玻璃を穢すは、人の闇2
アリアを対談時に連れて行き、ましてや姿を現させるだなんて事が既に間違いだったのか。
この妖精が周囲の都合などおかまい無しに動くのは、今に始まった事では無い。
妖精としての歯車から排除された彼女は、妖精でありながら十分人間らしく自由で……それなのに、どこまでも妖精なのだから。
「アリア、落ち着くんだ。それはお前の主観で……」
「何を言うかアラタ、私はあの時きちんと伝えただろう。吸血妖精は本来森から出ない。彼女達に街の人間を襲わせた者が居るはずだ。次にこの女は間違いなくガラスの箱の中身と契約をしていたのは先程の話の通り。そしてだな……」
更科に負けずとも劣らずの鋭い視線を、アリアは夏堀の手の中に向けた。
「そのガラスの箱、私の匂いがついておる」
吸血妖精はアリアの匂いがついていて、アリアの石との接触があったと思われる妖精である。
そして吸血妖精の事件と関わりがある更科の持つガラスの箱にも、その匂いがついている。
つまり、吸血妖精との繋がりの決定打となる物的証拠が出てしまったのだ。
「匂いとか、何の事か分からないけど」
「しらばっくれても無駄だ。人の法でお前を裁けぬのなら、彼女達を還した私の剣で、お前も還してやろうでは無いか」
そう言って立ち上がり、アリアは黒ローブの下に銀の腕を入れ、長剣を抜いた。
現代社会の常識では考えられない刃渡りの凶器を向けられ、恐怖で身動きの取れなくなった更科を、庇う形で穂摘がアリアとの間に割って入る。
勿論その行動に不服を申すのはアリア。
「何をしておるアラタ、そこをどけ」
「今は妖精だからいいかも知れないが、これから人間社会で生きようと思う奴がする事じゃないだろ」
「……くっ」
穂摘の言い分が通じたのか、僅かに歯噛みしてアリアは一歩下がり、出したばかりの剣をすぐに仕舞った。
けれど口を閉じる気は無いらしい。
「元々人間の物に憑いていた浴槽の精霊とは違うのだ。彼女達は自然を護る、自然の妖精だ。無理矢理辺境の地に連れて来られ、不本意な契約を結ばされ、そしてその末に起こすしかなかった所業を全て自分達のせいとして被り、私に還されるしか解き放たれる道は無かった。あの者達の想いがどんなに悲痛なものだったか!」
「アリアさん……」
確かに、人間でも同じ境遇に陥ったなら悔しさで死んでも死に切れない事だろう。
妖精達の想いを代弁するアリアに、夏堀が声を漏らした。
だが一つ引っ掛かる点があった為、冷静なまま穂摘はそれを問う。
「不本意な契約だっただなんて、何で分かるんだ?」
契約とは双方の了承があって交わされるものでは無いのか。
穂摘の後ろに隠れる形になっていた更科は、口を挟まずにそのまま聞いている。
その思惑は穂摘には分からないままなので、軽く上半身だけ振り返って彼女の表情を確認してみた。
そこにあったのは、崩されてもいない「真顔」。
元々無愛想な更科はここに来ても大して表情に感情を出す事はしないようで、そこから読み取る事を穂摘は諦めた。
そして、そんな更科の口を開かせたいのならアリア側についてはいけない。
穂摘の意図がアリアに伝わっているかは定かでは無いが、金髪の妖精は先程の穂摘の問いに答える。
「それも伝えたでは無いか。本来彼女達は森に来た者を襲う妖精であり、自ら出向くものでは無い。自身の理を、その妖精自身が望んで壊すなど有り得ぬ」
「お前も自分を変えようとしてるじゃないか」
「順番が違うぞ。私は先に壊れておるのだ」
そう言ったアリアの顔は、普段の美しさが陰ってしまうように悲しみ、怒り、笑い、歪んでいた。
この金髪の妖精は、決して最初から人間になりたかったわけでは無い。
妖精として壊れたからこそ……その後に立ち上がる事の出来る、弱くて強い人間に憧れたのだ。
「そういう事か……」
今回の更科の行為にやや過剰に反応しているのは、自身の境遇を重ねているからなのだろう。
アリアに肩入れしてやりたい気持ちを抑えつつ、それでも穂摘は更科を援護する事に決めた。
溜め息を吐き、穂摘はきちんと更科に向き合う。
「まずは、そこの妖精が失礼な事を言ってすまなかった」
「何故アラタが謝る!」
「人間はそういうものなんだよ」
「何でしょう、穂摘さんの達観の方向性が悲しいです……」
穂摘の謝罪はアリアの肩代わりではあるが、決して感情が篭っていないわけでは無かった。
更科も、むしろ部下の不始末の被害者のような状態になっている穂摘に対して悪い気はしないようで、彼を責め捲くし立てる事はせずに落ち着いて返す。
「別に、そこの妖精サンの言いたい事も何となく分かったからいいよ」
