036 隅田川
「そうか。ご苦労だったな」
地下鉄廃線のダンジョンでの出来事を報告した俺に、茶をすすめながら美杉がねぎらってくれた。
孔雀院の裏庭の一角、闘技場の地上部分には平屋のプレハブ小屋があった。その室内に俺と美杉は居る。
8畳ほどのプレハブには、事務用の机と、接客用のテーブルがある。エアコンが効き、炊事が可能な設備も備えられていた。
美杉は孔雀院の檀家代表の総代であり、寺の役員でもある。
家業を息子に引き継ぎ引退を決め込んだ美杉は、孔雀院で庭木の剪定、清掃や草引きをしていることが多い。
周囲からは「孔雀院の雑務を手弁当で手伝う熱心な檀家さん」と思われていた。
「今度、ギルドからの勧めで事務員を雇うことになってな。お前も知ってる人だ。楽しみにしているといい」
「アンヌさんっすか?」
「なんだ。知ってたのか?」
「いや、なんとなく」
アンヌさんの給料は孔雀院から出るのか? ギルドから出るのか?
「なんだ?」
「いえ、俺も就職したいなって」
「。。。」
美杉は、あからさまに目をそらして聞いていないフリをしていた。
『愛梨にチャットで、ずっと無職なの?って聞かれたの、気になるのか?』
愛梨、その後レス止まってるんだよねぇ。冒険者のことも説明できないしさ。困った。
『まぁ、冒険者やってるなんて言っても、遊んでると思われるだけだしなぁ』
そやねん。
「おお、そうそう。お前に渡したい物があるんだった」
と言って美杉が出して来た物は、手のひらに乗る小さな白い箱だった。
液晶画面がついているが、白黒で表示面積も小さい。
「これ? なんですか?」
「翔一さんが使ってたギルド端末だ」
「へぇぇ! 爺ちゃんの? すげぇ! これどうやって使うんですか?!」
「まず、公衆電話を使ってな。ピッポッパってな。決まった数字を押すんだ」
いまいちよくわからない。首をひねる俺に向かって美杉が言う。
「あれ? ポケベルって知らない?」
時刻が5時を過ぎると、美杉は焼酎を出して、1人で呑み始めた。
「お前も呑め」と勧められるが、軽自動車の運転があるので、俺は断る。
次回、場所を変えてみんなで呑みに行こうという話になった。
美杉は、翔一の孫である俺と話すのが楽しいらしい。祖父を中心に、たくさんのことを話してくれる。
見えていないが、生涼がそこらへんに居ることを美杉は気にしなかった。
「お前の分身だろ。ならそいつも翔一さんの孫だ。何を気にする必要がある」
美杉の言葉に、生涼は少し嬉しそうにしている。
「誠君は帰ってこないのか?」
「母さんと一緒に、8月に何日か帰るって言ってます。今年もお盆の法事を孔雀院さんに」
両親の話を少しだけした。
その後、地下鉄配線のダンジョンのことも教えてくれる。
ダンジョンの探索は、しばらくは引き続いて自衛隊が行うようだ。
早田たちは一旦撤収となり、別の特選群部隊が4層以下の探索を引き継いでいる。
ローション騒ぎが原因ではなく、元々そういう計画だったとのこと。
そして、一般冒険者の探索受付が始まろうとしていた。
足立区周辺を仕切るAランク冒険者の女傑・入麻が張り切っているらしい。
水があり、温泉もある。あの崖の下に降りた場所に、設備や宿泊施設の建築が始まっている。
『ダンジョン温泉宿「奈落」だっけ? 入麻が女将さんかぁ』
リオさんを仲居に雇いたいって言われて困ったよ。誰に何を聞いたんだか。
『地方温泉のエロいコンパニオンを雇う感覚じゃね』
お前、大人の遊び知らないんじゃなかったの?
「お前に教えた風俗店、あっただろ?」
酔いがまわったのか、美杉はだらしない笑顔で語る。
「あそこに、いい女がいたんだよ。辞めちまうなんて」
「へぇ」
「リオちゃんって言ってな」
「。。。」
「俺、月一回は会いに行ってたんだよ。ったく、淋しいぜ。誰にも言うなよ」
「そ、それは残念ですねぇ」
「お前らは、JKZみたいなのがいいんだろ? いい子たちだよ。だけど、俺には少しションベン臭くてなぁ」
「いやぁ。ごもっともですよ。はははは」
『ははははは』
その後、棒空の弟子が美杉を車で送ると言って迎えに来た。
美杉と別れ、俺は祖母の軽自動車で自宅に向かう。
お前、母さんたちに会うの、10年ぶりだよな?
