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 昔、僕が子供だった頃。本好きゆえに下手に知識があるせいで、町の大人達からチヤホヤとされていた。

 たかが雲の動きを読んで天候を当てたくらいで神童扱い。

 自分たちで考えることも放棄し、幼い子供に生活の知恵や金儲けの助言を求めるなど、今にして思えば怠惰で無能な大人ばかりだった。

 その御陰かは知らないけれど、近所の悪ガキ共からは妬みやら僻みやらで事ある事にいじめを受けていた。

 あの頃はまさに陰鬱な時代だったと言える。


 しかし、そんな時代があったからこそ、僕は“彼女” に出会えたのだ。


 あの時、僕が彼らに苛められていなかったら、“彼女” は僕なんかに目も留めなかっただろう。


「おい」


 冬の風吹き荒ぶ。

 険しい山肌にはどれほど踏み荒らしても新しい雪が数秒も経たずに降り積もり、獣ですらも巣穴で大人しくしているであろうこんな悪天候の山の中、僕は屈強でむさ苦しい男達に囲まれて寒さに震えていた。

 雨風凌げる程度ならば狭苦しい洞穴でも文句は言うまい。

 しかし、である。雪風が舞い込み、冷気が留まり続ける場所に男が六人。焚火を囲んでいるとはいえ、寒さに耐える為に身を寄せ合うのはあまりにも、あんまりな状況ではないか。


「おい、あんた。さっきからブツブツとうるせぇんだよ。ちったぁ黙れ。ますます寒くなる」


 男達は屈強な戦士だ。山登り用の軽装でも身を守る鎧はしっかりと着けている。

 ガチャガチャと剣や斧を地面に放り出し、冷えた金属から少しでも離れようと兜を脱いだ。

 焚火の火が吹き込んだ風で激しく揺らぎ、それが消える事を恐れた戦士達が隙間を無くそうと文字通り身を寄せ合う。


 なんの悪夢だろう。男達の肉の壁の間に挟まれ、僕の意識はますます遠のくばかりだ。


「まったく、なんでアイツらはこうも余計な場所に身を隠すのかね」


「雪山の崖っぷち、谷の底、底なし沼に濃霧の森の奥深く。いやはや、ろくなもんじゃない」


「あんたはどう思うね。学者のにーちゃん」


 歴戦の戦士で構成されたこの隊の男達にとって、三十路近くであっても若造は若造。青二才に対しての礼儀は無く、嘲笑を含んだ質問は答えを返しても真面目に聞く気はないのだろう。

 だが、僕はこの男の言うように曲がりなりにも学者である。

 専門に関する質問ならば答えてやるのが学者である者の務めなのだろう。


「“彼女たち” は、まず人間に対してそれほど友好的ではないんです。ごく稀に交流に応じる個体もいますが……基本的には無関心、または“獲物” として見ています」


 ぴくり。男達の表情が険しく固まり、ひりつくような空気が流れ始める。

 僕はそんな変化に気付きつつも、話を続けた。


「“彼女たち” は自分たちのペースを乱す輩を嫌います。拠点、住処などのテリトリーを侵すことはそれに準じることなので、誰にも邪魔されない場所を好むんですよ」


 瓶底のような厚い眼鏡を耳から外し、焚火で曇ったレンズを薄汚れた鼠色のコートで拭う。

 もう何日も風呂に入っていないせいか少々臭う頭を掻けば、外の雪のようにフケが飛び散った。


「やっぱり詳しいもんだな。学者さんよ。なぁ、もっと聞かせてくれよ」


「うむ。あやつらの事をもっと教えてくれんか。儂らは山賊や、戦場の兵士相手になら幾度と無く剣を振るってきたが、あやつらは目にするのも今回が初めてじゃ」


「なぁ、アイツらと出会った者は皆……死んじまうってのは本当か?」


 唾を飲み込み、男達に暗い影が落ちる。歴戦の戦士と言えど“彼女たち” は恐い。


「“魔女”」


 それは僕達、人間に極めて近い姿を持った化け物の事である。


 “魔女” は種族を表す名称であり、群れではなく個体それぞれが独立して存在している。

 一見、僕達と姿形が同じに見える為、“魔女” と識別し難く、また知能が高いゆえに僕達の様な人間らしい行動を振る舞うが、“彼女たち” は皆一様に人が持つことの出来ない強大な力を所持し、それを使って人を襲う攻撃性を持っていた。


「僕も遭遇した事は数えるほどしかありませんが、“魔女” が現れた場所で死体が無かったことは……」


「ぐ……そうか」


 “魔女” には容姿、性格、能力などに大きく個体差が存在する。僕達人間と変わらない個性を持ち、それぞれに主張する考えやこだわりなど多種多様の人格があるのだ。

 しかし個性があるとは言え、僕の研究では“彼女たち” は共通して残虐性が高く、自分達以外の生物を蹂躙することに快楽を見出している節があった。

 そういう種族なのだろう。遺伝子に刻み込まれた本能がそうさせているに違いない。


「だが生き延びる奴もいるんだろう? 実際、あんたがそうだ」


「僕は……」


 ずれた眼鏡を持ち上げ、周りを囲む五人の男の視線から逃れるように顔を俯ける。

 僕だって多少なりともフィールドワーク(野外など現地での実態に即した調査、研究)の賜物で体力には自信はある。

 身長は国の男子平均を少し上回っているし、体重も痩せ型ではあるが健康的な標準体重に近い。

 そりゃあ戦う事に特化した戦士には劣るけれども、世の引き篭もりの学者連中よりは“動ける” つもりだ。

 けれども、それが何の役に立つ?


