刻まれた未来は、凶兆の印3
そして次の日、穂摘達は先日視察した温泉の一角に足を踏み入れていた。
深夜の商業施設とはどうしてこんなにも寒々とした感覚がするのか。
賑やかな日中の光景を見慣れているせいなのか、妙に冷たい色が落ちている。
従業員は皆引き払った後らしく、他に余計な人物は居ないようだ。
「……よろしくお願い致します」
依頼主がそう言って頭を下げ、穂摘達もそれに倣い挨拶をする。
しかし、依頼主の隣で悠然と立っている女は、挨拶をするどころかふてぶてしく顎を上げて彼らを見下げていた。
この人物がきっと立会人なのだろう。
ざっくりと切られたアシンメトリーなショートカットの両側に、大きなバレッタが飾られている。
プラチナブロンドの髪に、カラーコンタクトでもしているのか瞳は赤い。
加えて長身。
とてもパンクな雰囲気で胸が大きくスタイルも良いが、その顔立ちは男性的な印象の強い女性だった。
穂摘の視線に気付いた依頼主が慌てて彼女の紹介をする。
「あっ、こちらが今回立ち会ってくださるというメイヴカンパニーの上北さんです」
「……よろしく」
紹介をされた事でようやく彼女は一言だけ発した。
情報を読み取らせる気が無いのかも知れない。
何しろ穂摘達は商売敵。
フレンドリーになれるはずが無い。
穂摘側は、穂摘の他には、高校生だと言うのに深夜のアルバイト(違法)に繰り出している夏堀。
そして、ローブのフードを深く被っていて怪しげではあるが、今夜は一般人にも視認させているアリア。
それぞれ穂摘が紹介していき、恙無く挨拶は終了した。
「先日も男性客が傷だらけになって帰って行ったと言う話を耳に挟みました。どうか、お気をつけて」
依頼主は怯えた様子で、見送る姿勢を見せた。
立会人が確認してくれる事に甘えてか着いて来る気は無いらしく、彼は入り口で待つようだ。
そんな依頼主を視界の端に留めつつ、穂摘のかわりにまずはアリアが一歩足を踏み入れた。
そして穂摘、夏堀、上北と続く。
照明は点いているにも拘わらずどこか淀み、肌寒い。
決して空調のせいだけではないだろう。
互いに辺りを見渡しながら、奥へと進んでいく。
目的地は、男湯。
「こちらでいいのか、アラタよ」
「あぁ、そのまま真っ直ぐ。すぐに男湯が見えてくる」
穂摘が言い終わる頃には男湯の入り口が彼らの視界に入った。
夏堀が服の裾を掴んでいて、思うように歩きにくい穂摘が言う。
「どうするアリア、僕達も着いて行くのか。邪魔になるならここで待っておくが」
「何を言う、ここまで来たのなら見て行け!」
「わかった」
着いて行く理由は皆無だが、促されているのに着いて行かない理由も無い。
正直再度あの精霊と顔を合わせたくない穂摘はため息を吐きつつ承諾する。
その横に居る夏堀は、穂摘の服を掴む指にかなりの力を入れて来ており、多分怖いのだろう。
アリアは怖いものなど無いと言わんばかりにずんずんと先へ進んで行き、脱衣室を通って浴場の戸を開けた。
そこで、営業時間の名残の湿気が穂摘の眼鏡を曇らせてくる。
「アリア。僕はすぐに動けないものだと思ってくれ」
「あい分かった」
「えっ、うううう動けないってどういうことですか!?」
「眼鏡を外すから、すぐに反応出来ないって事だよ」
「なるほど分かりました、いざとなったら私がぐいっと引っ張って動かしてあげます!」
「……好きにしたらいい」
気の抜けるやり取りを交わしている彼らを尻目に、アリアの後に着いて行くのは上北だった。
アリアの手並みを拝見するならば、そうもなるのだろう。
両腕を大きな胸の下で組み、手を貸す気も無ければ自分を守るような体勢でも無い。
この先に滅すべき敵が居る以上、何があってもおかしくないと言うのに。
