歯を砕き、縁を繋げ4
ちなみに穂摘達の仕事の依頼は、インターネット上で受け付けている。
他の同業者とは違って料金完全後払いの為、始めて一ヶ月にも拘わらずかなりの依頼数はあるのでは無いだろうか。
その分悪戯も多々あり、依頼内容を読んでアリアが「これは受けていいだろう」と確信出来るようなものだけに受諾の返事をしている。
が、
「ほう、今回はもう既に返事を出しておるのか」
それから夜、十時過ぎ。
帽子とフードを被り、黒いローブを靡かせてアリアは穂摘の隣を歩く。
その服装が示す通り、今の彼女は不可視の状態だ。
穂摘はきちんと服を渡したのだが、アリアは時々突拍子も無い、空気を読まない事を言い出すので、たとえローブの下に服を着ていようとも彼女を依頼主に見せるつもりは彼に無い。
姿を消したまま同席させ、話を聞かせるだけ。
独り言対策用の携帯電話を耳に当てながら穂摘が喋った。
「あぁ、何しろ今回の妖精の特徴は、先日僕が見たばかりのモノだったからな」
「……そうか、ようやく緑の歯の依頼がきたか」
「緑の歯?」
「いやなに、そのうち来るだろうと予想はしておったのだ」
「……おい」
聞き捨てならない発言に、穂摘が思わずアリアに視線を送ってしまう。
「聞いただろう、ちゃんと。何かしでかしたのか、と」
「そうだったか? でもそれなら予め退治しておく事は出来なかったのか?」
「何を言っておるのだアラタ。私は決して同胞を望んで消しておるわけでは無い。ましてや先に退治するなど、アラタの財布が潤わないではないか」
「…………」
アリアの言う事は尤もであった。
彼女は穂摘と共に人間の害となる妖精を退治してはいるが、それは決して彼女が人間の為にやっている事では無い。
彼女には彼女の目的があり、そのついでに人間を救っているに過ぎないのだ。
「じゃあ今回の件も空振りに終わりそうだな」
事前にアリアがチェック済みの妖精を退治すると言う事は、その妖精はアリアの目的には関係無いのは道理。
そう思って呟いた穂摘。
だが、そこでアリアはふっと真顔になる。
「空振りでは無い事を、祈ろう」
問答無用でさっさと対象を薙ぎ払う彼女らしからぬ言葉だった。
そして穂摘達は、事前にメールでやり取りをして指定された待ち合わせ場所に辿り着いた。
よく見るファミリーレストランのチェーン店。
相談の際の費用は全て依頼主が支払う為、相手が指定してきた場所には文句を言わず従う。
指定席は店内の角、ご丁寧に周囲のテーブルにまで指定席の札が掛かっており、話を盗み聞きされる心配も無さそうだった。
とは言え、テーブルを複数無駄に貸し切っている状態は、予約する際に多めの人数を言うでもしない限り難しい。
やや不自然なテーブルの状態に首を傾げつつ、アリアと共に席に着くと、間もなくしてウエイトレスが頼んでもいない珈琲を二つ持ってくる。
「どうぞ」
「まだ何も頼んでいないんだけど」
「珈琲じゃ駄目でしたか?」
穂摘は思わず顔をあげて、そんな事を客に言うウエイトレスの顔を見た。
少しだけ長めの黒い前髪をピンで留め、後ろ髪は肩より上で切り揃えられた、多分若い、女子高生。
女子大生という雰囲気では無い。
それどころか高校生にも見えないくらい。
だが、彼女が近くの高校の学生服を着ていたのを、穂摘は見た事がある。
「夏掘椿です。穂摘さんで間違いないですか?」
先日公園で、穂摘の事をおじさん呼ばわりしていた女子高生の片割れがそこに居た。
ただし、実際におじさん呼ばわりしていた失礼な方では無く、その発言に慌てていた少し気の弱そうな方の子である。
あの時会った女子高生のどちらかだろうと覚悟していたとは言え、こうやって面と向かうと気まずいのは確かだ。
アリアは一般人に姿が見えないのをいい事に、にやにやと笑っている。
夏掘はエプロンを脱いで、穂摘の目の前に座った。
状況から察するにこの女子高生はここでアルバイトをしているのだろう。
客の少ない時にこのようにテーブルを複数貸し切る事も、そこでアルバイトをしている人間ならば容易だ。
気まずいのは穂摘だけでは無いようで、夏掘も座ったきり口を閉ざしている。
何をどう切り出していいのか、分からないのかも知れない。
しばらく珈琲をちびちびと口にしていたが、拉致があかないので穂摘から切り出した。
「先日、公園で会ったね」
「……はい。あ、あのすみません、失礼な事ばかり言ってしまって」
