刻まれた未来は、凶兆の印1
夏掘椿は、困惑していた。
夏堀の初仕事は、週末、土曜日の事だった。
メールで穂摘新から連絡を受けたのは前日の夜。
待ち合わせ場所は大型商業施設に近い駅。
何だかまるでデートのお誘いのような場所に呼ばれ、高校生になってまだ間もない、勿論彼氏も居ない夏堀は落ち着かず、つま先を地面に押しつけていた。
駅の外には、その大型商業施設が視界を占領している。
様々な店舗が軒を連ねるショッピングモールは勿論の事、カラオケ、ボウリング、映画館、温泉などが周辺に揃っている県内一番のお出かけスポット。
友達との待ち合わせでこの駅に来たのであればその建物に入る事間違いなく、足取りも軽やかになるだろう。
けれど今日はそうでは無い。
何しろ、化け物退治専門の請負屋のアシスタントとして呼ばれているのだから、その商業施設に用があるとは思えない。
「ああ不安だなぁ、何で内容を聞かなかったんだろう私……」
尤もな呟きが、彼女の口から洩れる。
半袖のパーカーにショートパンツと言う若々しい格好の女子高生が駅で溜め息を吐きながら立ち尽くす様は、その憂いの具合から、恋人との待ち合わせのように周囲には見えていた。
そして待ち合わせ定刻を伝える鐘が、大型商業施設の方角から響いてくる。
きっと時計のモニュメントでもあるのだと思われた。
「しかも遅刻とかありえない……」
「悪かったよ、数秒遅れて」
「ひぃやぁぁぁぁぁ!!」
背後から声をかけられて、トンビが鳴いているような声をあげる夏堀。
振り返ってみたなら驚く必要など何一つ無い、ほぼ待ち合わせ時刻丁度にやってきた、彼女の雇い主が居るだけなのにだ。
穂摘は、相変わらずのカッターシャツ姿ではあったが、シックな色合いで軽そうなベストと、内布が目隠しになっているビニールバッグはどう見てもカジュアルファッション。
私服を見た事でますますデートのような気がして思わず挙動不審に頭の上で腕を振る夏堀の姿は、全力滑稽な様だった。
穂摘は目を丸くして、しかしすぐに眼差しを和らげると、
「もう少しまともそうな印象だったんだけど、結構恥ずかしい子だったんだね」
「ええっ、違います! おはようございます!」
「さっきの奇声は挨拶程度じゃ誤魔化せないから」
「意外と意地悪ですね穂摘さん」
「じゃあ話を変えてあげるよ。とりあえず歩きながら話そう」
そう言って穂摘は女子高生の歩幅など意識する事なくずんずんと歩き始めた。
彼の左肩で揺れるバッグに視線を奪われながら、慌てて夏堀もそれに続く。
緊張は、気付けば解れていた。
「あの、今日はどうするんですか?」
「言い難いんだけど、言わなきゃ進まないからなぁ……結論から言うよ。あそこでの買い物に付き合って欲しい」
「……へ?」
穂摘の右手人差し指は、先ほどまで夏堀が熱視線を浴びせていた建物の方角を指していた。
休日のお出かけご用達の、大型商業施設を。
「穂摘さん、何歳ですか?」
「何だよ急に。いくつだっていいだろう」
「いえ……だって、年の差はやはり気になりますし」
「若い頃はそういうものだった気もするね……二十七だよ」
「丁度一回り違うんですね」
ざっくりと抉る夏堀の言葉に穂摘の口端が下がるが、彼の後ろを歩いている彼女はその変化に気付けない。
例え見えている背中が無言の黒いオーラを醸し出していたとしても、仕事の事で頭がいっぱいの彼女の目には入らなかった。
「一応聞きますけれど、化け物絡みの用事では無いんですか?」
「ある意味化け物絡みの用事とも言えるんだが……多分君の思っているような用事では無いよ。純粋に買い物なんだ」
「えーっと、誰か他の女性にあげるプレゼント選び、とかだったりはしますか?」
「……よく分かったね。いや、普通分かるか。そうだよ」
「ソレ全っ然仕事じゃないです、職権乱用です!」
「言いたい事は痛いほど分かるんだけど、仕事にも関係があるんだ」
「え……?」
そういえば、と夏堀は会話を思い出す。
彼は確か「ある意味化け物絡み」とも言っていた。
女性への買い物がどういう風に化け物と絡む事になるのかは全く想像出来ないが、彼の声色は嘘を吐いているとも思えない自然な抑揚だったように思える。
夏堀の疑問符に、穂摘は少し歩幅を落として彼女に合わせ始めた。
その動作に不覚にもどきどきしてしまう夏堀は、穂摘に惚れたとかそう言う甘い展開ではなく、あくまで異性に不慣れなだけなので勘違いはしてはいけない。
ただし、当の本人がその感情を勘違いしそうではあるが。
