04 アルケインあらわる
ロティは夢を見た。
不思議な夢だ。
彼女はすぐに、それが夢なのだと分かった。
白い霧の向こうに、男が立っている。
沈む直前の、太陽と同じ色の髪をした男だ。
それ以外は、濃い霧の中に紛れてしまってよくわからない。
『……だれ?』
ロティの声は震えていた。
当然だ。
生まれてこの方、彼女はほとんど男性と関わらずに生きてきた。なので極端に異性に対する免疫がない。
男が何か言ったような気もしたが、ロティにその声を聞き取ることができなかった。
(なに?)
声を聞くために近寄ろうとして、ロティは己の体が動かないことに気が付く。
ただその場に立ちすくんだまま、指先をぴくりと動かすこともできない。
(あなたは誰なの? 私に何か言いたことがあるの?)
ロティは強く願った。
相手が男性だということを抜きにしても、嫌味もなく誰かに話しかけられるのなんて久しぶりだったから。
その男の姿が見たいと、彼女は心の底から願った。
すると不思議なことに、徐々に霧が晴れていくではないか。
風もないのに、霧はまるで水に混ぜたミルクのように薄まり、やがて霞んで消えてしまった。
現れたのは、どこかで見たことのあるような相手だった。
彼は面倒そうに頭を掻いて、ロティの方に近づいてくる。
男は色が白く、鼻筋の通った作り物めいた顔をしていた。
鍛え抜かれた筋肉の上に、ひどく古めかしい鎧をまとい、腰には大きな剣を佩いている。
たっぷりとした白い布を腰に巻き、聖職者が用いるような革編みのサンダルをはいていた。
誰かに似ているという思いが、ある確信に変わる。
精霊王アルケイン。
昼間磨いていた巨大な彫刻に、彼はそっくりだった。
創造主に直に仕える尊き二柱の内、地上に満ちる力を司る太陽の神。
男の姿は、強い感応力を持つ芸術家が削り出した彫刻によく似ている。
(収穫祭の、仮装?)
ロティがそう思ったのには、わけがあった。
秋になると、王都では毎年街一番の美男美女を選び、それぞれアルケインと美の女神フロテアに扮装させて、街中をパレードするというしきたりがある。
収穫を祝い、それを神に感謝する収穫祭だ。
収穫祭はロティが一年に一度、街に出られる数少ない機会だった。
勿論自由に見て回れるわけではなく、妖精に扮した神女たちが撒く花びらを掃除するという役目ではあったが、それでもロティは収穫祭を毎年楽しみにしていた。
けれどいつもいつも、華々しいパレードの後方で箒を掃くばかり。
だから輿の前面に立つその年のアルケインを、見たことは一度もなかったのだ。
(それが見たくて、こんな夢を?)
そう思うと、なぜかひどく恥ずかしい気持ちになった。
ロティは頬を染め、こんな夢を見た自分を恥じた。
しかしそうこうしている内に、男はロティの目前にまで迫っていた。
自分より圧倒的に長身な男を見上げ、ロティは息を呑んだ。
近くで見ると、やはり美しい男だ。
夢なのだからロティの想像に過ぎないのだろうが、白くても女らしくはない容姿は思わず見とれてしまうほどだった。
昼間の彫刻に命が宿ったら、きっとこんな風なのだろう。
大きさは、かなり違っているにしろ。
男は不機嫌そうにロティを見下ろし、もう一度口を開いた。
(聞こえないわ。なんて言ったの?)
聞き返すこともできないまま、唐突に夢は終わった。
霧の白い空間は一気に闇に閉ざされ、ロティは強制的に深い眠りに引きずり込まれていった。
***
アルケインが目を開くと、広がっていたのは暗く埃っぽい空間だった。
そして物質としての肉体を持たない時には決して感じ得ない、『痛み』という感覚を全身に感じた。
どうやら階段の中頃に倒れ込んだこの体の持ち主は、全身を強かに打ったものらしい。
立ち上がると、その体は驚くほど小さかった。
目線が低く、暗がりでは視界も碌に効かない。
―――人とはなんと不自由なものか。
アルケインが初めて人に憑依して持ったのは、そんな感想だった。
少しして、バタバタといくつもの足音が彼に近づいてくる。
手指の動きを確認していたアルケインは、階段の下に集まった者共を見下ろした。
強い感応力を持つ神女達は、信じられないというように目を見開いて自分を見上げている。
「ロティ!? こんなところでいったい何をしているの!」
中でも一番年若い一人が、甲高い声を上げた。
どうやらこの体の持ち主はロティというらしい。
一度夢世界で相対したが、痩せこけたひどく貧相な娘だった。
まるで震える仔ネズミのような大きな目で、アルケインのことを見上げていたのを思い出す。
それにしても、呼びかける女の声には確かな非難の色があった。
呼び出されたから来たというのに、第一声がそれというのはあまりにも無礼だ。
「わ……コホ」
声帯を用いて宣託を与えようとしたが、初めて出す声は奇妙に裏返った。
―――憑依とはなんとやりにくい!
彼は気まぐれに憑依を決めた少し前の己を恨んだ。
「我は精霊達の王、アルケイン。人の子の願いを聞きに参った」
そこまで言ったところで、アルケインは己の器がやけにふらついていることに気が付いた。
体に力がい入らず、少しでも気を抜くと倒れそうになる。
どうやらこの器は、人の中でも特にひ弱であるらしい。
アルケインはそう冷静に分析したが、それだけでは済まなかった。
憑依の負荷と空腹と疲労に耐えかねた体は、そのままバランスを失い階段から転げ落ちていた。