穂摘は、上北の態度から実力を探りつつ、あくまで視力の下がった瞳で傍観に徹する。
浴場内を進むと、すぐに例のサウナルームのガラス扉が見えた。
アリアはいつも通り、その黒いローブの中からすらりと銀の籠手を出す。
既に剣を構えており、用件だけ話した後はさっさと斬るつもりなのだろう。
「浴槽の精霊よ、姿を現せ。隠れていても無駄なのは、予知しているのであろう」
容赦無いアリアの声が、反響する。
その反響が止んだ頃、穂摘達の前にゆっくりとサウナ室からすり抜けて来たのは一人の半裸の女。
今の穂摘の視力は落ちているが、半裸の美人だということくらいまでは認識出来る。
先日傷をつけられた事もあり、意識せぬうちに穂摘の足が一歩下がった。
「穂摘さん?」
穂摘を盾にしている夏堀が、その動きに反応して不安げな声を漏らす。
「浴槽の精霊が、現れた」
「え、えっ、どこですか!?」
慌てて辺りを見回す夏堀。
どうやらこの調子だと彼女はまだ見えていないらしい。
やはり連れて来たのは失敗だった、と穂摘は心の中で舌打ちをした。
多分彼女が浴槽の精霊を見えるようになるのは通常の人間同様に、浴槽の精霊がその対象に害を為す時だ。
それでは……遅い。
緑の歯の時の事からしてこうなる事は半分予測出来ていたと言うのに、アリアは一体何を考えているのか。
彼女の格ならば大抵の妖精など敵では無いから余裕ぶっている可能性もあるが、守られるしか無い側からすれば不安要素でしか無い。
浴槽の精霊は、アリアを正面に置いておきながらも、見ているのは明らかに穂摘の事だった。
敵意は、同じ妖精、精霊、ではなく……あくまで人間に向けられているのかも知れない。
何故なら、
「私は……ただ、この炉と共に在っただけ。なのにどうして、同胞に近い存在である貴女が私を害すのでしょう」
緑の歯の時同様、彼女は、彼女達は、本来存在せぬ異邦の地へ勝手に連れて来られてしまっただけなのだから。
元居た地では穏やかに暮らせていたはずなのに、この日本という土地には根付かない存在だから、疎まれ、忌み嫌われ、退治を依頼される事になる。
それはとても身勝手な事なのかも知れない。
『邪魔』という考え方はあくまで一方的なものでしか無い。
相手の存在を一方的に否定する。
一つの一面。
それは、彼女達と共存出来るような人間からすれば、嘲笑に値するほど愚かな事だろう。
これから自分が斬られる事を予知しているであろう精霊の問いに、アリアは全く動じずに答える。
「何を言う。その炉は人間が作った物だ。勝手に住み着いて、取り憑いた側がとやかく言う資格など無かろう」
そしてアリアは長剣の切っ先を真っ直ぐ、半裸の女に向けた。
「お主が人間に依存した結果が、今なのだ」
アリアの言葉は、これもまた一方では正論だ。
浴槽の精霊は憎々しげに歯噛みし、同胞に近い存在である黒ローブの妖精を睨み付ける。
が、そんな事など意にも介さず、アリアは冷たく言い放った。
「お主から匂いはせぬからな。斬らせて貰おう」
容赦無い、言葉を。
揺れる黒ローブの裾から、アリアのブーツが見えた。
駆け出したアリアは、あっという間にその剣を浴槽の精霊に向かって一線させる。
恐怖からか、軽く腕だけで身構えた浴槽の精霊のその甲斐虚しく、アリアの剣が浴槽の精霊の体を難なく通る。
途端、先日の黒い犬女や緑の歯のように、浴槽の精霊の体も切り口からざらりと砂に変わり、朽ち落ちていく。
床に残った砂はタイルの湿気に滲んで少しずつ広がり、やがて見えなくなってしまった。
これで今回の依頼は完了。
この通り、格が違う妖精に見えるアリア相手では、敵には防ぎようもなく全て一方的な一撃で終わる。
