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40 ロティの決断、アルケインの願い


「答えは……決まっていますエレさま」


 彼女は断固とした口調で言った。

 その顔に迷いや戸惑いのようなものは見られなかった。


「地上の人々を救えるというのなら、喜んで命を捧げましょう」


「ロティ!」


 フロテアが叫ぶ一方、エレはするするとロティを戒めていた半身を解いた。


「その言葉、真実であるというならこの水に飛び込め。我が涙の代わりしこの湖は、沈めば二度と浮かび上がることはない」


「やめなさいロティ! エレの言葉を信じてはだめ」


「お姉さまは黙って! こんな人間いなくなればいい。アルケインさまを惑わす人間の小娘など!」


「エレ、あなた知って……っ」


 フロテアが動揺したようによろめく。

 ロティは胸に手を当てた。

 心臓は激しく脈を打っている。

 まるで自分とは別の生き物のようだ。

 地上で審判の儀を受けた時と、同じ感情が心の中に湧き上がってきた。それは恐怖。戸惑い。悔しさ。悲しさ。

 けれどそれらすべてを、ロティは振り払った。

 もう体を戒めるものは何もないが、背を向けて逃げようとは思わなかった。


「一つだけ、願いを……」


「ずうずうしい。雨を止める以外に何を願う」


「アルケインさまに、ありがとうございましたと伝えてください。あなたに出会えて、よかったと」


 震えそうになる言葉を、ロティはなんとか最後まで吐き出した。

 エレの不興を買ったのか、洞窟に生える岩々が鋭く尖る。

 よろよろとそれを避けて、ロティは湖の淵に進んだ。

 エレはフロテアが邪魔しないよう今度は姉の体に巻き付いている。


「離しなさい、エレ!」


「神ならば黙って見守るものよ。お姉さま」


 青い光を湛える湖は、ひどく美しかった。サンダルのつま先に触れた水は、凍えるほどの冷たさだ。


 (この冷たさが、エレさまの心の痛みなのね)


 ふと、ロティはそんなことを考えた。

 美しい姉と、醜い妹。人々は姉のフロテアばかりを信仰し、エレは化け物であると語り継ぐばかりだ。

 光に影があるように、華やかなものに裏があるように、完全なものなどどこにもない。完全であるのは創造主だけ。それ以外の者は神であろうと人であろうと全てが不完全だ。


 ―――けれどその不完全さが、愛おしい。


 ロティは不意にエインズの祈りを思い出した。

 大神女の娘であり、その嫉妬からロティを救えなかったという彼女は、確かに悔いていた。悔いてその過ちを正そうと、己の命すら投げ出そうとしていた。

 けれどその姿が、ロティに雨を止めようという決断させたのだ。


 (エインズさま。神殿には―――まだペルージュにはあなたが必要です。だから代わりに、あなたの母の愛を奪った私が)


 そしてロティは、勢いをつけて自らその湖に飛び込んだ。


 (最後に一目、アルケインさまにお会いしたかった)


 彼女の願いは、泡になって消えた。


「ロティ!」


 激しい水音。フロテアの悲痛な叫び。


『ロティ!』


 アルケインの声がしたような気がしたが、気のせいに違いないとロティは瞳を閉じてしまった。



  ***



 葡萄酒を作ることだけが唯一の趣味だったアルケインの生活に、最近新たなルーティンが加わった。

 フロテアから引き取った部屋を眺めの良い場所に置き、そこを訪ねること。

 何もなかった部屋には雲でできたベッドと、複雑な模様の入った織物。布張りのカウチに低いテーブルが置かれている。

 白い壁には植物の模様。外がよく見えるように窓も広げた。

 けれど部屋の主は、どこにもいない。

 ベッドの上には彼女 が着ていた簡素なドレス。

 姿は見えなくとも、彼女はいつかここに生まれる。


「早く……早く」


 精霊王はここで、ある神の誕生を待っている。



  ***



 彼はあの日、間に合わなかった。

 トールデンと向かったエレの洞窟。その場所で起こったのは、目を覆うような事実だ。

 エレは雨を止ませるのに代償を求めた。

 それは替えのないロティの命。ただ一つしかなかった宝石。

 沈めば二度と浮かび上がらないエレの悲しみの湖に、彼女は進んで身を投げた。

 ―――自らを死に追いやった、愚かな人間どもを救うために。

 アルケインの喪失感はひどいもので、彼は七日七晩湖の淵で嘆き続けた。その時彼が放出した力の強さで、エレの洞窟は粉々に砕かれ、後には湖だけが残った。

 精霊王の嘆きは地上に嵐をおこし、その嵐が止んだのは八日目の朝。

 砕けた岩を踏む靴音に、アルケインは正気を取り戻した。


「終わったか?」


 永遠に本人に言う気はないが、その時アルケインは彼が友人で良かったと思った。

 元人間の雷神は他の神々とは違い、喪失の意味をよく知っている。


「ほれ」


 そう言って、ごく軽い調子で彼が差し出したのは、一本の鉤棒だった。


「これ、あの娘 のだろ?」


 手にした他愛もない道具は、確かに彼女が使っていたものだ。

 埃を掻き出しやすいように自ら削ったのだと、彼女は誇らしげに言っていた。


「……これをよすがにでもしろというのか?」


 七日ぶりに出した声は、老人のようにしわがれていた。

 しかしトールデンは、アルケインの言葉を容易く否定する。


「違うよ。これを依代に新たな神を作り出すのさ」


 そう言って彼は、朝日の中で満面の笑みを浮かべた。




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