因なる瞳が、喚んだ禍事3
◇◇◇ ◇◇◇
翌日の夕方、穂摘は警察に事情聴取を受けていた。
任意の聴取に呼ばれ、大柄な警官から夏堀との関係性や昨晩の行動等を問い詰められる。
どうやら今朝、義両親によって夏堀の失踪が発覚したらしい。
もぬけの空となった彼女の私室には外部の者が侵入した痕跡があり、夏堀は靴も履かずに居なくなっている事もあって、すぐに誘拐として捜索されているとの事。
そして穂摘は……表面から割り出せる彼女の交友関係の中で、一番怪しい人物なのである。
穂摘はこの時点で、夏堀を攫ったのは例の脅迫メールの差出人で、後で夏堀の身柄と交換でアリアの石でも寄越せなどと言われるのだろうと予測していた。
だが、真実を警察に伝えたところで分かって貰えるわけも無く。
警察が自分を疑う事に関しては穂摘も当然だと思っているけれど、こればかりはどうしようも無い。
しばらく口を閉ざして警察官の罵倒に耐えていた穂摘は、ようやく口を開いたかと思うとこう言った。
「電話を、させてください」
許可は出たが、さあ目の前で電話をしろと言わんばかりに部屋からは出して貰えない。
横暴だな、と思いつつも穂摘は堂々と電話をかけ、一時間後にはあっさりと解放された。
睨み付ける一般警官を尻目に、半拘束状態だった穂摘を迎えに来たのは黒崎優理佳。
要するに、彼女のコネクションによって穂摘は救われたのだ。
「また貸しが出来てしまいましたね」
ふふふ、と笑い、穂摘と並んで堂々と署内から出る和服の令嬢。
穂摘が聴取を受け始めたのは夕方だったが、既に空は暗い。
「……ありがとう」
穂摘が素直に礼を言うと、黒崎が横髪を耳にかけてまた笑う。
その仕草で薄藍の袖が揺れ、それだけで見た目に涼やかな印象を受ける。
同じように涼しげな目元で穂摘を見上げ、彼女は補足した。
「失踪事件が妖精の仕業である事は、よくある事です。優が今きちんと話を通しているところですので、すぐに別の課が担当して、穂摘様の疑いは晴れるでしょう」
「警察庁妖精課?」
「名称は違いますが、そのようなところです」
警察署の目の前には黒塗りの高級車が停まっており、彼女は運転手に促されてその車に乗り込んだ。
何となくそれを目で追っていると黒崎が穂摘を手招きをした為、共に後部座席に足を踏み入れる。
夏堀では無いが、これはこれでどこかに連れ去られそうな雰囲気があって萎縮している青年に、黒崎がのんびりとした様子で話しかけた。
「で、そちらのアルバイトの女の子が攫われた、との事でしたね」
話を振って貰えた事で緊張もほぐれ、穂摘は答えるべき事を答える。
攫われた先の心当たりをだ。
携帯電話の画面を彼女に見せる為に少しだけ距離を詰め、受信メール欄を二人で眺めていた時だった。
画面に、着信表示が現れた。
すっと黒崎が離れ、その気遣いに甘えつつ今すぐ着信を確認すると、それはパソコンからの転送メール。
穂摘が解放された事を知ってか知らずしてか、絶妙のタイミングで届いたそれは勿論、アリアの石と夏堀との交換交渉のメッセージであった。
携帯電話の画面を見ないように離れていた黒崎に、穂摘は自身の携帯電話を再度向けて見せる。
「さっきのメールの続きみたいだよ」
「では、失礼します……明後日、黄昏の刻に石を持って一人で来い、と。オーソドックスな脅迫文ですね」
「指定された場所は……よりによって六年前にバス事故があった現場だよ、これ。僕も父が事故に遭った関係で大体覚えている」
「それはそれは……趣味が悪い」
にこやかにメールを読んでいた黒崎の表情が、指定場所の曰くを聞いて酷く冷めたものに変わった。
事故を起こさせたであろう相手が、その自身で起こした事故現場にわざわざ呼びつけるなど、こちらの感情を弄ぶ意図しか見えて来ない。
そのやり口が、黒崎には不快だったのだろう。
「まったくだ」
穂摘は構わないが、その現場に夏堀を連れて行かれるのは気分が良くない。
あまり深く気にしてはいなさそうな彼女だが、それはきっと上辺だけだろうから。
彼女の性格から予測したわけではなくただ単に、両親を失った事故なのだから簡単に傷が癒えるわけが無い、と言う事だ。
「お一人で向かうおつもりですか?」
「いや、実はアリアの石は既にアリアに吸収されていて、僕が力だけを持ち運ぶ事は出来ない気がするんだ」
「では、お二方で?」
「アリアは気配とかを遮断出来るローブを持っているから、相手に気付かれずに潜むくらいは出来るんじゃないかな」
人間相手ならアリアの姿そのものを不可視にする事も出来るが、妖精を使って事件を引き起こすような相手に、妖精が見えないわけが無い。
ので、例の黒いローブが遮断出来るのは気配だけ。
あくまで物陰に潜みつつになるだろう。
