因なる瞳が、喚んだ禍事2
そして、穂摘と別れた上北は、真っ直ぐと目的地へ向かって歩き出す。
市内で一番大きい森林公園に辿り着くと、人間の上着を羽織って右腕をさり気なく隠しているアリァガッドリャフが居た。
黒いローブは着ていなかったが、長い耳を隠す為の帽子はきっちり深く被っている。
噴水の傍らに腰掛けて人間の子供達と何やら話しており、どうやら今の彼女は姿を人間に可視化させているらしい。
上北はアリアにゆっくりと近づいたつもりだったが、上北の風貌は目立つ為、先ず子供達が彼女に気付いて声を上げた。
「今度は白髪のねーちゃんが来たぞ!」
「外国人がまた来た!」
「……この髪はプラチナブロンドってやつだ。白髪と一緒にすんなガキども」
「うわ、このオトコオンナこええ!」
小学生と思われる子供達に囲まれていたアリアは、立ち上がって笑い、言う。
「日本の子供はこの髪が気になるのか、座っていたら群がられてしまっていた」
「消えてりゃいいのにそうしなかったら、そうもなるだろーが」
アリアの髪も、上北の髪も、天然の金髪と銀髪だ。
日本人の黒髪を脱色したところで出せるものではない質感は、やはり目立つ。
姿を隠していればいいものを、そうしなかった理由をアリアはもの哀しげに置いた。
「人恋しい時も、あるのだ」
「まあ、な」
上北は表情で威嚇して子供達を下がらせ、一方アリアは笑顔で手を振る事で促す。
子供達から距離を置き、かと言ってじっとしていては、また誰かが寄って来そうだ。
子供とお年寄りの積極性は侮れない。
そうならない為にも、上北は至極当然の提案をする。
「どこか落ち着く場所で話そうぜ」
「ふむ……私は家が無いのでな。アラタの部屋くらいしか思いつかないのだが」
「アイツ今仕事中だろ?」
「鍵ならある」
「合鍵まで渡してんのか、あの男……」
尽くすにも程がある、と小さく呟いて、上北は先を歩き始めたアリアの後に続く。
文字情報だけなら上北は穂摘の自宅マンションの住所を知っていたが、実際に歩いてみるとアリアが寝床としている公園から五分で着く近さであった。
初めて入る穂摘の部屋に対し、上北は乱暴に靴を脱いでどかどかと入って行く。
不躾に室内を見渡した後、ベッドの枕元にある家族写真を見つけて、彼女の目はそこに留まった。
金髪翠眼の美しい女性と精悍な日本人男性の間で、はにかんだ笑顔を見せる少年の家族写真。
男の一人暮らしの部屋でありながら、その写真立てには塵一つ無かった。
「あのマザコンっぷりから写真くらいあるような気はしてたんだが、予想通りどころか予想以上とはな。これで一つは合点がいったぜ……」
「ほう?」
「でもそれと同時に浮上してきた疑問がある」
「何だ、言うてみるがいい」
「この女は誰だ。何 で 先 輩 と 同 じ 顔 し て や が る ん だ」
写真の女の見た目の年頃は三十代くらいで、アリアよりも上なのは間違いない。
だが、年齢さえ抜いたならこれは同一人物と言って良い程、似通った顔立ち。
穂摘や夏堀は外国人の顔の見分けは、年齢が違ってしまえばそこまでしっかりつけられないのだろう。
よく似ているな、くらいで終わる。
上北はそうでは無いが故に、写真の示す事実に戦慄した。
上北の問いにアリアが凍りつく。
そして、
「それは……アラタの母親だ。それ以上でもそれ以下でも無い」
話す気は無い、と言う事なのだろう。
彼女は明言を避け、あくまでその写真の人物の表向きの立場を伝えた。
「質問はそれだけかの?」
「いんや、先輩にゃ、それとは別に聞く事もある」
綺麗に揃えられていた椅子をガッと引いて、上北がそこに座る。
アリアも座った事を確認してから、上北はずいっとテーブルの上に上半身を押し出し、食い入るような目で自身の先輩を睨んで切り出した。
「……あの事件の犯人は、別に居たのか?」
「あの事件、とはどの事件だ」
「その腕を失った時の事だ。戦で斬られて使えなくなったんじゃねーのかよ」
「表向きは、そう言う事にせざるを得なかったのだ」
