03 地下墓地にて
神女長というのは、神女達を取りまとめる幹部職であり、同時に次期大神女候補でもある。
つまり掃除婦のロティからすれば雲の上の存在で、目を合わせることすら不敬になるほどだ。
ロティは慌ててはしごから降りると、床の上に額づいた。
掃除婦は神女長と遭遇した場合、こうすることが義務付けられているのだ。
また面倒な相手が来たと思いつつ、ロティは体を小さくする。
「誰かと思ったら、大神女の世話役をクビになったロティじゃないの。今は掃除婦ですって? どうしてそこまでして神殿に居座ろうとするのかしら。感応力もない癖に」
捲し立てるようにシェスカは言った。
顔こそ見えないが、その言葉には隠し切れない嘲笑が込められている。
ロティがしていた大神女の世話役というのは、実は神女の出世コースなのだ。
それを感応力もないロティがしていたものだから、今の神女の幹部たちは大抵ロティをよく思っていない。
中でもシェスカはそれが顕著だ。
「私にできることは、掃除ぐらいですので……」
額づいたままロティが言葉を濁すと、シェスカは鼻を鳴らした。
「フン。大神女様も、随分と厄介な置き土産を残されたものだわ」
ロティは歯を食いしばる。
自分のせいで養い親が悪く言われるのは耐えられなかったが、ここで言い返してしまえば相手の思うつぼだ。
黙って震えていると、床に揃えていた手の上に足が乗せられた。
そのまま、シェスカがぎりぎりと体重をかけてくる・
「……っ!」
目を閉じて、ロティはひたすらに耐えた。
(こんなこと、お母さんが死んだときの悲しみに比べたらなんでもない!)
悲鳴一つ上げないロティに、シェスカは退屈したようだ。
彼女はつまらなそうに足をどけ、そのまま何も言わず礼拝堂を出て行ってしまった。
扉の締まる音を確認して、恐る恐る顔を上げる。
さっきまで宝物を見つけたようなきらきらした気持ちだったのに、もうその喜びはどこかに霧散してしまっていた。
堪えていた涙が、次々に溢れてくる。
神殿に残るためなら、どんな苦痛も耐えられる。
いくらそう思っていても、実際に悪意に触れればやはり胸が痛むのだ。
シェスカに気付かれないよう声を殺して泣くロティを、巨大なアルケイン像が見下ろしていた。
***
その夜。
日が暮れるまでアルケイン像を磨いていたロティは、疲れ切った体を引きずって地下墓地に向かっていた。
地下墓地への入り口は、中央礼拝堂の教壇の下だ。
出入りは勿論厳しく制限されているが、幼い頃からこの神殿で暮らしているロティには、忍び込むことなど朝飯前だった。
地下墓地は暗く、そして夏でも肌寒い。
身を隠すように黒い布を巻いてやってきたロティは、おやと眉を上げた。
地下墓地へ続く地面の扉が開いている。
覗き込むと、階段の途中途中に据え付けられている燭台にも火が灯されていた。
誰かがこの中にいるのだ。
一瞬中に入るのを躊躇ったロティだったが、大神女に会いたいという欲求には勝てなかった。
勿論、先日他界した彼女に直接会えるわけではない。
けれども彼女にとって、大神女の眠る棺の傍が唯一安らげる場所なのだ。
今日のように一人では飲み込めない出来事が起きた時、話す相手もなく心細い時、ロティはこの地下墓地を訪れることにしていた。
(燭台の炎は頼りないし、闇にまぎれれば鉢合わせにはならないよね)
先客の存在に戸惑ったロティだったが、結局は地下墓地に入ることにした。
その中はとても広く、彼女の考えはある意味で間違ってはいなかったのだが―――。
地下墓地の中は風もなく、いつものように静まり返っていた。
そこには歴代の大神女の棺が、整然と並べられている。
ロティはその中で最も新しい棺に駆け寄り、冷たい石床の上に座りこんだ。
「お母さん」
大神殿の中でも最も地位の高い大神女の、ロティは世話役だった。
感応力を持たないロティを憐れんだ大神女が、無理矢理その役目につかせてくれたのだ。
勿論それをよく思わない者は沢山いたし、陰で嫌がらせされたことなど数えきれない。
それでも神殿の中でなんとか踏ん張ってこられたのは、ロティが祖母と孫ほどに年の離れた大神女を、実の母のように慕っていたからだ。
子供の頃、聡明な大神女はロティに沢山の話をしてくれた。
太古の昔にあった神々の誕生。
個性豊かな神々が、憎みあったり愛し合ったりする古語り。
寝入りしなそんな物語を聞くのが、ロティの楽しみだった。
当時大神女はまだただの神女で、ロティと一緒にいられる時間も多かったのだ。
神殿の外に血縁のない大神女にとっても、ロティは実の孫のように愛しい存在だったに違いない。
だから自分が死んだ後、ロティがどうなってしまうのかいつも心配していた。
大神女は、もしそうなったら神殿を出るようにとロティに言ったのだ。
しかし彼女はその約束を破り、神殿に残った。
彫刻を磨きたい。けれどなにより、大神女と離れたくない。
神殿の外を知らず感応力もないロティは、こういう風にしか生きられないのだ。
それからしばらくの間、彼女はいつものように天にいる大神女の安寧を祈った。
しかしそのさなか、不思議なことにふっと燭台の炎が消える。
地下墓地に風が吹くはずはないのに、奇妙なことだ。
先客が消したのかとも思ったが、石の床を歩けば当然するはずの足音もそして気配もない。
偶然かと思いつつ耳をそばだてていると、地下墓地の壁の向こうから急に雷のような音が響いた。
(庭に雷が落ちたの?)
ロティは一瞬そう思った。
それほどまでに、その音は大きく鋭かったからだ。
しかし一拍後に、それはおかしいと気付く。
なぜなら地下墓地に向かう前に見上げた空は、丸い月がぽっかりと浮かび雲一つなかったからだ。
それから半刻と経っていないのに、果たして雷が落ちるほど天気が急変するなどありえるのだろうか。
とにかくロティは立ち上がり、地下墓地から出ることにした。
もしけが人がいたら大変だし、万が一この場所にいるのが見つかったら大変なお叱りを受ける。
そして慌てて階段を上ったロティは、己の後ろに迫る何者かに気付かなかった。
影も姿もないその何者かの体当たりによって、ロティは驚く暇もなく意識を失ったのだ。