穂摘にはどこに向かっているのかもよく分からない車の中で、ふっと外の景色に目をやると、繁華街の明かりが目に入った。
会話を続ける為に近辺を周回しているのかも知れない。
穂摘につられて一緒に窓の外を見ながら、黒崎が言う。
「困りましたね」
「何がだ?」
「いえ、例のリボンの対処要員であるアルバイトのお嬢さんが先に捕らえられたのであれば、穂摘様達は相手に何も出来ないまま取引に応じるしか無いのでは、と思いまして」
「そこなんだが……相手はどこまで僕達の情報を持っているか、にもよると思うんだ」
「……!」
黒崎は、はっとして穂摘に目を向けた。
「穂摘様があのリボンの呪の対象である、と言う事を相手が知りえているとは……思えません。そういう事ですね?」
そう、それを知っていたなら、わざわざ夏堀を捕らえる必要が無い事も分かる。
リボンを使えば、簡単に穂摘から石なんて奪えてしまう。
「そうなんだ。だから僕にあれを使ってくる事は無いんじゃないかと思って」
「穂摘様のお母様の戸籍情報の改ざん元は結局、データ上から読み取る事は出来ませんでした。そして、その人物に辿り着く事も……通常の手段では不可能でした」
「通常じゃない手段は、あるのかな」
「一応、優は目星をつける事までは出来ました」
「出来たのか、あのパンクス妖精」
あの、何にも出来なさそうな見た目で、何でも出来てしまう女妖精。
有能過ぎるにも程があるだろう。
聞く話の限りでは、人間社会に溶け込んでから決してそこまで長くはないはずなのだが、アリアよりもずっと有能に育っている上北を連れている黒崎を、少しだけ羨ましく思った。
アリアが上北くらい使えたら、穂摘の仕事はほぼ無くなる。
ただ、それだと穂摘の存在意義も無くなってしまうのだが。
「優も運が良かっただけです。通常の方法ならば辿り着けないでしょう」
「で、その改ざん元ってのは?」
「まだ正しいかどうかは分かりませんので、確定事項となった際にお伝え致します」
やや勿体つけられている感は否めないけれど、教えるつもりが無いわけでは無いようなので、気にはなるがそれ以上問う事を穂摘はやめておいた。
聞き出そうとして別の注文をつけられても困る。
ただでさえ今回、借りを作ってしまったのだから。
食い下がって来ない穂摘に、案の定黒崎は少しつまらなそうにしており、聞いて欲しかったのであろう事がその素振りから伺えた。
してやったりな気分になった穂摘の口元が緩み、それを見た黒崎が咎めるように彼を睨み上げる。
「その笑い方、優であれば頬を九十度つねり回すところですよ」
「……せめて四十五度くらいにしてやってくれ」
頑張っても鞭しか与えて貰っていないような印象しか受けない上北を想像し、些細ながらもその責めの軽減を、穂摘は願った。
が、その願いは少し違う意図で伝わったらしく、
「それでは」
と、黒崎は穂摘の手の甲を四十五度ほどつねる。
違うそうじゃない、と言いたいが驚きのほうが大きくて言葉にならず、小さく悲鳴だけ上げてから、ほんのり赤くなった自分の手の甲をさすった。
多分黒崎はこちらの意図を分かった上で、敢えて勘違いしたフリをしたのだと穂摘は思う。
だとすればやはり根性が悪い。
……きっとこの女性は嫁に行き遅れる。
そうは思ったけれど決して口を滑らせたわけでは無い穂摘の頬が、直後に何故か九十度つねり回された。
「この車ではマンションの目の前に送ると目立ちますので、この辺りでよろしいでしょうか」
黒崎は、聞きつつも有無を言わさずに、穂摘を自宅のあるマンションから少しだけ離れた近隣住宅地で下ろした。
夜遅いので車を降りてからは無駄話もせず、軽く会釈だけして別れる。
黒塗りの高級車が静かに去り、角を曲がって見えなくなったところで、ようやく穂摘は日常に戻ったような感覚を覚えていた。
けれど、決してただ戻ったわけでは無い。
気張っていた心も、一緒に平常時に戻ってきていたのだ。
エアコンの効いた車内から降りたせいもあるかも知れないが、急に汗が噴出して来る。
震える指先を止める為に握った拳の中は、どんどん湿っていく。
穂摘は、その体に妖精の因子が含まれていようとも、二ヶ月程前までは一般人として生活してきた。
それが妖精と強く関わるようになり、人の死に直接触れ……そして今現在は、身近な人が拉致に遭っている。
テレビや本で見るなら、何て事は無い「死」や「事件」。
怖くも無い、驚きもしない、ただの情報として頭の中に入ってくるソレ。
けれど、本当の本当に、自分に近い周囲でそれが起きた時……平常心を保ったままで居られる者は少数だろう。
自分は冷静なほうだ。
そう思っていた穂摘でさえ、速く打つ脈を抑えられない。
当然である。
