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 猛吹雪とは言え、どうして僕達は敵の本拠地で武器を放り出し、暢気に焚火なんて囲んでいたのだろうか。

 この山は“魔女” の根城だった筈なのに、誰一人、僕までも警戒を怠っていた。

 理解していた気でいた。“魔女” がどれほど危険な存在か知りながら、こんな場所には現れないだろうと高を括っていたのだ。

 ああ、しくじった。もうおしまいだ。


「あら? 誰も動かないのかしら?」


 変化のない空間に魔女はつまらなそうに唇を尖らせる。

 ならば暇つぶしに読書でも。

と、何処からともなく取り出した本に楽観的な現実逃避をしたくなったが、当然、その本は普通の本と言うわけにはいかない。


 上品な深緑の下地に複雑な金の紋様を装丁した表紙を開き、魔女は重量感溢れる図鑑(または事典)ほどの厚みのある中身を捲る。


「ああ、どれにしましょう? この子? それともこの子にしようかしら?」


 何かを迷いながら選んでいる。

 何を選んでいる? 何をしようとしているんだ?

 分からないが、彼女がそれを選び終われば何かが起こり、それが僕達にとって危険なことである事は容易に予想できる。


「皆! 彼女が行動を起こす前に攻撃を!」


 ぺら。一枚、ページを捲って、本に集中していた魔女の目が表紙越しに僕を見つめた。

 丸いアーモンド型の目が嬉しそうに歪む。

 まるでよくぞ言ってくれたと褒めるように笑っている。


「お、お、おおおおお!」


「がああああっ!」


 獣のように理性が切れた咆哮を上げ、戦士達が地面に転がるそれぞれの武器に飛びついた。

 さすがは歴戦の戦士達だ。剣を握った瞬間、一気に魔女に駆け寄り斬りかかったのは、隊の中で最も年を取った老戦士だった。


「おおおおおっ! 魔女よ! 死にさらせぇええ!」


「……あら、怖い」


 大きく横に薙ぎ払った剣先が魔女の胸元を掠る。

 避けた? 傷一つない白い球体がプルンと揺れる。


「そう来なくっちゃ。最近、誰も私の所へ遊びに来てくれないんですもの。もう退屈で退屈で」


「はああああっ!」


「暇で暇で」


 ひらり。真っ赤なドレスのフリルが踊る。

 斧、剣、槍。振って、斬って、突いて、更には殴りかかろうとも魔女は軽やかに避けてしまう。

 彼女が素早いと言う訳では無い。多分だが、冷えきった身体のせいで男達の動きが鈍くなっているのだと思う。

 あまりにもゆったりと、舞のように振る舞う彼女に対して必死過ぎる男達の攻撃が見苦しく映る。


「よし、これにしましょう」


 彼女が何かを決めた。

 ページを捲るのを止め、指で文字を追うようになぞり、その下にあるのだろう文字を口にする。


「さぁ、約束を果たしてね。“クロケル”」


 クロケル。それが喚び出した者の名だろうか。

 魔女の声に応じ、開いた本から赤く光る線が曲線を描き浮かび上がる。

 線は蛇のようにくねりながら魔女の足元に降りると、地面の上でぐるぐると輪を作り回り続けた。


「いかん!」


 危機を察した老戦士が剣を振りかぶる。

 輪の中に更なる赤い光の線が幾つかの幾何学模様となって繋がった瞬間、それは現れた。


 カ、ン――


 予想とは違う、軽い打撃音に老戦士は凍りつく。

 魔女の前、輪の上、老戦士の目前に現れたそれは、歪な形の青い剣を掲げ、己を喚び出した主に向けて振り下ろされた剣を受け止めていた。


 黒いローブに身を包み、肩まである銀の髪は洞穴に吹き込んだ吹雪に煽られ、激しく揺れる。

 体は細く、一見するだけでは男か女か判別できない中性的な顔立ちだ。

 猫のような金色の瞳は無感情に目の前の相手を見つめ、手にした剣を横に振るえば老戦士の剣は簡単に後方へと弾かれた。


「○◎✕△✕✕□?」


「そうよぉ。その方達が貴方のお相手」


 異国の言葉だろうか。男(それとも女か)が口にした言語を魔女以外が理解することはなかった。

 見たこともない透明感のある透きとおった青い剣から白い煙のような物が立ち上る。


「クロケル。約束を果たして頂戴」


 魔女の命令にクロケルと呼ばれた男は躊躇うことなく下から上へと剣を突き上げた。

 老いても尚、鍛え上げられた肉体を鎧ごと貫く。


「う?」


 短く呻きを上げた老戦士の腹から、ゆっくりと刃が引き抜かれていく。


「……?」


 抜かれた刀身に血は付いていない。腹には貫かれた跡だけがぽっかりと空いていて、老戦士もきょとんとした表情を浮かべている。

 なんだ。死なないのか。

 不謹慎だが、ホッとした反面、あの青い剣に何か凄い力があるのかと期待していただけに残念に思った。


「あら、大変」


 口に手を当て、魔女が嘘っぽく老戦士を心配してみせる。

 良く見るがいい。そう言うように魔女の細く白い指が老戦士の穴を指さした。


「ぐ、あ?」


 じわじわと穴から外へ黒い染みのようなものが広がっていく。

 ポロッ。ポロポロッ。

 ひび割れ、欠けた鎧の一部に混じって、黒い染みの粉? のような欠片が落ちていく。


「おがぁ?」


 ハラハラ、ほろほろ。


