034 必殺!
俺は、暗闇の中を落下する。
身体のどこが上を向いているかさえ分からない。
淡いヒカリゴケの光の中に水面が見えた気がする。だが、どの方向にそれがあるのか、すぐに分からなくなった。
永遠に落ち続けるのかと錯覚し始めた頃、突然に目の前が明るくなった。
『頭をトンファーでガードしろ!』
生涼の指示に従って、トンファーを掲げる。
叩きつけるような衝撃が全身を襲う。
閉じようとする水圧をこじ開けるように、俺は深く水中へと潜り込んでいった。
沈む速度が緩む。自由になった身体をひねって、すぐそばにあった水底に四肢を着ける。
俺は、底にあった岩を掴んで体が浮くのを防いだ。
首を振って、周囲を見回す。水底は暗いが、何も見えないほどではない。
考えているよりは、深くはないのかもしれない。
『こっちだ。お前からみて右!』
生涼だけはくっきりと見える。生涼が指差す場所には、孤門が手足を浮かせて沈んでいた。
底の岩をけって、水中を進むとすぐに孤門に辿りついた。
孤門は気を失っていた。全身に着けた装備が重く、浮くこともできないのだろう。
俺は孤門を抱きしめて、水底をけって水面へと向かった。
増えた脚力のおかげか、すぐに水面へと出れた。大きく呼吸をする。
前方に岸が見えた。
『早くしろ!高山がまだ底にいるんだ!』
岸まで泳ぎつく。孤門を岸に引き上げて仰向けに寝かせる。
孤門はM4を持っていない。どこかで無くしたのか。
「いや。いやぁ!」
岸の奥では、アンヌの装備を引きちぎろうと、彼女を乱暴に扱うオーガがいた。
立ち上がって、アンヌの元に走ろうとする。
『待て!高山が先だ! 水中にも魔物がいるぞ!』
「くそっ!」
俺は、自分の重いプレキャリを外して地面に投げる。そして水に飛び込んだ。
水底まで一気に潜水する。すぐに、生涼の誘導で高山までたどり着けた。
途中、落としていたククリナイフとトンファーを拾う。孤門のM4は見つからない。オーガへの対抗手段の少なさに歯噛みする。
高山はM4をスリングで背負ったままだった。
だが、そのスリングベルトが岩に引っかかり、高山の自由を奪っていた。ククリナイフでベルトを切断する。
俺はM4を左手に持ち、右で高山を抱き上げようとする。
『来るぞ!左から!頭下げろ!』
生涼の指示で頭を下げると、激しく水流が通り過ぎる。
き、金魚? でかっ!
通り過ぎた方向を見ると、巨大な金魚が優雅に尾びれを揺らしてUターンをしていた。
赤い胴体はドラム缶ほどもある。華美な姿に似合わない獰猛な牙を口に並べていた。
再び金魚が俺を襲う。
金魚にトンファーを噛ませて攻撃を防ぐ。トンファーを咥えたまま金魚が激しく暴れる。
俺はトンファーのハンドルを握り必死に耐えるが、振り回され始める。
おい!あれだ!
『え?あれ?おお! わかった!30秒待て!』
俺は新しい武器を召喚するように生涼に頼んだ。召喚されるまで岩に脚を絡めて耐える。
30秒耐え、召喚された武器を金魚に振るう。金魚は突然おとなしくなり、水面に向かって浮かんで行こうとする。
俺は、武器をククリナイフに持ち替え、金魚のエラに刺しこんでとどめを刺した。
高山を岸にあげて寝かせる。呼吸をしていない。心臓の鼓動も小さい。
俺は、激しくなっていた自分の呼吸を整えながら、スマホを操作して回復魔法の行使を始める。
一度の魔法では十分な効果は見えない。
ダン!
激しい音の方向を見る。抵抗していたアンヌの顔の横の地面に、オーガの拳がめり込んでいた。
怯えて身体をすくめ、おとなしくなるアンヌ。
「うぅ。。。」
オーガの地面への攻撃で、孤門が意識を取り戻した。
「孤門さん、これ」
俺は孤門に高山のM4を渡す。
「は、はい! あっ、高山三尉は大丈夫でしょうか? え? アンヌ一曹!!」
状況を理解した孤門は、オーガにM4を向ける。ニヒルに笑いながら、孤門を見つめるオーガ。
パン!