つい先日、自分の部屋で料理を作ったりしていた女の子が誘拐されたのだから。
間違いなく言える、この心境では食事も喉を通らない、と。
文字で見ても、映像で見ても、それは実感出来ない、わからない事。
人間の想像力は所詮上辺だけ。
故に、その現状に立ち会ってみて、初めてそれを心から恐怖だと感じるのである。
実際に恋をしてみなければ、どんなに聞きかじったところでその真の「熱」を理解出来ないように、恐怖もまた同じ。
妖精が起こす事件に触れていながら、心のどこかではそれを画面の外から見ているつもりだったのか。
何だかんだで自分達は大丈夫だ、とたかを括っていた結果がこれだ。
アリアに近い人間なら、確かに妖精には狙われ難いかも知れない。
だが、それはあくまで妖精相手の話。
人間が人間に害を成そうとする時、妖精の存在など関係無いではないか。
穂摘は落ち着かない心を誤魔化すように足早に帰宅して、自分の部屋の玄関ドアを乱暴に開けた。
時間は既に夜遅くであり、夕食待機していたアリアがその音に驚く。
「どうしたのだアラタ」
賑やかで中身の無い笑いが飛び交う液晶画面を背景に、穂摘に振り返る、金髪の妖精。
「夏堀さんが攫われて、事情聴取に遭ってた」
「ジジョーチョーシュ? いや……重要なのはそこでは無いな。ツバキが攫われた、と?」
「ああ」
上北の言っていた通り、アリアは確かにとぼけたフリをしていつつもそうでは無いらしい。
知らない単語が出てきた一文の中から、きちんと要点を拾い上げて会話に臨んで来た。
「犯人は、先日墓で会った妖精を操っていた人物と同一だろう。明後日の黄昏時に石と夏堀さんを交換だってメールが来ている」
「黄昏時……ふむ、確か夕暮れの事だな? 我らにとってはその時間が一日の始まりだからな。しかし、石はもう既に石として形を成していないが故に交換は無理だ。私の石の力が二分割されていたあれはアラタの母が自身の肉体を直接使う事で形を再生成したのであろう……多分、あれの材料はアラタの母の眼だぞ」
「…………」
アリアの瞳みたいな色だ……とは思っていたが、まさかあの石が自分の母親の眼を媒体としていたとは思わず、穂摘は言葉が出なくなる。
見た目は決して眼球そのままと言うグロテスクな事にはなっていないのが救いか。
「あの石は、きっと死ぬ間際に私の力を他人に分け与える為に分割したのでは無いであろうか……一つは夫、もう一つは息子であるアラタ、お主にな」
「けれど僕に渡るはずだったほうの石は、墓に眠っていた、か」
「あくまで想像で、実際の意図は分からぬがのう」
ほとんど普通の人間として生きていた自分には過ぎた代物だ。
だが、せめて存在くらい教えて欲しかった、と思わないでもない。
その石を巡ってここまで事態が大きくなっているのだから。
「今更母の思惑を想像したところで真実は分からないから、そこは置こう。とにかくもう石を作る事が出来ないなら、手ぶらで行くしか無いな」
「しかしあの石を持っていない事は、分かる者には一目瞭然だぞ」
「それなんだよな……」
普通の石を代わりとして用意する事は無理だろう。
するとアリアが、自分の胸元からぬるぬると剣を抜き出す。
室内でいきなり何がどうした状態で穂摘がその現象を見つめていると、アリアは抜いた剣を両手でパンッと挟んだ。
剣はアリアの手の平に応じるようにぺたんと平べったくなり、今度は縦にもう一度アリアが挟んで押しつぶすと、剣はもう剣ではなく、小さな粒になってしまっていた。
ビー玉くらいの緑の石が出来上がり、アリアが放り投げてきたそれを慌てて穂摘がキャッチする。
石から伝わる温もりは、以前にアリアの石を持った時と擬似感がある。
「これはもしかして」
「私の力ではなく、私の剣を圧縮した。触ると気付かれるかも知れないが、近付いた程度ならそれで誤魔化せると思うでな」
「でも剣が無いとお前……」
「うむ、敵には渡すでないぞ。色々と詰む」
「詰むって!」
「仕方が無い。何しろツバキが人質に捕られているのだから、危ない橋でも渡らねばならぬ」
そう言ったアリアの表情に余裕は無い。
つまり、これはそれほどの剣なのだと言う事だ。
そして、夏堀の身の安全にそこまで賭けてくれると言っているのでもある。
少し前に出会ったばかりの人間に対してそこまでする事は、人間なら出来るのだろうか。
彼女が人間ではなく、妖精だからこその決断にも穂摘には思えた。
だがそれなら、それでいい。
アリアの剣だった石を鞄の底に仕舞い、穂摘は自分の衣服を全体的に緩める。
あとは明後日に夏堀を攫った相手との取引を迎えるだけ。
自分の部屋で話すべき事は話し、ようやく気を抜く事が出来て……
穂摘の意識は、そこで途切れた。
 




