玻璃を穢すは、人の闇4
アリアに休みを言い渡した穂摘だが、彼自身も実際の所は心も体も疲れ果てていた。
だが穂摘には表の仕事もある為に丸一日休める日は無く、体力や気力を完全に充填するまでには時間が足りない。
ついでに言うと、放っておくと舞い込み続ける依頼メールの処理もある為、この数日程度では全くと言っていいほど回復出来なかった。
けれどそれでも今日は動かねばならない。
親の命日、墓参りをする為に、穂摘は遠路遥々田舎へと帰省する。
……彼が雇っている女子高生、夏堀と共に。
平日なのに学校を休んでまで着いて来た少女を横目に、青年は溜め息を吐く。
「親戚に見られたら面倒な事になりそうだ……」
「事情を話せばいいだけじゃないですか」
「声を掛けてくれれば話せるけど、見るなり逃げられて言い訳する機会自体が無い事だってあるんだよ」
「うっ! 確かにそうですね!」
そこは穂摘と夏堀が住んでいる市から、電車とバスで三時間ほど北東に進んだ所。
バスの時刻表は一時間刻み、季節が夏と言う事もあって緑豊かでのどかな景色が平坦ながらも広がっている。
空も心なしか、青の色が強い。
その分日差しも強かったが、穂摘も夏堀も帽子を被った万全の状態で臨んでいた。
目的の墓地に一番近いバス停で降りた穂摘達は、仏花を片手にとぼとぼと歩きつつ言葉を交わす。
「一応言っておくけど、これはアルバイトの勤務時間に加算されないよ」
「分かってますよ。むしろ無理矢理着いて来たのに、食事も交通費も奢ってくださるあたりが太っ腹ですねー」
「期待してたんだろう?」
「そんな事無いですよ!」
「そうかな」
意地悪げに穂摘が笑ってやると、夏堀も一緒に笑う。
穂摘の墓参りに夏堀が着いて来たのは、一緒に墓を参って礼を言いたいと言う理由からだった。
彼女の両親の命日でもあるはずなのだが、夏堀からすればアリアと、アリアの力を奪った穂摘の母と、その力の石を持っていた穂摘の父と、どの人が欠けていても助からなかった。
その全員に恩を感じていて、一度くらいはきちんと墓に参っておきたいのだろう。
少し大きめの農道らしき通りを、あぜ道を横目にゆるやかに登っていくと、その先に開けた土地が見える。
広い土地に疎らな間隔で立つ墓石の一つが、穂摘の家の墓だ。
本来ならば何も気にせず墓参りの支度を整えたいところである。
だがそこに、何やら人ではないモノの影が動いていた。
遠めに見る限り――鷲らしき大きな鳥が、墓の周囲をぐるりぐるりと不審に回り続けている。
何だか嫌な予感がした穂摘は、夏堀に問う。
「……夏堀さん、あの大きな鳥、見えてるかな」
「鳥? どこですか?」
「見えてないならいい、多分妖精なんだろう」
「ええええ!!」
墓参りが一瞬にして台無しだ。
今はアリアを連れて来ていないので、あの鷲が妖精であるのなら無闇な接触は避けたいところである。
一先ず様子を伺っていると、鷲の妖精は回り続けることをやめて墓に足を掛けようとした。
だがその直後にバチン、と何か電気の様な光に弾かれて、どさりと落ちてしまった。
「あっ……」
穂摘が声をあげた事で、鷲を見えていない夏堀が恐る恐る尋ねる。
「何か、あったんですか?」
「妖精っぽい大きな鳥が、僕の家の墓に足を掛けた途端に電気みたいなのにやられてぽとんと落ちた」
「何だかスーパーの入り口で飛んでいる夏の虫みたいな事になってるんですね」
「もしかして僕の家の墓には、妖精対策でもされているのかな……」
落ちてしまった鷲の妖精は、動く気配が無い。
穂摘と夏堀は慎重に近付きながら、三段造りで背の高い墓石のすぐ傍まで来た。
