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或るオブザーバーによる魔女の生態研究レポート  作者: 優凛
case1.蒐集癖の魔女
3/5

「私のお家はこの山の頂にあるの。ここからだと少し遠いから乗り物に乗って移動しましょう」


「乗り物? 馬、とかですか?」


「お馬鹿さんねぇ。こんな雪の厚い斜面を馬が走れるわけが無いでしょう?」


「では……」


 僕の質問を人差し指で遮って、魔女は二房の金の髪を大きく揺らし、クルリとその場で回って見せた。

 まるで歌劇の舞台女優宜しく、懐から取り出したる本を天に掲げ、見よ! これが我らを頂へと導くのだ! と言わんばかりに鼻を鳴らす。


「その本は一体?」


「これはねぇ、私のコレクションの一つ。

“支払い名簿 (リード・トゥ・リペイメント)” よ」


「う、ん。随分と直球な名前なんですね」


「うふふ、素敵でしょう? そ・れ・で・ね?」


 今、僕は恐らく、自慢されているのだと思う。

 にこにこと眩しい笑顔で本を、いや己の手の内を明かす魔女の言葉に、僕は他のどんな音も無視して耳を澄ませた。


「この“支払い名簿” は、そうねぇ……簡単に言うなら過去に私から恩を受けた方々が載っていて彼らは私に恩を返す義務があるから此処から喚び出して恩を返してもら」


「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい!」


 一息で説明をするつもりなのか、息継ぎ、句読点もなしに語り始めた魔女を慌てて止めた。

 何せ、“魔女” の能力と言うだけで理解の範疇はとうに超えているのだ。

 “本から喚び出す” と言う一文だけでも不自然で想像にし難い。

 実際、あのクロケルを見ていなければ、僕も頭を抱えて考えることを放棄していただろう。


「えーと、つまり、貴女はその“支払い名簿” から、貴女に恩のある人達をここに呼び出す、と。それは、此処とは別の場所から物体を移転? 移動? させることが出来るという訳ですね」


「そうよぉ」


「どういう原理で……とかは?」


「それは私にも分からないわ。物心ついた時から使える様になってたのよ」


「ふむふむ」


 大切にズボンのウエストと背中との間に挟んでいた紙の束を取り出し、この魔女についての情報を走り書きする。


「それで、恩とはどんな?」


「色々よ。色々。富や名誉を与えてあげたり、命を救ってあげたり、病気を治してあげたりしたわ」


「ほうほう」


 さらさらと文字を書き連ね、ふと、筆を止めた。

 ここで疑問が一つ。


「恩は、永遠に返さないといけないのですか?」


 大小様々な願いを叶えたのなら、その恩にも大小の違いがあるのではないか。

 それこそ等価交換と呼ばれるシステムでなければ、たかが擦り傷を治してもらっただけの者と不治の病を治してもらった者が同じだけ恩を返さなければならない、なんて不公平が出てしまう。


「そう! そこがこの“支払い名簿” の凄いところなのよ!」


「と、言うと?」


「よぉく聞いて頂戴。実はこの本、恩の種類、レベルによって喚べる回数が決まっているの!」


「なんと!」


「さっき喚んだクロケルも、あと三回しか喚べないのよ」


「なるほど」


 使用制限付きの能力か。それならば、全てのページに載った恩返しを義務付けられた者達の恩返しを使い切った時、この魔女は能力を失くし、ただの人間と変わらなくなると言う事になる。


