10 衝撃の事実
それから更に五日。
ロティはアルケインとの邂逅を誰にも話さなかったので、自然彼女の世話をする神女たちの視線も厳しいものになってきていた。
本当にロティにはアルケインが憑依していたのか。何かの間違いだったのではないか。もし本当だったとしても、もう訪れはないのではないか。
神女長ならまだしも、感応力の弱い神女ではロティの周囲に漂うアルケインの気を感じ取れないのだから、それも仕方のないことだろう。
むしろ、誰よりその疑いを強くしていたのはロティの方だ。
あの精霊王に、自分勝手な意見を押し付けてしまった。
愛想をつかされ、見捨てられてもおかしくない暴挙である。
けれどロティはそのことを惜しいと思うより、彫刻を磨きたいという欲求で頭がおかしくなりそうだった。
神殿には毎日磨いても磨いても磨ききれないほどの彫刻がある。
それらに埃が溜まり汚れがついているかと思うと居ても立っても居られなくなった。
彫刻を磨くことはロティにとって唯一の趣味であり、安らぎである。
それが奪われ、磨けないと思うと一層欲求は強まるばかりだった。
(アルケイン様がいらっしゃるとか、いらっしゃらないとか、もうどうでもいい。彫刻が磨きたい。早くいつもの暮らしに戻りたい)
日夜、ロティはそんなことばかり考えていた。
そして今日、いよいよその衝動に抗えなくなり、彼女は今ある軟禁状態からの脱出を試みることにした。
シーツで縄を作り、それを垂らして窓から外に出るのだ。
大神女の居室は二階。たとえ途中で落ちても、死ぬことはないだろう。
(少し磨いて、帰ってくればバレない……よね?)
そんなはずはないのだが、彼女の思考回路はそこまで気が回らないほどに追い詰められていた。
ロティは若干の後ろめたさを覚えつつも、そして計画を実行に移したのだ。
二階から即席の縄で降りるという安易な計画だったが、日々の掃除労働で力がついていたらしく、彼女の企みは思った以上にうまくいった。
窓のすぐ下が中庭で、なおかつ花壇になっていたのも成功の要因だろう。
最後に尻餅をついて服を汚してしまったが、想定の範囲内である。
ロティは喜び勇んで中庭を駆けた。
あとは自分の宿舎に行き、彫刻磨き専用の掃除用具を取ってくるだけだ。
物心つく前から神殿で暮らすロティにとって、神殿の敷地すべてが庭のようなもの。この時間帯に人目を避けて目的地に向かうルートも、最も見つかってはいけない神女長たちがこの時間に何をしているのかも、彼女はちゃんと熟知していた。
むしろその知識がなければ、こんな無茶なことは初めからやろうとも思わなかったかもしれない。
よく見知った場所だからという気軽さも、彼女を突き動かす要因の一つとなっていた。
注意深く建物の陰に身を隠しながら、人気のない裏道を移動する。
ところがその途中で、ロティは思わぬ場面に遭遇することになってしまった。
場所は、高位の神女たちの宿舎。
昼間そこにいるのは専属の掃除婦ぐらいで、本来なら静まり返っているはずの場所が、なぜだかひどく騒がしい。
誰か人の近づいてくる気配を感じて、ロティは思わず近くの植え込みに飛び込んだ。
高価な衣にかぎ裂きができたが、今はそれを気にしている場合ではない。
しばらくして、通路を足早にやってきたのは見覚えのある女性だった。
艶のある金色の髪を持つ神女の数は、それほど多くはない。
しかし彼女は、ロティの知っている彼女とはある点で決定的に異なっていた。
彼女の美しい顔は包帯で覆われ、隙間から覗く青い目は怒りに吊り上がっている。
「お待ちください、シェスカさま!」
「離して!」
後を追うようについてきた数人の神女が、丁寧な言葉とは裏腹にシェスカを取り押さえようとする。
「そちらに行ってはなりません! シェスカさまにまたなにかあったら」
拘束され止まることを余儀なくされたシェスカは、どうにか神女たちを振り切ろうと必死にもがいていた。
顔に包帯を巻いた女が外聞も気にせず暴れまわっている。
その異様な光景に、ロティは息を呑んだ。
「なにかってなによ! また私が、あのロティ風情に傷つけられるっていうの!? こんな風に」
呼ばれた己の名前に、ロティは心臓が止まるかと思った。
そしてシェスカは、苛立たし気に包帯を引きちぎる。
するとその下から現れたのは、白い顔を斜めに横断する禍々しい傷だった。
シェスカの顔が美しければ美しいだけ、その傷の異様さを引き立てている。
「……傷をおつけになったのは、ロティ様ではなく精霊王アルケイン様のご意思。試練と思い受け入れるようにとエインズ様が―――」
「なによ! あんたもこれが私のせいだっていうの!? ふざけないで、全部ロティのせいじゃない! あんな女にアルケイン様が憑依なさったなんて嘘っぱちよ。きっとなにかトリックがあるんだわっ」
神女たちを引きずってでも先に進もうとするシェスカだったが、結局は取り押さえられてもと来た道を戻ることになった。
それを見ていたロティは何もできないまま、ただ震えながらその姿を見ているより他なかった。