夏堀にとっては変哲の無い日本の墓地なのだが、
「私には何も見えないんですけど、この辺りに妖精が居るんですか?」
「ここまで来ても見えてないなら間違いなく妖精だろうね、ここに鳥が落ちてへばってるよ」
「ふえぇ」
穂摘が見たところ、そこに落ちているのはやはり鷲の様だった。
随分薄汚れており、弱っていながらも瞳はぎらぎらと輝いていて自然の動物にしては違和感を覚える。
あまり人間にとって善い妖精では無いのかも知れない。
その瞳のぎらつきが穂摘に不安感を与えてくる。
けれど自分の家の墓付近に妖精が転がっているのは嫌だ。
それはもう、凄く。
「僕の言葉、分かるか?」
すると鷲は、息も絶え絶えながら羽を少し上げた。
どうやら言葉自体は分かるらしい。
穂摘はすっと鷲に手を差し伸べて、そのまま墓から少しだけ離してやる。
墓に掛かっていると思われる妖精対策の罠に再度触れてしまっては、今度こそ妖精が死んでしまいそうな気がしたからだ。
「ここに居たのは偶然か? それとも……この墓に何か用事でも?」
一応聞くだけ聞いてみる。
すると、鷲の姿の妖精がクチバシを開けた。
その声は、まるで笛の音の様。
木製の笛を吹き鳴らしたみたいな、高くも丸みのある音が穂摘の耳に響いてくる。
綺麗な音色だ。
しかし……どうしてそれが「意思」と成して聞こえてくるのか。
その「意思」は耳から更に奥に潜り込み、穂摘の身体の中心を揺さぶり、直に伝達してくる。
「……歪みを、開く?」
「穂摘さん?」
よく分からない事を呟きだした穂摘に、夏堀が名を呼んだ。
だが穂摘は彼女の声掛けには反応しないまま、焦点の合わない瞳を宙に漂わせては、また呟く。
「命令に抗えない、のか」
「穂摘さん!」
穂摘の目が虚ろになっている事に気がついた夏堀が、彼の体を慌てて揺する。
夏堀には、何かを抱えているような腕の形をとっている穂摘が、一人でぶつぶつ言いながらおかしくなってしまったように見えていた。
自分には見えていない妖精のせいなのだと分かっていても、反応を返して貰えない事が、怖くて。
穂摘の腕の中にソレが居るのなら。
ソレが彼をおかしくさせたなら。
「やめて!」
穂摘の腕の中に居るはずのソレを、夏堀は無我夢中で除けようとした。
夏堀に妖精はまだ見えていない。
けれど、彼の腕の中に手を伸ばした瞬間、確かに夏堀は生き物の感触を感じ、ソレをそのまま放り投げる。
すると、
「うあっ」
びくり、と体を震わせて穂摘は目を見開いた。
正気に戻ったのか、と彼の顔を、夏堀は覗き込む。
だが少女の願ったものは、そこにはまだ戻って来ていない。
「あ……燃え、る……」
今度は更にわけの分からない事を口走る穂摘。
夏堀の目には、燃えている物など何一つ見当たらないと言うのに。
「何が燃えてるんですか穂摘さん!」
「ワタシが、燃え……っ、いや、違う。あれは僕じゃない、ごめん」
「ええっ!?」
おかしくなっていた穂摘であったが、正気を取り戻して欲しかったとは言え、こんな風に突然戻られてもそれはそれで対応に困る。
夏堀は決して、妖精を見る事が出来る穂摘を気持ち悪いと思った事など無かったが、こうして会話の成り立たない不可解な状況を目の当たりにしてしまうと、確かにこれは他人から避けられてもおかしくない力だ、と思った。
彼の事情を知っている夏堀でさえ、凄く怖ろしかったのだから。
元に戻ったらしい穂摘は手の甲で額の汗を拭い、そこでようやく夏堀に説明をしだす。