「別にいいよ。実はあの時君達に忠告したのは『あそこにいる化け物』の事を知っていたからなんだ」
「っ!」
夏掘の顔と視線が、ようやく穂摘の方へと向く。
「わ、私、どうしたらいいんでしょうか! 最近誰かにつけられている感じがして気持ち悪くて、友達と犯人を捜したりしていたんですけれど見つからなくて……ッ! それでようやく犯人が分かったと思ったらにっ、人間じゃなくて!!」
動揺するのも無理は無い話だ。
先日二度もあの公園で顔を合わせたのは、これ故の事だったのだろう。
見えていなくても「あの公園に何かがある」と本能的に察していたのかも知れない。
穂摘は彼女を宥めるように、そっと言葉を置いていく。
「君がメールで送ってくれた緑色の女は、あの公園に住み着いている化け物なんだ。住処は分かっているから今夜にでも退治して、君は明日以降普段通りの生活に戻れる。心配しなくていい」
「おお、優しいなアラタ。普段は依頼主にそのような気遣いはしておらんではないか」
妖精であるアリアの声は、夏掘には聞こえていないはずだ。
ので、茶々を入れてくるアリアを穂摘は無視した。
しかしそこに、口を挟むはずのない相手が会話を繋げる。
「そうなんですね、気遣ってくれてありがとうございます。あの、珈琲はお嫌いでしたか? 別の物を入れ直してきましょうか」
「え?」
穂摘は思わず疑問符を投げ掛けた。
何故なら、夏掘の視線は穂摘に向いていない。
穂摘の隣で座っているアリアを見ながら、まだ誰も口をつけていないもう一つの珈琲を取ろうとする。
どうやら彼女は費用を節約してなのか、自分の分の飲み物を持って来なかったらしい。
アリアは一瞬翠の瞳を見開いたものの、すぐに普段通りの不敵な笑みに戻して夏掘の手を掴み、止めた。
「いや、私の分だと思わなかっただけだ。入れ直す必要などない」
夏掘はと言うと、重なった手を見て一瞬で沸騰したように顔を赤らめている。
女に触られただけだと言うのに、もう少しで泣きそうなくらいに瞳の奥を潤めて、かなり意識している事が分かる反応。
穂摘はその様子を見ながら出来る限りの速度で思考を働かせていた。
――どういうことだ、これは。
夏掘は、姿を消しているはずのアリアを見えている。
アリアが勝手に姿を一般人に可視化させたのか?
あれだけ教えたのに、変質者さながらの黒ローブを纏ったままで?
穂摘は常時見えているが故に、アリアが可視化しているのかしていないのか見分けることが出来ない為、まずそちらを疑う。
しかしこの場でアリアに答えさせるわけにもいかず、現時点での判断は不可能だ。
わざわざ依頼者を驚かせる事も無いし、幸い夏堀はアリアの服装と先日の全裸についてスルーしてくれている。
ここはその点には触れずに話を進める事にした。
「とにかく、今回の件はこちらも既に見当がついている。君が見たと言うその化け物を退治したらまた連絡するよ。君を付け狙っているのが同じ容姿をした別の化け物と言う事も、ありえなくは無いからね」
「はい、ありがとうございます……それで、その、代金はおいくらになるんでしょう?」
穂摘からの話は大体終わったところで、今度は夏掘がなかなか聞きづらい話題を切り出してくる。
ファミリーレストランでアルバイトをしているような学生なのだから、その心配はもっともだろう。
浮かない顔をして両手を膝の上に置く女子高生に、穂摘は一応事実を先に伝えた。
「……化け物の程度にもよるが、退治依頼の場合は低級なものでも百万単位なんだ」
「ひゃっ」
勿論、良いところのお嬢様でも無い限り、女子高生に払える金額では無い。
それは穂摘も分かった上でこの依頼を受けている。
確かにお金は欲しいが、寄越さなければ引き受けない、と言う感覚を彼は持っていなかった。
何故なら彼は、あくまで本職はサラリーマンだからだ。
支払いは気にしなくていい。
そう言おうとした。
しかし、そこで先にアリアが口を開く。
「相場はあくまで相場、私は無い袖を振れなどと言ったりはしない」
「そう、なんですか?」
「あぁ、そうだとも。だが、タダで、と言うわけにもいかんのだ」
「そ、それは勿論です! ある限りは払わせてもらいます!」
「いや、はした金など貰っても仕方ない、なぁアラタ?」
相手に見えている事をいい事に、穂摘を差し置いて話を進めたアリアが、酷い流れで話題を振る。