「ふふ、何を考えているか分かるわ」


「え?」


「その答えはお家についてから、お教えするわね」


 悪戯な笑みを浮かべ、魔女は手にした本のページを捲った。

 ペラペラと二、三ページを捲ったところで目を留める。


「“キュウキ”……いらっしゃいな」


 魔女が本の中にそう呼びかけると、クロケルを喚んだ時と同じ赤い光の線が白いページから浮き上がり、外へと飛び出した。

 線は地面の上で輪を作るようにグルグルと回り、新たな光の線が何本も伸びては中に幾何学模様を描く。


 そしてその輪の中からゆっくりと、何かの姿が構成されていった。


「虎?」


 鮮やかなオレンジの毛に、黒い縞模様。力強い顎に、鋭い牙を覗かせて、黄色い目が爛々と輝いている。

 普通の虎だと一瞬でも思った事を恥じた。なぜならば、“魔女” が喚び出したモノなのだ。

 普通であるはずが無い。


「ふふ。どう? 素敵でしょう?」


「え、ええ」


 首が痛くなるほど虎を見上げる。虎の身の丈は僕の身長を優に超え、逞しい四肢は僕の体ほど太くあつた。

 普通の虎は、昔、町に来たサーカス団の見世物で見たことがある。あの時の虎も大きかったが、この虎は常識の範囲を超えていた。

 爪で切り裂き、牙で貫き、顎で噛み砕かれる。そのどれも想像に容易く、それと同列に、単純にのしかかられただけでも死ぬ自信はあった。


「……この虎は、一体どこから?」


「ふふ。何処でしょう? さぁ、キュウキ。私との約束を果たして頂戴」


『グルルルル』


「そう。この山の頂よ。よろしくね」


「言葉が解るのですか?」


「解らないと契約なんて出来ないわよぉ」


 それはそうだ。その通り。正論だ。

 魔女が虎の毛皮に毛皮に手のひらを這わせると、虎は気持ちよさそうに目を細め、猫のように喉を鳴らした。

 なんだ、案外可愛いじゃないか。


「ほら、貴方も乗って」


「は、あ」


 巨大な虎、キュウキだったか、そいつはまるで忠実な魔女の騎士のようにペタリと地面に腹をつけ、彼女の前にかしずいた。

 魔女は軽く地面を蹴って跳び上がると、そのまま空気抵抗など感じさせず、ふわりと浮き上がり、虎の背に着地する。


「あ、の」


 僕は魔女のように飛べもしないので、キュウキの聳える壁のような胴体にしがみついて背に登らなければならなかった。

 目が合えば、今にも喰われそうな危機感が走る。


「た、食べられたりしませんよね?」


「いいえ? キュウキは人を食べるわよ?」


「ッ、わ!」


 毛を掴み、恐る恐る虎の体をよじ登ろうとした僕に、その素直な返答はやめて欲しかった。

 人喰い虎の不機嫌に唸る声は先程から聴こえているし、見れば口元から涎がとめどなく垂れ落ちている。


「でも安心なさって? キュウキの好物は善人の肉なの。誠実で正しい人間が好きなのよ。ね?」


「な、なにが、ね? なんですか!」


「大丈夫よぉ。貴方は美味しそうに見えないって言ってるわ」


「ぐ、ぅっ!」


「うふふふふ! さて、頼んだわよ。キュウキ!」


『グルオオオオオッ!』


 その咆哮は山全体を震わせ、雪崩を起こした。咄嗟に耳を塞いだけれど、その塞いだ手を貫いて鼓膜に直接衝撃が当たる。


 キュウキが走り出す。ドン、と空気の壁が僕の体を虎の背から押し出しかけたのを、魔女の細腕が掴んで止めてくれた。

 馬なんかでは到底感じられない風の抵抗の強さに必死で毛にしがみつく。

 この速さをどう表現したらいいのだろうか。駆ける巨体が地面に足を着く度に山が揺れる。

 風のように速いなど、とうに超えているんじゃないか。


 急な斜面もものともせず、山の側面に沿って虎は走る。

 障害物である岩は足に当たる度に砕け、雪は粉塵を巻き上げる。


「っ! 危ない!」


 キュウキが起こすあまりの振動に山が耐えきれなくなったのか、雪崩では物足りず、地面ごと滑り落ちる地滑りが目の前で起こった。


「キュウキ」


 冷静な魔女の声にキュウキが跳んだ。

 いや、駄目だ。地滑りの範囲が広すぎる。

 どれほど跳躍力が高くても、このままでは地滑りの中に着地して共に流れてしまいそうだ。


「まぁ、見ていなさいな」


 僕の動揺っぷりにニヤリと魔女の口角が吊り上がる。

 グググ。キュウキの背、両肩辺りで何かが蠢いた。

 ただでさえ分厚い肩甲骨が盛り上がり、メキメキと骨の軋む音がする。


「キュウキ、そのまま一気に頂上へ行くわよ!」


 バサッ。皮膚を破り、虎の背中から勢い良く突き出たのは二対の翼だ。

 は?翼?


「つつつつつ!」


「そう、翼よぉ。珍しいでしょう?」


「珍しいとかそれどころじゃ! ない!」


 有り得ない。この世に、こんなでかさの虎もありえないけれど、鳥類でもないのに翼を持つ獣がいるなんて!


