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14 酔っ払い



『実はお前、すげぇ酒強いんじゃねーの?』


 からかいを通り越して、トールデンはあきれ顔だ。


「なーにいってるんれふか。わたしなんてれんれんですよぅ」


 そう言いつつも、ロティはトールデンの酒瓶を奪って自らのコップに注いでいる。

 尽きることのない神の酒瓶は、こういう時いささか不都合だ。

 少女の変わりようを眺めつつ、トールデンは重い溜息をついた。

 酒を小道具に少女の緊張をほぐそうという彼の企みは、どうやら予想外の方向に着地してしまっらしい。


『アルケインのこと、ちょーと聞きたかっただけなんだけどねー』


 ため息交じりの言葉に、ピクリとロティが反応する。


「あるけいん……さまれふって?」


 完全に据わっていた彼女の目は、今は眠そうに細められている。


『そうそう。あの融通の利かない堅物の精霊王のことだよ』


 友人という気安さでトールデンが言うと、それを耳にしたロティは思わず吹き出してしまった。


「はひゃひゃ、かたぶちゅって……へへ、たしかにそうれふけど」


 彼女はそう言うと、何かを思い出すようにコップに両手を添えた。

 そこになみなみ注がれた葡萄酒は、精霊王が豊穣を願って醸造したものだ。けれどそれは、自分のためでは決してない。

 彼が忙しい仕事の合間を縫って、毎年少なくはない量の酒を仕込むのは全て、創造主に捧げて世界の平和を祈るためだ。

 だから天地開闢以来欠かさず、アルケインは葡萄酒作りを続けてきた。

 途中から酒好きのトールデンのために多目に仕込んでくれるようになったが、それだって結局は他人のためだ。

 アルケインが自分のために何かしているところを、トールデンは見たことがない。

 だからこそ珍しく困った風な彼に、こうして協力してやろうという気になった。


『融通が利かなくて、真面目で怒りっぽいけど、あれですげえいいやつなんだ。だからあんまり、困らせないでやってくれるか?』


 トールデンが落ち着いた口調でそう言うと、ロティは不思議そうに首を傾げた。

 しかしすぐに顔をしかめ、凶悪な表情になる。


「わたひらって、あのかたがわるい神様らなんて、おもってないれふよ。でも……」


『でも?』


 トールデンが問いかけると、ロティはくしゃっと顔をゆがめて子供のような泣き顔をした。


「しぇすかしゃまのかおに、きじゅをつけゆなんて……」


『シェスカとやらに傷をつけたアルが、恐かったのか?』


「……こわ、かった」


 なにか堪えていたものが溢れたように、ロティは泣き出した。

 トールデンは透けた手を伸ばし、彼女を慰めようとして手を止める。


『そりゃあ、恐いよな。相手は神様だもんな。恐かったよな』


 その言葉は労りに満ちていた。

 トールデンが人間をやめたのは、もう遥かに昔のこと。

 しかし人知を超えた存在を、恐いと思うロティの気持ちが彼には痛いほどよく分かった。

 堪えきれずロティが流した涙を、トールデンは反射的に指で拭おうとする。

 しかし涙は彼の指をすり抜けて、頬を伝い絨毯に吸い込まれてしまった。

 そう、絨毯だ。

 周囲の靄が突如晴れて、ロティはいつの間にか元いた部屋に戻っていた。

 驚いてトールデンを見ると、彼は困ったように微笑んでいる。


「わたひ、ごうかなごはんもきれいなころもも、ほんとうにいらないんでしゅ。ただちょうこくをみがいて、おかあしゃんのそばにいられたらしあわせで、だから……っ」


 堰を切ったように、彼女は泣き出した。

 いつも泣き言は言うまいとしてきた彼女だ。

 しかし強い葡萄酒が、彼女の心の箍を外してしまった。

 ぼろぼろと涙を流すロティに、トールデンは重い重い溜息をついた。

 それが合図だったのか、曖昧だった彼の体が輪郭を持ち始める。

 そして今度こそ、彼は指でロティの涙を拭った。


『本当は、いけないんだけどな』


 そう言いながら、トールデンは目の前で泣く小さな少女を、そっと抱きしめてやった。

 抱きしめられたぬくもりに、ロティは少し正気に戻った。

 こんな風に、男性に抱きしめられたことなど人生で初めてだ。

 いいやそれ以前に、こんな風に誰かの体温を身近に感じるなど久しぶりのことだった。

 幼い頃は大神女に抱きしめられたこともあったが、大きくなればなるほど自然には甘えられなくなっていった。

 懸命に役に立とうとはしたが、やはり実の子供のようには甘えられなかった。

 最後まで、どこかで遠慮があった。

 それを思い出すと、今も胸が痛む。


「は、はなしてくらはい」


 回らない舌でどうにかそう言うが、トールデンは返事をしなかった。

 けれどロティが恐怖を感じずに済んだのは、背中に添えられている彼の腕にほとんど力が籠っていなかったからだ。

 逃げようと思えば、いくらでも逃げられる。

 しかし小さな頃から愛情に飢えていた彼女にとって、その腕から逃れることはとても難しいことだった。

 一瞬のような、永遠のような時。

 ロティが息を殺していると、突然地響きがとどろいた。

 何事かと周囲を見回そうとするが、その前にぬくもりが消え、トールデンの呻きが聞こえた。

 何事が起ったのかとロティが目を白黒させていると、その目の前に見覚えのある二本の足が現れた。

 反射的に顔を上げ、その足の持ち主を見上げる。


「さっさと離れろこのバカっ」


 そこに立っていたのは、精霊王アルケインその人だった。


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