「さっきまでここに居た妖精は……どうも人間の言葉を話せない類らしかったんだ。けれど多分同調する事で意思疎通が出来る状態になって、その状態が何かこう、どちらかと言えば同化に近い感覚がしてさ」
「同化ですか……?」
「そうなんだ。だからあの鷲の妖精が墓石にぶつかって燃えた時、自分が燃えたように錯覚して怖くなって……」
「穂摘さんを見ていた私も凄く怖かったです! ところで、えっ、妖精さん燃えちゃったんですか!?」
「元々瀕死だったけれど、夏堀さんが投げ捨てて燃やしたことがトドメになったね」
「うわあああぁぁぁごめんなさいぃぃぃぃ」
穂摘がおかしくなったと思って無我夢中で取った行動であったが、実際のところ彼は単に妖精と会話をしていただけだったらしい。
その会話の相手を、夏堀は放り投げて、妖精対策の罠が張られていると思われる墓にぶつけて燃やしてしまったと言う。
……極悪非道な行いをしてしまった気がした夏堀は、穂摘家の墓石にしがみついて泣き出す。
そこで、コロン、と何かが夏堀と墓の間から転がり落ちた。
「ん?」
もう少しで草むらに入って見失ってしまいそうだったところを、ぎりぎりのタイミングで拾い上げる穂摘。
先程まで燃えていた妖精の羽根の残骸で薄汚れていたが、その煤を払う事で見えてきたのは緑色。
指でもう少し磨くように汚れを取ると、不透明なのだが頑張れば先が透けて見えてくるのでは、と思ってしまうほど綺麗な石が現れた。
妖精の火に纏われていたからではない、妙な生温かさ。
まるで石その物が生きているようだ、と思った。
一応硬いのだが、石の硬さとは少し違う、弾力のあるこれはまるで……
「何だか目みたいな感触だ」
「ううっ、何が、ですか」
「拾った石が、だよ」
「石……ですか?」
墓に泣き縋っていた夏堀が、穂摘に振り向いて彼の手元の石を確認する。
綺麗な、翠色の石。
丸くて、吸い込まれるような深い色合い。
「ちょ、ちょっと待ってください。もしかしてこれがアリアさんの石って事、無いですよね?」
「僕も最初はそう思ったんだけど……聞いていたよりも小さいんだ」
アリアの石はピンポン玉くらいのサイズだと聞いていたが、この石のサイズはそれよりも一回り小さかった。
ただ、色自体は綺麗な翠色で、アリアから聞いたものと同一である。
「一先ず、持ち帰って見せたほうが早そうだな……さっさと墓参りして帰ろうか」
「うう、妖精を燃やしてしまったのかと思うと落ち着いてお参り出来ません」
「放っておいても死にそうだったから、そんなに気に病まなくてもいいよ。むしろこんな危険な罠を張った奴が悪い」
今の穂摘の体は先程の妖精同様にこの墓の罠に掛かってしまう恐れがある為、夏堀が彼の代わりに仏花を花立に挿し、近くの水場に備えてあった杓と桶で軽く墓石を流す。
墓の手入れを任せてしまった穂摘は、彼女に礼を言う。
「ごめん、ありがとう」
「いえ、いいんです。これくらいさせてください」
そう言って二人で静かに手を合わせて目を閉じる。
そして目を開いてからぼんやりと、夏堀が呟いた。
「ありがとう、ございます」
墓に入った故人に対してだろう、と穂摘は黙って彼女の感謝の言葉を耳に留める。
人の縁とは、本当に分からぬものだ。
遡ればアリアと言う妖精の存在があってこその夏堀の命になるわけだが、それでもやはり、感慨深いものを覚えてしまう。
このように行いはどこかで繋がり、絡まり、影響し合うのだ。
良くも、悪くも。
二人が墓参りを済ませ、自室のあるマンションに戻って来た頃には既に日の光が赤く染まっていた。
ほとんどトンボ帰りだが、途中途中で軽食をとっていた夏堀は満足そうである。