 虎が大きな翼をはためかせれば、そこから突風が生まれて山肌を削った。

 上昇すればするほど空気が薄くなり、寒さが増す。

 ガタガタと震える僕の体が頂上まで持つかどうか、魔女は面白そうに観察をしているようだ。


「しっかりしなさいな。ほら、あともう少しで頂上よ」


 ぐんぐんと空に上昇していくキュウキの背中から、山を見下ろす。


「ああ……!」


 見えた。山の天辺、その平らな地に建った、立派な、その……。


「し、城が見えますが」


「あれが私のお家よ?」


 この山に城なんていつからあった? この魔女がいつからここに住み着いたかは知らないが、こんな急斜面の、それも大陸でも五本の指に入るほどの標高が高い山の天辺にどうやって城を作ったと言うのか。


「ありがとう、キュウキ。助かったわ」


 頂上へと着地した虎の背から、ふわりと優雅に魔女が飛び降りる。

 虎の頭を撫で、額にキスをするとキュウキは満足げに鼻を鳴らして、本の中へと還っていった。

 僕は無様に地面に落とされ、高山病にぶっ倒れているのだが、魔女は構わず天高い山の更に天高い城の城門に手を掛けた。


「主様のお帰りよぉ?」


 そう静かに問うと、城門はひとりでに重々しい音をたてながら、ゆっくりと左右に開く。


「さ、行きましょ……う、って、どうなさったの?」


「いや……あの……」


 殺される前にもう虫の息なんです。

 頭痛、吐き気、呼吸困難。

 自分でも自覚出来るくらい顔を歪め、眼鏡を通しても線すら認識出来ない景色に、もう僕は駄目なのだと死を覚悟した。


「あらあら。まだ貴方のお願いを叶えてあげていないのに死なれては困るわ。私は嘘はつかない主義なのよ?」


「お……ぐぇぇ……」


 胃からせり上がってきた液体を留めることに失敗した。

 こんな立派な城の前で汚物を撒き散らすことを申し訳なく思う。


「困ったわねぇ……はぁ、仕方ないわ。ジャッキー! ジャーッキィーッ!」


 甲高い大声を響かせ、魔女はまた何かを呼んだ。

 しかし本は開いておらず、どうやら城の中へと呼びかけているようだった。

 次は一体、どんな化物が出てくるのか。僕の好奇心は死ぬ寸前まで湧き続ける。

 滲んだ視界と薄れゆく意識を何とか維持し続けようと握り込んだ手に力を込めた。


「お帰りなさいませ。御主人様」


 それから誰かが現れるまで何分掛かっただろう。僕の中ではかなり長く掛かったような気がするが、まぁ、まだ生きているので問題ない。

 人間、生きようと思えば生きれるらしい。

 魔女は特に介抱などはしてくれなかったが、足下で苦しむ僕の顔を覗き込んでは「ねぇ、死ぬの? まだ生きてて頂戴な」と励まして(?)くれていた。


「ああ、ジャッキー。ジャクリーン。やっと来てくれた」


「お待たせして申し訳ありません。御主人様」


 膝丈まである黒のロングスカートが僕の視界に入る。

 人の足だ。だがそこから上へ視点を移す気力は、残念ながらもう無い。


「そちらは……」


「ええ。お客様よ。面白そうな方だからお茶に招待したのだけれど……先に死なれてしまいそうなの」


「はぁ。それはそれは」


 無感情か無関心か。なかなかの棒読みで困った様子の魔女に同意をすると、その声の主は僕の頭の真横に屈んだ。

 スカートを巻き込んで、膝を地面につける。

 全体像が見れた。女性だ。

 歳は見た目から二十代後半から三十代前半。若いが大人びた雰囲気があり、黒いロング丈のワンピースにフリルの付いたエプロン……どうやらこの魔女の城のメイドをしているらしい。

