窮愁に呑まれる、思慕の情3
母は言っていた。
「ああいうのが見えていることを絶対他人に話しちゃ駄目。関わっても駄目」と。
きちんと穂摘が人間として生きる為のレールは敷いてくれていた。
敷いてくれていたのに……
穂摘はふと、ベッドの枕元に飾ってある写真立てに視線を向けた。
両親と映っている子供の頃の写真。
母は予測していたのかも知れない。
力を奪った自分を追って、その力の持ち主がこうやって現れる事を。
そしてそうなった時、何も知らない息子が巻き込まれる事を。
「くそっ」
よく考えてみたなら分かる話だ。
石の力に中てられて妖精達は変化を起こし、夏堀に至ってはアリアが見えるようになってしまっている。
その石の力は元々アリアの物。
ならば、石だけでなくアリア自身も周囲に影響を及ぼす存在なのは道理だろう。
マイナス思考を切り替えろ。
早く終わらせればいい。
くしゃりと紙袋を潰すように掴み、天井を見る。
何があるわけでも無いけれど、顔を上げる事で無理矢理心を保たせていた。
俯いていては、底に渦巻くもやを払えなくて。
しばらくしてエアコンが効きすぎて寒くなってきた頃に、アリアはいつも通りやって来た。
玄関口で出迎えた穂摘の表情の暗さに彼女はすぐ気がついたようで、その点にまず触れる。
「どうしたのだアラタ、元気が無いではないか」
黒いローブのフードを深く被り、その下には用心深く耳を隠す帽子を被っている、いつも通りの彼女の服装。
この分だと今日は人間に可視させずに過ごしていたと思われる。
当たり前だ、下手に姿を見せるよりも不可視のままで居たほうが人に気を遣う必要も無く、動きやすいのだから。
けれど……もしアリアを出迎えた瞬間を隣人にでも見られたならば、穂摘は誰も居ないのにドアをあけて、また閉めると言う不審な行動を毎晩している怪しい人間なのだろう。
「まあ、入れ」
穂摘の様子が普段と違う事を気にしつつも、アリアはフードだけを脱いで帽子と長い金髪を晒した。
黒尽くめの怪しい格好ながら、それだけで彼女にはいつも目を奪われてしまう。
穂摘は惑わされないように慌てて顔を背け、ブーツを脱ぐ動作を背中越しに感じながら先に一人で部屋に入る。
暗くなった外を眺めながら、窓に反射した自分の情けない顔を確認した。
少し、痩せたかも知れない。
疲れているのかも知れない。
だから、気に病んでしまうのかも知れない。
彼女の問題に首を突っ込んだのは自分なのだから、彼女に文句を言うのは筋違いだ。
分かっているのに、不満が込み上げて来る。
部屋に上がったアリアは、ティーポットを確認するなり目の色を変えてそれを凝視した。
「何と! もう買ってきてくれたのか!」
「……依頼人と会うついでに、な」
「よし、では私が淹れてやろう」
上機嫌で部屋の中央に歩いて来るアリアとは対照的に、穂摘の表情は暗いまま。
カーテンを閉めてアリアの方に向き直すと、穂摘は溜めに溜めていたその気持ちを吐き出してしまった。
「なあ、僕に言わなきゃいけない事が残ってないか?」
大体において、アリアは穂摘にほとんど何も話していない。
自分の素性は勿論の事、力を手に入れてからどうする気なのかも。
それは単に穂摘が詳しく聞こうとしないからではあるが、穂摘からすれば「自分から話して欲しい事」だったのだ。
踏み込もうとしないのは、興味が無いからでは無い。
いつかは話してもいい、と思って貰ってから聞くべきだ、とそういうつもりで黙って彼女を支えて来たのだ。
けれど、上北から聞いた話を考えると、もうそのスタンスで付き合っていくには荷が重いし、もしアリアがその事実を知っていたのならば彼女自ら穂摘に話さなくてはいけない事だろう。
私と一緒に居ると力に中てられていくかも知れないが良いのか、と。
しかしアリアは急にそんな事を聞かれたところで、穂摘の意図を読む事など出来るわけが無かった。
「何の話だ?」
そこまで察する事が出来ないのはアリアのせいでは無いのだが、穂摘はそれでも苛立ちを止める事が出来ずに、言葉を続ける。
「今まで見えなかったものが、見えるようになってきてるんだ」
「ぬ?」
「上北……ラウファーダだったっけ。テレビの事故映像の現場に妖精っぽいものが見えたから事実確認出来そうな彼女に話してみたんだ。そしたら……テレビ越しに見るだなんていくら妖精が見えている人間でも普通は出来ない、もし見たものが本当に妖精なら、お前に中てられて妖精に近づいたからだろう、みたいな事を言われた」