『親父はともかく、母さんの顔は見たいな』
自宅の玄関を開けるとケルが走り寄って迎えてくれた。
翌日、正午。
俺は橋の上に立ち、隅田川に浮かぶ屋形船を眺めていた。桟橋に並べて建てらた屋形船用のヤグラが目に楽しい。
橋の上を行く人々は、日差しから逃げるように早足だった。
肌を焼く日照、ビルからの排気熱、自動車の排気ガス。
それらが合わさりオーブンレンジの中に閉じ込められたかのような息苦しい熱気を感じさせる。
『懐かしいな』
「あぁ、もうこの川、そんなに臭くないんだぜ」
『そうか』
生涼には、なぜか現世の匂いが伝わっていない。
年々、綺麗になっていく都内の河川。たった10年でも随分と変わったように思える。
屋形船が並ぶ、この川沿いに、かつて木野加穂留の自宅があったのだ。今は、高層マンションに建て替わっている。
古風がいきすぎて時代錯誤ですらあった日本建築。あんなのは、今でも京都などに行けば普通に見られるのかもしれない。
たった10年前の思い出が、ひどく寂しい。それは、木野の家を見られなくなったことだけが原因ではない。
俺は、木野を調べていた。
昨日、美杉を訪ねたのは、それを事前に伝えるためだった。
美杉は「人が必要なら言え、俺が手配してやる」と言ってくれたが、とりあえずは1人で調べたい。
警察が調べたことは北条から聞いていた。だが、すべての情報を俺に与えてはくれないだろう。
現に、木野の家族が今どうしているかなど、教えてもらえていない。
冒険者とはいえ、北条は警察幹部の官僚だ。
自衛官たちがそうであったように、だれかの意思が介入していると考えた方がいいだろう。
それでも、俺は彼らに感謝している。
担当してくれたのが彼らじゃなかったら、俺はもっと面倒な立場に立たされていただろうから。
『監視する公安への嫌がらせで、暑さを我慢して日向にいるのは自爆でしかないけどな』
俺はタオルハンカチで汗を拭う。Tシャツの首元が汗で湿っていた。
俺は、ホットプレートのようなコンクリートの橋を離れ、朝から調べたことを回想する。半分以上は俺の妄想だけど。
木野の祖父が病で倒れた後、金魚職人を続ける者が現れなかった。まだ若い木野の意思は無視されただろう。
古い家屋は、購入者によって、そのままの趣を利用して飲食店として利用された。
だが、それも数年前に土地ごと売られ、今は高層ビルに建て替わっている。
木野の祖父・正人は、吉祥寺近くの老人ホームで1人暮らしているらしい。
他の家族は、離婚などでバラバラになっている。彼らを1人ずつ調べるのは無駄だと思った。
木野は、祖父の正人を最も慕っていたからだ。
『爺ちゃん子ってのも、共通点だったよな』
生涼は笑った。
得た情報のほとんどは、中学の同級生から得ている。テロや事件のことは言っていない。
古い友人と現状を確認し合うのは、やはり気恥ずかしかった。
まだ、木野の友人・三浦にしか会えていないが、相手も俺を見て照れくさそうに笑ってくれた。
三浦朋子は結婚して主婦となっていた。幼子を抱きながら、俺に語ってくれたのだ。
「津神くんも友達だった、相良くんか、真島くんなら、何か知っているかもね」
俺は、友人たちと疎遠になった際、スマホを替え、アドレスを消去してしまったことを悔やんだ。
三浦から相良の連絡先をもらった俺は、彼の仕事が終わる頃にでも電話をかけようと思っている。
「ほんとに2人だけで大丈夫?」
川から離れ、近くの公園を通り過ぎようとすると、聞き覚えのある声がする。
「大丈夫だって。夏期講習あるんでしょ。早く行きなって」
「私がついてる。大丈夫だよ」
そこにいたのは、JKZだった。
お待たせしたのに、短くてすみません。
ストックを切らして自転車操業になっていましたが、
やはりじっくりストックを増やしたいと思っています。
一週間くらい更新なしになりそうです。