 頭の後ろにおだんごが一つ、そこにシニヨン・カバーと呼ばれる白いキャップが被せられていた。


 メイドの手が僕の頭を持ち上げ、自らの膝に載せる。


「失礼します。お客様」


 静かな声が不躾を詫び、エプロンの紐の結び目を解いた。純白のエプロンから腕を抜き、胸当て部分だけを前に落とす。

 それからメイドは僕の上半身を抱き起こすと、自らの右腕に頭を載せた。まるで、そう……ええっと……母親が赤ん坊を抱き抱えるように。


「お、おぉ……」


 丁度、彼女の胸に頬が埋もれる位置に頭を固定された。

 大きい。魔女も申し分ない程の大きさをしているが、このメイドのモノは張り詰めすぎて布が伸び切り、なおかつボタンがギチギチと音を立てるくらい危険な大きさをしていた。


 思わず弱々しいながらも興奮した声を上げてしまった。

 恥ずかしいと思う反面、その飛び出た胸のラインから目が離せずにいる。


「いけない。鼻血が」


 じっとりとメイドの冷めた半眼が僕を見下ろし、鼻から垂れる血液を脱いだエプロンの端で拭ってくれた。


「す、すひまひぇん」


「いえ。お客様ですので」


 そう言って彼女は僕の腰に添えていた左手を上げて、その胸のボタンを一つ一つ器用に外していった。


「え?」


 前を開き、今にも零れ落ちそうな大きな白い球体を包み込んだベージュ色の下着が僕の目に飛び込む。

 更にそこから、ぽろり。と、乳房が、ち、乳房が布から取り出された。


「お、わ、あああ?!」


「しっ。お静かに」


 そしてメイドは僕の顔をそっと胸に押し付けると、頬を微かに紅潮させながら乳房を口に含ませた。


「むぐ!?」


 柔らかいのに張りがある乳房は舌に触れるととても滑らかで、思わず息を吸い込むと先端の突起から何かの液体が滲み出てきた。

 ちゅ、と音を立てて吸い上げる。いや、不可抗力だ。吸いたくて吸っているんじゃない。


「ん」


 こくりと一口だけ飲み下す。

なんだろう。牛のミルクに近い味がする。

 少し薄めだが、ちゃんとした甘さがあって、美味い。かもしれない。


「うふふ。まるで赤ちゃんみたいねぇ」


「ぅ……」


「よぉく、飲んでおきなさい。貴重なジャッカロープの乳よ」


「ぅん?」


 ジャッカロープ? このメイドの名前は確かジャッキーだか、ジャクリーンだか魔女は呼んでいなかっただろうか。

 僕が不思議そうにメイドとは反対側についた魔女の姿を目だけで見上げる。

 魔女はにこにこと笑って、自分の頭を指した。


「……?」


 そして、メイドのいる方へ指を指す。


「……ううう?!」


 乳を口に含んだまま、僕は驚きの声を上げた。

 上手く顔は見えないが、メイドの頭から前方に突き出たものは見える。

 段々と意識がはっきりとしてきたようだ。視界のモヤも解け、“それ” はハッキリと僕の目に映る。


 角。それも鹿の様な先端が枝分かれした立派な角が二本、メイドから生えていた。


「遥か昔、この世界にも住んでいた妖精族の一つ、ジャッカロープよ。彼女達の乳は万能薬と言われていてね、昔はよく色んな奴らに狩られていたものだわ」


「わたくし共は非戦闘系ですので、人間でも簡単に狩れますから。おかげでこの世界にはもうわたくししかジャッカロープはおりません」


「……ぷはっ。けほっ」


 万能薬。人では無い種族から作られる霊薬なんて古臭いお伽噺でしか聞いたことがない。

 僕の回復が見て取れたのか、ジャッカロープが僕の口から乳房を外した。


「あ、ありがとうございます」


「いえ。お客様ですので」


「どう? 体調は良くなったかしら?」


 先程まで死にそうな程痛んだ頭は、今は嘘みたいに鎮静化している。かすみ目も意識もハッキリとしているし、吐き気も治まっているようだ。


「よし。なら、もういいかしら? ジャッキー。お茶の用意をして頂戴。とびきり美味しいお菓子もつけてね」


「かしこまりました」


「私はお客様にパレス内を案内しているから、準備が出来たら呼んで頂戴な」


「はい。それでは御主人様。お客様。また後ほど」


 エプロンを再度つけ直し、ジャッカロープ、メイドはロングスカートの両端を持ち上げて僕達に一礼をした。


「彼女も“魔女” ……になるのですか?」


「カテゴライズするなら違うわねぇ。あの娘はジャッカロープと言う種族の妖精なの。妖精と言うのは分かるかしら?」


「多分。合っているのなら」


「そう。なら答え合わせをしましょう。中を歩きがてらね」


 そう言って魔女は僕の手を取り、軽やかな足取りで城門をくぐり抜けて行くのだった。

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