孤門は狙いを定め単射を行った。
だが、オーガは弾丸をハエでも払うように叩き落とした。
跳弾がアンヌの側に着弾する。さらに身をすくめるアンヌ。
すでに彼女の衣類はちぎられボロボロになっていた。だが、なんとか間に合ったように思える。
オーガは弾丸を弾いた掌を振る。わずかだが、出血があるようだ。ゆっくりと立ち上がり、孤門を睨みつける。
孤門は当たらない銃に苦悶の表情を浮かべている。
『孤門、亜音速弾ってのは、普通より遅い弾なんだろ? 速いの持ってねーのか?』
「あ、あります! そうか!」
孤門はプレキャリのポーチから取り出したマガジンと、M4のマガジンを交換した。
亜音速弾は秒速300m程度の速度しか出ないが、通常の.458 SOCOM弾なら秒速600mは出るはずだ。威力も上がる。
亜音速弾で、掌に傷をつけることができるなら、高速弾なら違う結果が期待できる。生涼、よく気づいたな。
俺は、状況を確認しながら高山の治療を続けていた。
孤門は、再びM4をオーガに向けて発砲した。
バン!バン!バン!
銃声が変わる。
オーガは、目を開き避けようとしたが間に合わない。大きく後ろに飛び下がって、身構えるオーガ。
頰と左腕から血が流れている。
一発は避けるのに成功する。頰は避け損なったが、かすり傷。胸を狙った弾はなんとか腕で防いでいた。
俺には高速弾はまったく見えていない。だが、オーガの挙動から、なんとか察することができた。
「当たったぜ! この野郎!!」
孤門が叫んだあと、オーガの左腕の弾痕から爆発が発生する。
「グガァァ!」
弾丸に埋められた人工魔石が、孤門の爆炎魔法に反応したのだ。
オーガの左腕は大きく損傷していた。千切れ飛んではいないが、折れた骨が見えている。
「ぐはっ」
高山が肺の水を吐き出して身体を震わせる。薄く目を開いて俺を見つめてきた。
スマホを確認すると、2割程度まで減っていた高山のHPが6割にまで戻っている。
物理耐久はそれほど減っていない。もう大丈夫そうだ。
俺は、自分のMPの限界である3度の回復魔法を使っていた。焦りからか、魔法効率が落ちている。
「高山さん、後は自分でできますよね」
「あぁ。大丈夫。いえ、ありがとうございました」
高山は諸星隊で最も優れた回復魔法の使い手だ。
意識さえあれば自分で回復ができる。
俺は立ち上がり、オーガを睨みつける。
やっとだ。やっと、こいつに一発入れてやれる。
脳内からアドレナリンが溢れてくる。
水中で取り出した武器。そいつを握りしめる拳が震えている。
俺は、口元が釣り上がるのを自覚していた。
「待ってろ。オーガ」
『ふふん。いいツラしてんぜ、お前。あいつは前に出て攻撃するタイミングを見計らっている。俺がお前にそのタイミングを教えてやる。立ち向かえ』
「了解」
アンヌは胸元を手で隠しながら、後ずさって壁にもたれている。
オーガは、左右に激しく動き回って、孤門の銃撃を警戒していた。
孤門を見る。M4を構えながら、歯ぎしりを立てている。
どうやら、オーガを目で追いきれていないようだ。
それでも、オーガが立ち止まるタイミングに合わせて発砲する。当たらない。
狙いが不正確になってしまっているが、牽制にはなっているかもしれない。
オーガは傷ついたためか、今までの余裕をなくしているように思えた。
射線をオーガに振り回されたまま、孤門は発砲してしまう。
『いまだ! 前に出ろ!』
オーガは孤門の狙いが乱れたタイミングを見取って、高速ダッシュで前進を始める。
狙いは孤門だ。距離は25m。
俺は、冒険者になる前、サバゲでこの距離から撃たれた電動ガンのBB弾を何度か避けている。
サバゲ経験者ならわかるはずだ。初速80m/秒で飛来するBB弾は見えるのだ。
オーガは電動ガンの弾より確実に速い。
だが、冒険者となり、反応速度の向上した俺には、あの時のBB弾より速くは感じない。
だいいち、オーガはでかいのだ。見失うわけがない!
「おうりゃあ!」
俺は、孤門の前に飛び出し、右手に握った武器を振りかぶった。
避けられ体制を崩した俺に、オーガの右拳が打ち下ろしで襲う。
俺は、なんとか左のトンファーを使って受け流す。あ、危ない。
『やれやれ』
俺は足を使ってオーガの側面に回る。別に震脚を撃つ必要もない。軽いステップで十分だ。
この武器は強打する必要なんてないからな! 見よ、この軽快な足さばき!