心配など不要なのだった。
「あ、あの……アリアさんが剣を振りましたけれど、終わった、んですか?」
結局見る事無く終わってしまった夏堀が尋ねると、答えたのは上北だった。
「終わった。見事な手際だった。流石、と言うべきか? アリァガッドリャフよ」
「……やはりお主にはすぐ分かるか、ラウファーダ」
互いに、違う名で呼び合うアリアと上北。
アリアはフードを外し、その下に隠れていた顔と金髪を晒した。
上北が呼んだアリアの名前は、穂摘が上手く発音出来ないアリアのあだ名だ。
つまり、今の一瞬の戦闘で上北は、フードで顔を隠していたアリアの正体を見破った事になる。
しかしアリアが呼んだ上北の名前は何だ。
上北、と言うからには日本人のはずなのだが、それなのに上北はまるでアリアの同胞のように呼ばれている印象を穂摘は受けた。
となると……上北は偽名だろう。
アリアは人間社会に全く溶け込んでいないが、このラウファーダと呼ばれた女は、人間社会に完全に溶け込んでいる妖精、と考えられる。
その点に関してはアリアも疑問らしい。
穂摘が考えている事をそのまま彼女は問う。
「先程、カミキタと呼ばれていなかったか? まさかこの国の戸籍を持っているわけではあるまい」
上北は右側だけ長い横髪をさらりと流し、飄々とした表情で信じられぬ事実を言い放った。
「持ってるぜ」
「っっ、な」
普段全く動じないアリアが動じるのを、穂摘は初めて見る。
確かに驚きの事実だとは思われるが、ここまで彼女を驚かせるほどの事なのか。
アリアはすぐに剣を仕舞うと、上北に迫って縋るような瞳を向けた。
「ど、どうやったのだ! まさかその体はもう妖精では無いのか!?」
「いや、俺の主人が戸籍を持って来ただけの話だ。俺の体が人間になっちまったら、俺を雇う意味も無いだろ。頭悪いな」
「なっ」
暴言を吐かれたアリアだったが、それに答える余裕も無いほどうろたえていたらしい。
そこで言葉を詰まらせ、服を掴んだままだったアリアの手を上北が払う。
「主に頼まれて見に来たが、想像以上に楽しい報告が出来そうだ」
そう言って、アシンメトリーの女は穂摘に振り返った。
「仮にも俺の先輩を飼っているのがこんな役立たずなんだからな」
赤い瞳が、穂摘を射る。
反論出来るはずも無かった。
穂摘は、見えるだけで何の力も無い、ただの仲介人でしか無いのだから。
けれど、本来の性格ならば「その通り!」と言いそうなアリアがそこで反論した。
「……アラタは役立たずでは無い、私を支えてくれている、大切な者だ」
余裕の無さそうなアリアが、この状況で自分を擁護した。
きっと、本音だ。
そう思ったら、穂摘は柄にも無く胸が熱くなっていた。
上北は視線を周囲の三人に一通り配った後、穂摘にもう一度声を掛ける。
「お前、フルネームは?」
「先に名乗るのが礼儀だろう」
「これは失敬。上北優だ」
「穂摘新だよ」
「あっ、私は夏堀椿です! よろしくどうぞ!」
聞き終えた上北は、不満げに人間二人を視界の中心に入れた。
「見えもしない子供に、見えるだけの男……何を思ってこんな連中と居るんだか知らねぇが……」
そして服のポケットからすっ、と何かを取り出す。
それは長方形の、紙。
アリアの方に向きなおして、彼女はその紙を無造作に「先輩」へと渡した。
「愛想が尽きたらここに連絡をくれ。元々使える人材なら引き抜く為に視察に来ていたんだ」
どうも名刺らしい物体を渡されたアリアは、ぽかんとしてその紙を見る。
やる事を終えた上北は、もう穂摘達には目もくれず、浴場を出て行った。
きっと入り口で待っている依頼主に、立ち会った結果を報告するのだろう。
「アリア」
