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28 雨の女神


 精霊の言葉通り、吹き抜けになった玄関ホールではエレが待っていた。

 雨を司る女神である彼女は、下半身が蛇の美女の姿をしている。

 髪は艶やかな黒。

 更に黒いドレスを纏い、右肩には雨を表す文様が入れ墨されている。


「待たせたな」


「いえ、今来たところです」


 エレは器用に長いしっぽをさばくと、アルケインに寄ってきた。

 その手には大量の羊皮紙が抱えられている。


「今回のことで、今後考えられる地上への影響についてまとめてみました。お手すきの時にでも目を通していただければと」


 預けられた筒状の書類を、アルケインは精霊たちを呼び出し預ける。

 更にテーブルを持ってこさせ、お茶を用意させた。

 誰かを歓待する時には葡萄酒を出すのが常だが、残念ながらエレは葡萄酒が苦手なのだ。

 向かい合って腰掛けると、エレは優雅にお茶に口を付けた。


「すまないな。面倒な仕事をさせてしまって」


 アルケインが下した決断の実行には、エレの存在が必要不可欠だった。

 決断自体は後悔していないが、直接関係のないエレに手間をかけたと思うと、いささか心苦しい。


「いいえ、お気になさらないでください。なにか深いご事情があってのことなのでしょう?」


 エレが小首を傾げると、黒い髪がさらりと揺れた。

 姉のフロテアと比べて地味だと言われる彼女も、その顔にあるのは確かな美貌だ。

 ただ姉を反面教師にしたためか、色恋沙汰とは縁がなくいつも仕事に追われている印象しかない。

 いつもはそんなこと全く気にしないアルケインだが、その時はなぜか妙に気にかかった。


「エレ、お前に愛する者はいるか?」


 名目上上司の問いかけに、エレは心底驚いたようだった。

 思わずお茶の入ったカップを取り落し、テーブルの上に茶色いシミが広がる。


「も、申し訳ありません!」


 珍しく動揺する彼女を制し、アルケインは精霊を使ってすぐさま新しいお茶の用意を整えさせた。

 精霊王の眷属は優秀だ。

 目にも止まらぬ速さで、汚れたテーブルも割れたカップも何もかもなかったことになる。


「驚かせて済まない」


 アルケインの謝罪に慄きつつ、エレは下半身をくゆらせる。


「あの、どうして急にそのようなことを?」


 エレの体は、心なしか少し震えていた。まだ驚きが消えていないのかもしれない。


「いや、いつも私の仕事にばかり付き合わせてしまっているから、そのような相手がいるのならば申し訳ないと―――」


「そんな相手はおりません!」


 アルケインの言葉を、エレは大声で遮る。

 普段の落ち着いた様子からは考えられない返事に、アルケインは少し驚いた。


「そうか……」


 それきり、二人は黙り込んでしまった。

 アルケインはなぜエレがこんなにも動揺しているのか分からずにいたし、エレはエレで何を言うでもなく口を戦慄 かせるばかりだ。

 しかしアルケインには、ここでいつまでも顔を突き合わせている暇はない。

 なかなか目覚めなかったロティにずっと付き添っていたので、宮殿に据え付けの執務室には未処理の仕事が山となっている。


「わざわざご苦労だった。今日はこれで―――」


「あの!」


 アルケインが腰を上げると、エレは覚悟を決めたように彼を止めた。


「なんだ?」


「アルケインさまが、地上より客人をお連れになったと聞きました」


 エレの顔は、複雑な表情で塗りつぶされていた。

 まるで苦しみあえぐ人間のようだ。

 そして彼女の質問に、精霊王は大きく眉を寄せる。


「それをどこで聞いた?」


 わずかに低くなった彼の声に、エレは小さく肩を揺らした。

 しかし彼女とて、千年の時を生きる神々の内の一柱だ。

 それしきのことで、追及を止めたりはしない。


「天界では、既にほうぼうで噂されていることです。鳥の神の眷属が見ていたと。アルケインさまが濡れそぼった人間の女を抱えているのを見たと……」


 アルケインは舌打ちをした。

 鳥の神は、天界の中でも噂が大好きなことで知られている。それに知られたとなれば、今頃は天界中にその話が出回っていると思って間違いない。


「その方は、どなたなのですか? 今回の地上へのご処置と、なにか関わりが―――」


 勢い込んで詰め寄ろうとするエレに、アルケインは凍えるような眼差しを向けた。

 女神は息を飲む。


「……それを知って、なんとする?」


「それは……」


 言い淀んだエレは、耐えられないとばかりに俯いた。それが合図であったかのように、アルケインは彼女に背を向ける。


「仕事はする。余計な詮索は無用だ」


 そう言い捨て、彼の姿はエレの前から忽然と消えた。

 それどころか、エレのいる場所はアルケインの宮殿の玄関ホールですらなく、いつの間にか己の宮殿の前に立っている。

 エレはその場に崩れ落ち、こらえきれず涙を零した。

 ずっと好意を伝えることもできなかった相手に、好奇心で詮索するような俗物だと思われたのだ。

 心は千切れるような悲鳴を上げ、その下半身は死ぬ間際のように激しく雲の地面を打っていた。


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