「ああ、その事か。確かにそういった現象は起こる」
「そういう大事な事は言えよ!」
「言っておらなんだか? すまんすまん」
何にも悪気の無い調子で謝り、笑う、アリア。
こいつは言いたくないから言わないのではなく、説明すると言う発想に至っていないだけなのでは無いだろうか。
そう思ったら、必要以上に問うのを躊躇っていた自分が馬鹿臭く思えてくる。
「あのな、僕が深く聞かない事に甘え過ぎてないか?」
「私がアラタに甘えているのは認めよう。いつも助かっておるぞ」
「……そ、そうか」
「だがアラタよ。お主は何を思って私に問わぬのだ?」
「え?」
逆に問い返されて、困る穂摘。
けれど問わない理由はきちんとある。
戸惑いながらも、返す。
「そりゃそうだろう。他人に触れて欲しくない事情なんて腐るほどあるんだ。話したくない事を話させないように、気を遣ってるんだよ」
「気を遣うなら遣い通せ。結局文句を言うようでは、それは気遣いでは無い。ただ自分で決断する事から逃げているに過ぎぬよ」
気遣っていたつもりのその感情の本質を「逃げ」だと言われてしまった穂摘は、その言葉の意味をすぐに受け止められず、かと言って反論も出来ずに黙り込んだ。
手厳しいアリアの言葉は、容赦なく彼を刺す。
「単に聞く事で自ら踏み込むのが怖いのであろう? 見ていれば分かる。同じ『問わない』でも、私は心から問う必要が無いと思っておるが、アラタはそうでは無い。問いたいけれど問えないのだ。問わない、のではなく、な」
そんな事は無い。
問えないのではなく、問わないだけだ。
だが、アリアにそう言わせてしまうのならば、アリアにとっては答えても良いような大した事では無いところを、穂摘が気を遣いすぎて触れずに腫れ物の様に扱ってしまっていたのかも知れない。
遠慮する必要は無い、と言うお墨付きのような言い分を投げつけられた以上、気になる事は全部聞いてやる、そう穂摘は思った。
「そこまで言うなら聞いてやるよ……」
「ああ、存分に問うが良い。アラタは私を手伝ってくれておる。知りたいのであれば、答えぬ事など無いぞ!」
「一体、石の力で何をしたいんだ?」
最初はただ単に籠手無しでは動かない右腕を直す為かとも思っていたが、多分違う。
彼女はきっと別に目的がある。
それは今まで見てきていて、薄々感じていた事だった。
穂摘が聞くと、先程までの威勢の良さはどこへやら、アリアの唇の動きが途端に鈍る。
「ああ、それか……それは確かに言い辛いかも知れぬな」
「っ、お前な……! ほらみろ!」
気を遣っていたのはやはり間違いでは無かった、と穂摘は叫んでアリアを指差した。
金髪の妖精は照れ臭そうにしながら、頬を掻いている。
心無しかその頬は、やや紅潮している様にも見えた。
「だが隠す事でも無い」
「じゃあ言えばいいだろ。僕は気になってたし、こうやって聞いたぞ」
「うむ、私はな……人間になりたいのだ」
「……………………はっ?」
「前に言っただろう、人間の心情に寄っているのだと。好きなのだ、羨ましいのだ人間が。自分の存在の在り方などに縛られぬ、個々が自由に、千差万別に生きる。やりたい事をやる事が生に繋がる。それは、妖精では有り得ぬ。妖精は……そこに在る為には必ず生まれた際に定められた在り方が必要になる。そしてそれが無くなれば居場所を失い、ただどうしようも無く存在するだけになるが、それは決して生きているとは言えぬ」
たとえば緑の歯であれば、人を襲う事を生まれながらに定められた妖精。
だが、そこには襲う為の理由が存在し、その襲う理由も無くなってしまった現代、ましてや日本では緑の歯は存在意義が無くなってしまうのだ。
かと言って妖精達は、人間とは違い、他の存在意義を探す事がうまく出来ない。
最初から親によってレールを定められた人間が、そのレールを外れた途端にどうして良いのか分からなくなるように……
最初に植えつけられた絶対的な価値観が壊れた時、自分で新しい何かを構築する事は難しい。
穂摘はアリアの目的を聞いた事によって、更に浮上してきた疑問を口にする。
「確かお前は僕の母に力を奪われて、それで右腕が使えなくなって降りた位に、上北が就いていた事があったように言ってたよな」
「うむ」
「って事は、その位こそが……お前の在り方で、居場所……だったのか?」
アリアの言い方では、まるで自身が一度居場所を失い、どうしようも無く存在するだけになっていたようだからだ。
自身が経験していなくては出ない、そんな悲痛な思いを穂摘は彼女の声色から感じ取っていた。