異性が自分に歩幅を意識して合わせてくれると言う行為はそれだけで、男性視点ならば可愛く、女性視点ならば格好よく見えてしまうのは仕方の無い事なのだ。
夏堀と並んだ穂摘は、声のトーンを落として先程の問いの回答を話す。
「君は既に色々見てしまっているから話すが、先日僕の隣に居た黒いローブの女は人間じゃない」
「はっ、はいぃ!?」
「よく考えてみたらいいさ。あんな格好で、しかも中身が素っ裸の人間なんて居ないと僕は思う」
夏堀はよく考えた。
そして、深く納得した。
「君を襲った化け物と同種、と言えば分かるかな。勿論あんな低級じゃなく、随分高位の妖精だとは思う」
「えっと、あの緑の化け物って妖精だったんですか?」
「そこは説明していなかったねそういえば。そうだよ、僕は妖精専門の請負屋なんだ」
「ははぁ……しかも『思う』ってことは、穂摘さんもよく知らないんですかあの女性のことを」
「妖精は早々他人に真名を名乗ったりはしないんだよ。名前が無いのは不便だからアリアと呼んでいるが、それはアイツのあだ名の略称みたいなもので、僕が付けただけだ」
「あだ名を更に略さないといけないって、長いあだ名なんですか?」
「長いと言うか、僕には発音出来なかったし完全には聞き取れもしなかった」
「凄く気になりますねソレ!」
夏堀は一先ず、先日の女性がアリアと呼ばれている妖精である事を把握する。
にわかには信じられない事だと思うが、既に化け物をその目で見ている夏堀にとって、そこは難なく通過出来る事案だった。
そんな話をしているうちに、彼らはようやく大型商業施設の玄関ホールへと辿り着く。
日曜の朝、ほぼ開店直後。
にも拘わらず既にそれなりに人が居る空間。
穂摘は改めて、今日の仕事内容を口頭で伝えた。
「君に頼みたいのは、アリアの下着を見繕う事なんだ」
「って、何ですかそれーーー!!」
その広い空間は、彼女の高い声がよく響いた。
一通りのリアクションをわちゃわちゃと夏堀がこなした後、二人はまず一番最初に目に入った下着専門店に入る。
否、穂摘は店の入り口あたりで待機し、中で物色している夏堀には背を向けていた。
女性用下着、と一言で言っても様々なジャンルがある。
しかも今回は人間ですら無い相手の下着を選ぶという、匠もびっくり高難易度の仕事。
正直な話、夏堀としては着せてあげたら可愛いだろうな~と思う物は沢山あっても、それが彼女の好みに合うかが分からずにしばらく悩み続けていた。
何しろ、穂摘の話では、アリアは下着と言うか衣服にこだわりがあるようだから尚更の事。
「日本の人じゃないから、日本の下着は合わないのかも知れませんよね」
「……そうか、任せるよ」
「し、失敗したら困るんですから一緒に考えてくださいよ!」
「そしたらまた買うだけさ」
「却下される度に私のメンタルポイントが減る事を忘れないでくださいっ」
穂摘は店内には入ってこない為、入り口でひとしきり叫んだ後、すごすごと夏堀はまた店内に戻って行く。
肌触りを求めるならばシルクかサテン生地だろうか。
形としての履き心地を求めているのであれば、ローカットレッグなどが夏堀的にはオススメしたい。
彼女の肉付き的には脚ぐりがレースの物のほうが動きやすそうでもある。
なかなか元気そうな印象を受けたあの妖精が、実際に活発なのであればそれも考慮して選んで行かねばならないだろう。
それに、アリアは人間ではないが外観は西洋人。
趣味嗜好が西洋寄りならその乳房の大きさとしても、重めかつ安定感のあるデザインが多いフルカップと合わせられるボトムを選ぶべきか。
ブラジャーの形は重要だ。
夏堀は普通サイズだが、それでも胸の形に合わせないとすぐに痛くなったりする。
アリアの胸の大きさを考えるとその点は夏堀自身よりも気にしなくてはいけないのだが、一度見ただけの胸の形の種類を覚えているわけもなく。
悩み始めたらキリが無かった。
ああ、この下着可愛いな、欲しいな。
夏堀はもはやアリアの事など考えずに自分の欲しい物を見始める。
しかし、店の前で待たされている穂摘が定期的に彼女を思い出したくもない現実へと引き戻す。
「まだ決まらないのか?」
「ううっ、そもそもアリアさんって何色が好きなんですか?」
「色……?」
穂摘がその問いに、固まる。
多分好みの色の調査などして来なかったのだと思われた。
だからと言ってそんな間抜けなことを言えるわけもなく、
「……明るい緑がいい」
「その言い方完全に穂摘さんの趣味ですよね!? あ、でもそれ賛成です。アリアさんの瞳の色と同じだし、あの白い肌と金髪にパステルグリーンって凄く合いそうです」
