活をしているのだろうか。
よく考えると、まったく興味がなかった。近づきたくないのは、こっちの方である。
自販機には、流行を過ぎた水素水は無く。俺はスポーツドリンクのペットボトルを買う。
父には、ボトルタイプの缶コーヒーを一本買っておいた。
飲み物を持って、緑道の父の元に戻る。
父は立ち上げり、先ほどの独り言ジジイが代わりにベンチに座っていた。
「久しぶりにツラを出して、手土産もないのか、誠よ」
「そういうと思いましてね。これを用意してきました。酒の肴に」
「おおっ! なんだ、カニか?! でかいな。よくやった!」
「酒は? タバコは?」
「ありますよ。ほら」
どうやら、この「独り言ジジイ」が、父の会おうとしていた人物らしい。
親父、その手土産、あんたが嫌がってたバケガニなんだけど。大丈夫なの?
それにジジイ、水素水は胡散臭がってたくせに、そんなデカイカニのハサミは気にしないのかよ。