「じゃあ、ホヅミアラタの母親が力を奪ったとか言うのは、事実なのか」
「仲間にやられたとは言えぬ」
「仲間、ねぇ……俺は先輩と同じ顔した仲間なんて知らねーんだが……」
淡々と話すアリアの言葉に嘘が無いと感じた上北は、前のめりだった体をどっと後ろに倒し、疲れ果てたようにだらしなく天井を見上げる。
「何てこった……」
上北の紅い目が、動揺に揺れていた。
先刻の穂摘との会話の際に彼女が驚いていたのは、アリアの腕が使えなくなった際の原因に、記憶との相違があったからなのだろう。
「詳しく喋る気が無いならそっちはもういい。じゃあ何でその仇みたいな男と組んでるんだ?」
「それはだな、」
アリアの今の状況は、穂摘を責めなかった事が結果として良い方向に動き、彼の支援を受ける事になったようなものだ。
アリアが穂摘との馴れ初め、そして今回の事情を話していると、力の抜けていた上北の肩が更にがっくりと下がっていく。
「ぬる過ぎるっつーの……」
「アラタに罪は無い、してしまった事を咎めても仕方無い、それだけの事であろう」
「相変わらずお優しい事で。で、本題に入らせて貰うが……先日渡されたガラスの箱から先輩の力の痕跡が出たんだが、今の話を聞く限りではその奪われた力を誰かに悪用されているって事でいいのかよ」
「すまぬな」
この件に関して気に病んでいるアリアは、沈鬱な面持ちで自身の銀の腕を左手でさする。
その動きにつられて上北も彼女の右腕に紅い目を向け、睨むように細めた。
「盗られた奴が悪い、までは妖精の理論だ。人間の法に裁かせるなら、悪用してる奴が悪いだけだから気にしないでいいと思うぜ」
正確には、盗られた云々よりも「弱ければ仕方無い」……これは妖精に限らず、自然界は全てこの掟で構成されているだろう。
命を刈り取られたとしても文句の言えない、それが本来の摂理。
その頂点に立っていながら、弱肉強食による正当な顛末を無関係の者までもが非難する。
これは人間だけが持ち得る価値観。
「気にしないでいい、か。泣けるくらいに、住み心地の良い世界だ……」
彼女達は、自分で選んで、望んで、ここに居るのだ。
弱き者をも尊重する制度。
アリアは決して弱くは無いが、一度傷つき落ちぶれた彼女の瞳は、下から見上げる世界も映した。
力に差のある様々な者達が同じ場所で穏やかに暮らすには、妖精よりも人間の社会のほうが都合が良い。
上北も、それを嫌だとは思わないから、ここに居る。
そうでなければ、居られない。
個々の力は小さい、弱さが作った、弱さを尊重する社会。
その片隅で、強者と謳われる妖精達が温かい世界を慈しむ――
それから、仕事から帰宅した穂摘が悲鳴を上げたのは夜遅くの事だった。
台所は散々な状態で放置され、冷蔵庫の食材は食い散らかされている。
この部屋に自由に入られるのはアリア以外には居ないはずだが、過去にアリアがこんな事をした事は無いので、ただただ困惑した穂摘。
考える事を放棄して部屋を片付けていると、夕食を食べにアリアが訪ねて来た。
「おお、片付けてくれているのか。すまぬなアラタ」
「これやったのお前か! 悪いと思うなら片付けて帰れ!」
「う、うぬぅ、私にも責はある。だが、掃除道具の収納場所まで覚えてはおらぬものでな。ブンベツとやらもよく分からぬし」
「それもそうだな……」
不覚にも納得させられてしまい、がっくりと項垂れ、それでもどうにか片付いたのでそれ以上咎めるのは止めにする。
優先すべき、伝える事があったからだ。
「そういえば、昼間に脅迫みたいなメールが届いたよ」
真面目な話題に変わり、アリアも自然と背筋を伸ばして穂摘に体を向けた。
そんな彼女に届いたメールを見せ、気に掛かった事をまず言う。
「もしあの事故が、父が持っていた石を奪う為に人為的に起こされたものだとすれば、アリアの石の存在を先に知っていた奴が居る事になるんだが……心当たりは無いのか?」