色が決まると一気に下着選びの範囲が良い意味で狭まる。
改めて選び始めた女子高生を確認し、穂摘は自身の手荷物に目をやった。
彼が今日持っているビニールバッグは、この後下着を入れるにしては少し大きい。
何より、既に中に何か入っているように膨らんでいる。
穂摘がその鞄の中身に思考を巡らせて半眼になっていると、買い物を終えた夏堀が寄ってきた。
「買いましたよ、穂摘さん」
「……あぁ、ありがとう。君が居てくれて本っ当に助かった」
「何だかとっても心が篭もっているのを感じます」
夏堀は購入した下着の袋を穂摘に渡すと、言い訳を開始する。
「色は指定通りで、後は私の好みで選んじゃいましたからね! アリアさんの好みもよく分からないし、失敗しても私を怒らないでくださいね?」
「まさか、女子高生が選んだんだぞ。失敗だなんて有り得ない」
「わざわざハードルを上げた!?」
アリアに着せる予定の下着がバッグに仕舞われ、夏堀の視線はバッグから穂摘の顔へと上がった。
買い物を終えたと言うのに彼の顔は晴れていない。
下着を無事に着て貰えるのか分からない不安もあるのだろうが、それだけにも見えず、夏堀の表情もやや曇る。
だがそれ以上に、夏堀にはもっと自分自身に関わる不安もあった。
「ところで、今日のアルバイトはこれで終わりですか?」
「あぁ終わりだ。解散、帰っていいよ」
「う、薄々感じてはいたけれど全くと言っていいほど借金返済出来る気がしないペースですね」
「ざっくり一時間労働、でいいだろう。面倒だから時給は千円でいい。あと九九万九千円、頑張れ」
「時給だけを考えると割のいいアルバイトな気もしますが、下着を選ばされたという内容を考えると安い気も……」
「分かった、じゃあ今日は五千円にしようか」
「何ですかそのどんぶり勘定!? ゴネ得過ぎて悪いことした気分になるじゃないですか!!」
少し文句を言っただけで時給が五倍に跳ね上がるということは、中流以下の家庭で過ごす彼女にとって、むしろ精神的負担を与えるようだった。
素直にラッキー、と喜んで受け取らないあたりがまだ純粋さを保っている、十五歳。
一方、最近始めたサイドビジネスのおかげで成金状態になっている穂摘の金銭感覚は、緩い。
いや、昼間の仕事で稼いでいる分以上のお金に執着が無い、と言ったほうが正しいか。
超常現象解決の請負で得た金は、あぶく銭だと言う認識なのだろう。
「……僕はアリアと違ってそこまで君に何かさせるつもりは無いんだ。何しろ仕事の内容が内容だから」
「あっ……そうですよね、確かに私がお手伝い出来る事なんてそう滅多に無さそうですし」
「と言うわけだから、今日はこれで」
貰う物を貰ったら後は用無しと言わんばかりに足早に去っていく穂摘。
追いかける必要も無い為、夏堀はその背中をぼんやりと見送った。
だが、
「あ、れ?」
穂摘の向かう方向は、駅のある出口側では無かった。
それに気付くや否や、彼女の足は穂摘の後を追って動き出す。
特に意味があるわけでは無い、自然に足が出てしまっただけの事。
ショッピングモールを歩いているのに一切よそ見も寄り道もしない穂摘の足取りは、誰の目から見ても目的地があるものだ。
が、その足がぴたりと止まって、それを追っていた夏堀も慌てて足を止める。
穂摘は振り返り、背後にくっついて来ている夏堀を見咎めるように言った。
「君に尾行をお願いする事は無いだろうな」
「違います、私こっそり尾行しているつもりなんて微塵もありません。気付いて声をかけて貰うのを待っていました」
「何たる予想外」
選択肢を間違えた穂摘は、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「穂摘さん、この後どこかで遊ぶんですか?」
「だとしたら?」
「いえ……気になっただけなんですけれど」
「今の僕の顔は、これから遊ぶような表情に見えるのか? ……まぁいいさ、気になるなら答えてあげるよ。実はこのまま仕事があるだけなんだ」
「えっ! じゃあ私も」
「さっきも言った通り、君に手伝える事なんて無いんだ」
「……あぅ」
簡単に見て取れるほど、夏堀は落ち込んだ様子を見せた。
それは、借金が減らないことに苦悩しているのか、それとも役に立てないという事実に傷ついているのか定かでは無いが。
一回り下、ということもあり穂摘もその反応には逆に萎縮してしまう。
高校生とは言え、夏堀はまだ中学を卒業して間もなく、幼さがたっぷりと残っていて大人扱いなど出来る容姿をしていない。