オーガが俺を追うように向きを変えると、ちぎれかけた左腕が振り回され俺に接近した。
ピコッ
決まった。
俺の唯一のチート武器「ひつじさんハンマー」が、オーガの左腕を、やさしく小突いたのだ。
立ち止まったオーガのまぶたがゆっくりと閉じていく。
「いまだ!孤門さん! 撃て!」
「へ? あ、はい」
バン
孤門はわずか数メートルの距離だが、しっかりと狙いをつけて発砲した。
オーガの額に弾丸がめり込んで止まる。さすが上位魔物の頭蓋骨だ。硬い。
オーガはその一撃で目を覚ますと、驚愕の表情を俺に向ける。
ピコッ
再びオーガのまぶたがゆっくりと閉じていった。
「ほら、さすがに一発じゃ無理でしょ。残弾全部連射して!」
「は、はい!」
表面に刺さった程度では爆炎魔法の効果は大きく望めない。
孤門はマガジンを交換する。そしてフルオート連射にも近い速度で、単射を連続でオーガの顔面に撃ち込んだ。
目を覚ましたオーガは顔面を抑えて膝立ちになる。
眼球に深くめり込んだ一発が、大きいダメージを与えているはずだ。
「離れてください」
「はーい」
俺は孤門と一緒にオーガから離れる。
オーガは片目を開けて、周囲を見回した。
そのとき、奴は水面に浮かぶ金魚を発見する。
オーガは大きく口を開いて、金魚に向けて手を伸ばした。
「アァァァ!」
オーガの無傷な瞳から、涙が溢れ出した。
「も、もしかして、その金魚。お前が飼ってたの? ここで?」
なんだろう。ウンウンと頷いてる気がする。
日本語、ほんとは分かってるんじゃねーの、こいつ。
まぁ、俺にもパグのケルがいるからな。なんとなくわかるよ。その気持ち。
時々、上に行って金魚の餌を採っていたのかもしれないな。たぶん。
オーガは俺を指差して「お前が?」みたいな顔をした。
なんとなく、バツが悪くて頭をかいてしまう。しょうがないよね?
「行きますよ」
「あ、はい。どうぞ」
ボカン!
孤門は冷静に爆破を行った。
オーガの頭部は、そのほとんどを失っていた。
オーガはゆっくりと後ろに倒れて動かなくなった。
横を見ると、アンヌと高山が立っていた。
高山が自分の軍服を脱ぎ、アンヌに着せたようだ。
上半身裸でプレキャリを身につける高山は、まるでランボーのように見える。
アンヌの傷も、高山によって回復されたようだった。
アンヌは、恐る恐るオーガに近づく。
オーガの脚の間に立つとアンヌの目の色が変わった。
そして、いきなりサッカーボールキックを連続で繰り出して、オーガのボールを攻撃し始める。
反射反応だろうか、ビクビクっと痙攣するようにオーガは身悶えた。
「しかし、ここはどうなってるんでしょう? 上に戻れるんでしょうか?」
孤門は俺に聞いてくる。
高山はギルドアプリのメッセージ機能で、全員の無事を早田や諸星に伝えていた。
オーガから溢れ出る魔素を4人で浴びながら、周囲を見回して確認する。
小さな地底湖。その上に穴が空き、上の崖につながっているようだ。
穴の位置は地底湖の上で、とてもあそこまで行ける気がしない。
地底湖の反対には、また手彫りで造ったようなトンネルが続いていた。
「あっちに行くしか、なさそうですけどね」
「まだ上位魔物が出そうです」
「うーん」
『うわっ』
トンネルの中を興味深げに探索していた生涼が、1人で滑ってこけていた。
魔素を浴び終わった俺は、生涼の方へ歩いて行く。
オーガミイラの解体は高山がナイフで行うようだ。
「なにやってんだよ」
『うるせえ。なんか、ここヌルヌルしてるんだって』
「それ、お前がこけるんなら、亜空間での話でしょ?」
『よくわからん。こんなこと初めてだ』
亜空間で生涼に影響を与えられる物質か。
もしかして、木野が何かここで。。。
木野の痕跡が。。。と、考えて歩いていると生涼のそばで突然に足が地につかなくなる。
「うわっ」
『同じ悲鳴あげないでくれる?』
俺は、足を滑らせ倒れていた。
地に着いた掌にまとわりつく粘液。透明で摩擦を奪うように滑らかな肌触りだった。
「なんだ? ローションみたいだな。これ?」
『そういう大人の遊び。俺知らないもん』
生涼は、拗ねたように俺に言った。そんなこと言われてもなぁ。




