⑶
こぽこぽこぽ。香ばしい茶葉の香りが通された応接間いっぱいに広がっている。
この部屋も他の部屋と同様に広い間取りを取られているが、書庫室程の広さはない。
暖炉の火がパチリと爆ぜる。上等な革のソファーに座り、ジャッカロープが入れてくれた紅茶を一口啜れば、胃から広がる温かさに随分と深い息をついた。
「焼き菓子は如何ですか?」
「あ、いただきます」
「んー! 美味しいわ。ジャッキー!」
「恐れ入ります。御主人様」
主の賞賛に小さくお辞儀を返し、ジャッカロープが無言で差し出された主人のカップに二杯目の紅茶を注ぐ。
サクサクと歯ごたえのあるナッツ入りのクッキーは絶品だ。あっさりとした紅茶とよく合うせいで、あっという間に皿の上からクッキーが消えていく。
「ふぅ。ようやく一息ついたわね。さぁて、楽しいお喋りを始めましょうか」
ティーカップを皿に戻し、魔女は深々とソファーに背を沈めると対面に座る僕をじっくりと眺めた。
何が聞きたいの? と、僕に会話の主導権を委ねるようだ。
乾いた喉を一気に紅茶を飲み干すことで潤す。
質問は挙げれば限りがない。
大事なのは如何に目の前の魔女の気を損ねず、多くの答えを引き出せるかである。
「……まずは、この世界に存在する“魔女” はどれくらい居るのでしょうか?」
「うーん、いきなり微妙に答えずらい質問ねぇ。そうねぇ……正しい数は私も知らない」
「どうしてですか?」
「んー……貴方は自分とは血の繋がっていない遠い親戚とか、友達の友達とか、名前だけは覚えている知り合いとか、そういった方達の状況を何時でも把握出来ていて?」
「う、ぅん。それは……」
「分からないでしょう? それと同じよ」
「貴女の知らない“魔女” もこの世にはいると言う事ですか?」
「さすがに人間の数よりは少ないと思うけれど、実際、“魔女” の数なんて把握していないわ。だって興味がないんですもの」
なるほど。と、くしゃくしゃのレポート用紙を取り出し、早速得た情報を書き込む。
「では次の質問です。貴女方“魔女” に寿命はあるのですか?」
例えば、これほど人間と似ている“魔女” ならば、人間と同じ寿命の長さを持っているのか。
それとも化け物らしく永遠の寿命を持っているのか。
とても興味深い疑問だ。
「さあ?」
魔女にとってはあまり面白い質問では無かったのか、爪に塗ったマニキュアに目を落としながら、つまらなそうに答えを返す。
「……さあ? って」
「だって私、まだ死んでいないもの」
「あの、失礼ですが……」
「嫌ね。失礼と分かっていてレディに年を尋ねるのかしら?」
やはり女性であるからか年齢の話は禁句らしい。
だが「まだ死んでいない」と言う発言から察するに、彼女は外見以上に長く生きていて、まだ死の片鱗を感じてはいないと言う事だろう。
「話を変えます。では貴女方の交友関係について、先ほどの質問だとあまり交流は無いように見受けられましたが」
「交流ねぇ……まぁ、私にだってお友達くらいはいるけれど、でもなかなか会わないわね。個人の趣味が合わないからかしら?」
「仲が良くないとか?」
「そんな事は無いわ! 多分……きっと……」
おや? 何だか自信なさげな表情を浮かべている。
人間でも趣味嗜好の違いで相性が合う合わないはあるが、友人ならば連絡のやり取りくらいはしていそうなものである。
しかし魔女のこの様子からして、恐らく連絡を取り合うこともあまり頻繁ではないのかもしれない。
「他には?」
「ええっと、そうですね。貴女方はそれぞれ特有の能力をお持ちだそうですが、貴女のその“支払い名簿” ……不思議な生物を喚び出せる力も素晴らしいのですが、貴女以外、つまり他の方の能力はどんな物があるのでしょうか?」
「他の? ううん、能力ねぇ。そうねぇ、私達“魔女” の能力は大体大きくわけて四つの系統に分けられるわ。