「僕は、観察者です。観察者は観察することが仕事なので……その……」


 戦うのは戦士の仕事。つまり、僕と言う人間は、こうして“魔女” に関わろうとする人間に着いて行っては、観察と言う名の傍観者を決め込んでいるのだ。


「……見殺しにしたのか」


「否定はしません」


「てめえ!」


「よさんか。戦えん人間に誰が期待していたと言うんじゃ。死んだ者達もそれくらいは分かっていたじゃろうて」


 そう。きっと彼らも理解していた筈だ。僕の研究レポートがいつか“魔女” の弱点となることを。


「……あなた達も。そう思っていてください。僕の目的は最初から“魔女” の研究なのですから」


 遭遇するだけで出会った人間を惨殺する化け物が出てくる最古の資料は、今から千年前、この国が建国される際に書かれた歴史書である。

 その他にも神話やおとぎ話、伝承、民話など数々の本の中に“魔女” の存在は出てくるが、そのどれもが“魔女” の齎した災厄、事件の話をテーマにしたフィクションであり、“魔女” について詳しく調べた理論的な資料は残っていない。

 “普通” の学者は皆、“魔女” を恐れて調査することを拒んでいるのだ。一応、千年の間に何人かの物好きは居たようだが、詳しく“魔女” の事が書かれた文献は国の検閲に引っ掛かって全て処分されているそうだ。

 民が“魔女” に興味を持ち、僕のように“魔女” に近づく輩を抑制する為なのだろう。

 けれども、そうすることで最悪な事態を作ったのも事実。

千年経った今も僕たち人間は魔女たちの生態を知らない。

 この世界で、千年もの間、多大な被害が“魔女” によって起こり続けていると言うのに、僕たちは“彼女たち” について何も知らないのである。


「だから、あんたがやっているんだろう? その研究ってやつをさ。あいつらの弱点さえ分かればもう人殺しなんてやらせねぇよ」


「ええ。ですが、僕は純粋に“魔女” に対して興味があるから研究をしているだけで、その研究を世間に発表して魔女対策に利用する、なんて目的はないのであまり期待をされるのは……」


「おいおい! あんたは“魔女” が憎くないのか? あいつらは人間を殺すんだぞ? それも一人二人じゃねぇ、大勢の人間をだ!」


「あのよぉ、俺の故郷の街もたった一人の魔女に壊滅に追い込まれたんだよ。街の奴らは半分近く殺られちまったんだと。まだ俺と家族は他所に出掛けてたから無事だったんだけどよ……」


「……」


 憎いなんて感情はさらさら無い。

 そう答えれば、きっと僕は“魔女” を憎むこの男達の剣の錆になってしまうに違いない。

 大体、僕は“彼女たち” を知りたいのであって、決して“彼女たち” の敵になりたい訳では無いのだから。

 金も名声も賞賛も要らない。ただ単純に、純粋に“魔女” の事が知りたいだけなのだ。


「まぁ、いいや。いくら伝説に聞く“魔女” だからって、その通りにつえーかわかんねーしな」


「そ、そうだそうだ。戦ってみりゃあ案外弱っちいかもしんねーよな!」


 強がりか、それとも本気でそう思っているのだろうか。

 張り詰めた空気はやがて気の早い祝勝ムードに変わり、寒さもいずれは忘れる事ができそうな雰囲気が漂った。

 男達は己の武勇を声高らかに語り出す。

 如何に自分達は強いのか。

 “魔女” など相手にならんと自信たっぷりに言ってのける者もいる。


 恐いのだろう。そう口にせねば恐怖で逃げたくなるのだろう。


 “魔女” は、それ程までに人間に恐怖を与える存在なのだ。

 知らなくとも恐い。

 けれど、知ればもっと――


「あら素敵。貴方達、お強いのね?」


 パチパチと薪が爆ぜる。

 火は揺らぎを止めて、風すら此処に入ることを拒んでいた。

 男六人の輪の中に女が一人。それも、とても場違いな、華やかな美人が一人紛れていた。


 元からそこに存在していたかのような、そんな違和感の無さに脳は驚くことを忘れている。


「ふふふ。ごきげんよう。皆様」


 耳の上で二つ括りにした豊かに波打つ金の髪。

 青い瞳は宝石のように輝いて、にこにこと僕達のことを見回している。


 毒々しいほど赤い二つの薔薇の髪飾りも、ぴったりと身体に張り付くマーメイドラインの赤く豪奢なカクテルドレスも、洞穴内の寂びた景色からは異様なほど浮いているのに誰も反応を示さない。

 いや、僕含め、反応したくとも体が、頭がそれを拒絶しているのだ。


「……うふ」


 とても美しい女性だ。

 年は二十代前半くらいだろうか。厚くつやつやと潤った唇が子供っぽい笑顔に妖艶さを付け加えている。

 誰も目を離せないでいた。

 話すことも出来ずにいた。

 勇敢な戦士である筈の男達が呪われたように、彼女の吸い込まれそうなほど青い瞳を、または大きく開いた胸元から覗く乳房の白さを食い入るように見つめていた。


「さて、最初に死にたいのはだぁーれだ?」


 頬杖をつき、まるで悪戯っ子のような微笑みで、


 彼女は――“魔女” は僕達に問いかけた。

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