先日ファミリーレストランで穂摘が柄にもなく彼女をフォローしていたのは、その幼さが前面に出ているせいかも知れなかった。
「……本当に君に出来る事は無いんだ。君に力が無いから、とかそういう事でもない」
「説得力の無いフォローなんて辛いだけです」
「いや、信じてくれ。これから向かう場所は……この施設に隣接する温泉でね。しかも用があるのは男風呂。君は勿論、アリアも呼べない」
アリアならば姿を消す事は出来るが、男風呂に入るには穂摘は裸になる必要があり、アリアが来る事を穂摘が拒否するのは容易く想像出来るだろう。
「お、男風呂?」
「話を聞かないと納得出来ないなら話そう。何が食べたい?」
説明をするのは確かに面倒だが、女の機嫌を損ねるともっと面倒なのは、学校、そして職場で散々思い知っている。
彼くらいの年齢で、相応に他人を見て来ていたなら至極当たり前の結論。
食事の話を切り出され、夏堀の機嫌は華麗なる反転を遂げた。
「えっと、パスタが食べたいです」
「……僕と一緒に店に入る、という事実を忘れていないかい?」
「それがどうかしましたか?」
「いや、いい」
穂摘としては歩きながら食べられる、忌数が逆転したアイスクリームなどを想像して話を持ちかけたのだが、夏堀はがっつり食事をする気満々の希望を出す。
買い物はともかくこんな施設で着席して食事ともなると流石に人目が気になる、半端な年の差的な意味で……と言うのが穂摘の本音だ。
自分の外見は少なくとも、夏堀とは明らかに血縁関係では無い事が分かるものなのだから。
しかしそんな事を意識している時点でどうなのか、と言う判断をくだし、それ以上を言葉にする事は無かった。
時間的にオープンして間もない飲食店は、人も少ない。
あと三十分もすれば一気に混雑してくるのであろうが。
適当な店に入り、注文を終えてから穂摘は、事の経緯を夏堀に説明し始める。
「今回の依頼は、男風呂の中で事故が多発している、って言う依頼なんだ」
「それがどうして穂摘さんのところに依頼が来る事になるんです?」
「簡単さ、人外の姿が確認されているからだよ」
この大型商業施設に隣接する人気温泉スポットで化け物が確認されている。
それは夏堀が聞いても十二分に、噂になったら大事になるような話だとすぐに分かった。
「じゃあ私が見たみたいに気持ち悪いのがここの温泉に居るんですね」
「どうだろうなぁ、まだ見ていないから何とも言えないし、現時点では妖精かどうかも分からない」
「と、言うと?」
「君も僕に依頼のメールを送った人間なんだ、分かるだろう? 僕は妖精専門だが、それをサイトに一切提示していない」
「そういえばそうですね。何でですか?」
「一般人は、幽霊、妖精、妖怪、悪魔等の区別なんてつかないからだよ」
「あー、あーあーあーなるほど!」
実は、夏堀は緑の歯のことを緑色の宇宙人だと思っていた。
穂摘には口が裂けても言わないが。
「依頼が来たらこちらでまず軽く調査をして、受けるべき案件だけ受けている。解決出来ない依頼は勿論受けない」
「顧客が信用しにくい業界だと思うんですけれど、それを聞くと穂摘さんは誠実な仕事をしてるーって感じがしますね」
「妖精退治と言うと分かりにくくなるかも知れないから、もっと身近な除霊などとでも考えてみたらいい。依頼してくる側は半信半疑、だから少しでも敷居を下げて『依頼をする不安』を減らせるように僕は『調査は無料』『支払いは全額問題解決後』としているんだ。敷居を下げないと依頼自体が来ないからね」
「凄く……分かります。色々なサイトを見ましたけれど、穂摘さんのところに決めた決定的な理由はそこでした。完全後払いなら、騙されても金銭被害は無さそうかなって」
「それと同時に悪戯も多いんだけどね」
しばらく経って料理が届き、二人はそれを黙々と口にする。
穂摘は目の前の女子高生を視界に入れないように、料理へ視線を落としていた。
口に物が入っている時の無言の時間を気にせずにいられるほどの関係では無い為、お互い微妙な気まずさを抱えながらの昼食となる。
やがて穂摘のほうが先に食べ終えて立ち上がり、まだ食べている夏堀を見下ろしながら伝票を掴む。
「そういうわけだから僕は行く。ゆっくり食べていてくれ」
「……はい」
男風呂にまで着いて行くなどと言えるわけもなく。
夏堀の『異性とのお出かけ』はそれが仕事だという前提があったとしても、他の女の下着を選ばされて、その後の食事では食べている最中に席を立たれると言う、なかなか切ない思い出として刻まれたのだった。