どう答えて欲しいのだコイツは、と思いつつもどうにか搾り出すように彼は返事をした。
「そ、そうだな」
残念ながら、相槌くらいしか出来なかった。
「と言うわけで、お主には体で払って貰おうと思う!」
ぶっ、と穂摘が吹き出す。
先日の全裸騒ぎもあってか、夏掘も瞬時に体を引いている。
勿論何かを手伝えと言う意味で言っているのだろう、とすぐに浮かびはするが、ローブの下が全裸だった女に言われては最初に別の意味を想像するのは致し方ないだろう。
「手は多いに限る。特にアラタは忙しいからな」
「まあ、うん……」
「それで良いのでしたら、こちらも助かります。出来る限りお手伝いさせて頂きます……ええと、百万円分、ですよね」
「うむ!」
「容赦無いな……」
結論として、この依頼をこなす事で穂摘達には百万円分まで働く雑用係が手に入る事になった。
不要といえば不要だが、あって困るものでも無い。
無料で仕事をこなすよりは余程良い。
これを機に、一般女性と関わる事でアリアの常識も蓄えられれば更に言う事無しだ。
そんな風に穂摘は思う。
少し予想外の出来事もあったが、いつも通り短めに対談は終了し、彼らはそのファミリーレストランを出た。
早速、穂摘はずっと聞きたかった疑問を口にする。
「お前、今は姿を他の人間に見えるように可視化している状態なのか。 何でわざわざ姿を見せたんだよ。僕がタダ働きにしそうだったからか?」
依頼者である夏掘がアリアを見えていた事を考えればそれは当然の結論。
そして、そうする理由と言えば、何故か対談に口を挟んできたことを鑑みて想像は出来る。
しかし穂摘の推測に対し、アリアは首を横に振った。
「いや、私の姿はずっと不可視のままだぞ」
「……何だって?」
「耳をかっぽじってよく聞け、私はわざわざ姿を可視化などしていない」
「じゃあどうしてあの子はお前を見えていたんだよ?」
「分からぬ」
アリアの言葉に、穂摘は動悸が早くなっていた。
だからアリアはあの時わざわざ口を挟んで、『雇う』という選択肢を提示したのだ。
――『見えている』と『見せられている』は違う。
穂摘のように元から妖精が見える人間にはアリアが何をしたところで姿は見えてしまうが、一般人相手ならば大抵の妖精は自身の姿を見せるか見せないか操作をすることが出来る。
今回、夏掘という女子高生は穂摘と同じ前者……なのだが、
「でも、確かメールではそれまでは全く緑の歯を視認出来ていなかったって書いてあったんだ」
「ほう?」
「可視化していないアリアを見る事が出来るのに、緑の歯を見たのは実際に襲われた時、つまり可視状態の時だけ、っておかしくないか?」
「そうだな、襲う時は相手に害を及ぼす為に可視化する必要があるから、その襲われた時は一般人にも見える状態だったであろう」
「……おかしい、よな?」
「うむ。だが悩んだところであの娘は、妖精ではなく私だけを見る事が出来る、と言う事実に変わりあるまい。その件は後だ」
そして、アリアの足が止まり、穂摘も釣られるように足を止めた。
既に夜の十時半を過ぎ、役に立たなそうなチェーンで閉鎖されている公園の前まで辿り着く。
風は強く、公園の木々がざわざわと低く轟いている。
アリアが公園に入っていくのを確認し、穂摘がそれを追う。
公園内に入った途端に風は更に強まり、どうにも落ち着かない不快な感覚を肌から、耳から、穂摘に訴えていた。
それがここに居る妖精によるものだと、穂摘は言われずとも察している。
「遅くなったが、斬りに来たぞ」
「……ぉぉ、ぉォォ」
先日の黒い犬女とは違い、緑の歯は、人間と意思疎通が出来るような妖精では無いらしい。
アリアが静かに呟くと、風が吹き荒ぶような唸り声が公園の奥の噴水から聞こえてくる。
いや、実際に風は吹いていた。
その噴水を中心として。
アリアにはきちんと言葉として聞こえているのかも知れない。
同胞をわざわざ斬るつもりも無いような事をアリアは言っていたが、こうしていざ事情があったならば彼女は一切躊躇う様子を見せなかった。
その歩みは無情なほどに整然と進められ、奥の噴水へと辿り着く。
噴水の中心には、彫像とそれに寄り添うような緑色の老婆が居た。
多分この彫像は外国から仕入れた物で、その彫像と一緒にこの妖精は運ばれてきてしまったのだろう。
朽ちた木のような顔は、とても醜いものだった。