「この駅弁、アリアさん喜んでくれますかね~」
「絶対食べないと思う」
彼女の手には、納豆弁当、と書かれたインパクトの程度が中くらいの品がぶら下げられている。
外国人の苦手な日本食の上位に入る腐った豆をメインにした駅弁を、アリアへの土産にチョイスする夏堀の感覚が穂摘には分からない。
確かにアリアは肉をあまり食べない関係で食べ物選びには苦労するかも知れないが、いくら肉が入ってない物だとしても鼻のききそうなアリアに納豆は無いと思う。
「アリアが食べなかったら夏堀さんが食べるんだからな、それ」
「えっ、い、いいんですか……?」
申し訳無さそうに、しかし嬉しさを隠しきれていない夏堀。
呆れ顔で穂摘はエレベーターに乗り込み、そして間も無く着いた自身の部屋。
けれど玄関にアリアのブーツは無く、彼女はまだ来ていないようだった。
時間的にもアリアが来るのなら暗くなった夜であり、まだ日の落ちきっていない夕方では無理も無い。
……ここで困るのが、夏堀の扱い。
穂摘は女子高生一人のみを部屋に上げる気は無いので、
「アリアは来てないし、待つにしてもきっと長くなるから、帰ったらどうだ?」
ここまで来させておいて帰す、と言う酷い選択肢を選んだ。
穂摘の酷い物言いに、夏堀の表情がくしゃりと歪んでいく。
長めの前髪を止めたピンの下で、幼さの残る瞳が潤む。
「お弁当……」
「持って帰っていいから」
「話も聞きたいですし……」
「それが二番目に来るんだね」
確かに夏堀の言い分は分からなくも無い。
ようやくアリアの石に関係のありそうな物が手に入り、これからどうなるのか見届けたいのだろう。
穂摘だって夏堀の立場なら食い下がる。
しかし、やはり女子高生と自室で二人きりと言うのはまずいわけで……
しばらく玄関で靴を履いたまま、推量して立ち尽くす一社会人男性。
やがて覚悟を決めたのか、眉間に皺を寄せつつも彼は玄関に荷物をとん、と置いてそこから財布と携帯電話だけを取り出した。
その様子を不思議そうに見つめる夏堀に、彼は一言。
「アリアが来たら電話してくれないか。戻ってくるから」
それはつまり、
「私をここに置き去りー!?!?」
「いくら君が色気皆無の中学生みたいな高校生だとしても、部屋に連れ込んで二人きりって言うのは犯罪みたいだから嫌なんだよ」
「毎回毎回、気にし過ぎですってばー! あと、結構失礼です!」
「気にし過ぎるくらいじゃないと自分の身を守れない世の中だし、仕方無い」
合意の下であったとしても、非難を受けるのは大抵男性だ。
一見過剰に見えて実は正当な穂摘の判断は、女で、しかも幼い夏堀には分からない。
今日で十六歳になったとは言え、夏堀はまだ未成年である事に変わりなく、保護者次第で簡単に通報されかねない状況に穂摘は身を置きたくないのである。
念には念を入れる、と言うものだ。
そんな風に彼らがごちゃごちゃやっていると、かちゃりとドアノブが音を立て、ドアが開いた。
その隙間からまず黒いローブが見え、完全に開ききったところで穂摘はドアを開けた人物と目が合う。
勿論、他でも無いアリアだった。
彼女は靴も脱がずに言い争いをしている二人に翠の目を向け、真剣な表情で言う。
「匂いがしたから来たのだ。上がろう」
やはりこの石は、アリアの石なのか。
それを直に持っている今、ある程度の距離ならば嗅ぎ付けられるらしい。
普段来ない時間帯にアリアが来た理由に納得し、穂摘達は黙って頷いて靴を脱いだ。
穂摘は飲み物一つ出す心の余裕も無く、そしてその場の全員がそれに気付く事も無いまま静かに椅子に座った。
