騙し神
唐突だが、彼女は詐欺師だ。
名前は華樹里美。えくぼがかわいい女性。年齢は二十六と言っていたが、大学生一年目ぐらいにしか見えない。化粧は薄め。それでいて人付き合いのいい人だ。髪は、こういうのはショートボブっていうんだっけ? の、綺麗な黒だ。染めた気配もない。
正直にいって美人だ。なんで僕に話しかけてくれるのか不思議でならないぐらいの。美人だと言えば、彼女は謙遜して、「そんな事ないよ」とは言うが、彼女は多分道行く人が自分に振り返っていることを知らないだけだろう。
さて、それで最初の話に戻ろう。詐欺師と言ったけれど、実は確証はない。
だけど、僕は彼女の電話を(故意ではなかったのだが)盗み聞きした事があり、そこで「次のターゲットは」という言葉を聞いてしまった。もしくは暗殺者の類なのかもしれないし、諜報員かも知れない。もしかしたら全部間違いで、彼女はゲーム好きでその話だったのかも。
けど僕は、直感的に「詐欺師だ」と思えてしまった。何故だかはよく分らない。自分の事なのに。でも、その日から彼女が詐欺師だという事を常々思うようになった。
僕を騙そうとしているなら、僕に話しかけてくれるのも納得がいく。自慢ではないが――いや、自慢になるのか――僕の家はかなり裕福だ。父は一流企業の重役であるため、僕にも多額の「お小遣い」が渡されている。万が一百万円要求されても、実はポンと払えてしまうのだ。
詐欺師であれば騙す方の情報もある程度は調べるだろうし、その辺の都合もわかっているかもしれない。そうでもなければ、顔面偏差値が平均点以下、話下手、ファッションセンスも並な僕に話しかけてくれる筈もない。
こんな風に、考えれば考える程、彼女が詐欺師だという考えが浮かんできてとまらない。僕はこんなに妄信的な人間だっただろうか。いや、気付かなかっただけかもしれないな。
今日も、明日も、明後日も。里美さんと会う事になるだろう。僕はその時、どんな顔をしていればいいのだろうか。
分らない。
「おはようございます」
「おはよう、里美さん」
私の名前は華樹里美。私服警官だ。それも、かなり特殊な仕事である、詐欺師の検閲をしている。ターゲットを決めて数ヶ月付近で潜伏・接触し続け、詐欺師かどうかを確認し、詐欺師であった場合証拠を見つけて検挙する。そんな仕事に付いている。
だが、今回のターゲットは妙に気味が悪かった。
私の前にいる彼だ。特に特徴のない目鼻立ち。良くもなければ悪くもないと言った所の顔で、髪はやや茶色っぽい黒。染めた様子はないので、地毛なのだろうと思う。目は見た事がない。基本前髪でかくれてしまっている。背格好も極平凡な170前後程。
特徴がないのが特徴と言う人間を初めて見たが、それは然程問題ではなかった。問題は、この男性の素性が全く把握できない事だった。
まず、住所がわからない。幾ら目処をつけて出張っても、この男に後ろから話しかけられる。帰宅時の後をつければ、すぐさま気付かれてしまう。ロボットでも見過ごしてしまうと太鼓判を押された私の隠密能力を暴いて。その為、家の特定ができない。
次に、相手の過去が分らない。幾ら調べても、男を知る人間がいない。出身地を聞き出して確認しにいっても、誰も知らないと言う。既に亡くなっていて養子になっているのだと聞いたが、養子先もわからない。履歴が全く謎の男なのだ。
そして最後に、もっとも不可解な点。男の名前がわからない。
辛うじて苗字は佐藤という事が分ったけれど、佐藤という苗字の人間は百五十万をこえている。探しようがない。名前をそれとなく聞き出そうとしても、あの手この手で受け流され、直接聞くと「忘れられてるんですね、僕……」とはぐらかされてしまう。
謎だ。この男に関すること、一切合財が。完全に謎。奇妙で恐ろしい男だった。だが、今日も接触して、確認しなければならないのだ。私は。
「あの、いいですか? 佐藤さん」
「なんでしょうか、里美さん」
私は今日ここで、勝負に打って出る事にした。
「今日、お暇でしたら、一緒にご飯にでもいきませんか?」
「……え? いいんですか?! ぜ、是非!」
こういう反応は実に一般人っぽいのだが。私よりよっぽど隠密能力が高い分、まるで一般人には見えなかった。
近くのファミレスで、軽く昼食を取るという事で、今席に付いている。私は落ち着かずに、何度か身じろぎした。それは男も同じ様だった。
「あ、私、ドリンクとってきます」
「いや、僕がとって」
「座っててください、取ってきますので」
強引に押し切って、私は飲み物を取りに席をたった。注文はまだ来ていないから、ドリンクバーで飲み物だけでも取ってこないと怪しまれるか? と、そう思ったのだ。
コップにジュースを注ぎながら、ふと考えた。
――そういえば、あの男は料理を注文していたか?
あわててバッと振り向けば、私がいた席に男の姿はなかった。コップに注いでいたジュースが半分にもなっていない。この短時間で、一体何処へ? キョロキョロと周りを見回したが、男の姿は掻き消された様に何処にもなかった。
すると、店員が私に近付いてきて、男性から預かっていたものが、と言った。手渡されたのは、掌サイズのメモ用紙だった。
「急用があるとかで、これを彼女に、と」
また逃げられた? 紙を受け取って、表も裏も確認したが、何も書かれてはいなかった。からかわれたような気がして、私は自分のジュースを一息に飲み干すと、外に向かって駆け出した。
華樹里美が去ってから、男が置いていった紙にはじわりと滲むように三つの文字が浮き出ていた。
「騙し神」