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36 降りしきる雨



 はじめ、その出来事を人々は、恵みの雨だと喜んだ。

 晴天の日が続き、水不足となりかけていたからだ。

 ゆえに神殿は雨を乞い、精霊を地上へと招いた。

 ところがやってきたのは予想に外れて精霊王で、人間どもはまんまと精霊たちの王を怒らせたというわけ。

 城の人間が審判の儀を行ったその日から、しとしとと雨は降り注ぐ。

 大地はぬかるみ、川や池の水位は日に日に上がる。日照が足りず、田畑の作物は萎れるばかり。

 いずれ来る飢饉を見越して、貴族は各々が食料を買い占め始めている。

 お陰で物価が上がり、平民の食卓に上る食料は日に日に減るばかり。

 神殿では日夜祈りの儀式が行われているが、その雨が止むことはない。

 人々は今日も不安な顔で、涙を零す空を見上げている。



  ***



 意識を取り戻した時、ロティは自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。目の前にあったのはいつもの天井。石で組まれたアルケインの宮殿のそれだ。体はいつものごとく雲のベッドにくるまれていた。

 目元がだるくかたまっているのは、眠る寸前ひどく泣いたせいだ。そして涙の理由を誰何することで、彼女は眠る前の出来事を思い出した。


 (そうだ私、フロテアさまの話がショックで、泣いたんだわ。それでいつの間にか、疲れて眠ってしまったのね。丸一日眠っていなかったから……)


 ロティは眠っていた自分を叱りたくなった。

 もしフロテアが言っていたことが本当だとすれば、本当は一刻の猶予もないはずなのだ。

 硬い床から体を起こした彼女は、慌てて周囲を見回した。

 そこは確かに記憶にあるいつもの部屋だったが、異なることもあった。

 窓の外に、青空が広がっている。

 驚いたロティは慌てて窓枠に近寄った。

 四角く窓をくり抜いただけの無骨な窓の向こうには、見たこともないような澄み切った青空と、地面をたなびく雲海が広がっている。

 それは大層美しい眺めだったが、どこまでも続く雲の地平にロティの表情は曇った。


 (この下では今頃、故郷の人々が長雨に苦しめられているんだ)


 ロティは直感的に、フロテアの言葉が真実だと確信していた。

 なぜならアルケインはフロテアを咎めはしたが、その言葉自体を否定したりはしなかったからだ。

 理由は恐らく、審判の儀を行ったことで精霊王を怒らせたから。

 そしてロティが体を休めアルケインの宮殿に暮らしている間も、その罰は継続していたということになる。

 ロティはぞっと背中が冷えた。

 ペルージュの都市は盆地であるため比較的温暖で乾燥しやすく雨が少ない。

 しかしそれは裏を返せば、水害に弱いということだ。

 ロティの記憶にあるだけでも、雨の多かった年は飢饉が起こり、神殿は配給を求める人や祈りを捧げる人で溢れた。洗濯物が乾かないので衛生状態も悪化し、病気が流行った。

 神女たちの食料を分け与えても全く足りず、神殿では毎日葬儀が行われた。

 劣悪な環境では、人は弱い者から淘汰されていく。

 まずは子供。そして老人から順番に死んだ。

 まだ幼かったが、ロティの中では忘れることのできない記憶だ。


「目が覚めたのね」


 入口には、フロテアの麗しい姿があった。

 反射的に、再び涙がこみ上げてくる。


「フロテアさま、私―――……」


 どうしたらという呟きは、嗚咽の中に消えた。

 女神はいつものようにロティをたしなめるでもなく、そっと両手を開いた。

 ロティは思わずその細い体にしがみついた。

 何が悲しいのか、もう分からなかった。

 ただ後から後から涙が出て止まらないのだ。

 そんなロティの頭を、フロテアが優しくなでてくれる。花のかぐわしいにおいがした。

 神の体は、温かくも冷たくもない。

 しかしロティはひどく安堵することができた。


「申し訳ありません」


 涙が収まると、ロティはようやくフロテアの体から離れた。

 子供のように泣いてしまったことが気恥ずかしく感じられ、顔に熱がのぼる。


「いいのよ、気にしないで」


「あの、ここはどこですか? アルケインさまは……?」


 落ち着いたロティは、ようやく女神にその質問をすることができた。

 部屋はアルケインの宮殿にいた頃のままだが、それにしては外が見えるというのは妙だ。

 なにせ窓だけでなく、いつもは霧で閉ざされていた出入り口すら、今は空の青で埋め尽くされているのだから。


「安心して。ここは私の領域。あの男も簡単には入ってこれないわ」


 フロテアの言葉にものものしいものを感じて、ロティは思わず口を噤んだ。


「あなたも混乱してるでしょうから、今から状況を説明してあげる。地上がどうなっているか、知りたいでしょう?」


 フロテアが、常にない切なげな顔で言った。

 その表情が表す感情をロティは知っている。それは憐れみだ。

 返事をするのには、沢山の勇気が必要だった。


「……はい」


 すると返事をした途端、目の前に大きな窓が広がった。その窓の向こうに、暗いペルージュの街が広がっている。

 一度も神殿を出たことのないロティにとって、その光景は見覚えのあるものではなかった。城と神殿があることで、かろうじてペルージュと分かった程度だ。

 それでも、道行く人々の暗い表情や、悲し気に天を仰ぐ農民たちの顔に胸が痛んだ。自分が原因で彼らに苦しみを与えているのだとしたら、悲しくて苦しくてどうにかなってしまいそうだ。

 その時ふと、窓の外の眺めが神殿の中へと切り替わった。

 そこではエインズを中心に、神女長や神女たちが一堂に介して、一心不乱に祈りを捧げている。

 ロティが心の中で願うと、彼女たちの言葉がうっすらと聞こえ始めた。

 それはお決まりの祈りの文句だったが、響きには鬼気迫るものがある。

 見慣れた白い神女衣装の中に、ちらほらと他の色彩が混じっているところを見ると、既に食い詰めた人々が保護を求めて押し寄せ始めているのかもしれない。

 茫然と、ロティはその光景を見つめた。

 街を上から見た時よりも余程、事態の深刻さが胸に迫ってくる。



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