揃って着席した事をうけて穂摘のバッグの中から取り出された、丸い翠の石。
ことん、とテーブルの中央に置いたところで、穂摘が墓参り先であった事とそこで出会った妖精の意志を簡単に説明する。
黙って聞いていたアリアは、ガントレットを装着している右手でその石を摘まみ上げ、自身の眼前まで近づけた。
「事情は分かった。きっと私の石はアラタの母が死んでからずっと墓に封印されていたのだ……今日で七年、か。妖精の周期の区切りであるが故に、封印が一旦緩み、歪みが出来ていたのであろう。そこへその妖精が墓に触れて別の防呪を発動させた事で、弱まっていた封印が壊れてしまったのだと思うぞ」
「封印が壊れた原因は分かった。でもそれだとおかしくないか? 僕の母が死んだのは七年前の話だけど、夏堀さんはその翌年にその石で命を救われてるんだろ? 封印されてた物をどうやって使ったんだ」
「それはこの石では無い」
「ど、どういう事でしょうか?」
アリアの眼前に持って来られた事で、穂摘の視点からは彼女の瞳と石が近くなり自然とその二つが並んでいた。
綺麗な石だ。
不透明なのに、澄んだ翠色。
――ああ、アリアの瞳の色と同じなんだ。
そう、穂摘は気付く。
そして夏堀の問いに、アリアの睫毛は緩く伏せられる。
「この石は……小さい。多分力を分割したのでは無いかと思う。故に、もう一つこれと同じくらいの石が存在しているはずなのだ」
「力を分けて、その片方を穂摘さんのお父さんが持っていた……って何だか形見みたいですね」
「と言っても元々はアリアの力の石なんだから、形見にするのはどうかと僕は思うけどね」
「た、確かに」
本来の半分しか力の無い、石。
それをアリアは右手で握り潰した。
だがそれは割れるでも、転げ落ちるでもなく、アリアの手の中に収まった。
いや、収まったのではなく吸収されたのだろう、本来在るべき場所に。
アリアが右手の平を開くと、そこには先程まであったはずの石が無くなっていた。
その次の瞬間に、穂摘は僅かな違和感を覚える。
何だろうか、と思って辺りを見回し、だがその違和感の正体に気付けずに居ると、夏堀が目を丸くしてアリアを見ていた。
「アリアさん……何だか雰囲気変わってませんか?」
「うむ。取り戻した力に影響されて、髪が少し伸びたようだ。前髪が鬱陶しいぞ」
元々アリアの前髪は軽く目にかかる程度で、他は大体胸元までくらいの長さだった彼女の髪が、確かに少しだけ伸びている。
後ろ髪などは気付けないが、目が隠れてしまっている前髪だけは分かりやすい。
フードと帽子を被っているので元々アリアの目元は隠れがちだが、意識して見たなら分かった。
取り敢えず夏堀に前髪を切って貰ったアリアは、ほぼ元通りの前髪の長さになったところで話を再開させる。
「もう一つがどこにあるのかは分からぬが……その鷲の姿をした妖精は他に何か言っておらなかったのか?」
「あの妖精が墓に近寄ったのは、命令によるものだったらしい。と言っても話の途中で燃えちゃってそれ以上聞けてない」
「す、すみません、本当にすみませんっっ」
夏堀が必死に頭を下げている横で、アリアは恐い顔でこの場に居ない誰かを睨みながら言った。
「墓に近寄れと言う命令が下されていたのなら……つまるところその妖精は捨て駒だったわけだぞ」
封印の歪みを完全に開く為に、封印と同時に墓に掛かっている防御呪を発動させる必要があった。
けれどその呪の発動とはつまり、掛かった妖精を殺すようなものであり、一羽の妖精を犠牲にする事で誰かがアリアの石を手に入れようとしていたと言う事になる。