偶然に手にしたのでは無く最初から奪うつもりだったのであれば、犯人はアリアの石の存在を知る事の出来るような者に限られる。
しかしアリアは首を傾げ、考え込む。
「私が力を無くした真の理由は、先刻までラウファーダにすら言ってはおらんかった事であり、石はその副産物なのだ。お主の母が誰かに話したのでは無いか」
「母は、少なくとも僕の見る限りでは妖精との接触を最低限に抑えていた状態だった。そんな母が妖精に関する事で口を滑らせるとは思えない」
「ふむ。確かに人として暮らそうと思うのならおいそれと他人に話すわけが無いな」
「だろ」
「ならば……私はこの腕の事情を他者に話してはおらぬが、それを察する事の出来る者、と言う事になるのう」
「思い当たる節が、あるっぽいな?」
「あるにはあるのだが……そうなると心当たりが多いのだ」
「またか!」
以前にも、妖精の騎士の件で心当たりを聞いた際、アリアは心当たりが絞りきれないような事を言っていた。
そして、それは今回もらしい。
「私がこの腕の力を奪われた頃は、まだ王だった。故に、事情を覗き見て知る事が出来てもおかしく無い近しい者が……多くてのう」
「具体的にはどれくらい多いんだよ」
「例の箱やリボンを扱えるような者と言う事で絞っても、数人居る。そして私の退位後は縁も切れた故、今現在どうしているかなど分からぬ」
「微妙な人数だなぁ」
あちらからの接触はあったもののそれはシンプルな脅迫文であり、このメッセージの情報から相手を辿るとすれば時間が掛かるだろうし、むしろ失敗して空振りに終わる可能性も無くは無い。
見えているのに手が届かぬ幻影のような相手に、穂摘は頭を抱えるしか無かった。
結局のところこのメッセージで分かった事と言えば、穂摘の父は夏堀を救ったのではなく、周囲を巻き込んで大きな被害を与えただけと言う事ではないか。
どこかで聞いたような話だ、と、引っ掛かった穂摘は記憶を掘り返す。
……ああ、そうだ。
父は、少女……更科の事を救った男性と似ているのだ。
行動の結果に揺れる天秤が、全く吊り合わない。
気付いた途端に笑いがこみ上げてくる。
父の失態、そして自分の母がアリアにしでかした事が引き起こした、様々な余波。
「母さんは……何て事をしてくれたんだ」
アリアの力を巡って起きた事件は、そもそもアリアの力が奪われなければ起きる事も無かったもの。
その力が、あるべき場所に納まっていたなら誰も不幸になどならなかったはずなのに。
穂摘の呟きが聞こえていたはずの妖精は、それに答える事は無かった。
◇◇◇ ◇◇◇
しんと静まり返った室内で、風に揺れるカーテンの隙間から漏れた月明かりに照らされ、床に伸びる二つの影。
影の持ち主の片方は、獣のように長い体毛を生やした大男。
もう一方はローブを纏っている為に素顔は分からないが、背は子供ほどに低い。
二者はどちらも、ベッドに横たわる一人の少女を見下ろしていた。
タオル地のキャミソールと脚ぐりの緩いショートパンツを履いて、気持ち良さそうにすやすやと眠っている。
あどけない寝顔は、中学生どころかもしかすると今時ならば大人びた小学生でも通じるのではと思うほどに幼さが残っていた。
大男はごくりと喉を鳴らした後、隣の背の低い人物に顔を向ける。
するとその所作に反応して、小柄なローブの人物が口を開いた。
「食べたら、駄目だよ。まだ……駄目」
高い、女の声だった。
ローブの女は腕を上げ、指示をする。
指示に従い、毛むくじゃらの大男は眠っている少女を軽く担ぎ上げた。
「うぅ……」
腹を圧迫され、少女が呻く。
だがそれは小さく、同じ屋根の下に住んでいる家族にも気付かれぬまま、彼女を抱きかかえた大男は窓から外に出る事に成功した。
続いて小柄な女もひらりと飛んで出て行き、閉められる事なく大きく開かれた窓は、誰も居なくなった室内に月光を燦然と差し込ませる。
その光景は、一筋の光さえ届かぬ暗闇よりも余程気味の悪いもの。
持ち主の居ない部屋は、吹き込む風で声無き声を上げるように鳴いた。