だが醜い中でもその表情は、悲しそうに歪められているのが穂摘にも見て取れた。
彫像に寄り添うその姿は、それだけが自分の心の拠り所なのだ、とそう言っているよう。
急に見知らぬ異国の地に間違って来てしまったのならば……それは少し可哀相な話だな、と穂摘は思う。
「役目、ご苦労であった」
抵抗の素振りを見せない緑色の妖精に対し、アリアは何やら穂摘の腑に落ちない言葉を投げ掛けた。
そしていつものようにローブの中から一本の剣を取り出すと、剣を自身の眼前に掲げて祈るように目を閉じてから、剣を振る。
妖精はあっさりと一刀両断され、最後にもう一度、ざぁ、と風が泣く。
この場に本来居るべきではない妖精はその姿を塵へと返し、アリアはじっと佇んだまま。
いつもならばこれですぐに夕飯の催促が来るのだが今日はそれが無い。
先程の台詞もあり、穂摘は内に湧いた疑問を口にした。
「もしかして……あの緑の歯とは知り合い、だったりしたのか?」
記憶を掘り起こせば「あやつが何かしでかしたか」などと言う言葉は、どちらかと言えば身内のような扱いだろう。
穂摘はその時あくまで同胞として扱っていたのだと思っていたが、アリアは「この公園に寝泊りしている」などと言っていたくらいだ。
見知っている、以上の知り合いだったとしてもおかしくはない。
妖精の友人、というものがどういう関係性なのかは分からないが。
アリアは穂摘の問いに、想像していたよりもずっと軽い調子で答えた。
「知り合い、と言うか、緑の歯とは一緒に日本に渡ってきた仲だ」
「うおおおおおおおおい!?」
穂摘の絶叫に、アリアはその耳をフード越しに押さえながら話を続ける。
「私が日本に渡る際にあやつを使った、と言ったほうが正しいな。あやつが彫像ごと運ばれていくようだったので私もついでにお邪魔したのだ」
「そんな相手をこうも容赦なく斬れるのか!」
「斬るべきだったから斬ったまで。何もおかしいことはあるまい」
「……そうだったな」
他の妖精と比べて、アリアはとても人間に近い。
穂摘はそう感じている。
だが、あくまで近いだけであってその本質は疑いようも無いほど、妖精なのであった。
彼女を人間と見間違えさせる要因である黒いローブのフードが、彼女の手によって捲り上げられる。
相変わらずフードの下には帽子を被っていたアリアだが、すっかり止んでしまった風のおかげで湿気による蒸し暑さが助長されているのか、その暑苦しい耳当て帽子を脱いだ。
耳が、夜空の下に晒される。
長く尖った、耳が。
「お前の事が見える女子高生が居るくらいだ。万が一のためにその帽子は常に被っておいたほうがいいぞ」
「分かっておる」
そう答えてアリアは帽子を被り直し、踵を返して公園を去ろうとした。
が、その足にあるはずの物が見えずに、穂摘は顔を顰める。
「……あれ? 僕が渡したジーパンは履いていないのか?」
アリアの靴は黒いブーツで、先日にそれが隠れる形のジーンズを渡してある。
なのに、彼女のブーツは隠れていなかった。
これはどういう事だ。
穂摘の問いかけにアリアは振り返って、ついで両手でフードも被り直す。
「アラタの用意した服は着心地が悪かったので着ておらんぞ」
そして堂々と見せた、黒ローブの中身を。
「ッッだからって着ないって選択肢は有り得ないだろ!!!!」
灯りの消えた公園で全裸を見るのは、昼間と少し印象が違う艶かしさがある。
とは言え全裸を好むような変態相手で興奮出来るスキルを彼は持っていない。
怒鳴る穂摘にアリアは両手を広げ、
「私はあんな着心地の悪い物は着たくないのだ。きちんとフィットする物で無ければ許せぬ」
「フィットするとか、試着しなきゃダメじゃないか! 無理じゃないか!」
「だからこうやって見せてやっておるのだ。計ることも許す。きっちり品定めして来い」
「嫌だよ!!」
穂摘はその能力故に、どの人付き合いも決して深くは無い。
年齢イコールで彼女居ない歴だ。
見るだけならば様々な媒体がある女性の裸体も、流石にじっくり触ったことは無いし、かと言って金銭を出してそういう経験をするほど求めてもいないタイプである。
更に、このような状況でそれを喜べるでも無いようで、悲鳴のように甲高い声で拒絶する穂摘。
彼女の我儘に頭を抱えながら、彼はこれから雇う事になる女子高生に与える仕事をまず一つ思いついたのであった。
【第一話 歯を砕き、縁を繋げ 完】