「そう言って貰えると助かる。その上で聞きたい。僕は決してそこの妖精が虚言を吐いているとは思っていない。つまり、現時点では正直言って貴女を信じきれていないんだ」
「……何それ、何が言いたいわけ?」
途端に立ち位置を翻した穂摘に、怪訝な視線を送る更科。
夏堀も、事をこれから荒立てそうな話の流れにただおろおろするばかりであった。
二人の視線が交差する様を、ただ手を胸元で組んで見つめる事しか出来ていない。
とは言え、こう言った第三者的存在がその場に居るからこそ、穂摘や更科は落ち着いて会話が出来ているものでもある。
そして勿論、穂摘は別に更科を責めるつもりでこんな事を切り出したわけでは無かった。
疑われる前に「こちらの本音」を先出ししただけの話である。
言葉の順番は、とても重要だ。
それだけで印象ががらりと変わるのだから。
「以前も言ったけれど、僕は更科さんの事情に深入りするつもりは無い。警察じゃないから貴女が何をしていたところで裁くつもりも、勿論アリアに裁かせる気も無い。ただ……前回ではなく今回の依頼に貴女の行動が関わっている可能性があって、情報が足りずに難航している状況では……少しでもそこにあった真実が知りたい、と言う話なんだ。あくまで、依頼遂行の為にね」
「つまり、信じきれていないって言うのは私がまだ何か隠している事があると思っている……って事でいいのかな」
「そうなる。別に言いたくないなら言わなくてもいいけれど、それが原因で依頼遂行出来なくても僕は責任取れない」
「そう……と言っても本当に隠している事なんて私には無いよ。やった事は話した通り、私は教えて貰ったお祈りを試しただけで、妖精と話なんてしてないし命じてもいない」
「分かった。じゃあ、それで話を進めよう」
「アラタ!」
穂摘が折れた形になったせいか、アリアがその不満を大きく声に出した。
それでも穂摘は飄々とした顔で先程まで座っていた椅子に戻って言う。
「更科さんは嘘を吐いてない。吐く必要が無いし、吐いてもデメリットしか無いんだよ」
「そんなわけが……!」
「そこをこれから突き詰めよう」
穂摘は持ってきた鞄からメモ帳とボールペンを取り出して、さらさらと現状の図解を作っていく。
それを覗き込むのは夏堀。
「時系列をまとめているんですか?」
「そういう事。黒い犬……死を運ぶ犬が現れたところから僕達の接触は始まっている。ガラスの箱を持っていなかった最初の被害者がまず殺され、それ以降は箱を持っていた人達が次々に殺されていった。死を運ぶ犬をアリアが退治して……ここで、更科さんが箱を貰ったのはいつになるのかな」
「ガラスの箱をお守りとしてくれた彼が死ぬ、一ヶ月くらい前。クルーズの最中に貰ったんだ。彼が死んだのは私が船を降りて二日後の事だね」
「ちなみに、箱の中身を埋めたのは、友達三人が居なくなる何日前の事だろうか」
「二日、前……」
そこだけは言いにくそうに、それでも更科は答えた。
妖精がした事は、直接命令していなくとも自分がきっかけである自覚はあるのだ、と穂摘に感じさせる。
だが、どうでもいい。
穂摘達が行き着きたいのはそこでは無いのだから。
「どちらも二日って言うタイムラグがあるけれど、これは単に『妖精が着くまで』の時間なんじゃないかと思うんだが、どうだアリア」
「最初のく、黒い犬? のは一ヶ月と二日ですよ?」
夏堀が恐る恐る問うが、
「単純に動く船の上だったから妖精が辿り着けなかったんじゃないか。何しろ水の上を歩けるはずのアリアでも、日本にはわざわざ飛行機で来てるくらいだからな」
「妖精は万能では無い。人間の乗り物のほうが早い事が多い故、船ともなると追う事も難しいかも知れぬ。それに死を運ぶ犬は水とは相性の悪い妖精だ」
「つまり、死を運ぶ犬は、被害者達の乗っていた船に居たわけではなく、元々日本に居た事になる。日本の港で待ち受けていたんだからな」
「……日本に本来居ない妖精ですから、やっぱり誰かが連れて来ている、んですよね」
そして、そこに戻る事になるのである。
更科が依頼してまで求める真実は、死を運ぶ犬の存在に大きく関わっていると言えよう。
船にずっと乗っていた被害者達と死を運ぶ犬はどのタイミングで契約したのか。
この書き出された中に死を運ぶ犬と最初の接触に成り得る部分が無いのなら……後はもう一つしか無い。
穂摘はそこまで書き出した文面の上に、縦長の線をずいっと引いてその事実を口にした。
「被害者達は基本的に外国籍のクルーが多い。なのに日本に居た妖精と契約していたのならば、僕は、『それよりも前の期間』にこの日本で契約の段取りを整えた、間接的な役割の者が別に居ると思う」
彼の案に、彼の向かいに座った更科がほんの少しだが身を乗り出して聞く。