一つは“自然操作系”。これはまぁ、言葉通りね。そこに火元があれば火を操り、湖があればその水を操ることの出来る能力よ」
「ほお。なるほどなるほど」
「二つ目は“体内生成系”。この能力は魔女自らの体内で物体を生成、または育成するもの。能力と言うよりも体質と言った方が正しいかしら」
「例えば?」
「薬、病、鉱石。糸や刃物の子もいるわね」
「素晴らしい……」
「ふふ。まだ二つ目よ?」
感心するのはまだ早い。魔女は興奮する僕の様子に喜びを顕にして、三つ目の指を立てた。
「三つ目は“肉体特化系”。これは身体能力が桁外れに高い
“魔女” のことで、腕力や脚力などの運動能力的な特化と、視力や触覚などの五感に特化した者がいるわ」
「例えば並外れた怪力の持ち主とか?」
「そうね。他にもどんなダメージにも耐えうる体の持ち主とか、人には見えない物が見える者とかね」
「ふむふむ」
レポート用紙の山が見る見るうちにテーブルの上に重ね上げられていく。
自然操作、体内生成、肉体特化。人間が対等に“魔女” 達と対峙するには、この能力を何とかしなくてはいけないのだが、流石に耳にするだけでは解明もできそうにない。
「そして四つ目。“特殊媒体系”」
「特殊媒体系……何だか凄そうですね」
「ふふん? 私の持つ“支払い名簿” がその代表みたいなものね。この系統に属する能力は先の三つの系統とは違って、自分自身に備わる力では無く、何かを媒体としなければ能力が発揮しない特殊なタイプね」
「貴女にとっての本のように?」
「いい読みよ。その通り」
「なるほどね。とても参考になりました」
「そう。よかったわ」
さらさらとペンの走る音だけが部屋に流れる。
レポート用紙の山が微妙なバランスを保ちながら、今にも崩れそうになるのを更に上から新しいレポート用紙を載せることで止めてやる。
「熱心ねぇ。もう終わりかしら?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね!」
まだだ。まだ聞きたいことがある。
とりあえず今、手元にあるレポート用紙を書き上げるまで待ってくれと顔も上げずに懇願した。
多少の汚い字は後で僕だけが読めればいい。
ペンを止め、顔を上げると魔女は何杯目かの紅茶のお代わりをジャッカロープに注いで貰っていた。
「そろそろお開きにしたいのだけれど?」
「っ、ま、まだっ! まだ貴女の事を聞いていません!」
「……あら」
熱烈な方ね。と満更でもないと言った表情が僕を見て笑う。
そうだ。僕はまだこの魔女についての質問をしていないのだ。
彼女について知っているのは、“支払い名簿” と言う本から恩を売った相手を呼び出すことの出来る、特殊媒体系の能力を持っているという事だけである。
「いいわよ。あともう少しだけ付き合ってあげる」
「ありがとうございます!」
「それで? 何が聞きたいの?」
赤い唇から覗く舌がカップの縁をちろりと舐めた。
赤い薔薇の髪飾り。赤い口紅。赤いマニキュア。赤いドレス。
赤色が好きなのだろうか。鮮やかで蠱惑的な赤が彼女の至る所で存在感を放っている。
金の髪がさらりと揺れた。
「早くおっしゃいな。私もそこまで暇ではなくてよ」
「あ……すみません」
見蕩れていた。単純に綺麗だと思える。
“魔女” は皆、こんな所も人間離れしているのだろうか。
「では、えぇっと……そうですね。えーっと……あー」
「なによ。言いたいことがあるなら言いなさいな」
「いや、それはちゃんと聞くつもりなんですが、その……お名前はなんとお呼びすれば?」
僕としたことが一番重要なことを聞き忘れていた。
“魔女” と言う括りに拘っていたばかりに、個人的な情報を得るのを怠るとはまさに愚の骨頂である。
「名前……名前ねぇ……」
うーん。と魔女が頬に手を当てて、唸る。
どうかしたのだろうか。
もしや、名前は“魔女” にとって重要なファクターで、誰かに知られると弱点となり得る……とか?
