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24 神の葛藤



 (どうして助けを求めない!)


 水面に沈む少女の背中を見ながら、アルケインはむなしく手を伸ばした。

 最近どこへ行っているのかと追及してくるエレを巻いて、彼が地上に降りたのは夜になってからだ。

 そして今日はどんな話をしてやろうかと考えていたら、訪れた部屋はもぬけの殻だった。

 神殿近くの騒がしさを聞きとがめて来てみれば、なぜか罪もないロティが断罪されている。

 彼は愕然とした。


 (ロティが何を贖わなければならない?)


 アルケインの知る彼女は、友達も恋人も家族もいない、寂しさに慣れすぎた哀れな少女だ。

 そんな彼女の笑う顔が見たくて、彼は仕事の忙しい合間を縫って、三日と空けずに彼女の許を訪れた。

 彼女は彫刻を磨くのが三度の飯より好きだという、理解しがたい趣味を持っている。

 しかし自分たち神の像を、愛おしげに磨いているのを見れば悪い気はしなかった。

 一緒にいる時間はどんどん長くなり、アルケインはやがて地上に降りるのを心待ちにするようになっていた。


 (なんで―――)


 精霊王の心に、御しがたい感情の奔流が生まれた。

 ロティはアルケインに、助けを求めたりはしなかった。

 それどころか悲鳴一つ上げず、泉の中に沈んでいこうとしている。

 どれほど恐ろしいだろう。どれだけ冷たいことだろう。

 彼女の気持ちを思うと、アルケインは叫びたくなった。

 叫んで地上のすべてを、滅ぼしてしまいたくなった。

 周囲に集まる人間たちの顔の、なんと醜悪なことか。

 無意味に人を殺し、それを安全な場所から娯楽のように見つめるその心根の醜さ。

 アルケインは地上にいることが、心底いやになった。


 (なぜだ……なぜロティば死なねばならない? ただの寂しがりな、けれどそうとは正直に言えないような、ちっぽけな娘じゃないか)


 悲しみと嫌悪感が、同じ分量だけ湧き上がってきた。

 そして彼は、衝動に任せてある決断を下した。


  ***


 目を覚ますと、ロティは白くふわふわとした場所にいた。

 地面のすべてが、綿でできているように柔らかい。

 彼女はどうやら、なめした皮のテントで眠っているらしかった。

 ここが冥界かと思い体を起こすと、髪や服がしとどに濡れていることに気づく。


 (冥界は地下にあると聞いていたのだけれど、ここはまるで雲の上みたい……)


 しかし、体はひどく重かった。

 死んだのに、体が重いというのはおかしい気もする。

 死とは肉体の軛を離れ、地下に住む冥界の神の審判を経て改魂することをいう。

 ロティが夢現でいると、小さなテントの一角がめくれて人の顔が現れた。


「目を覚ましたか!」


 ロティを見てそう言ったのは、以前酒を飲み交わしたトールデンだった。


「トールデン、さま?」


 反射的に問いかけると、男はきししと悪ガキのような笑顔を見せた。


「アルがあんたを抱えて来た時は驚いたよ。でもあんまり水は飲んでないようだし、安心していい。目さえ覚めれば一安心だ」


 膝をついて近寄ってきたトールデンは、己の額をこつんとロティに押し当てた。

 少し恥ずかしいが、動く気力はないのでなされるがままだ。

 しかしトールデンは、そのままいつまでも離れていかない。

 流石に訝しく思っていると、突然天井が無くなり光が差した。

 驚く間もなくトールデンがいなくなり、気付けば少し離れた場所で尻餅をついている。

 あまりの出来事に、ロティは唖然としてしまった。


「無事か?」


 問いかけられた不愛想な問いに、ロティは思わず上を見上げた。

 雲一つない青空を背に、よく知った相手が立っている。

 神でしかありえない美貌と、夜明けの太陽色の髪。

 そしてガシャリと音を立てる、やけに古めかしい鎧。


「アルケイン……さま?」


 茫然としたロティの問いかけに、精霊王は困ったよう安堵したような複雑な表情を浮かべた。


 (気のせい、よね?)


 その表情がロティには、まるで泣きそうになっているように見えた。

 しかし彼はすぐにその表情を改めると、ぴしりとロティに一本の指を突きつけてきた。


「ロティ、お前には警戒心がなさすぎる」


「はい?」


 死後、いの一番に言われるような言葉ではない。

 答えに困ったロティは、呆けたように仁王立ちをした神を見上げた。


「テントの中で、このような軽薄な男と二人きりになるなど言語道断だ」


 そう言われても、ロティは動けないので不可抗力だ。

 しかし反論などすれば、更に怒りを買いそうでロティは黙っていた。


「おいおいアルよぉ。死にかけた相手にいきなりそれかい」


 尻餅から回復したトールデンが、腰をさすりながら二人に近寄ってくる。


「ロティちゃんのためにアトルスの水取ってきたのは俺よ? なのにその態度ってどうなわけ?」


「うるさい!」


 言い争う二人を見ながら、ロティはやっぱり二人は仲がいいなどと見当違いの感想を抱いた。

 けれど一度死にかけた体は、大量の休息を必要とするのか瞼が重くなってきた。

 なんとか二人の話を聞こうと抗ってみるが、どうしてもコクコクと舟を漕いでしまう。

 そんなロティの様子に気付き、アルケインが優しく声を掛けてくれた。


「ゆっくり休むがいい。ここにはお前を害する者はいないから」


 その言葉に、ロティはなぜか泣きたいほど心が安らぐのを感じた。

 もうほとほと、疲れ切っていた。

 体も―――心も。

 アルケインの声に甘え、そして彼女はその優しい微睡みに身を任せた。



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