「どういう事?」
「更科さんの言っている事がそのまま真実だとすれば、そう言う事が出来ないと辻褄が合わないんだ。契約するつもりでは無いのに契約が成立してしまっているのなら、ガラスの箱の配布者がそうなるように仕込んだ上で箱を作ったんだろう。アリア、えっと、そこの妖精が言いたい……彼女達に不本意な契約をさせるよう仕向けたのはもっと大元だって事だ。勿論死を運ぶ犬との契約も同様に別の人間が手筈を整えていたと考えたほうがいい。たとえば、もうガラスの箱を手にした時点で契約が完了するとか」
「それなら、皆さんが死を運ぶ犬と接触していなくても契約が出来てしまえるんですね」
「そういう事が出来れば……と言う仮定の話なんだけどな」
ここまで話したところで立ったままのアリアをちらりと穂摘が見た。
彼女の金色の前髪の下で、翠の双眸はやや陰っている。
アリアは人間の事情に疎いし、気の向くままに動く事が多い為にやや頭の悪そうな印象を受けさせる妖精だが、実のところはそうでも無い。
穂摘が話した仮定を聞き、それが物語っている「その先」を彼女は察してしまっており、その銀の指先が震え、カチャ、と音を立てていた。
彼女の揺れる心を代弁するかのように。
「出来ない、とは言わぬ。だが、それをする労力は途方も無いであろう」
その声は、普段の彼女からは考えられぬほど覇気が無いものであった。
「そうだろうな。人間だって契約は面倒だ。ものによっては専門家に依頼する事はよくある話だし」
「死を運ぶ犬からは私の匂いはしておらぬ。だが、吸血妖精にはついておった。そして、ガラスの箱にも」
「そうだな。ここでそのまま考えると、箱と吸血妖精の両方が石と接触した、と考えるわけなんだが……」
「そうではない、とアラタは言いたいのであろう? 難しい事を可能にしたガラスの箱、そこに私の石が使われている、と。吸血妖精はその中に入れられていたから影響を受けて匂いがついただけなのだ、と」
「全部仮定だよ。お前の力がそういう風に使えたらって思っただけなんだけど……その反応だと、使えるみたいだな」
アリアの石は生命の在り方にまでも干渉出来る力なのだから、契約を都合の良いように捻じ曲げて行わせる事など、むしろ容易い事だと考えていいだろう。
一応ここで、アリアの石についての情報を知らない更科に、穂摘達の事情を差し支えない程度に軽く打ち明ける。
これは前回の依頼の段階で、彼女の言葉を引き出す為に表面は触れていた話の為、すんなりと伝える事が出来た。
「じゃあ、そこの妖精サンの力を奪って使ってる奴が、彼を死なせるような契約をさせたって事?」
「更科さんが積極的に契約をした覚えが無いのであれば、ね」
「無い。誓っていい」
「じゃあその線で話を進めるよ。ガラスの箱も預かって少し調べさせて貰う」
更科との情報交換はそこで終了した。
少しだけ不機嫌なままのアリアがまず外に出て、次にガラスの箱とリボンを持った夏堀が靴を履く。
広い玄関なので彼女と共に靴を履き終えた穂摘は、最後に振り返って、更科に純粋な疑問を投げかけた。
それは、別に今回の事件には関係の無い、妖精が見える者にとっての興味から湧いたもの。
「更科さんはどうして、妖精の存在をこんなにすんなり受け入れてくれているのか、聞いてもいいかな」
今まで見えていなかったにも拘わらず、こんなにすんなり受け入れてくれる人が居ると知っていたなら、穂摘の人生はもっと変わっていただろう。
いや、居るわけが無い。
だからこその疑問なのだった。
更科は、普段のクールな表情をふっと微笑み緩ませて、その唇を開いた。
「あんなお祈りで願いが叶ったんだから、非現実な何が存在していたって不思議じゃないって話でしょ。妖精じゃなくて悪魔や幽霊でもきっと、信じた」
笑顔の奥にあるのは、その「願い」に込められた想いの深さの分だけの昏さ。
過去に更科が抱えた闇はやはり今もまだ、彼女の心の一部を壊したままなのだ。
……何故ならその「願い」は、笑って話せるような内容では無いはずなのだから。
「さっきの妖精サンにお礼を伝えておいて。間接的には結局のところ、あの妖精サンの力が無ければ私は救われなかったんでしょ? でも彼も……あの妖精サンの力が無ければ死ななかった。お仲間に不本意な契約を結ばせたのは貴女の力なんだって事も、ちゃんと、ね」
自分のせいにされた恨みの分を、軽く言い返したかったのか。
最後に皮肉を土産に渡してきた更科に、穂摘は背を向けて言う。
「伝えなくたってアリアは自覚している」
力を奪われた自分が悪いのだ、と。
力を奪った穂摘の母親ですら悪者にせず、奪われた力の影響を受けた妖精に謝罪をするくらいに。