 それは火の粉のように、灰のように、老戦士の体から分離しては地面へと降り積もる。

 穴が広がっていく。ぽっかりと老戦士の腹に大きな穴が広がっていく。止まらない。

 黒い染みの進行は留まること無く、腹全体に広がって、鎧は疎か、老戦士の胴体を丸ごと一つ塵へと還した。


「……」


 人が死んだ。それを理解するのに五分は要した。

 この空間でおそらく魔女とクロケルだけが正気でいた。


「う」


 男が一人、呻きを上げた。

 続いて二人、三人と声を上げて発狂する。


「うわあああああっ!」


 斧、鎗、長剣、弓。誰も逃げずに一斉に攻撃をしかけた。

 正気ではない。団子状態で刃を奮えばどうなるかなど、分かっていただろうに。


 互いの刃が重なって、互いに互いの攻撃の邪魔をする。

 弓兵の放った矢尻は仲間の背に突き刺さり、斧は頭に、長剣は槍の柄を切り落とす。


「自滅って一番つまらない終わり方だと思わない?」


「○○△◎✕✕」


「アハハハハ! そうよねぇ。人間のそう言う儚くて愚かな所が好きよ。私も」


「○?」


「いいわ。やって頂戴」


 魔女の合図にクロケルの剣が男達の体を切り裂いた。

 一人は首を、一人は手首、一人は縦半分に頭を割って、最後は足をバッサリと。


「……」


 おい。


 足を斬られ、そこから黒ずんだ体がボロボロと崩れゆく間際、戦士が僕に振り返る。

 唇が何音かの形を作った。

しかし、空気のみ虚しく体内から吐き出されるだけで、意味のある音が僕の耳に届く事は無かった。


「ああ、呆気ない」


 懐から取り出した懐中時計に目を向ければ、少々の暇つぶしにはなったのだろうか、魔女はこんなものかと肩を竦める。


「△△△△」


「え? あら? まあ!」


 まだ生き残りがいる。クロケルが戦士達を切り裂いた青い剣で無造作に僕を指し示すと、魔女は大袈裟に驚いて、自らの幸運に対して無邪気に喜びの声を上げた。


「それで貴方はどんな風に抗ってくれるのかしら? 武器は? 無い? まあ、素手で?」


「……あのー。期待をしているところ悪いのですが、僕は学者でして」


「学者?」


「ええ。貴女方、“魔女” の研究をさせて頂いております」


「貴方……随分と……」


 ゆったりとした足取りで魔女は僕に近付いてくる。

 顎に息が触れるほどの距離に来て、興味深げに僕の体を観察する。


「随分と落ち着いているわね? 怖くない? 逃げたくならない? それとも死を望んで来たというの?」


 キラキラと輝く瞳が僕を見上げた。至近距離で見つめる魔女の目は愉快げに歪んで、僕に“面白い返答” を望んでいる。


「死は、望んでおりません。ですが、絶対に死ぬのなら……必ず殺すと言うのなら……せめて、貴女の事を知ってから、死にたい」


「……ふ、ふふ、ふふふ!」


「少しでも僕を哀れに思うなら、冥土の土産に、どうか、魔女様」


「ふふふふふ!」


「貴女を、教えて下さい」


「クロケル!」


 魔女が指を鳴らした。

 ああ、僕は死ぬのだ。


 僕の願いは聞き届けられず、あの青い、得体の知れない剣に貫かれ、最後は黒い塵になって崩れていくのだろう。


「いいわ! 教えてあげる!」


「へ?」


 それまで地面に幾何学模様の輪を描いていた赤く光る線が解け、クロケルの全身に隙間なく巻きついた。

 魔女が本を開くと、線はクロケルの足元から解けて、その先端が真っ白なページの中へと溶けていく。


「おお」


 思わず感嘆の声を上げた。

 下から解けていく線と共に、クロケルの体も解けていくのだ。

 まるで手品だ。出来るなら拍手の一つでも贈りたい。


「これは……」


「ふふ、驚いた? これが私の力。“魔女” の能力。分かるかしら?」


「“魔女” の能力は個々によって違う。その属性、効力、威力は様々で、一人として同じものはいないと……聞きました」


「へぇ? 誰に?」


「昔、一人の魔女と話したことがあるんです」


「あらぁ、随分と親切な魔女ねぇ。まぁ、いいわ。続けましょう」


 最後の線がクロケルの髪の先と共にページの中に消えると、魔女はその本をぱたんと閉じた。


「ここは寒いわ。風邪を引く前に貴方を私の家へ招待してあげる」


魔女(あなた)の……家?」


「そう。嬉しい? 私を楽しませてくれる対価よ。たぁーくさん、お話しましょうね?」


 余程、彼女は暇だったらしい。

 機嫌よく踵を返し、魔女は洞穴の外へと向かって歩き出す。

 僕の命はまだもう少しだけ延びるようで、ホッとした。

 それでも死は常に僕の目の前で口を開けて待っているのだろう。


「ええ。僕も楽しみです」


 それでもいい。死がすぐ側で僕を待っていようとも、僕はかねてからの念願を果たすことが出来るのだから。


 ああ。わかるか?

 “魔女” を知る事が出来る、その素晴らしさを。

 たとえほんの僅かな情報でも“魔女” と言葉を交わし、

“魔女” の暮らしの片鱗をこの目で見ることが出来るのだ。


 だからもういい。


 もう僕は死んでもいい。

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