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37 ロティの決心

「あら……?」


 その時ふと、フロテアが首を傾げた。


「一人だけ、違う言葉を呟いている者がいるわね」


 また眺めが少し変わる。

 するとその向こうはエインズの顔が大写しになっていた。

 年相応の皺を蓄えた彼女の顔には、深い疲労の色が窺える。


「エインズさま……」


 大神女亡き今、彼女が神殿を取り纏めているのだ。その心労は察するに余りある。

 しかしよくよく聞いてみると、彼女小さな祈りは他の者とは圧倒的に異なっていた。


『神よ、お許しくださいわたくしが、卑しくもロティに嫉妬したばかりに……』


 ロティは、飛び出した自分の名前にどきりとした。


 (エインズさまが、私に嫉妬? でもそんなこと、一度も―――)


 ロティから見たエインズは、職務に忠実でどんな時も公正な人物だった。ロティを気に入らないとつまらない嫌がらせを仕掛けてくる神女達の中で、彼女だけが中立を保ち庇ってくれたこともあったぐらいだ。


『あの娘が無実の罪で泉に突き落とされるのを、わたくしは止めることができませんでした。それはきっとこの身に巣食う嫉妬のせい。あの娘が母の―――大神女の寵愛を一身に受けていたから……』


 しわがれたエインズはまるで、ひと月で十歳も年を取ったように見えた。

 ロティはエインズの言葉の意味が理解できず、茫然とその場に立ち尽くす。


『わたくしを捨てた母が、どうしてみなしごを我が子のように扱うのかと、その愛情をどうしてわたくしに向けてくれなかったのかと、今まで恨んでまいりました。あの娘を何度殺したいと妬んだことか。その浅ましさが、あの一瞬彼女を救うことを躊躇わせたのです。神よどうか、わたくしの浅はかさをお許しください……』


 エインズの言葉に、ロティはひどく衝撃を受けた。


「まさか、エインズさまが大神女さまの娘……?」


 ロティは生前の大神女の記憶を手繰ったが、二人がそんな素振りを見せることは一度としてなかった。

 いいやそれ以前に、神女は一生を神に捧げる身の上。

 出産どころか結婚だって、もってのほかだ。

 前大神女に子供がいたと知れたら、それだけでも神殿の一大スキャンダルになりかねない。


「ああこの女、あの時の」


 そう言ってフロテアは、今度は全く違う映像を窓の外に映し始めた。

 フロテアの祀られた礼拝堂は、夜なのか薄暗い。そこで人目を避けるように見つめあう男女。

女の手の中では白い布でぐるぐるにまかれた赤子が、すやすやと静かに眠っている。


『もう会うのは最後にしましょう』


 その声は、ロティが知っているそれよりも若かった。

 月光に浮かび上がる顔は、若いとはいえロティの知る特徴を多く備えている。


「大神女、さま……」


 ロティは息が止まりそうになった。

 養い親の顔には見たこともないような決意が刻まれている。

 反対に、向かい側にいる男の顔は影になって見えない。


『神殿を捨てて、俺と共に生きてはくれないのだな』


 男の声には確かな諦めがあった。恐らくは既に二人で話し合いを重ねた後なのだろう。

 男は女に対して失望を隠さず、女はそれも仕方ないと諦めている様子だった。決定的な食い違いが二人の間にあって、お互いがお互いにそれをどうしようもできないものだと諦めている。

 両親の緊迫した雰囲気をよそに、赤子は安らかな寝息を立てるばかりだ。


 (私の両親も、こんな風に私を手放したのかしら?)


 不意に、ロティはそんなことを考えた。

 そして、エインズを手放した罪悪感から、大神女は自分のことを引き取ったのかもしれない―――とも。


『私はもう、ここでしか生きられないのよ』


 男の背中に、女が悲しげにつぶやく。

 その声が聞こえたはずだが、男は振り返りもしなかった。

 礼拝堂の扉が閉じ、女はその場に崩れ落ちる。

 痛みにのたうつような、細いすすり泣き。

 胸が痛くて堪らなかった。

 大神女はきっと、娘と離れたくはなかったのだ。けれど神殿を捨てることもできなかった。

 そして十数年が経ち、成長した娘は母を追って神殿に入った。

 その時、エインズはロティを娘同様に可愛がる母を見て、一体どう思ったことだろう。

 きっと辛かったはずだ。悔しかったはずだ。

 他人の子供をかわいがるのならばどうして自分を捨てたのかと、さぞ問い詰めたくなったことだろう。

 ざあざあと、窓の外には雨の降るペルージュが広まっていた。

 そして沢山の人の祈りと、エインズの贖罪の声。


『お許しください。お許しください。この老いぼれの命と引き換えに、どうかペルージュをお救いください』


 その低い呟きに、ロティはぎゅっと奥歯を食いしばった。


 (エインズさまが責任を取る必要なんて、どこにもない!)


 ロティはぎゅっと拳を握り、美しき女神を見た。


「私、雨を止めたいです。この雨を止めていただけるよう、アルケインさまにお願いします!」


 普段おっとりとしてマイペースな娘の顔には、まるで別人のような悲壮な覚悟が浮かんでいた。


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