あの鷲の妖精は、一体誰にそんな命令を下されていたのだろうか。
その裏にあるはずの底の見えない闇が、酷く不安を掻き立てる。
「あの場に、もしかすると僕達を影から見ていた奴が居たのかも知れないな」
「そうであろうな。捨て駒の妖精の他に、その後に石を拾う役目の者が居なければ成り立たぬ」
「なら僕達が石を手にしたのは筒抜け、って事か……」
それはあまり芳しい状況では無いだろう。
もしガラスの箱にアリアの力を使った者と、今回の石を手にいれようとしていた者が同一人物なのであれば、手段を選ばない性格なのは間違いない。
しかも顔を見られてしまった以上、今後狙われる危険もある。
「私もなるべく周辺に気を配っておこう。あまり一人になるでないぞ」
「ああ、分かったよ」
アリアの忠告に、穂摘が淡々と返す。
だが、決して軽んじているわけでは無いのは表情を見ればすぐに分かる。
穂摘も、黙っている夏堀も……どちらも楽観視などとは程遠い、真剣な顔をしているのだから。
懸念は残るが、石を探すと言う目的の半分は達成出来たのだから決して悪い事ばかりでは無い。
やはり墓参りはしておくものだな、と穂摘が変な方向に感謝をしていると、夏堀がお弁当をテーブルの上に置いた。
「アリアさん、これお土産です」
「む? ……何だそれは」
「お弁当ですよ、お肉入ってないんでどうぞ!」
「おお、すまぬな」
だがそれをすぐに開封せず、一旦テーブルの隅にずらしたアリア。
多分、まだ彼女の中では「食事の時間」では無いのだろう。
穂摘としても今は夕食には早い時間だ。
「……もしアリアが嫌がったら残しておいてあげるから、明日食べに来たらどうだい?」
気を遣ったつもりで放った穂摘の言葉に、夏堀が叫ぶ。
「そこまで食い意地張ってません! 穂摘さんが食べてくださいよ!」
「それは意外だなぁ」
笑って答えた穂摘に、夏堀が怒ったのは言うまでも無く――
そしてその後に夏堀が帰り、夕食の時間になって弁当を開いたアリアは、意外にも嫌な顔一つせずに箸をつけた。
納豆が食べられる西洋妖精に、穂摘は驚きを隠せない。
「……臭く、ないのか?」
「ああ、ナットーの事か。問題無いぞ。物によってはチーズのほうが臭かろう」
確かにそれはあるかも知れない。
だが、見た目も外国人には受け入れ難い物のはずなのに、平然と食べる様子を見て、一つの予想が彼の中で浮かんだ。
「もしかして、初めてじゃないのか」
そう、彼女の反応は、納豆を初めて見る外国人の反応では無いのだ。
こくんと頷いて、上手に一旦食べ収めるアリア。
「祖国で何度か食べた事がある。だがそうだな、このオベントーのほうが美味しいぞ」
「納豆を食べる機会が何度もあるだなんて驚きだよ」
「勧められたものでな。最初は驚いたが、今では好きだ」
「健康にいいし、日本食は人気だもんなぁ……」
「うむ」
アリアが祖国でどういう妖精人生(?)を生きてきたのかさっぱり想像がつかない穂摘であったが、日本に来てもある程度は問題無く生活が出来ているのだからあちらでも人間と接する機会はそれなりにあったのだろう。
ただし、服に関しての価値観はあまり教えて貰えなかったようだが。
納豆も食べられるなら、また食事にバリエーションが広がりそうだ。
いつか来るはずの二人の「終わり」なのに、見通しが立たない以上はそれは形だけでしか心に留まらない。
その形には中身が無いから、「終わる」と分かっているのに「終わらない」ような気がして……彼は明日の献立を考えるのであった。
【第七話 玻璃を穢すは、人の闇 完】