穂摘がもう一度声を掛けると、アリアはいつものからっとした雰囲気で言う。
「ああ、分かっておる。私達も戻るぞ!」
「そうですね、お疲れ様でした!」
だが、その表情の僅かな陰りに、夏堀は気付かなくとも穂摘だけは気付いていた。
◇◇◇ ◇◇◇
夜分遅く。
天井の照明はつけずにデスクの明かりだけがぼんやりと広がる室内。
その部屋の持ち主は、まだ睡眠を取る事無くデスクを前にした椅子に腰掛けていた。
長い黒髪が美しい、和装の女だった。
彼女の背後で小さく足音がしたが、女は振り返る事無く落ち着いて、ほんのりと口元を緩める。
「おかえりなさい、優。どうでしたか?」
長い黒髪の女は、自分の部屋に無言で入ってきた者に対して報告を促すように問う。
「ああ。死を運ぶ犬を退治するくらいだからそれなりの格を持っているとは思っていたんだがな……想像以上だったぜ」
答えた者の姿が、デスクの明かりによって浮かび上がった。
アシンメトリーの銀髪に、スタイルは良いのに一瞬男と見間違う風貌。
上北優は鋭い印象を与えるその赤い瞳を柔らかく緩ませると、自分の主人に寄り添った。
そして後ろから抱き締める。
まるで愛しい人に対する「それ」のように、指の先まで満ちている抱擁。
そのまま、上北の頬は黒髪の女の頬に密着し、ぐぅりぐりと頬擦りを開始した。
見た目だけならば女性の肌と肌がもっちり動き、何だかその間に挟まれたくなるような光景がそこにある。
「優、それは止めなさいといつも言っているでしょう」
「だってユリカのほっぺ、気持ちいいんだ! 減らないんだしイイだろ!」
「減ってます、擦り減ってます、お肌に悪い事この上無い」
「それはイケナイ」
ユリカと呼んだ相手の頬が大変お気に入りらしい、この妖精。
目先の欲よりも、先の事を考えて我慢出来るくらいの理性はあるらしい。
名残惜しそうにしながらも、頬擦りを止めてくっつくだけにした。
抱き締められたままではあるが、頬擦りは止まったのでそれ以上嫌がる事も無くユリカは会話を再開する。
「想像以上の格だったと言う事ならば、きちんと誘ってきたのでしょうね」
「勿論。ただ……本来の格は俺より上だが、それは昔の話だ。あの妖精は、もうそこまでの存在じゃない」
「そうなのですか?」
「ああ。だからユリカは俺だけ見てたらいい」
「十人くらいに分裂してから言いなさい。人手は足りていないのだから」
「それは無理だユリカ!」
泣くように叫ぶ上北を見て、満足げに微笑む主人。
彼女達の上下関係はどうやら契約などではなく、上北からの好意が基盤となって出来ているようだ。
ユリカと呼ばれている女は、見たところ妖精のような特徴は無い。
長い黒髪に、黒い瞳。
日本人の顔立ちで、身長もそこまで高くは無かった。
しかし、先刻アリアに答えた上北の言葉が真実ならば、この彼女が妖精である上北の為に戸籍を与えた事になる。
つまりそれは……少なくとも公には出来ぬ繋がりが彼女の背後にあると言う事。
穂摘と同い年くらいか、二十代後半の女個人が持つ繋がりでは無い。
ユリカは求愛行動をしている長身の妖精を好きにさせたまま、くつろいだ姿勢を取って呟いた。
「あの件に関わりがあるのなら、繋がりは作っておいて損は無いでしょう?」
「そうだなユリカ。だから、その控えめな胸を撫でさせてくれ」
「脈絡が無さ過ぎます、せめて揉むと言いなさい」
「表現を間違えるだなんてユリカらしくないな。揉むほど無い、ぜふぇっ!?」
最後まで言い終えるや否や、上北の頬がユリカの手によって捻り上げられる。
「揉むくらいは、ありますよ」
その手が起こしている暴力がまるで無いもののように、彼女は平然と訂正したのだった。
【第二話 刻まれた未来は、凶兆の印 完】