そしてそれならば……アリアが今まで斬った者達の一部に対し、容赦なく斬っているにも拘わらずどこかそれを「救い」のように扱っていたのも納得がいく。
斬られたほうが、死んだほうがましだと思う時期が、彼女にはあったのだろう。
穂摘の……母の行いによって。
答える事が穂摘を傷つけると分かっているようで、アリアはそこは口には出さず、ただ黙っていた。
だが口に出さずとも表情だけで伝わる事実だ。
穂摘は苦悩し、その矛先を既に亡き人へと向ける。
穂摘の視線がベッドの枕元に向いたので、アリアもつられて一緒にそこにある写真立てを翠の瞳に映した。
「そこに映っているのがアラタと居た頃のあの女なのだろう?」
「……そうだよ。少なくとも、僕にとっては良い母親だった」
けれど、今となってはもうそれも良く分からない。
以前も疑問に感じた、母が彼女の力を奪った理由。
語らず没し、アリアも知らないその事情。
「一応聞くが、お前が何か悪さをして僕の母に懲らしめられた、とかそう言う事は無いんだろうな」
「何を言う! 私は良い王だったのだぞ!」
「分かったよ。じゃあこれから僕はもう一切のお前への不信感を捨てる」
「む?」
確かにアリアは妖精で、その価値観も人間に近いようでやはり妖精だった。
ただ、穂摘がその一見して非情な価値観の上辺だけを見て勘違いしていた部分もある。
アリアは冷酷に斬って捨てているだけでは無かったのだから。
きっと上北も同じなのだろう。
彼女はその身自体を人間に変えているわけでは無いが、その生き様はもう人間だ。
物事を深く考えられるくらいの性質を持つ妖精ならば、誰もが最終的に行き着く結論なのかも知れない。
妖精が生き難くなったこの世の中で、人間として生きたいと思う事は。
アリアは今こうしてもがいている。
やや抜けていて捉えどころの無い存在だが、人間になりたい、と言っている。
それなら、穂摘にとって異種族であると言う壁を作る必要はもう無かった。
「言っておくが、力を取り戻して人間になったところで、お前はちっとも人間じゃないからな」
「何と!」
「人間になる気があるって言うならもう僕は容赦無く人間の常識で接するから、ちゃんとそれに合わせるんだぞ」
「おおお、そういう事か。あい分かった!」
「だから手始めに、その黒いローブを脱げ! 前も言ったけど不審者だそれ!」
そこでアリアが固まった。
自分の姿を見下ろして、挙動不審になる。
人間になりたいアリアとしては、人間らしくないと言われるのはきっと複雑な心境なのだろう。
しょんぼりしながら、その人間らしからぬ、そして人間の扱う素材ではないローブをするりと肩から落とすように脱いだ。
が、
「って、何でまた全裸なんだよ!!!!!!」
ここしばらく着ていたはずの彼女の服がそこには無かった。
艶めかしい白い肌が明かりの下で輝いて、一通り見てしまった後に穂摘は彼女に背を向ける。
「人間の衣類は汚れるのだ。汚れたら新しい物に取り替えていたのだが、それも尽きて……」
「何だって!? まさか全部捨てたのか!」
「うむ」
「人間の服は洗うんだよ! 妖精も洗ったりするんじゃないのか!」
「洗う妖精も居るが、私のローブは洗う必要など無いぞ」
「便利だな!」
最高の一張羅に違いない。
結局、アリアは穂摘が買ってきたばかりの服を一先ず着る事になった。
とは言え下着までは買ってきておらず、適当に買ってきた中で一枚だけ丈の長いシャツがあったのでそれを着せてから結局ローブを上から着て貰う。
この対処にアリアが不満げにぼやいた。
「このローブを着ていては人間らしくないのであろう? 服を着たのだから、ローブは着ないほうが良いのではないか」
「淫乱な人間になりたいなら好きにローブを脱げばいいさ」
「どういう理屈なのだそれは!」
「ローブを着ていると変質者だけど、脱いだら脱いだで変態に等しい格好なんだ今のお前は」
下着を着ずにシャツ一枚の格好なら、そう言う結論にもなるだろう。
アリアは理解に苦しんでいるようだったが、それ以上納得がいく説明を求めるのをやめて、これはそういうものだ、と飲み込んだらしい。
「シャツ一枚と言うのもなかなかセクシーで良いと思うのだが、人間は不思議だのう」
「分かってるんじゃないか自分の格好を!」
「何、合っておるのか! ならば何故?」
「僕の前でする格好では無いって事だよ!」
そこまで言われてようやく納得したアリアは、照れる穂摘をいじり出したのであった。
 