「違うわよ。ただ単に私達に決まった名前なんてないだけよ」
「はぁ。名前、ないんですか?」
「要る?」
「いやぁ、まぁ、要ると言えば要るんじゃないですか?」
「そう? 今まで無くても問題は無かったから……」
「え? なら、今まで何と呼ばれていたんです?」
普通は個人を他と区別する為に名前があるわけで、それが無ければそれなりに会話するのも不便ではないのだろうか。
ちらりと魔女の傍らに静かに佇むジャッカロープに目をやると、僕の視線に気づいたのか、多少棒読みの無感情な声が魔女の代わりに答えてくれた。
「わたくし共は“御主人様” または“魔女様” とお呼びしているので不便はありません」
「な、なるほど。けれど、同じ“魔女” 仲間ではそう呼ぶわけにはいかないですよね?」
「ああ、それなら。魔女内ではちゃんとそれぞれに呼び名が付くわ。見た目や能力に因んで、“〇〇の魔女” って呼ぶのよ」
愛称みたいなものだろうか。
例えば目の前の魔女に愛称をつけるなら、“赤の魔女” とか“薔薇の魔女” とかそんな感じのものになりそうだ。
「あのぉ、ちなみに貴女は何と呼ばれているのでしょうか?」
「私? 私は“蒐集癖の魔女” よ。色んな物を集めるのが趣味なの」
「蒐集癖の魔女……」
なるほど。確かに名は体を表す、単純にして明快な名付けシステムだ。
他にはどんな魔女がいるのだろう。個々の趣味について付けるのなら、裁縫の魔女とか、乗馬の魔女とか、そういった魔女がいるのだろうか。
ワクワクと胸が一層踊り出し、飛び跳ねる。この世界にどれだけの魔女が存在しているのかは不明だが、その不明分だけ知る歓びがあると思えば今、ここで死ぬのは誠に、誠に残念なことである。
「さて」
コトリ、と魔女がカップをテーブルに戻した。
質問は終わり。そう空気が告げている。
「……」
本当に残念だ。“魔女” の事を少し知れたと言うのに、
“魔女” に少しでも近づけたと言うのに、もう終わりだなんて。
まだ知りたいことは山ほどあるのに。蒐集癖の魔女以外の魔女にも会いたいし、その能力もこの目で見てみたい。お喋りだって出来たらしてみたかった。
ああ、後悔ばかりだ。“魔女” への未練で今なら死神と五分で戦えそうな気がする。
それでもきっと“魔女” は許してくれないのだろう。
彼女が僕を『殺す』 と言ったなら、必ず殺す。“魔女” とはそういうものなのだ。
「そう言えば」
ちらり。と蒐集癖の魔女が僕の手元に目をやった。
きらきらと輝く深く澄んだ青色の瞳が、ミミズのようにのたくった文字の羅列を興味深げに眺めている。
「貴方のそれ。凄く気になるわ。見せてくださらない?」
にこっ。妖艶と幼さの混ざった愛らしくも魅惑的な微笑みは、男も女も老いも若きも関係なく人間の脳を蕩かし、思考を奪い、ただ従順に魔女の望みを叶えるだけの奴隷へと変貌させるに違いない。
だから僕も笑ってこう言った。
「お断りします」
ズレた眼鏡の奥から見える魔女は、未だニコニコと機嫌よく笑っている。が、急激に凍った外気よりも冷えた空気は、平凡かつ脆弱な学者風情が死を覚悟するには十分すぎるほど十分な恐怖を与えていた。
魔女の隣に控えるジャッカロープは僕に殺意と憐れみを投げかけ、残念そうに首を振る。
「どうして?」
「僕は学者です。研究途中の、それもこんな殴り書きのメモを読ませるなど、学者としてのプライドが許しません」
「死ぬよりマシではなくて?」
「なら殺してから奪って読むといい」
自分でも驚くほど冷静な言葉が飛び出る。
魔女は大きな目をより一層大きく見開き、「そうね」 と、頷いた。
「そうね。その通りだわ」
終わった。僕の“魔女” 研究はここで終わった。
天国の父さん、母さん、故郷の妹達よ。僕は、今日、魔女に殺される。
ああ、なんて。幸せな、死。
こんな最期を迎えられるなんて、僕はなんて幸せ者だ――