06 神の無慈悲
神女は一度部屋を出ると、数人の若い神女を連れて帰ってきた。
そしてあろうことかロティの身支度を手伝うようにと命じたので、とんでもないと彼女は震えた。
「体を拭くだけです。大人しくなさってください」
「神女様方にそのようなことはさせられません!」
訳も分からず、また何をされるのかという恐怖に、ロティはシーツをかぶって丸くなった。
神女たちはすっかり困ってしまい、ベッドを取り囲んでどうしようかといった具合だ。
そんなところに、今度は知らせを受けたシェスカが走り込んできた。
息を切らした神女長の登場に、神女たちやロティは驚きで動きが止まる。
「はあはあ……ロティ、姿を見せなさい!」
命じられ、ロティが逆らえるはずもない。
彼女は慌ててベッドから飛び出すと、柔らかい絨毯の上で膝を折り、畏まって小さくなった。
突然の動きに全身が悲鳴を上げたが、今はそれどころではない。
相手はロティを嫌っているシェスカ。
もたついていては、どんなお叱りを受けるか分からないのだ。
以前申し付けられた食事を三日与えないというお仕置きも、原因はシェスカに気付かずその進路を塞いでしまったというものだった。
余程慌てているのか、シェスカは息を荒げたままその場に立ち尽くしている。
ロティにとってこの状況は恐怖でしかない。
過ぎ去るならば早く去ってほしい悪夢だ。
ああもうこんな大きなベッドはいらないから。食事も抜きでいいから、心安らかに彫刻でも磨いていたい。
この場から一刻も早く立ち去りたい。
そう強く願った時だった。
震えるロティの体が、突然意思をなくした。
絨毯肩から突っ伏すように倒れ込んだ体を、神女たちが慌てて支える。
そして次の瞬間、目を開けたロティは全くの別人になっていた。
「この依代はどうしてこんなにも気が弱いのだ。見ているだけで疲れる」
ガシガシと頭を掻き、ロティ―――いや、その姿をした何者かは、無作法にも胡坐をかいて座り込んだ。周囲を気にせず振る舞うその姿は、先ほどまでと大違いだ。
別人のように顔つきすら変わってしまったロティを、シェスカは信じられないという顔で見下ろした。
「アルケイン様……でいらっしゃいますか?」
彼女の恐る恐るの問いに、相手は胸を張ってこたえる。
「いかにも。人の子の願いを聞き参上した」
神女たちが、アルケインの強すぎる力を感じ、ひれ伏す。
シェスカはその受け入れがたい現実を前に、ぎりりと歯を食いしばり立ち尽くした。
そこにシェスカから遅れて、ベールをかぶった高位の神女たちがやってくる。
その中には当然、エインズもいた。
「これはこれは、アルケイン様にあらせられますか?」
ロティが鷹揚に頷く。
高位の神女たちもその場にひれ伏し、立っているのはシェスカのみとなった。
「シェスカ。アルケイン様に敬意を」
静かな声で、エインズが窘める。
ロティの顔をしたアルケインは、シェスカのことを興味深そうに見上げていた。
「アルケイン様、どうして私ではないのですか……っ」
シェスカが絞り出したのは、怒りと妬心に塗れた声だった。
部屋にいる神女たちは、何を言い出すのかとざわつく。
「儀式で精霊に呼びかけたのは、その娘ではなく私です! 本来あの儀式は、エレ様の眷属に雨を乞うたもの。なのにどうして、アルケイン様が現れて、私ではなく寄りにもよってその娘に憑依なさったのですか!?」
シェスカは礼儀も何もかもかなぐり捨てて、声高に叫んだ。
その拍子に彼女のローブが落ち、醜くゆがんだその表情があらわになる。
あまりの非礼に、他の神女たちは言葉をなくした。
アルケインは、怒るでもなくただ面白そうにシェスカを見つめている。
そしてたっぷりもったいぶって、彼は口を開いた。
「お主、とても感応力が強いであろう?」
突然の問いに、シェスカははいともいいえとも答えられない。
まるで金縛りにでもなったかのように、一切の体の動きを封じられたからだ。
そしてアルケインが人差し指をくいっと上に向けると、まるでその動きに従うようにシェスカのつま先は地面から離れた。
驚いた神女たちが騒めく。
「感応力は、人が我々精霊を感じ取る力。強い感応力を持つお主の中に、我が宿れば一体どうなると思う?」
シェスカは思い通りにならない体に青ざめ、それぞれに強い感応力を持つ神女たちは、息を呑んで言葉の続きを待った。
アルケインはその様子を、愉快そうに見ている。
顔はロティのものだというのに、大人しい普段の彼女からは考えられないような威圧的な表情だ。
息の詰まるような沈黙が流れた。
「我の力に耐えきれず、憑依した者は二度と使い物にならぬであろう。このようにな」
アルケインは無感情にそう言うと、指を今度は地面に向けた。
するとシェスカの体は地面に叩きつけられ、広間には悲鳴が響き渡った。
しかし誰も、シェスカに駆け寄ることはできない。
うつぶせに倒れたシェスカの体からは、どくどくと血が流れていた。
人間たちは青ざめ、その場に縫い付けられたように動けなかった。
ごくりと、誰かが息を呑んだ音がする。
「この娘には感応力が全くない。だから我が憑依しても平気でいられるのだ。これで、おぬしの質問の答えになったか?」
アルケインが問い返しても、シェスカは答えられるような状態ではなかった。
エインズは沈黙の中で考える。
精霊の憑依に感応力が邪魔になるなど、どの教本にも書いていなかったことだ。
それも当然で、精霊は人に力は貸しても憑依まですることはまれだった。
そういう事象があることは歴史書にも書かれているが、老齢のエインズでさえその実例を目にしたのは初めてである。
「では次に、なぜ私がわざわざ憑依などしたかについてだが―――」
堂々と話し始めたアルケインに、全員の視線が集中する。
しかし彼は一瞬何かに気付いた顔をすると、俯いて腹を撫でさすった。
「すまんが、食べ物をくれ。この娘は腹を空かせて今にも倒れそうだ」
固唾を呑んで宣託を待っていた神女たちは、弾かれたようにアルケインのもてなしを始めたのだった。