05 ロティの目覚め
「精霊王様は何をお考えなのでしょう!? まさか神女でもない端女を依代になさるとは!」
神殿の奥。
光が差す高い高い天井に、女の苛立った声が響く。
高位の神女長が集うのは、人では彼女たちしか入ることの許されない礼拝堂だ。
位の高い神女であることを示す、金の腕輪と白いベール。それを身につけた女たちは、年の頃はそれぞれでも全員一様に戸惑いの表情を浮かべていた。
先ほど叫んだのは、年は若いが強い感応力を持つ神女長シェスカだ。
昨晩地下墓地の隠し部屋で行われた儀式は、本来は彼女に精霊を降ろすための儀式だった。
しかし呼び出されたのは、ただの精霊ではなく全ての精霊の王。更に憑依されたのは、彼女ではなく感応力を全く持たないロティだった。
この事実が、シェスカのプライドを傷つけないはずがない。
遠く王家の血も受け継ぐ彼女は、豊かな金髪と青い目。それに豊満な体を持つ大層な美人だ。
秋の収穫祭ではもう何度も、美の女神フロテアの仮装を任されている。
「静まりなさいシェスカ。ここは秘蹟の礼拝堂なのですよ」
老いた声は、しかし力強くシェスカを威圧した。
次期大神女最有力候補、エインズ。
彼女にそれ以外の名前はない。勿論ほかの神女たちにも。
彼女らは神殿に入る際、俗世のしがらみと一緒に姓をを捨てるのが習わしだ。
よって神女同士は、どんな間柄であろうとも名前で呼び合うことになる。
不満そうに居住まいを正したシェスカに、エインズは温度のない視線を送った。
「みなさん。動揺は分かりますが、我々が忖度すべきは精霊王さまのご意思のみ。中位までの精霊ならまだしも、その精霊の王たるアルケイン様が呼びかけに応じてくださったのは、かつてないことです。我々にできるのは、その思し召しを粛々とお伺いすることだけ。姿が掃除婦だからと言って、彼女の中のアルケイン様はいつも我らを見ておられます。決して軽んじることなく、そのご意思に背くことなく、神々に我らの忠義を示す時です。分かりましたね」
居並ぶ神女たちは、ベールで顔を隠しつつも同意を示すために膝を折った。
シェスカだけは納得しかねるというように立ち続けていたが、エインズの冷たい視線にしぶしぶと膝を折る。
とにかくアルケインの意志を確認しようということで会議はまとまり、皆が礼拝堂を出ようとした、その時だった。
礼拝堂の扉が、激しく叩かれる。
何事かと、最も傍にいた神女が扉を開けた。
「なにごとですか」
やってきたまだ若い神女が、戸惑うようにその場に膝をつく。
まだ礼拝堂に入ることは許されない彼女だが、どうしても急ぎ知らせなければならないことがあったらしい。
その証拠に、彼女の息は激しく乱れている。
神女長たちが固唾を呑んで見守る中、若い神女は切れ切れにその言葉を告げた。
「ロティ……様が、目を覚ましました」
全員が、驚きに目を見張る。
しかし一人だけ、違う反応をした者がいた。彼女は弾かれたように、は他の神女長を押しのけて礼拝堂の外に飛び出す。
「待ちなさい、シェスカ!」
エインズの制止も、シェスカには届かない。
いや届いたのかもしれないが、気付かぬ素振りで彼女は走り去ってしまったのだった。
***
気が付くと、ロティは大きなふかふかのベッドの上に寝かされていた。
大神女が使っていたような、天蓋付の巨大なベッドだ。
下働き用の小さく固いベッドとは、何もかもが違っている。
(これも、夢?)
ぼんやりとしていたロティは、神殿の鐘が鳴り響くのを聞いて飛び起きた。
(いけない! お仕事に遅刻しちゃう)
慌ててベッドから出ようとしたロティは、シーツに足を取られベッドから転がり落ちた。
すかさず立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
そして、体のあちこちがじくじくと痛むことに気付く。
転がり落ちた衝撃とは別に、全身にはだるさや痛みがあった。改めて全身を見下ろしてみると、その証拠のように膝や脛には丁寧に包帯が巻かれている。
(こんな怪我、いつの間にしたの?)
ロティは必死に記憶をたどったが、彼女の持つそれは地下墓地から逃げようとしたところでふつりと途切れていた。
その時だ。
キイと音がして、部屋についていた両開きの扉が開いた。
来訪者は絨毯の上に這いつくばったロティを目にして、驚きの表情を浮かべた。
その驚きを場違いだからだと取ったロティは、慌てて頭を下げて縮こまった。
来訪者は顔見知りの神女だった。
高位の神女たちを世話する部門の責任者だ。
「も、申し訳ございません! 別に忍び込んだわけじゃなくて、気付いたらここにいて……っ」
ロティは必死に自分の無実を証明しようとしたが、同時に信じてもらえるとは思っていなかった。
前大神女のお気に入りであったロティを、よく思っていない神女は多い。
その中でも目の前の女性は、彼女を目の敵にしている内の一人だった。
叱られない内に慌てて逃げ出そうとするが、体が上手く動かない。
もともと満足に食べられない日が続いていた上、全身が滅多打ちにされたかのようにひどく痛む。
どうしようかとロティが困惑していると、信じられないことに白い繊手が差し出された。
「お立ちになって。あなたに伝えねばならないことがあります」
その落ち着いた声音は、ロティの想像していた怒声とは全く違うものだった。
しかし不自然に怒りを押し殺しているとでもいうのか、静かな声の底には黒い何かが淀んでいる気がする。
おそるおそる見上げると、女は面のような無表情を浮かべていた。
その表情に怯えつつも、ロティは彼女の言葉に従いベッドへと戻ったのだった。